【6】今度の拾い主もまた変態のようです
つれて行かれた場所は、高いビルの最上階の部屋だった。
ガラス張りの窓から、街の光が見える。
ふわふわとした手触りの床に、男によって丁寧に下ろされる。
その瞬間に距離をとって、大きな黒い革張りの椅子の後ろへと隠れた。
「まずは風呂だな。その前に一つ聞きたいことがある」
「何」
警戒する私に、男は近づいてくる。
これ以上は近づけさせないと、気を張っていたら、男の姿が消えた。
ふいにアゴを捕まれぺろりと頬を舐められる。
いつの間にか男が横に立っていた。
「なっ!」
「やっぱりコウの血か」
驚いて飛びのく。
男は動じた様子もなく、少し考え込むような顔をして私を見た。
「とうとうコウを殺したのか?」
「コウを知ってるのか?」
物騒なことを聞いてくる男に、私は思わずそんなことを聞いた。
「何を言ってるんだお前は」
男は、私の質問に顔をしかめる。
知っていて当たり前だろうというような、そんな雰囲気が感じられた。
「私は何もわからないんだ。覚えてない。一年前、気づいたらコウの事務所の前にいた」
「……記憶喪失ってやつか?」
「そうらしい」
男は考え込むように黙り込んでから、とりあえず風呂に入れと促してきた。
「使い方はわかるか?」
「当然だ」
「ならいい。服はそのあたりに投げとけ。着替えはこのシャツを着てろ。後髪が邪魔だし切るぞ」
男はそのうち床屋に連れって行ってやるといい、肩の下あたりで私の髪を切り落とす。物凄く雑だったが、少しすっきりとした。
男が出て行ったところで風呂場で服を脱ぎ、蛇口をひねってお湯を出す。
コウの家にもあったから、使い方は覚えていた。
温かい水が、血を洗い流してくれるけれど、こびりついた匂いが消えない気がして。
何度も石鹸を体につけて、念入りに洗う。
先ほどまで尖っていた犬歯はもうないし、角もない。
指先の硬い爪は消えたけれど、髪は赤いままで。
もう、元の私じゃない。
――違うな、あの姿が元の私なのか。
風呂に備え付けてある鏡に映った自分を見て、そんなことを思う。
全てがどうでもいいように思えてきて、適当にシャツを羽織って風呂を出た。
「体くらいちゃんと拭け。手のかかる妹だな」
男が折角着た服を脱がし、タオルで体を拭いてくる。
まるで子供に対してやるように、髪まできちんと乾かしてくれた。
男は決して善人だとはいえなかったけれど、私に対して危害を加えるつもりはなさそうだ。
妹と呼んでいたし、この人は私の兄なのだろうかと考える。
どちらかといえばくりくりした私の目に対し、切れ長の瞳。
あまり顔立ちは似ていない。
けれど、この人も私も鬼だ。
「教えてくれ。私は何なんだ?」
「そんな心細そうな顔をするな。まずはお前から今までのことを話せ。全部ちゃんと聞いてやる」
冷たいような声色の中に、気遣うような雰囲気があった。
甘いココアという飲み物を手渡され、こくりと一口飲めば、ほっと溜息が出る。
私はコウやカズマと出会ったこと、何故か喉が渇いてコウを襲ってしまったことを男に話した。
「殺されたはずのお前が、どうしてそこにいたのかとか、気になることは色々あるんだが……とりあえずそれは置いておくとしてだ。コウのやつはお前に何も教えなかったんだな?」
全部聞き終えて、男は確認するようにそう尋ねてきた。
「教えなかったとはどういう意味だ?」
「コウは最初からお前と知り合いだ」
男の言葉に、目を見開く。
「覚えてはいないだろうが、オレとコウとお前は、長い間一緒に暮らしていたんだ」
男は私の反応を探っているように見えた。
「でもコウは私のこと知らないって」
「記憶を取り戻されると不都合なんだろ、あいつにとってはな」
冷ややかな口調には、嘲りのようなものが含まれている。
何かこの男とコウの間に、確執があるのかもしれない。
そんな予感がした。
「それにしても朱赤か。朱に染まれば赤くなるが語源だとは思うが、どういうつもりでこの名前をつけたんだろうなあいつは。自分を染めておいて、忘れてるお前に対しての皮肉か?」
コウを私が染めたとはどういう意味だろう。男の言っていることは、よく分からなかった。
「コウは家族みたいでいいだろと言ってたぞ」
「……へぇ、そっちなのか? 何も話さずにお前を側に置いてた事といい、相変わらず回りくどいなあいつは」
独り言のような響きを持つ言葉に返せば、少し馬鹿にしたように男は笑う。
「お前の名前は朱赤なんてふざけたモノじゃない。本当の名前はトワだ」
「トワ?」
「永遠と書いてトワと読む。オレが付けたんだ。朱赤よりずっといい名前だろ?」
変な読み方なのには変わりなく、正直どっちもどっちじゃないかと思った。
しかし、素直に言えば男が怒る気がしたので何も言わないことにする。
「オレはアオ。お前の兄だ」
アオと名乗った男は、そう言って私の過去を語って聞かせてくれた。
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今よりも遥か昔。
私とアオは出会った。
当時は今よりも境界が不安定で、鬼がよく人間側の世界へと足を踏み入れていた。
アオとその親代わりである『先生』は、鬼を退治する《退鬼士》だったようだ。
「アオは鬼なのに――退鬼士だったのか?」
「元々は人間だったんだ。今から千年くらい前の話だけどな」
オレのことよりまずはお前自身のことだと、アオは話を元に戻した。
ある日アオの育ての親である先生が、私をどこからか拾ってきた。
境界を越えて人間の世界にきてしまった私は、記憶がなく。
自分が鬼ということさえ理解していなかった。
アオとその父親代わりである『先生』は、そんな私を匿うことにしたらしい。
「なんだ出会った頃から私は記憶喪失だったのか」
「まぁな。本当、よく記憶をなくすやつだ」
呆れたような口ぶりで、アオは呟く。
鬼とばれれば、殺されるのが当たり前。
けれど私を拾った先生は、そもそも鬼と人の間に生まれた鬼子だった。
先生が鬼という事は周知の事実だったけれど、誰も指摘はしない。先生はすでに夫がいる身分の高い女性の子供で、色々複雑な身の上だったらしい。
鬼にはほとんど男しか生まれず、それゆえに人の女を攫い子を産ませようとする。先生の母親は攫われることこそ無かったらしいが、鬼の子を身ごもり――それが先生だとのことだった。
先生はそんな複雑な生い立ちにも屈せず、人間離れした力で鬼を退けて。都を初め国の人々を守り、人々から尊敬される立場にあった。
先生は私を可哀想に思ってくれて、自分の元で私を《退鬼師》として育ててくれた。
女の鬼は希少で《鬼姫》と呼ばれ、間にできた子は《贄人》との子どもと比べ物にならない強さになることから、同族の鬼からも狙われる存在であるらしかった。
それを知った上で先生は、育てている《退鬼士》の中に私を紛れ込ませて匿ってくれた。
先生の下にいる《退鬼士》は全員男。
兄代わりのアオの加護を受けながら、男装した私は《贄人》にされた少年や青年たちと一緒に過ごしていたようだ。
「オレとお前は先生の右腕として、鬼を倒していた。ちなみにコウは、仕事中にお前が拾ってきた人間だ」
「人間? 出会った時は《贄人》じゃなかったのか」
アオの言葉に疑問を口にすれば、それも覚えていないんだなと呆れたように呟く。そのままアオは話を続ける。
先生が育てた《退鬼士》たちは、鬼を退け境界を正していったらしい。
そして、とうとう鬼の世界と人の世界を遮断することに成功した。
都には平和が訪れたのだ。
けれど、今度は助けた人間が《退鬼士》たちを迫害しはじめた。
鬼がいなくなり、普通の人ではありえない力を持った《贄人》は、人々の恐怖の対象となったのだ。
「守ってきた奴らは、手のひらを返したようにオレたちを化け物扱いしはじめた。お前らは鬼なのだから元の世界に帰れだのと、勝手な事を抜かしやがったんだ。誰のお陰で、平穏な生活を手に入れたのか忘れてな?」
アオの言葉には憎しみがこもっていて、その怒気にピリピリと空気が震えている気がした。
民たちの声に動かされた国は、《退鬼士》の国外追放を決めた。
やりきれない怒りの中、先生は《退鬼士》たちを守るために、国に直談判しにいったのだという。
――けれど皆の元に帰ってきた先生は、首一つの姿になっていた。
先生は人を鬼にする研究をしており、先生の元にいる《退鬼士》は故意的に作られた《贄人》で、鬼の予備軍である。
そう上は結論付けたのだ。
私達は都から逃げた。
《退鬼士》は、主に二組に分かれた。
先生がそんな事をするわけがないと、先生を殺し、自分達を迫害した人間を恨み復讐しようとする者たち。
もう一方は、自分は人間だと主張し、人に戻りたいと願う者たち。
アオは前者を率いて人間を殺戮しはじめ。
私はコウを連れて後者の仲間を守りながら、人里を転々としていたらしい。
私が率いていた班は、人間に襲われても攻撃を加えはしなかった。
自分達は人間だ。
鬼とは違う。
だから、人は襲わない。
それが私のいた班の考え方だったらしい。
そんな生活を続けていたある日、国は私がいる班の方に接触してきた。
手渡された資料には《退鬼士》が、先生によって故意的につくられた《贄人》であるという理由や証拠が、事細かに上げられていて。
そこには思わず信じてしまうような、証拠がたくさんあったらしい。
「まぁ正直な話、先生は完全に無罪ってわけではなかった」
淡々とアオは語る。
鬼に血を吸われても《贄人》になることはないが、逆に鬼によって血を一定以上与えられると《贄人》になる。
鬼によって瀕死状態になってるちょうどいい年頃の男に、先生は自身や私の血を与えて。
死んだり《鬼もどき》になればそれまで、《贄人》になったら《退鬼士》として迎え入れることをしていたらしい。
「元々は国の指示だ。それにあいつら全員、先生がいなきゃそのまま野たれ死んでた。それに戦う奴がいなきゃ、国だって守れはしなかったんだ」
恩知らずどもめと、アオは吐き捨てる。
アオは一番最初に、先生が《贄人》した人間だったらしい。
鬼に襲われて家族を殺されて。
唯一生き残った幼いアオを、先生が引き取ってくれた。
アオは先生と同じ《退鬼士》になりたいと志願し、自ら《贄人》になった口のようだ。
鬼に襲われて《贄人》になった奴らは、ほとんど女ばかり。
鬼に攫われずにすんだり、助け出された《贄人》の女性を《退鬼士》にしようにも、鬼に怯えて使えない女性がほとんどだった。
そのうえ、そういう女性たちは人間に囲われ、都合のいい遊女のような扱いを受けることがほとんどだったのだと言う。
鬼が《贄人》にしようとするのは、若くて綺麗な娘ばかり。
老いずそのままの状態を保ち続ける被害者の彼女たちを、人間は手放そうとしなかったらしい。
アオは反吐が出ると言った様子でそれを口にした。
国を守るために、人を守るために。
本当はそんなことをしたくないけれど、それが民のためになる。
心を痛めながらも、先生は死にかけた青年たちを本人の同意がないまま《贄人》にし《退鬼士》へと育てていたようだった。
「全部が全部、先生の罪になった。誰よりも国の事を考えて、心を砕いて。誰よりも人と鬼の間で苦しんでたのは――先生だったのに」
アオの顔が歪む。
苦しそうで、泣きそうな顔をしていた。
先生の力になれなかった自分を、責めているかのように見えた。
「全部は国の思惑通りになったんだ。あいつらはやりきれない怒りをぶつける対象を求めてた。恩人である先生を恨む奴も当然、でてきたんだ。裏切られたってな」
さらに、国は《退鬼士》たちの中に、本物の鬼がいると彼らに囁いたらしい。
鬼さえ差し出せば、他の《退鬼士》は助け人間に戻してやる。
そんな甘言を囁いた。
《贄人》を人間に戻すことは、本来不可能だったのだけれど。
――心の弱い者は騙されてしまったのだ。
自分達は人間だと主張する《贄人》たちは、鬼に対しての怒りや恐怖心がとりわけ強かった。
人間だった自分に、強い未練がある。
だからこそ、人間だということに彼らはこだわっていた。
彼らは仲間の中に鬼がいると怯え疑うようになり、時には殺し合いが起こった。
鬼と《贄人》はよく似ていて、角を隠されれば彼らに判別は難しかった。
術符をその身に当てるという手段もあったけれど、鬼の力が強い《贄人》には術符が多少効く傾向もある。
そもそも術符を使おうとする者が現れた瞬間、疑われていると相手が気付き、余計に事が捩れややこしくなっていく。
私の率いる班は、だんだんと壊れていった。
本来の鬼は私だった。
けれど、私は班を率いる存在で誰も疑っていなかった。
私が鬼だということは、先生とアオ、そしてコウしか知らないことだったらしい。
けれど、ある日。
誰かが鬼は私だという情報を流した。
私は罠にはめられ、仲間から裏切られた。
致命傷を負わされ鬼の姿をさらけ出した私を、仲間達は殺そうとした。
そのすぐ側には、今まで《退鬼士》として守ってきた人間の姿もあった。
絶望した私は力を暴走させた。
自分の片腕で《退鬼士》として優秀だったコウを、全員の目の前で死ぬ直前まで痛めつけた。
そして心の折れた仲間を蹂躙し、人間を襲い。
都を破壊しつくし、双方にこれでもかという恐怖を植え付けたのだという。
見境なく全てを殺しつくそうとする私を止めるため、人間と《退鬼士》たちはとうとう手を組んだ。
そして数年の月日が流れ――彼らは私を追い詰めることに成功した。
「何度境界を閉じようと、私を殺そうと無駄なことだ。何度だって蘇って、お前達を殺しつくしてやる」
最後そういい残して、私は皆の見ている前で崖から落ちていったらしい。
私の死体は見つからなかった。
国は《退鬼士》を排除すれば、いつか私がまた現れた時に対処できないと考えるようになった。
それから国は《退鬼士》を保護することを決め、それが現在でも形を残して《役人》になっている。
そう、アオは締めくくった。
……つまり私は遥か昔に、国を滅ぼしかけた極悪人だったという事でいいのだろうか。
はっきり言って、全く実感がわかない。
「これで思い出したか?」
「いや全く。私は本当にそんなことをしたのか?」
アオが嘘を言っているようには見えなかったけれど、素直に信じられるような話でもなかった。
「したんだよ。人間を殺すなら一緒に殺してやると、手を貸そうとしたオレまで殺そうとしただろ。それも覚えてないのか」
「いや全然」
正直に答えたら、アオはかなり不満そうな顔をした。
「えっとその、昔の私が悪い事をした。代わりに謝る」
「別に謝ってほしいわけじゃない。妹だから今まで本気で戦う機会はなかったが、あれが一番血が燃え上った戦いだった」
とりあえず謝ったら、その時の事を思い出したのか、アオが恍惚とした表情で身震いする。
「切りつけあって、抉りあって最高に楽しかったな。可愛いお前の顔が苦痛に歪んで、頼るようにオレを呼んでいた声が悲鳴に変わって……たまらなくゾクゾクした。まぁ最終的に俺の方が殺されそうになって、途中で邪魔が入ったから最後まではできなかったんだがな。あれが今でも心残りだ……再会の印に一発殺しあってみないか?」
いい事を思いついたというように、アオが提案してきた。
大人っぽい印象だったその顔が、子供のようにわくわくとした様子でこちらを覗き込んでくる。
「嫌だ」
当然のように即答しておく。
「ノリが悪いな。いいじゃないか殺しあうくらい……お前とオレなら、きっと何よりも素晴らしい時間の中で終わっていける」
殺伐としたことを、デートにでも誘うかのような甘い表情で囁いてくる。
コウも変態だと思ったが、アオもまた変態のようだ。
似たような、それでいて逆の方向で。
どうして私の周りには変な奴が集まるのだろうかと、そんな事を思った。