アガレス
「『樹の感情』が何たるかは良く分からんが、俺たちの島じゃ、アガレスがおっ死んじまうから発生するんだってのが一般的だな」
「アガレス」という言葉に、記憶の一端が引っ掛かった。
「アガレス、『アガレスの守り』のですか?」
「そう、鉱虫アガレスは中心を守護する鉱虫よ」
かたり、と美しい紅の果実が頂上にのせられたケーキの皿を、ノアの前に置く。その手は気丈そうな物言いと相まってがっしりとしている。
彼の口元はそこで止まらず、再び体を起こしてアガレスという鉱虫の攻撃方法や体長の予想を次々と語った。そして途中、自分は随分と長い間採掘師に就いてきたが、ついに中心付近に近づく勇気は出なかった、という過去も。
しばらくすると説明が冒険譚になり、熱もこもり始めたので一度一度落ち着かせようと質問を挟んだ。
「で、でも『アガレスの守り』は正体が分からないんじゃ」
「そんな事を言われてもよ、神殿がそう言ってんだからそうなんじゃないの?」
その言葉からは、神殿に対する溢れんばかりの信頼がありありと伝わる。
アガレスについて自分の考えを一通り話し終えていた彼は、一転して厳しい表情で俺たち二人を戒めた。
「もう数十年前になるけどな、オレはそこそこ大きな商会一丸となってそのアガレスの討伐に挑んだんだけどよ、どんな強者も死んで、今ではオレ一人だけが生き残りだ。どうやらお前等は海樹の中心を目指しているようだけどな、あいつは恐ろしく速い上に一撃が重い。そんな敵を相手にするのは死にに行くのと同じだぜ? 考え直すというのが、賢い生き方だってことは考えに入れてくんねぇと」
冷たい言い方だが、真に俺達を心配しての事だろう。
彼が言い切ると、マスターは何もなかったかのようにさっさとカウンターの奥へ引っ込んでいってしまった。
残された俺たちは、何を言えば良いのかも分からずにその後ろ姿を見届ける事しかできない。
彼の姿が見えなくなって最初にに口を開いたのはノアの方だった。
「ね、ねぇハルカ」
「何だよ」
先ほどまで懐かしむように話をしていた様子は残っておらず、その変化はおずおずとして弱気そうな上目遣いから分かった。
「だれも中心に辿り着いたことがない理由って、あれの事?」
あのマスター、元採掘師の考えはあくまで考えに過ぎないので確信は持てないが、首肯した。
「そ、そうなんだ。そんなに強い敵が居るなんて知らなかったよ……」
誰も中心へ行けなかった事は伝えていた。それでも今正体を知ったことで、明確にその恐ろしさが分かったのだろう。
言葉は尻すぼみだった。
「俺も知らなかった」
彼から知らされた事は、エレインさんでさえも掴むことができなかった情報だ。
勿論俺も知らない。
「まさか、鉱虫が潜んでるなんてな。それもそんなに危険な」
「あ、危ないよね」
「そりゃそうだな」
「じゃ、じゃあこの依頼。諦める?」
心底苦しそうに訊くので、思わず目を細めてしまった。
それは俺が問いたい事だ。この依頼で一番リスクを負うのは、逃げ足も遅く、戦う手段を持たないノア自身である。それに俺のような頼りない下っ端採掘師が護衛とあれば、それはもう危険極まりない。
もしも、彼女が中心へ向かう事に掛ける思いがその程度であるならば、きっと彼女自身がこの依頼を無かったことにしたいはずなのだ。
とっさに問い返した。
「逆に、お前はどうなんだ?」
「あたしは……」
質問を質問で返されるとは思わなかったのか、意表を突かれたようなノアだった。
しかし瞬時にその表情をキッと凛々しいものへと変える。
「……もちろん行きたいよ。樹を放っておいて降臨祭まで待つ事なんて、できない!」
「怖くないのか?」
「もちろん怖いよ。でも絶対に諦めないから」
意外だった。
絶対に諦めるものだと決めつけていた。ただの家出少女が、ここまで追い詰められてまで意地を張るはずがない、と。
「…………そうか、なら大丈夫だ。俺は昨日の夜に格好つけて連れて行くって言ったからな。最後までやりきるつもりだ」
真正面からの決意には、正面から返す。
その気概を表すように、語気に強みを乗せて言い放った。
同時に、ここまでして彼女を突き動かすものがはたして嘘だと言えるのか、俺の中で何かが揺れ動いた。




