もう一度
居大樹の入り口として東西南北にそれぞれ一つづつ建造された巨大な門の内、俺たちの潜った東門は、特に大きい上に豪華だった。
天に昇る天使や、木鉱の中でも特に高価な宝石系の木鉱など、経済規模自体が小さな島としては高価な装飾が施された大門は、遠くから見てもその威風堂々とした姿が健在であるように設計されている。
なぜ東の門だけにここまで資金を費やしているのかと問われれば、東には港が有り、そこに集まる様々な来島客や貿易を行う大商会の人間彼らに、島の豊かさを少しでもアピールするためだろう。
その為かこの島の統治機関である神殿や、どちらかと言えば裕福な家計の島民の家もこの東側に多い。
その東門をくぐると、もう日はかなりの高度まで上がってしまっていて、多くの採掘師が俺たちとすれ違って海樹に入って行った。
その者たちを歓迎するように、木の葉の擦れ合うザァァァァという音がした。
「よし、入り直すか」
「えぇ…………」
「何だよ、しょうがないだろ振り出しに戻ったんだから」
「でも疲れたし…………」
長時間歩いた上に重い鎧を着込んでいるノアは、相当疲れているようだった。
膝をガクリと着けて、一歩も動けないのポーズを取る。
「せめて休憩したい……」
その消え入るような声には、何割かふがいない俺に対する恨みが混ざっていたように聞こえた。その迫力に押された俺は、すかさず首を縦に振っていた。
「ま、まぁあれだけ歩いたらな」
思えば昨日の夜は経路や装備の確認をしたり、ノアに鉱虫と出会った時の対処方法を説明したりとかなり遅くまで今日の準備をしていたので、やはり俺も疲労は溜まっていた。
なのでしぶしぶという訳ではない。
その状態で朝一番に海樹突入を敢行だなんて、鉱虫と出会いでもしたら危険な状況に陥っていた事も有り得たかもしれない。
門の下に続く長い、これまた綺麗な白の階段を下りて町に出る。
ちょっとの休憩さえできれば良いので、とりあえず酒場に入る事にした。とはいえどもノアも俺も酒に酔っている時間は無い。
酒場とは言っても酒は一切置いていない、最近流行っているらしい喫茶店という店を探そう。
ノアは数有る寂れた店ではなく、唯一の大通りのとある喫茶店を所望した。オープンテラスの備えられた綺麗な店だ。見ると、この島の人間が経営しているのではなく、他の海樹都市からやってきた有名店の支店らしい。
しかし、今日この時間は、パウリノ達がもうノアを探し始めている。常に誰かの目に付く所は気は抜けない。なのでできるだけ暗くて目立たない場所を俺は選んだ。ノアの選んだ店では、最も安価なはずのキーラ茶一杯で俺がい網に着けている装備一式が買えるということもあったが。
「はぁ、俺が連れて行ってやるなんて言ってた割にだけど、結果がこれだとねー」
古ぼけた喫茶店の外装と同じように、古ぼけて軋む丸いテーブルに着いてから、ノアはガシャリと音を立てて項垂れた。
「まだ過程だろ、結果じゃない…………と思いたいな」
「うぇぇ、今日この後もずっと迷いっぱなしってのは勘弁だよ……」
そうは言っても、方向音痴なのは直しようが無いものである。なのでそんな事を言われても今日一日中海樹を彷徨い続けることは、もはや宿命となっているのだろう。
何せこの俺、一人で海樹に入って迷わなかった事は無く、そうなった時は二割エレインさんが呆れた顔で救助に来て、残りは外に出るのが常だ。
やってきた、妙齢なはずなのに筋肉質なマスターにキーラ茶を二杯頼む。すかさずノアが高そうな名の菓子を頼み、俺の顔は引きつった。
「お、おま、家が建てれるぞ」
「そんなに高くないよ! 高々ケーキ一つだよ!?」
「だって桁が四桁ある……」
ノアが愕然とする俺を呆れた目で見る。
「もちろんハルカが払うんだよ、私お金とか無いし」
「え、破産するから!」
と、理不尽さに絶叫してみたが、上目づかいながら怒ったようにジッと俺を見つめる彼女に真正面から反抗できない。
彼女としては、数時間を無駄にした対価のつもりなのだろう。
っていうかどうして金が無いんだよ、神殿に探されるような偉い人の子供なんじゃないのかよ。と考えたところで、一つ聞かなければならない事に気が付いた。
「そうだ、俺がお前を中心に連れていくにあたって訊いておきたい事が有る」
「ほんとに連れて行ってくれるのかなぁ……」
「げっほん……俺が聞きたいことはただ一つ。お前は何者で、どうして家出なんてしたんだ」
聞きながら思い出すのはパウリノの「ノアが重要人物」だと言っていたこと。
俯せているような体勢から、ノアは首を回して意外そうに俺を見上げた。
「だ、だから言えないっていってる……」
「俺はお前を中心に連れていく。危険だと分かっていて、だ。仮にどんなに突拍子のない事でも、危険に挑む理由くらいは聞いておきたい」
「…………」
「言って欲しい。もしもお前が神殿のトップの子だったりしたら俺は逃げだ――覚悟を決めるから」
グッと手を握って男らしさを振り絞りながら言ったのに、じと目で見られるのは俺には男らしさが欠けているからだろうか。
「まぁ、いいけど。本当に信じる?」
状態をゆっくり起こした彼女は、伺うような口調で尋ねた。
初めて出会った時、ノアが海樹の中心を目指す理由を聞く前と同じように信じるかどうかを尋ねられたことを思い返した。
「信じる」
「絶対に馬鹿にしないでよ?」
「馬鹿にしな、いと思う」
情けなくそういうと、頬を膨らまして怒り出した。
「教えてあげたのに、笑われるのってけっこう来るんだからね」
「分かった笑いはこらえる」
「そういう問題じゃないよ!」
「す、すまん」
何と言ったものかと考えていると、タイミングを見計らったように無愛想な妙齢マスターが、真黒な液体が並々注がれたティーカップを二人の前に置く。
恐らく、ノアがヒートアップしたのを見て今を選んで運んできたのだろう。それを裏付けるかのようにマスターは俺だけに見えるようにウインクする。
お、おう。
そんなことより茶を淹れる音さえしなかったのに妙に早いお届けだ。もしかしてだいぶ前から淹れてたやつを沸かし直しただけなんじゃないのか……。
去ってゆく彼を目の端に、ノアへ向き直る。
「とにかく話さない事には始まらないだろ」
「……分かった」
ほくりと頷いてくれたので、「それで?」と続きを促す。
ノアはゆっくりと話し出した。
「あたしはね。誰の子供ではないの」
「え?」
「でもちゃんと親は居る、それも自分をこの世に生み出してくれた親が。だから誰の子供でもないってのは、どこかの人間の子供ではないって意味」
人間の子供ではない? どいう事だ。
「あたしはあの樹から生まれたの。海樹。聖母の木から。生まれた時からずっとあの樹の中で育てられたんだ。最低限の知識、嬉しい悲しいとかの感情。そういう『世界』の事はぜんぶあの樹から教えてもらったの」
身の生まれを俺は尋ねた。それも休憩ついでの軽い気持ちで。
それなのに返ってきた返事がこれだった。
信じるとか信じないとかではなく、まず話の内容があまりに想像を超えていて、しばらくは反応さえできなかった。
数秒の間を置いてから、問いただす。
「ちょ、ちょっと待てよ。お前は、あのでっかい樹が親代わりだったって言ってんのか? 」
「う、嘘じゃないもん」
「じゃあお前の頭がお花畑なのか?」
「何でそうなるの!」
信じてもらえないからか懇願するように声を大きくして、俺を見据えるノア。
彼女の表情が嘘を付く者の様にうさんくさくなく、むしろ真剣そのものである事は俺を混乱させるに十分足り得た。
眉をひそめて今一度訊く。
「う、嘘じゃないのか?」
「ほんとだよ。ど、どうやったら信じてくれるか分からないけど。ほんとなの!」
「到底信じ…………あ」
ふと、エレインさんが俺を神殿に連れて行く際、降臨祭の話をしてくれた事を思い出した。
祭の期間限定で採取可能な木鉱。
彼女はその木鉱は鉱虫の死骸を元とする通常の木鉱とは異なり、それは樹の感情が原料となって自然に発生するものなのだと言っていた。
それはあくまで仮説ではあるらしいが、正しいとすれば少なくとも樹には感情は有る事に他ならない。
そこに知性が加わるかどうかは別として、もしかすると自我は有るのかも……という事になる。
ただ、自我は有っても人間と意思を疎通するかどうかは分からない。
それでも全く信じられない訳ではないのか? と考えた自分自身に驚きつつ、佇まいを正した。
「すまん、続きを聞かせてくれ」
「う、うん。それで私は樹から色々な事を教えてもらったの。樹は何でも知ってて何でも教えてくれて、あたしが知らない事が無くなることは無くならなかったから、寝る間以外はずっと質問攻めをしてたんだ。それも全部答えてくれるから飽きることは無かった。色んな事を知ったけど、それは全部樹が教えてくれたから、私にとっては樹が『世界』のすべてみたいだったよ」
懐かしむように、どこか遠い記憶の様にノアは語った。
それはまるで、一切が作り話ではないように。
「でも一週間くらい前の朝、考えちゃったんだ」
言うと彼女は、朗らかな雰囲気を後ろめたさで満たしたように俯いた。
聞き流すべき嘘であるはずなのに、思わず「何を」と尋ねた。
「樹は言葉でわからない事は全部自分の幹でその形を模って教えてくれたんだ。でも、それじゃあ本物はどんな形、どんな色をしてるんだろう。どんな匂いがするんだろう。そもそも、樹が教えてくれる『世界』ってどんな何だろう。ってね」
そこまで聞いて、俺は曲がりなりにも彼女の話を理解した。
要するに、色々な情報をただ享受するのではなく、それに疑問を抱き、本当なのかどうかを知りたくなったのだろう。
それは多分、当たり前のことだ。
彼女は、その体つきから十六、十七だと考えていた。しかしどこか幼い顔立ちからしてもう少し下。丁度色々な世界のでき事に興味を抱き始める境界の年齢であるとも見取ることができる。
もしそうなのだとしたら、もしその話が真実だとしたら、ノアはその朝にその瞬間を迎えたのだろう。それは自我の完璧な目覚めなのだ。
俺はちょうど十の時、二歳上のエレインさんに拾われ、商会の採掘師見習いとなった。
それから数年後くらいしてその時を迎えてからは、彼女に質問を重ねたり、その答えをもっと深く知るために書物を開いたものだ。
「それで、絶対外へ出てはいけないって言われてたんだけど、我慢できなくなっちゃって、言いつけを破ったの。それが、ハルカと初めて会った日の事かな。鉱虫? とかに追いかけられて直ぐに後悔したんだけど、もう遅かったの」
彼女の話によれば、中心には鉱虫がやってこない安全地帯っだったのだろう。
しかし一度外に出れば違う。
やはり他の島の海樹同様に中心部近くは獰猛な鉱虫が住んでいる。丸腰の彼女が近づくことはできなくなるのは当然だ。
「もしも、万が一お前のいう事が正しかったとしたら、何でお前はまた家に戻ろうとするんだよ。外に出たかったならそのまま見て回ればいいだろ」
「駄目だよ! 私が居なくなったら、樹は――お母さんは絶対悲しんでる!」
「そ、そうか」
必死に叫ぶ彼女に、しばし圧倒されて口をつぐんでしまう。
するとしばらくしてノアの方から声を荒げたことを謝った。
「ま、まぁお前の言い分は分かった。正直、初めて聞くような事ばっかりだったな」
「皆そう言うよ」
俺が彼女の話を信じていない事は、言葉か表情か、何からかはともかく露骨に伝わってしまっっているらしく、残念そうににノアの目が俺を見る。
しかしどうせこのようになってしまう事を予想していたようで、一つ息を吐いてからケーキをつつき始めた。
「やっぱり、そうだよね」
追うようにつぶやく。
「いや、全く信じていない訳じゃあないんだぞ? エレインさんも言ってたけどさ、降臨祭で取れる希少な木鉱の発生する理由ってのが、まさかの『樹の感情』なんだってな。それが本当なんだったら樹にも自我が有る事は間違いないんだし、お前の言う事をはなっから否定するつもりはないって」
ただ、樹が人間を育てるとか人間に話しかけるとか、どうしてもぶっとんだ夢物語にしか聞こえないのだ。
さらに深く疑うのならば、ずっと樹の中に住んでいて誰もその存在を知らない状況にあるのなら、どうして神殿が探しにかかるのかが分からない。
やはり、偉い身分の人間の子供が、信じるに値するのかどうかも判断の付かない話をして、一時的に俺を欺こうとしているのか。
事実、彼女の話が本当に有り得るのか、そうでないのかの判断が付かない。
俺が少しは信じようとしていると考えたノアは、両手を挙げて喜んだ。
「し、信じてくれるの!?」
「あ、いやぁ……あ?」
そういう訳ではないので目を逸らすと、ちょうどノアの頼んだケーキを運んできたマスターが横に立って、怪訝そうに俺を見下ろしていた。
俺とノアがイチャイチャしているようにでも見えて不愉快になったのだろうか、違うけどな。と冗談を考えていると、マスターはいぶし銀な声で言った。
「降臨祭で取れる木鉱は確かに希少だがな、決して『樹の感情』でできるような不確かな代物じゃあねぇぞ」
「へ?」
不意を突かれたような内容だったので呆けた声が出た。が、頭の中で反芻するとそれが先ほどの俺の発言に対しての意見だと分かった。
彼は続ける。




