【9】《鬼もどき》と遭遇しました
「今日は外に連れて行ってやる。ここで暮らすなら、色々覚えてもらうことがあるからな」
次の日、アオがそんな事を言った。
「どうしたトワ。早く来い」
「……」
玄関の方からアオの急かす声が聞こえたけれど、立ち尽くす。
ここで暮らすならと言ったアオの言葉が、胸にひっかかっていた。
アオと過ごすようになって、考えるのはコウの事ばかりだった。
「私は……やっぱりコウのところに帰りたい」
血をすすって怪我をさせてしまったことや、アオから聞いた過去が気にならないと言ったら嘘になる。
けれど、コウは私に血を吸われて死に掛けた時でさえ、私に優しかった。
それにあのとき、続きは後でと言っていた。
きっと色々話してくれるつもりだったんじゃないかと思う。
「記憶喪失というのは大分都合がいいな。どんなに相手に対して酷いことをしようと、平気な顔で側にいれる」
皮肉ったアオの言葉が、胸にささった。
「アオには世話になったし、それはわかっている……だが」
「わかってない。オレはよく考えろと言ったはずだ。記憶喪失のお前でも気づけるように、遠まわしに口にしたつもりだったが、まだわからないか?」
何のことだと首を傾げたら、アオが私に近づいて視線を合わしてきた。
「コウはお前が拾った人間だった。《贄人》は主と同じ系統の髪色になる。お前は赤鬼で、コウは赤鬼を主に持つ《贄人》だ。ここまで言えばわかるか?」
はっと馬鹿にしたようにそう言って、アオは笑った。
その言葉の示すところは、いくら鈍い私にでもわかった。
「コウは……私の《贄人》なのか?」
「ようやく気づいたようだな」
告げられた言葉に、胸の奥が冷えていく心地がした。
「一族を守りきれず、瀕死の重傷を負って。死にたがってたコウを無理やり《贄人》にしたのはお前だ。鬼を誰より恨んでいるあいつを、お前が鬼の《贄人》にした。コウに何度も命を狙われてきたことすら、すっかり忘れているみたいだけどな」
トントンとアオが私の心臓の上を指で叩く。
「そんなの嘘だ! コウは私に優しかったし、そんな事は何も言ってなかった!」
「真実だ。そもそもお前が鬼だということは、先生とオレとコウしか知らなかったんだ。お前が仲間達に裏切られた日、オレはお前の側にいなかった。情報を流す事ができたのは……たった一人しかいないだろ?」
何かの間違いじゃないのか。
コウが私を恨んでいるはずがない。
そう思うのに、あの笑みや優しさが揺らいだような心地がした。
「あいつが記憶喪失のお前に優しかったのだって、何か考えがあってのことに決まってるだろ。嘘だと思うなら、直接本人に聞いてみるといい。誰の《贄人》で、そいつを恨んでいるかどうかってな」
答えはわかっているけどなというように、アオが私の手を引く。
「どこへ行くんだ」
「コウに会いに連れて行ってやる。望みどおりだ、嬉しいだろ?」
残酷な子供のようにアオが笑う。
私が傷つくことを予想していて、それを期待しているかのような顔だった。
急に確かめることが怖くなる。
あんなにコウに会いたかったのに、足が動かなかった。
けれどアオはそれを許してくれなくて、私は夜の街へと連れ出された。
煌びやかな光がきらめく街を、アオと一緒に建物から建物へと移動しながら進んでいく。
ふいにアオが足を止めて、私も立ち止まる。
濃厚な血の香りがした。
「面倒だが、片付けてから行くぞ」
ちっと舌打ちして、アオは私を抱きかかえて建物から飛び降りた。
ふわりと着地した暗い路地の先は、飛び散る血が周りの壁を染めていた。
その中で紅の双眸の化け物が、臭い息を吐き散らしている。
四肢は人のそれよりも太く、体は緑や赤、所々黒が混じるの鱗のようなもので覆われており、裂けた口元から人の足が覗いていた。
そいつは真っ白な髪を振り乱しながら上を向いて、まるで肉食動物がえさを丸呑するように、人をその腹へと納めていく。
なんだあれはと思いながら、どこか冷静な自分がいた。
普通ならあの化け物を見て恐怖を感じるところだ。
なのに、嫌悪と同情めいた気持ちしか私の中にはない。
こんなに大量の血を見ても、残虐な場面を見ても、どうして私は動じていないのだろう。
異常な場面を見ても、まるでそれが日常だったかのように焦ることもない。
そのことに戸惑いを覚えた。
「また紅目の《鬼もどき》か。近くに主はいないのによく出現することだ。何かあった時のために持っとけ」
そう言ってアオが私に投げて寄越したのは、一振りの刀。
こんなもの使ったことないのに、重みが妙に手に馴染む。
アオは手で印を組み、何事かを呟く。
無音の部屋に閉じ込められたときのような感覚。
この一角が周りから隔離されたのだと、なんとなく理解していた。
鬼は周りの異変に気づいたのか、こちらをみた。
不気味な紅の瞳には、動物のような欲望だけが光っている。
――鬼も《鬼もどき》も《贄人》金の瞳ではなかったか。
そんなことを思う私の前で、アオはナイフを取り出して、《鬼もどき》へと駆けて行った。
身構えた《鬼もどき》の背後に、アオは素早く移動し、その頭を地面へと叩きつける。
《鬼もどき》が振り返る間も無く頭がアスファルトにめり込み、頭蓋がひしゃげた音がした。
そのままナイフを首に付きたてようとしたアオだったが、《鬼もどき》の腕がありえない方向に曲がって、背中を押さえるアオを攻撃してきた。
「ちっ」
足で鬼の背を蹴って、アオはそれを回避する。
のそりと立ち上がった《鬼もどき》は、手で自らの顔を整えようとしたのか、首をゴキゴキとひねった。
顎と額の位置がいれかわり、余計に化け物じみた姿になる。
「ちっ、やっぱり普通の《鬼もどき》のようにはいかないか。気配に気づかれるのは面倒なんだがな」
苛立ったようにアオは言い、その姿を変貌させた。
真っ青な髪が波打つように伸び、頭に角が現れる。
まとう空気が一瞬にして変わった。
ただそこにいるだけなのに、圧倒的な存在感に息を飲む。
その立ち姿は美しく、鬼という言葉は似つかわしくない気がした。
そこにいる《鬼もどき》の姿や形の方が、人々の想像する鬼に近いと思った。
アオが睨むだけで《鬼もどき》は動きを止め、後ずさりしはじめる。
圧倒的な力の差を感じとったらしい。
怯えるように逃げようとした《鬼もどき》を、アオは鋭い爪で一瞬にして八つ裂きにしてしまった。
「あー服が汚れた」
気持ち悪いというように、アオは羽織っていた上着を脱ぎ捨てる。
それから携帯電話で誰かに《鬼もどき》の後処理を頼んでいた。
これが鬼で、《鬼もどき》。
路地はあまり掃除が行き届いてないからか、近くへよって《鬼もどき》を少し観察しようとすればジャリが靴裏で音を立てる。プチプチッと何かを潰した感覚がした。
よく見れば地面に何かがばら撒かれている。摘みあげて見れば、前にてれびの宣伝でやっていた風邪薬に似ていた。
確かこういうのを『かぷせる』といい、胃まで苦くないよう薬を運んでくれるのだとカズマから聞いていた。
連鎖的に、今日見たてれびで『かぷせる』が流行っていると言っていたのを思い出す。
つまり人間の世界では風邪が流行っているということなんだろう。
《鬼もどき》になった人間かこの被害者は、こんなに『かぷせる』を持って相当酷い風邪だったのかもしれない。
「どうだ《鬼もどき》を見た感想は」
潰れてない『かぷせる』をいくつか手にとって、冷静にそんなことを考えていたらアオが尋ねてくる。
アオの呼んだ知り合いが到着したらしく、その人物から新たに受け取った上着に着替えていた。
立ち上がって、なんとなしに『かぷせる』をポケットにしまう。
「……あれは、本当に元々は人間だったのか?」
「あぁ、そうだ。思ったより平気そうだな。やっぱり見慣れてるからか」
そんなことはないと否定したかったけれど、きっとその通りだと思った。
アオが戦っている間、私は動きを目で追いながら、自分だったらどう戦うかを自然に考えていた。
今だって怯えることなく、別の事に気をとられていて。
黙った私に、アオは何も言わなかった。
★9/14 誤字修正しました! 報告ありがとうございます!