Part.21 再起
「なっ……!?」
飛び込んできた視界がサンゴの言葉を奪い去る。開き慣れた礼拝堂には、荒れ果てた惨状が広がっていたのだ。価値などよく分からないが、聖母が描かれた美しい絵画には、ラクガキ気分で嘲笑いながらインクを撒き散らしたように、赤い血しぶきがこべりついて台無しとなっている。つい先程言葉を交わしたばかりの同僚達は、全員倒れ伏せていて、教会という場で頭を下げるその様子は、常であれば礼拝によって許しを乞おうとしているのかも知れないが、こと今の惨状の中では神々の迎えを待っているようにも見えてしまう。この教会に張り巡らされている強い治癒の魔術がなければ、本当に迎えが来ていたのかも知れない。久々に嗅ぐ強い血の匂い鼻を押さえながら辺りを見渡せば、最奥に鎮座する十字架の下に倒れている人物が目に止まる。その正体に気付いた時、五感に入るすべての気味の悪い感覚が吹き飛んで駆けだしていた。
「セレン様っ!! 大丈夫ですか!?」
「サンゴ……ですか? ええ、なんとか……ごほっ!」
この地域を収める魔王であり、なにかとサンゴに目をかけてくれる女性……セレンだったのだ。抱え起こした彼女は、常と変わらない穏やかな笑顔を見せている。しかし、彼女の小柄な体中には無数の切り傷が刻まれている。生暖かい血として体温が流れ出したかのように、彼女の体は冷たくなっていた。掌につく血の感覚や、今にも息絶えそうな彼女を見てサンゴの体は震えてしまう。嗚咽を漏らすサンゴの頬に、すっと優しい感触が訪れた。
「大丈夫……このぐらいでは死なないから」
セレンの微笑みは、どこまでいっても穏やかで頼れる物だったのだ。
頬を撫でる感覚と同時に、彼女の慈愛がサンゴの心に少しずつ染みこんでいき、トラウマが薄れていく。
手の震えは、止まっていた。そして、今しなければならない事に気がついたのだ。
「喋らないでくださいっ!! 今、治しますからっ!!」
「ありがとう……」
セレン自身の高い魔力や彼女自身がここに張り巡らせている治癒の結界の効果も相まって、傷は見る見る内に塞がっていく。あらかたの治療が終わったとき、セレンはもう一度「ありがとう」と呟き、安堵の笑みを浮かべるがサンゴはその笑みに今度はほだされなかった。無事で良かったという安堵の思いが、見る見る内に敵に対する大きな怒りに変わっていく。
「誰にやられたんですか!? この騒動の首謀者ですか!?」
サンゴとて、この教会に来る直前に何人かの暴徒を押さえてきたから今この国で起きている騒ぎのことはよく知っている。先程から城内を騒がせている首謀者と思しき男達の顔が思い浮かんできたのだ。
「そう。ムラサメとセキラ……後は、協力者の……」
「それじゃ、行きますよご両人っ!!」
セレンの言葉が、奥から聞こえる大きな声に阻害される。誰の声かは分からなかったが、そちらの方向を向くと、大きな魔力が放たれた証左である強い光が見えた。
教会の奥にある小部屋だ。あまり入ったことはないのだが、そこに何があったのかはよく覚えている。そもそも、この教会に張られた治癒魔術はあそこにある物がなければ成り立たないものだ。
――大魔石っ! 何に使ったの!?
サンゴも胸元に小さな魔石を付けているが、これはアクセサリーとしての一面が強い。それとは比べものにならない大きな魔石には、その分膨大な量の魔力が込められている。この魔力を動力源とすることで、治癒魔術は薄くながらも張り巡らされているのだ。巨大な魔力を持つその大魔石を使えば、確かに持ち前の魔力がなくとも大きな魔術を発動させることは容易い。
攻撃の魔術……である気配はない。ならば、逃亡用の魔術なのだろう。ならば――
自分の行動が決まったとき、サンゴは迷わなかった。セレンに向けて「失礼します!」と言い残してそちらへと走り出していたのだ。
「待ちなさいっ!!」
セレンの静止の声など耳に入らない。右の手に彼女の得物である【アプソル】を召喚し構えながら小部屋の中を覗き込む。既にその声の主達はいなかった。
「あいつら、どこに……?」
逃げられた……そう思ったサンゴだが、足下に走っている魔法陣を見てハッとする。自身の魔術が魔法陣をよく用いるだけあって、少しはその知識があるのだ。自分はまだ行ったことはないが、かつて母親が任務を帯びて六道と呼ばれる他の異界へと行くときに見送った魔法陣にそっくりだ。よく見てみれば、まだ魔法陣は生きている。この魔法陣に魔力を走らせれば、自分が着いていく事はできる。
魔力は足りるのだろうか? そんな不安をサンゴは考えない。そして、今まで誰も脱獄したことのない監獄であるというプライドなどサンゴにはどうだって良い。愛する人を殺されかけたこと、その仕返しに一発ぶん殴らないと気が済まない。サンゴはそう言う性格なのだ。そのためならば、どうなったって構わない。
「よしっ!」
一瞬の内に覚悟を決めたサンゴは、魔法陣の中央に立ち、【アプソル】を突き立てる。引き出され続ける魔力の感触にサンゴは歯を食いしばって耐えていると、鈴の音が聞こえる。セレンが持っている錫杖が鳴らす聞き慣れた音だったが、今は何かを話している暇すら惜しい。魔法陣の寿命は短い。そして、その場所に到達できるのは魔術を使ったその一瞬だけである。今こうしている内に、魔法陣の転移先はどんどん彼らが行き着いた先から遠ざかっているのだ。【アプソル】越しに魔力を更に流し入れる。
鈴の音が鳴り止む。すべてに気付いたであろうセレンが声を張り上げる。
「行っちゃダメっ!! どこに通じているのか分からないのよっ!?」
「本当にごめんなさい! でも、このままにしたくないんです!」
ありったけの魔術を込めた反動に、体のあちこちが悲鳴を上げている。持ち前の魔力だけでは足りないのだろうか? 魔術を放った後に残る残留魔力を利用すれば負担は少し減るはずだ。迷っている時間やセレンを説き伏せる時間も余裕もサンゴにはない。
「お願い、やめてっ!!」
彼女の懇願は、サンゴの魔力では無理だと言う事を遠回しに伝えているのかも知れない。……もしかしたら、今ここで魔力を吸い尽くされて死ぬのかも知れない。ただ、それでも、自分の恩人をここまで傷つけられて泣き寝入りなんてサンゴには出来ない。魔力を失っていく大きな喪失感を伴いながらも、しかし魔法陣は徐々に光を強くしていく。既に発動している魔法陣は、外からの干渉ができなくなっているらしい。セレンの制止の手が伸びることはなかった。
「あ――が――たら、――しに――」
「行ってきます!」
セレンの言葉に背くことはサンゴにとっても心に来るものがある。これが初めてだ。どんなお叱りでも受ける覚悟はできているが、それは帰ってきてからの話だ。背後をチラリと見ながら、サンゴは最後の挨拶を言い残す。
杖をこちらに向けながら、何かを口走るセレン。彼女の杖が光ったような気がしたが……直後に、魔法陣から放たれた光が2人の世界を隔てた。
***
『わんっ、わんっ!!』
「っ!!??」
耳元でけたたましく鳴き叫ぶケパロスの声にサンゴは身を起こす。見ていた夢の影響だろうか、胸がバクバクと高鳴っている。懐かしくも忌々しい記憶だった。
――えっと、あたし何してた? 随分長い間寝てた気がするけど……?
頭がぼんやりとしている。何をしていただろうか? 確か学校に行き、六花と戦って……
――そう、六花と戦ってオトワとカレンちゃんに……いや、違う。2人は化けられてて……?
荒い呼吸に上手く思考がまとまらない。ズキッと痛む腹を押さえながら、ボロボロの体に治癒の魔術をかけていく。痛みが徐々に治まる心地よい感覚に、ようやく思考がまとまってきた。
――そうだ、化けられてたアイツらに攫われたんだ! でも、あれ……?
地面に投げ出されていたとは言え、特に縛られていたりという様子はない。なにか魔術の結界が張られているのだろうか? いや、それなら流石に肌に気持ち悪さを覚える。その気配もない……ただ寝させられていただけであるらしい。無防備にも程があり、逆に怪しくなってくるのだがどうも敵の気配も感じられない。慎重にまわりを見渡すサンゴの視界に、千切れたロープが飛び込んでくる。
――ケパロスのおかげかしら? まぁ、何でも良いわ。
どうして喋らないのかが気になるが、敵が近くにいる証左なのかも知れない。
――今なら、逃げられる?
右手に【アプソル】を出し、恐る恐る出口へと近づいていく。しかし、どれだけ見ても罠があるようには思えない。一周回って不気味さを感じる今の状況にサンゴは警戒を強めるが、不意に足下を引っ張られる。
『わんっ!!』
「わっ!?」
素っ頓狂な声を上げてしまった自分を恥じらいつつも、ケパロスの足下を見れば、魔界の文字が書かれている。「心配はいらぬ、着いてこい!」と意外にも綺麗に書かれた文字を見た次の瞬間、ケパロスは走り始めていた。
「ケパロスっ!! 待ちなさいよ、どこ行くのよっ!!」
どう進めばいいのかサンゴにも分からない……が、あの犬は間違いなくケパロスである。ならば、彼を信頼して進んでみるべきだ。そうと決めたら、迷わない。サンゴは言葉とは裏腹にケパロスの後をつけた。
***
「久しぶりだなー、日浪市。何も変わってないですねぃ」
「私も久しぶりの帰郷だよ。本当にいつぐらいかな?」
何となく傘を差すのを躊躇いたくなる小雨の中。隣を歩いている永江が差すことをやめないため渋々ながらも傘を差しながら八雲は町並みを見て感嘆の声を漏らす。あらかじめ聞いていた病室へと真っ直ぐに向かっている最中、たわいもなくおしゃべりを続けていたのだ。
「永江さんも出身ここらっすよねぃ?」
「ああ。お前達ぐらいの時には魔物狩りに入っていたから、あまりここにはいなかったが、よく遊んでいたよ」
「それって、何年ぐらい前なんですか?」
「故郷に骨を埋めたい気持ちはよく分かるが、もうちょっと人生を楽しみたいとは思わないのか?」
いつも引っ張っているクマのぬいぐるみ、"ハルぐま"を突き付けながらギロっと睨まれる。一見可愛らしいぬいぐるみなのだが、この"ハルぐま"を操りながら戦うと言うのが佐久間永江の戦法なのである。かつて狩人として名を馳せていた頃は、"永遠を与える殺戮熊"の名前で通っていたと言う。見た目はランドセルでも背負っていそうな幼女なのだが、中身はしっかりとした大人なのである。流石にその鋭利な爪を繰り出すことはしなかったが、コツン、と八雲の腹に一撃軽く殴ってきた。
「レディーに年を聞くな。だからモテないんだぞ?」
「耳が痛いッスねぃ。後、腹も!」
軽く、と言われてもその威力は思いがけない痛さだった。このまま病院で見てもらおうか、と考えている内に音和の病室に辿り着く。
「おーい、音和ー。お見舞いに来たぞ」
「大丈夫だったか?……ん? 一樹?」
声をかける2人だが……病室にいたのは音和ではない。どこかぼんやりとした姿で座っている一樹がいるだけだったのだ。「来てたんだ!」と八雲は彼の所に行く。久々のいとことの再会はやはり心が躍る物だ。
「どうしたんだよいっちゃん! 元気ないねぃ!? 音和はどこ行ったの?」
「……あー……」
いつもよりも一層気怠げに一樹は返事を返す。返事とも言い難いその言葉に、八雲は首を傾げてしまう。
「もしかして風邪気味? 雨降ってきてちょっと冷えるもんね。仕送りしっかりしてるんだから、オレに構わずメシ食ってさー」
「どうも……」
「いっちゃん? 本当に大丈夫?」
どうにもぎこちない返事を繰り返す一樹を見て不安になってくる。よく人をおちょくる話し方をするし、ダウナー気質ではあるのだがここまで素っ気ない返事を返す輩ではないことは重々承知している。どうしようもない違和感を覚えるが、どれだけ問い質しても一樹の返事は変わらない。
「……あー、そう言うことか」
永江はなにかに気付いた様子だった。ふと彼女の方を見て八雲は息を呑む。童顔に帯びているのは、経験を積み重ねた狩人だからこそ見せられる緊迫感だった。すぐさま携帯電話を取り出すと、両の手で持ち、素早い動作で操作をし始めた。退っ引きならない事情らしいことは理解できたが、八雲は未だにピンと来ない。
「どういうことです? よっぽどいっちゃんが疲れてるってことですか?」
「違う。本来ここにいるはずの音和がいなくて、いないはずの一樹が虚ろな様子でここにいるんだ。思い当たることはないか?」
「音和がトイレに行ってるとかではなくて、ですよね? しかしいっちゃんが虚ろな様子……」
「私もこうなっている"転換物"を見たことはほとんどないから無理もないがな」
「"転換物"って……まさか、"狭界"ですか!?」
コクリと永江が頷く。ようやく八雲もその事実に気付いたのだ。魔人が発動することのできる"狭界"と呼ばれる魔術のことは、"魔物狩り"に属す狩人にとっては常識なのだ。
「ってことは、いっちゃんは"転換"されてるっつーことですか!?……なるほど、こうなってんですねぃ」
今ここにいる一樹は"矛盾を起こさないシステム"とも称される"転換の魔術"によって遺された魔力と言う事になる。超能力者である音和は本体が"ハザマの世界"に運ばれているから、ここにいないと言う訳だ。八雲自身も無意識に使っている"転換の魔術"だが、"転換"された残滓を目にすることはあまりあることではない。
「つーことは、今いっちゃん達が相手取っている脱獄囚達が攻めてきてるっつーことですよねぃ? 何とかして応援に行けませんか!?」
「"魔物狩り"に所属している常駐の魔人の全体数が少ないことは知っているだろう? 手配はしたが、すぐに入れるわけではない。"駐在者"達にも連絡がつかないし、今我々にできることは特には……」
「ありますっっ!!」
病室であることを忘れたかのような大声と共に、勢いよく病室が開かれる。あまりの大声に八雲は愚か、永江ですらびくんと背中を強ばらせてしまった。
そこには、ここまで走ってきたことが一目で分かるほどに息を切らしている音和がいた。昨日見送ったときと同じ服に身を包みながら、汚れや傷でとてもみすぼらしくなっている。この状況が抜き差しならぬ事を体現しているようだった。
「音和!?」
「永江さんもいらっしゃるなら、尚更あります! まずは説明させてくださいっっ!!」
「わかった、聞こう。とりあえずは、落ち着いて話せ」
永江の言葉通り、呼吸を整えてから音和は話を始める。
これまで何があったのか、そして一樹達がどういう状況なのか……そのすべてを、音和は話続けたのだ。
***
駅の近くにある大きなホテルの15階。結婚式で用いられることもある大きなホールの中に、2人はいた。大きなステージの上でぷらぷらと足を投げ出しながら、その片割れである少女がオッドアイを見開く。息を切らして駆け込んできた六花を、素直に迎え入れているようだった。
「あっ、国柴ちゃーん!! やっほー、元気?」
「いつ聴いても腹が立つ声を出せるなリン……どうすればそんな声が出せるんだ?」
聞き慣れたハスキーボイスに六花は溜息をつく。リン達から教えられていた龍穴の場所はいくつかブラフも混ざっていた物の、七曜と情報を照会することで正確な場所を割り出すことが出来た。彼女達が予定通り行動をしていれば、そろそろこの場所に来るはずだと思ったが……読みはどうやら当たっていたようである。
「そんなこと言われても持ち前の声出し仕方ないじゃん? 結構可愛いでしょ?」
「耳障りでキンキンする。なんだ、まだ楔は打っていないのか?」
「あれを打つのに必要な魔力と術式、貴女もやったことがあるから分かるでしょう?」
ステージの近くの席に腰掛けながら本を読んでいたウララが口を挟む。パタンと文庫本を閉じ、笑いを堪えるかのように本で口元を隠した。
「そりゃ、体内召喚なんて人外じみた術ができる貴女なら別なのでしょうけど」
「お前が言うなよ化け物。なんなら、体内召喚に至るまで私がやられた数々の魔力実験、やってやろうか?」
「結構。犯されるならリンだけって決めてるもの」
「こーらー。ケンカしないの」
際どすぎるウララの発言をさらりとスルーしながらリンが2人の間に入り込む。爛漫な笑顔は、相も変わらず緊張感を削いでくる。
「ケンカしたって、国柴ちゃん無惨に負けるだけだし? あちき達に勝ったことなんてないくせに~」
「いつも2人がかりだからな。それでも善戦させてもらってる辺り、お前らと1対1なら余裕なんじゃないか?」
「2人で戦うことも出来ない貴方が言っても負け惜しみにしか聞こえないわね」
「徒党を組んでお前らに勝っても、勝てて当然だろう? つまらん勝負にしかならんしな」
と言いながらも六花は冷静に室内を見ている。瀟洒な会場と言う事もあって、砂に変える事が叶いそうな物……具体的には岩や石だがあまり見当たらない。生け花が生けてあれば足元石を使えるのだが洋風の施設と言うこともあってあるのはせいぜい植木鉢の土ぐらいだ。室内ではあるが、六花にとって不利であることは何一つとして変わらない。いや、それを見越してここで待っていたのだろうか?
「誰が勝つかの主語は正しく使うべきだよ~。で、どうしたの? もっかい仲間になりたいの?」
「冗談抜かせ。お前達と組むなど金輪際ゴメンだ」
「奇遇ね。リンが立てた作戦じゃなかったら、ウチもアンタと組むなんて嫌だったわ。やりたいようにやろうじゃ――」
六花と2人の間にある窓が勢いよく割れる。3人が3人とも驚いてそちらを見たが、そこにいたのはガラスを撒き散らしながらこのフロアに文字通り飛び込んできた小柄な少女だった。
白い肌には痣や無数の瘡蓋がある。先刻、"虎砲"によってつけた砂によるものだだ。とても痛々しい姿をしながら、その少女の威勢は衰えることを知らない。
「やっと見つけたわっ!! 雁首揃えてるじゃないのっ!!」
彼女らしい大声だと、六花はそれこそ旧知の友のように感じられてしまう。ふっと微笑みが漏れてしまったのだ。
――君の見立て通りだ……これで、役者は揃ったわけな。
そこにいるのは誰でもない。こちらの陣営にとって欠かせない最後の1人である、サンゴその人だった。




