海
…高校卒業したら、江海ちゃんを迎えにくる…。
健吾君の言葉が何度も私の頭の中でもリピートする。
あれからずっと悩んでる。どう返事していいのかわからない。本当のことを言ってしまえば、私は人魚に戻ってしまう。人間の世界に来てから嘘ついてばっかりだもん。もうこれ以上、嘘はつきたくない――。
「江海、この頃、元気ないよ? 何かあった?」
テニス部の休憩時間、渚が聞いてくる。
そう、最近の私は、健吾君の迎えにくるっていう言葉で悩みっぱなし。だから、テニスだって空振りばっかりで全然試合にならない。あんなこと言われたら、誰だって悩むなってほうが無理だよね。
「そうかな? 全然、元気だよぉ」
私ってば、慌てて否定する。
「…ならいいんだけど。最近、テニス空振りばっかりだから心配になってたんだ。せっかくテニス上達したのにって思ってたんだ」
渚はペットボトルのお茶のキャップを開けながら言う。
「そうそう。江海にも不調はあるか。そういえば、最近、学校で健吾と話してないよね。ケンカでもした?」
夏子は首をかしげる。
「してないよ。家ではちゃんと話してるよ」
「そっか。一緒に住んでたら、別に学校で話さなくてもいいくらいだもんね」
「二人は想い合ってるって感じじゃない? 付き合ってもいいのにな」
「二人が付き合うかはこれからだよね。さっ、休憩も終わっちゃうし早く行こう」
夏子は立ち上がると、元気よく言った。
部活の帰り道、私は健吾君に助けてもらった海に来ちゃった。今では懐かしく思える海。
人魚に戻ってしまえば、健吾君と二度と会わなくなる。このまま会えなくなるなら、ありがとうって一言言っておきたい。
この三ヶ月間、色々あったよ。健吾君や渚、夏子と出逢ったこと。コンサートに行ったこと。私がケガしたこと。初めてテストを受けたこと。田崎さんと色々あったこと。健吾君が足を骨折したこと。走馬灯のように、私の頭の中に駆け巡る。本当はもう少し人間の世界にいたい。だけど、あと五日もすれば私は人魚の世界に戻らなくちゃいけない。五日後には私はいない。渚と夏子といたって、一人の時だって、健吾君を想ってた。見つめてた。私が本当のことを言ったら、「人魚なんだ」って言ったら、健吾君はどう想うだろう。嫌いになるかな。私は出逢った時からずっとずっと好きだった。このまま別れたくない。
私、健吾君のことを好きにならなかったら、今の私はいなかった。好きという感情を知らないままだった。人間と人魚の関係。ありえないけど人間の男の子の側にいられて嬉しかった。
私、この想いに後悔なんてしてない。人魚の世界には戻りたくないけど、人魚の世界に戻ってもどこにいても後悔なんてしない。二人離れても二度と後悔なんてしない。きっと…。
「江海ちゃん!」
誰かに呼ばれて振り向いた。
「ここで何してんだよ?」
健吾君、階段を降りながら私に聞いてくる。
「ちょっと考え事してただけ」
「もしかして、オレが言ったこと?」
「うん、まぁ…」
曖昧に首を縦に振る。
「あまり深く考えるなよ。言ったオレが深く考えさせてんのか」
健吾君、笑いながら言う。
「この海は江海ちゃんの思い出の海だよな」
「うん、そうだね」
「今、適当に言っただけなのに…」
「えっ?!」
「なぁんて、ウソ、ウソ」
アハハと笑う健吾君。
「でも、オレ達なんで出逢ったんだろうな」
急に真剣になって健吾君が言うから、ビックリしちゃう。
なんでって言われても…わかんないよ…。
「ゴメン。変なこと聞いたな」
「全然いいの」
「江海ちゃんと出逢えて良かったよ」
健吾君はゆっくりと言った。
「オレ、女子と話すの苦手なんだ。なんか、江海ちゃんといたら、色んなこと話せるよ」
「そんな…」
かぁぁぁ。
私、顔を真っ赤になっちゃう。
「江海ちゃんともこれだけ話せるなら、他の女子とも話せるようになるかな?」
「なれる、なれる!」
私は自信満々に言い切った。
「おっ、自信たっぷりだな」
そう言って、健吾君もう一度笑った。
やっぱりこの笑顔が好き。私が諦められなくて後悔しない理由があって当然だね。クラスで人気があって当然だね。健吾君を嫌いなんて言う人なんかいない。私がこの世界に来てから、そんなこと言う人はいない。
私達の前に一組のカップルが手をつないで歩いていく。それを目で追う健吾君。でも、なんだか悲しそう。もしかして、自分を重ね合わせてたのかな? 私、それでいいんだ。健吾君の悲しい顔を見ても辛くない。辛くないから…。
今なら健吾君に何されても大丈夫。好きだから耐えられる。耐えられるけど私なら好きな人を困らせたくはない。もっともっと笑顔が多くなるようにさせない。そう思うけど現実は難しいよね。
「江海ちゃん、家に帰ろうか」
健吾君の無理した明るい声に、心臓が高鳴った。
私がうつむいていると、
「帰らないの?」
って、健吾君が聞いてきたんだ。
「あ、うん、帰る」
やっとの思いで声を出すと、立ち上がって二人で家に向かったんだ。
健吾君と一緒にいるのは残り少ないから、側にいたい。思い出はたくさん出来た。もう望むことなんてない。
夜空の下、そう思っていた――。