怒り
言いたいことを一気に言い切ると、たった一言だけが返ってきた。
「機密だ。君には言えない」
「……そうか」
言えない。の一点張りであるのは状況がどうであれ変わらないようだ。パウリノの表情はこれを言う時だけ作り笑いで、端正な顔立ちがより魅力的に変化する。
それでもそこに威圧的な感情が含まれていることに気付くのはごく一部だろう。
「……そうか」
もう一度、今度は俺も彼の笑顔を再現するように微笑む。なるべく高圧的に。いや、無理だわ頬が痛い。
「じゃあノアを返すのは無理だな。それ、胡散臭すぎるだろ。親の名前を出すことが憚られるだなんて特殊な奴が居たとして、どれだけ危ない人間なんだよそいつ」
「僕達が名前を伏せるのはもっと別の理由が……」
じゃあそれは何なのだと尋ねてもどうせ答えてくれない。
「とりあえず、今日中に浮島からこいつを出すってのは受け入れた。もう商会の方に迷惑が掛かることは無いよな。俺が何しようと俺自身のの所為だから」
「君、まさか」
言葉を出し切るとともに、パウリノとその部下らしき男たちからじりじりと距離を空ける。
ノアと体を近づけ、一瞬でその体を抱きかかえる事ができるように位置を取る。アームドアントの時はあれほどまでこいつを抱えて走ることができたんだ。人間を振り切ることなどぞうさもないだろう。
しかしその動きが、パウリノに捉えられてしまった。
「ちょ、待って! これ以上逃げるのは勘弁してくれ! 確かに彼女のご両親の名前を言えないのは申し訳ない。だが君がここで逃げ出すと、この島の神殿を全て敵に回す事になるかもしれないよ?!」
「…………公にせずこいつを探してたって事は、何かしらやましい事があるんだろ? その状態で全力で逃げる俺を捕まえられると思うか? 仮にも肉体労働バリバリの採掘師だし、俺」
「逃げてどうする? 彼女を連れて行くか?」
「浮島に連れ帰って、次の出航まで引き籠るな。あんたがその胡散臭い隠し事を止めてくれない限り」
「ぼ、僕たちが君の商会には一切干渉できないのを知ってて言ってるだろう。質が悪い」
「…………」
さらに距離を空ける。ノアの肩に回した右手の反対側で、太刀の柄を握った。これだけで、俺が何をどうしようか考えている事は分かってくれるだろう。
パウリノの後ろでは、俺を危険視した彼の部下たちも、細身のレイピアらしき代物を抜剣しようと動いた。が、それをパウリノが制した。
「教えてくれる気になったか?」
「……じゃあこれでどうだ。君の知りたい情報はどうしても言えない。これは変わらないがその代わり、君達が海樹の中心へ向かうのは許可しよう。これでおあいこだろう?」
「え、まじか?」
それは非常に魅力的だと思う。勇気を振り絞って思い切った行動に出た甲斐は有ったか、と内心安堵した。
「本当だとも。確かに、君の言う通り彼女が納得した上でご両親の元へ届けるのことは望ましいからな……ただし」
「ただし?」
パウリノはその頼もしく厚い胸をドンと叩く。
「君は信用ならない。僕達も同伴させて欲しい、そして、ちゃんと中心に着いた暁に彼女を引き取る」
「君たちもそれでいいだろう?」と、今にも斬りかかりそうになっている部下たちに確認を取った。部下達はパウリノの判断には一抹の信頼を置いているらしく、だれも反対しなかった。
「元より俺たちの目的はそれだ。寧ろ人が多い方が助かるから文句は無い」
「それは良かった、じゃあ交渉は成立だな」
ほっとしたように笑う彼の表情を見つつ、俺も柄にかけている手を戻し、ノアに尋ねる。
「お前もそれでいいな?」
「……うん」
未だパウリノ達に敵意を向けていたノアも、多少の不満はあったらしいが頷いてくれた。
「でも、一つだけ言っておく。いくら僕達が一緒に行動するとは言っても中心付近はかなり危険だ。敵も強いばかりか『アガレスの守り』の所為で近づくこともままならない。いざとなったら、君だけでも逃げる用意はしておいてくれよ」
「いや、元はと言えば俺がこいつを連れて行くって言いだしたんだ。俺が命を張るのは当然だろ」
大見栄を張ったのでもなく本心からそう言ったのだが、パウリノは首を縦に振らなかった。
「駄目だ。君は仮にも大貿易商会のメンバー。この小さな島に多大な経済効果をもたらしてくれる大事な顧客だ。もしも君が死んで、二度とこの島に寄り付かなくなられても困る。だから僕達が合図をしたら直ぐに逃げろ。これは強制だ」
そう言う彼の目に、どこか恐怖が存在した気がしたので、「そこまで言うなら……」思わず承諾していた。彼の言う事には一理あるのだが、正直言って杞憂に思える。
仮にもし俺が死んだとしても、採掘師が海樹内で死ぬことは頻繁に在る。だから商会員一人死んだからと言ってその海樹に二度と近寄らないようなことは決してないのだ。
「考えすぎだと思っているんだろ? それでもここまで用心しなければいけないほどに僕達の島は貧しいんだ。悲しいことに」
「へぇ」
なるほど、そういう事か。と目を瞬かせた。
「僕達が協力するからには日程、部隊編成等は全てこちらが担う。とりあえず訊いておきたいのが日程。降臨祭を待たずにこうして動いているんだから、彼女はできるだけ早くにあそこへ行きたいと訴えているのか?」
「そうだよ、後六日間なんて待てない」
当の本人であるノアが切実に言う。
パウリノも彼女の意見を尊重してくれるらしく、否定的な態度は取らなかった。
「分かった、では出発は三日後にしよう」
「ん? そんなに空けるのか?」
「装備と部隊編成に時間が掛かる、それに……」
これまた高そうに日光を反射する皮手袋の手で、呆れたように俺の胸元を指さす。正確には、俺が身に着ける木製の胸当て。
「そんな紙同然の装備じゃあ危険だろう。君達二人の装備も僕が用意する必要があるんじゃないか?」
「御もっとも」
素寒貧に等しい状況の俺に、彼自身が防具を用意してくれるのならばそれに越したことは無い。
「作るのならオーダーメイドじゃないと僕が我慢できない。だから三日待つんだ」
「た、助かるな」
俺が身に着けるのだから既製品でも何でもよいのだが、と思ったが金を支払ってくれる相手に意見を言うのも失礼かもしれないということでその場は黙って従う事に決める。
俺にもう質問が無いと見たパウリノは、後ろの部下達に命じ、二人の採寸をさせる。部下は少し不満げだったが丁寧な手つきで事を進めた。これできっと体によく合った物が完成するのだろう。
採寸は数分で終わり、パウリノはすぐにでも準備を始めたいらしくその場を立ち去る。
だが、ふと思う事が有った。
「ぱ、パウリノさん」
「なんだい?」
もどかしそうに振り返る。
「どうしてここまで危険な事をそんな簡単に協力してくれたんだ」
単純なことだ。俺が少し押しただけで協力してくれる事を打診したこと自体は、俺にとってとてもじゃないが都合が良すぎると言える。
パウリノはしばらく目を伏せたが、数秒も経たない内にいつもの笑顔を顔いっぱいに広げる。
「なぁに、ちょっとした策が有るんだよ。僕達には」
そう言う彼の笑みは、どこか道化めいた印象が残った。
パウリノ達が用意をするということで、三日間も準備期間ができた俺達は、さすがにその間ずっと町で寝起きする訳にもいかず。浮島へと戻った。
正直嫌だった。
このアドウェナ商会はメンバー一人一人の安全のため、今日一日の予定を提出し、外出の際には入島門で手続きをすると義務付けられている。海樹に行く事を誰かに知られれば必ず引き留められる、とに無断外出した俺には、重くはないだろうが必ず罰が有るに違いない。
浮島に入ると、案の定俺たち二人を見た他の商会員達に色々な言葉を掛けられた。悪い意味で。
いつも俺を忌む青年達は指を指して「死んだのかと思ったぜ」と茶化し、陰で俺を忌む者たちは「何か事件を起こさないかひやひやした」と口々に言い、そもそも俺を知らない者はその様子を見て好奇の目を絶やさない。ま、こうなるわな。
そのまま移動を促された俺達は、エレインさんの家へと連行された。
考えるまでもなく今日一日の行動を尋問された挙句、雑巾が如く絞られてしまうのだろう。
だが、言えない。今日の事を言ってしまえば、彼女は必ず三日後俺が動けないように仕向ける。それだけはさせない! 絶対に本当の事は言わないんだから!
が、家に入ったその瞬間に意志は砕け散った。扉の先にあった、憤怒の化身とも言えるオーラを纏った後ろ姿に。
「――で、四日後には神官共と海樹の中心に向かう。と」
「そうです。彼らが居れば道に迷うこともありませんし、一安心です」
「黙れ、仲間が増えたにしろ危険なことに変わりはない。それよりも、今日の事はどうけじめをつけてもらおうか」
隠すべきだったのに、尋問されるがままに俺の今日一日の行動を話していた。これほどまでに憤怒しているエレインさんを、未だかつて見た者はいないだろう程怖かった。
そりゃあ俺の口は滑る。もう全部喋ってしまったから、滑るの表現はおかしいのか?
いずれにせよ全部ゲロった事に変わりはない。
髪は怒りで浮いているよう錯覚したし、いつもは寡黙で冷然としている表情も今、はこめかみに浮かべた血管によって怒りが面にに出ている。
「車裂き、鋸引き、磔……どれがいい?」
「死ぬことに変わりは……」
「冗談だ」
「で、ですよね! 体罰は禁止ですもんね!」
「まぁ罰は罰だがな」
お構いなしというように、一歩俺との距離を詰める。彼女の右手にはどこから出したのか小舟のオールが。
もしや、それで叩くと宣うのだろうか、と腰を着きながらびくびく考えていると、
「さて、どこにねじ込んでやろうか」
「ね、ねじ込む!?」
偉丈夫の腕ほどの直径であるそれが俺の中にインしてしまえば、二度と正気を取り戻せない気がする。
エレインさんはヒュンヒュンとオールを振り回し、その持ち手側を俺に差し向ける。ぶち込む気は満々のようだ。
誰か助けて! と心の中で叫んだが、部屋の隅でガクブルしている彼女が俺の元にやってくる事は困難を極めるだろう。目が合うと、彼女はふるふると首を横に振った。
「死に晒せ」
抑揚のない冷徹な声と同時。オールの先端が鋭利な風切り音を乗せ、俺へと突き立てられる。
生命の危機を感じ、咄嗟に跳ね上がり回避した。
だがその瞬間、しまった! と後悔する。反射的に避けてしまった事で、より苛立ったエレインさんが、本気の構えでオールを振り回し始めたのだ。部屋の中に一陣の突風が吹き始めている。気のせいだろうか?
「次は避けるなよ?」
「い、威力によります」
「避けるな」
言い終えるや否や、彼女の美しい上段構えから一閃。目にもとまらぬ速さでかなり重い木製のオールが俺に降りかかる。
バガァアンッ!!
「うおおおおおおおおおおおお!?」
捥げたのは足か、腕か。爆ぜたのは内臓か!? と思うような激痛がやって来る。歯をかみしめても突き抜けるような痛みが体を突き抜ける――。
――と、思っていたのだが。実際の衝撃は遥かに小さい。拍子抜けだった。
彼女の振り下ろしたオールは、深々と俺が開く両足の間、その床に突き刺さっていたのだ。
俺の体を避けるように。どうして殴らなかったのか、とゆっくり顔を上げる。
居たのは、彼女がオールにぶつかった訳でもないのに、なぜか悲痛な面持ちの担当教官だった。呆気にとられる。
「どれだけ心配したか……あれだけ変な気を起こすなと言っただろう」
言葉に怒気はなかった。
「……すいません」
「この、大馬鹿者が……ハルカのような経歴持ちが失踪すれば、こうなる事くらい想像しておけ」
肩は小刻みに震え、凛として美しい姿勢は俯いて弱弱しい。
彼女の何かを留めていた物が、決壊して噴き出したようだった。
「…………すいません……」
エレインさんをこんな風にした当の俺は、そう使い古した言葉をもう一度出すしかできない。
どれほど俺は彼女を心配させていたのかを知って、激しく動揺していた。
「あ、あの……」
「……もういい。ハルカは一生私の犬決定だ」
「…………すいません無理です」
「…………ふざけるな」
そんな姿でもいつも通りなのは、体裁を保とうとしているのか。
もしかしたら、いつもこんな風に格好つけようと必死になっているのかもしれない。そうだとしたらそれは、俺に威厳を見せる為の努力だ。考えすぎかもしれない。でも、間違ってはいないだろう。
振り下ろしたオールを握りしめた体勢のまま、俺を睨んでいるのか、泣きかけているのか分からない表情。その裏にある優しさが、俺には痛い。
「……ふぅ」
だがそんな状態をいつまでも俺に晒し続けるエレインさんではない。ぐしぐしと目元をこすってから、平常運転に復帰した。
「どうして私に何の相談もなしに出て行った」




