Part.18 笑顔
「砂嵐止んじゃいましたね」
「本当だ。もうちょっと早く走れれば間に合ったかもしれないのに」
撒くためにあちこち逃げ回った甲斐があり、2人が追ってくる気配はまるでなかった。音和の言葉通り砂嵐はだいぶ前に止んでしまっている。もう長いこと走っているが、息が切れかけている自分とは裏腹に、横を走る音和は涼しい顔をしていた。ペースをこちらに合わせる余裕すらあり、自分の体力のなさを実感する。
「いえいえ。後藤さんもかなりお疲れですし仕方ないですよ!」
「ありがとう……こっちだよ!」
「はい!」
音和の快活な返事を聞きながら、七曜はどこか悔しそうに顔をしかめる。。セキラや草上姉妹と戦って満身創痍の身である七曜である。むしろ走り続けている事の方がが異常な事には違いないが、負けず嫌いな七曜はどこか釈然としない。
見慣れた校門を過ぎ去った七曜の目に写ったのは、見慣れぬ姿の学校だった。壁という壁に砂が貼り付き、ガラスというガラスが割れている。砂嵐によって廃墟のようになっている学校を尻目に、七曜達はグラウンドの方へ向かう。その光景に思わず七曜は足を止めてしまった。
――ここが"狭界"であることも忘れそうになる。ただ、このまま"狭界"がなくなれば現実になるんだよね。
既にどうしようもない状態には違いない。ならば考えても仕方がないと七曜は割り切って音和の後を追う。撒き散らされた砂をジャリジャリと踏みしめた先、グラウンドの中央を見た時に音和は顔を押さえていた。
「あっ!!……えーっと、あの……」
何を困惑しているのだろう? 訝しむ七曜だったが、彼女の横に並んだ瞬間その理由は納得できた。
「あはは……タイミングは、最悪だったみたいで」
崩れ落ちながら泣きじゃくる少女と、そんな彼女の手を握りながら背中をさする少年がいたのだ。ただでさえ気まずい場面には相違ないのだが、そこにいる人物が人物だっただけに尚のこと目を逸らしたくなる。誤魔化すように七曜はメガネを直す所作をして……そう言えばなかったなと言う事に気付く。同じくメガネをかけていない音和は顔を真っ赤にしながら、やや早口に聞いて来た。
「ごめんなさい、さっぱり分からないんですけど、どういうことなんでしょう?」
「生憎僕も分かんないよ。六花さんは絡んでると思ったけど、まさか一樹までいるなんてね……」
――どうしてこうなった? さっぱり分からないよ。
先ほど六花の姿を模したリンと対面した際、迷いなく彼女が敵であると七曜は判断した。それは、その前日に敵意剥き出しの六花に会っていたからである。一樹がどちらに着いているかはなんとも言えなかったが、セキラの勧誘は罠であった以上本当に敵側に付いた訳ではないと踏んでいた。しかし、敵だと思しき六花と味方と思しき一樹がこうして涙を流し合っているのだ。自分の状況判断をもう一度疑ってみる必要があるし、疑ってもさっぱり分からない。
一樹はこちらに気付いたみたいで顔を上げる。3年目の付き合いになるが、あそこまで腫れぼったくなっている目を見たことがない。一樹は六花の耳元に顔を寄せ、何かを囁く。六花もまた顔を拭い、こちらに顔を向けた。睨み付けた表情……などではなく、とても穏やかな物だった。泣きはらした真っ赤な目と覇気などという言葉はほど遠い。雪解けの大地のようにボロボロで、だけどその分素の彼女が見えている気がした。不思議と悪い印象は抱かせない。
――ただ、多分大丈夫だよね? 六花さんが泣いてるのは、きっと一樹が彼女の問題を解決したからだ。
そして、そんなことが出来る一樹であれば、自分の味方になってくれるはずだ……
一樹が二重の意味で"頼れる"存在であることを再確認して七曜はどこかホッとしてしまう。こうして手を取り合っているのが敵としてではなく、六花を味方に引き入れてくれたと言う証なのだと、確証こそ得られなかったが七曜はなんとなく実感できた。
――だったら、僕がやることは1つだけだ。
そう思って、七曜は一樹の元へと歩み寄る。
今日これまで出会ってきたどんな敵と向き合った時でも覚えなかったほどの、大きな緊張を抱えながら。
***
「……七曜に、喜多村か」
六花の背中をさすりながら、ケパロスがいた場所に目を向ける。そこには、砂が不自然に避けて剥き出しのアスファルトが広がっているだけだった。魔術により砂をはね除けていたため当然のことだが、ミステリーサークルのようにぽっかりと穴が空いているのは不思議な光景だ。音和がケパロスを見て暴走することはないと言う事に安堵する。まさか彼女まで来るとは思わなかったし、一樹からすればまだ彼女が黒なのか白なのかと言う事は分かっていない。七曜が敵の方に付くとは思えないし、恐らく彼女は敵ではないが、だまし討ちを目論んでいる可能性だってある。
――いや、今はそっちじゃねぇな。
棒立ちのままの音和はとりあえず置いておいていいだろう……歩み寄ってくる一つの人影を見た時、一樹の頭から音和の存在は消えていた。
一樹の胸元に手が置かれる。目を下にすれば、上目遣いでこちらを見つめる六花の姿があった。伏した目からは、彼女なりの申し訳なさが感じ取れる。
「一樹……その、私も荷担した人間だ。言える義理ではないのだが……」
「気にすんな……分かってる。いってくるよ」
「……いってらっしゃい」
柔らかな力で押し出された胸元だが、彼女なりの励ましのように感じる。その一言が一樹にとっては心強かった。一樹も立ち上がり、七曜の下へと歩み寄る。
「……よぉ、七曜」
「やぁ。なんか、久しぶりに感じるね」
時計がないため正確な時間は分からないが、恐らくまだ4時間も経っていないはずだ。ケンカ別れしてから随分と経っているように見えるが、そうでもないらしい。
どうやって切りだそうか……互いに牽制し合っているのがよく分かる。六花との抱擁を見られた気まずさなど今この場を流れる空気に比べれば軽い物だ。弱まった雨がしとしとと降り注ぐ。小雨だからこそ、重くのし掛かってくる雨が時間と共に一樹の中に少しずつ染みこんでくる。
――このまま、なぁなぁで済ませられるか? 違うだろ……
決意をしたとき、一樹は迷わず行動に出た。チラリと見えた七曜も、また同時に頭を下げているように見えた。
「ごめん!」
「すまん!」
2つの大きな声が同時に響く。頭を打ち続ける雨がバクバクと鼓動していた胸を落ち着けていくのには少し時間がかかった。胸の高鳴りが消えたと思うと、今度は笑い声が聞こえてくる。
「……はは」
「あんだよ、何笑ってんだ……ふふっ」
それは互いに漏らしている笑い声なのだと気付くのには時間がかかった。何がおかしいのかがよく分からない。それでも、徐々に増していく笑い声に気付けば緊張の糸はほぐれきっていた。
「ごめん、なんか笑えてきちゃって。ははっ!」
「あん? いつもみたいに理論武装しやがれや。やけに素直じゃねぇかよ」
「君がそれを言う? なんだろ、毒が抜けてやりづらいなぁ」
「毒のあることほざきやがって。こっちも色々あったんだよ」
「みたいだね……」
お互いに笑いながらの会話は今一つ要領を得ない。「あー、おかしい」とひとしきり笑った七曜は視線を一樹の後ろへと向ける。軽く手を振ると、隠す気のない大きな溜息が耳に入る。
「なんだ後藤。やらしい目で見るな」
彼女の事を必死に考えていたが故に今まで気付かなかったが、雨に濡れて全身がズブズブに濡れている。その事実を思い返したところで彼女の見た目がどうなっているかがようやく分かった一樹は、気まずさにゴホンと咳払いを漏らす。
「やっほー六花さん。その、眼福です」
「……普段なら蹴り殺している所だ」
強がりに聞こえなくもないが、その声色には紛れもなく殺意が混ざっている。一樹との抱擁を邪魔されて不愉快なのだろう。2人の間に一樹は入る。
「七曜、話を戻すがお前が気にすることなんかない。ユキ……その、六花の事を黙ってて、俺が紛らわしい態度を見せていたからこんな事になったんだろ?」
「いやいや。僕も君のことを決めつけてたんだ。おあいこだって」
「言わないと分からん事を分からんまま利用してたんだ。お前が決めつけるのも無理はない」
「僕だってはっきりと聞くべきだったんだからお互い様だよ。あー、でももうちょい素直に打ち明けてくれた方が接する方としても楽かもしれない」
「そのまま返すわ。1人で抱え込みすぎずに素直に良いやがれや。なまじ頭が良いだけあって、考えすぎなんだよお前は」
「そうかもね。君も大概だと思うけど!」
「言いやがれ!」
気付いたら互いに笑顔が戻っている。
ほんの少し前までのあの激しい論争は何だったのだろう。お互いに心の中でそう思いながら、ただ目の前の友人と共に笑っていた。
晴れ間は未だに見えそうにもない。ただ、雨の勢いは徐々に弱くなっている。




