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名もなき物語  作者: 白カギ
《解決の物語》
78/85

Part.17 風花(かざはな)

「俺の言葉なんかいらないだろうな」

 ――真っ直ぐな目だな……


 降り注ぐ雨も相まって、周囲の景色がどんどん霞んでいく。空の灰色と、一樹の輪郭が混ざってしまうくらいにぼやけた視界の中で、しかし六花はその瞳だけはしっかりと見ることができた。

 昨日話していた時から分かっていたのだ。恐らくは記憶を失い、自棄になったこともあっただろう。強い絶望を覚えただろう。かつてほど瞳は澄んでいなかった一樹を見た時、寂しくなったことを六花は覚えている。

 だが、あの時から気付いていたのだ。話を進めていき、自分が過去を知っている人間だと気付いた時に……その瞳は、見たこともないほどに真っ直ぐな意志に燃えていたことを。


「だから、許して欲しいとか、そんなつもりで言っているんじゃない」

 ――やっぱり、良い目をしているな……

 違う。正確には見たことがあった。

 かつて、少年だった頃に自分に向けていた瞳……彼の言葉を借りれば、「やりたいこと」をやろうとしている時の、爛々と輝くあの瞳とが、六花の中でピッタリと重なった。



「記憶が戻ったら……あの時のあだ名をもう一度思い出すことがあったら……その時は、その名と共に会いに行く。絶望させてしまったお前に、改めて謝りたい。だから、その時まで生きていてほしいんだ」

 ――絶望か、していたのは……いや、勝手にしていたのは私だ。

 喉を振るわせている感覚が襲ってきて、ようやく自分が声を出していたのだと言う事に気付く。なんて言ったのかは覚えていない。だが……本当に、久しぶりに聞いた「生きていてほしい」と言う言葉に対する素直な驚きだったように思う。

 昨日のやりとりにしてもそうだ。食い違いは確かにあったかも知れない。そもそも、自分がそうやって言うように仕向けていた事なのに、それを聞いて勝手に絶望していたのは自分なのだ。自分を傷つけまいと必死に言葉を選んでいる一樹を六花はしっかりと見ていたのだ。

 だけど、目を逸らしたのは自分だった。


「お前の思いを全部が全部理解したわけじゃない。だけど、俺に会いたいって気持ちはとっても伝わってきたよ」

 ――かつての一樹に会えないと勝手に嘆いて……今の一樹に気付いていなかったのは、私なんだ。間違いなく、ここに"君"はいるというのに。

 『魔人と人間の差なんてそんな大した差なのかしら?』

 何かを言おうにも、喉が声を通らない。泣きはらした嗚咽と、苦しさを通り越して呼吸することを止めた喉を声は愚か空気すら通っていない。そんな六花の脳裏には、サンゴと向き合った時に聞いた彼女の言葉が蘇っていた。確かあの時、開き直りだとバカにしていただろうか?


 『そうね、開き直りよ。事実が変わったわけじゃない。だけど、事実の見え方は少し変わったわよ?』

 過去と一樹が違う事を認められずに塞ぎ込んだ自分と、自分と一樹が違う事を認めて開き直ったサンゴ。

 あの言葉を受けたとき、六花は返す言葉が中々見つからなかったのだ。


 潔いほどのまっすぐさで、自分を信じられる彼女の芯の強さに当てられていた。

 こうやって、開き直る事ができたらどんなに良いだろうと六花は素直に憧れた。


「今ここでその想いに報いることはできねぇ……けど、記憶が戻ったら、何を置いてでも会いに行く。君が肯定する俺として、ちゃんと謝りたいんだ」

 ――分かっている。分かっていたさ。


 彼の腕で抱かれて胸の中で込み上げる物がある。しかし、涙や声という形でそれは出て行こうとしなかった。

 もはや、出すだけの体力も残っていなかった。視界が揺れる。

 目の前の一樹が自分を揺すっているのだ。


「頼むっ!!……頼むから、死なないでくれ!」

 ――認めたく、なかっただけだ……。


 この一樹が自分のことを知らないのは事実だ。それは変えようのない事実に違いない。

 もし……自分もサンゴのように、開き直ってその事実を受け入れることができたのなら……結果は、また違ったのかもしれない。

 だけど、六花は認めたくなかったのだ。


 一樹が自分との思い出を忘れてしまったと言う事実。これも充分に堪えてしまった。自分にとってそれ以上に堪えたのが……。


 それでも、一樹は間違いなく一樹であった、ということだ。

 別人であったのならば、完全に想いを捨てきることもできただろう。それでも、彼を見ていたら「もしかしたら?」と言う一縷の望みが生まれてしまったのだった。


 そして、そんな一樹が自分以外の他の誰かと、楽しそうにしているのを見て強く嫉妬した。

 過去を失った彼は、二度と自分を見てくれないのではないだろうか……だったら、"今"の一樹に固執する必要などない。過去を取り返し、元の一樹を取り戻せば良いのだから。


 身勝手な思いが起こした自業自得の出来事だった。

 かつての一樹は、違う形ながらも間違いなくここにいたのに、自分は、それを拒んだのだ。


「お前の会いたかった俺になって、必ず戻ってくるから……」

 ――そんなこと、言わないでくれ……私の会いたかった一樹は、


 過去を否定していたのは自分だ……あれから、自分に降りかかってきたことは、彼でなくとも口にするのは憚られる。暗黒街での日々など、思い出すのも忌々しいほどに汚れきっていた。


 自分だって、なんら変わりはない。いや、自分から捨てている分むしろ質が悪い。

 叔母の元を離れない選択だってできた。修業などにいかずとも、彼との思い出を背負いながらひたむきに生きていくことだって当然できた。

 それなのに……六花はそれを捨てたのだ。


 先の見えない吹雪の中に自ら飛び込んだ自分と、

 途端に放り込められた吹雪の中でも抗い続ける一樹。


 彼を見ていながら、自分は勝手に悲劇だと喚き散らしていただけだった。

 伯父の元にいた頃に、確かに一樹は自分を"救い"上げてくれたのに……。


 その彼を裏切っていたのは、間違いなく自分だった。

 そして彼は……こんな自分でも、もう一度救おうとしてくれている。


 真実や理屈なんか抜きにして、自分を救うためにがむしゃらになっている。


 あぁ、どこが違ったのだろうか。

 ――間違いなく、君なんだから。

 そう言いたかった。だけど、口が動かなかったのだ。


「六花? おい、六花ッ!!」


 眠たい。とても眠たい。このまま、まどろみに任せて、彼の腕の中で眠ってしまいたい。


 だが、それ以上に自分は彼との約束を守りたかったのだ。

 二度と、彼との約束を破りたくなかったのだ。


 その思いが、伝わったようだった。ゆっくりと目を閉じる六花の耳に、その音が聞こえてくる。


 ***


「うおっ!?」


 抱き上げていた六花を危うく離しかけてしまう。しかし、一樹は身をよじらせながらその侵入者を……大きな虎を避けたのだった。

 その虎は六花に飛びかかったかと思うと、消え失せてしまった。まるで、六花の中に戻っていったかのように、その虎は忽然と姿を消したのだった。どこに行ったのかと周りを見渡す一樹はさらなる変化に目を見開く。


 2人を囲んでいた砂嵐が衰えていくのだ。降っていた雨を巻き込みながらも勢いを強めていた砂嵐が、今度は逆に雨に押されながら少しずつ止んでいく。それまでの激しさが嘘のように弱まっていくそれは、ついには完全に消滅したのだった。

 まさか魔力が切れてしまったからではないか? 胸中に宿った焦りから六花の肩を強く揺する。


「おい、六花!? ふざけるな、そんなこと……」

 ――頼むから、返事をしてくれ……!

「……ごほっ!」

「……え?」


 ゆっくりと開かれた目からは覇気は感じられない。しかし、死に向かおうとする意志も感じられなかったのだ。空気の感触に咳き込みながら六花はゆっくりと言葉を吐き出す。

 六花の表情が柔らかくなっていく。雪解けの後の小さな花を思わせる爽やかな微笑みだった。


「ごほっ、大丈夫……だ。ティグレが、私に魔力を戻してくれたんだ。生きてるよ」


 その花は、自分に向けて手を伸ばす。砂だらけになった自分の頬を優しく撫でながら、六花は満開の笑顔を見せたのだった。


「死ねなく……なったしな」

「……そう言ってもらえて、本当に……本当に……っ!!」


 迷いを振り切ったかのような笑顔だった。

 目頭が熱くなる。押さえられている頬を伝いながら涙が零れていく。久々に喉を振るわせる一樹を見て、六花もまた涙を零していたのだった。ありがとう、と短く漏らしながら六花は体を起こす。


「ただ、その約束を守ることはできないかな……」

「えっ?」

「生きるという約束は守る……だけど、記憶を取り戻してから、なんて悲しいことを言わないでよ」


 真っ赤にしている目を見せながら、六花は抱きついてくる。薄く漂う香水の匂いよりも、塗れた泥の匂いの方が一樹にとっては強く印象に残った。


「君と一緒にいたい……過去を思い出すまでも、私は君と一緒にいたいんだ」

「……あぁ」


  涙混じりでも、その声は凜としていた。一樹も、また強く抱擁を返す。冷たい雨が降っていることなど忘れてしまえるような、温かさが六花の全身から伝わってくる。

 

「ありがとう、六花」

「……六花、じゃない」


 耳元で囁かれる声は、どこか無邪気だった。言葉の先を言うのに躊躇している。小さな女の子が見せるような恥じらいの間だったが、どこか六花らしいと思ってしまった。


「……ユキ、って呼んで」


 その記憶を、脳に刻み込んで欲しいと言いたげに、優しくはっきりとその名前を教えてくれた。


「ユキ……ユキ、か」

「うん、ユキ……君が、つけてくれたんだよ?」

「ユキ……」

「うん」

「ユキ――」

「……うん!」


 耳元で六花が顔を埋める。何度も何度もその名前を呼びながら彼女の背中を撫でつけた。

 未だ経験したことがない、かつてない高揚感が一樹の背筋を走る。このまま、押し倒して彼女への愛を表したい……


「ユキ……そうか、それが――っっ!?」


 ――『雪が降ってきて寒いね。そう言えば一樹、知っているか?』

 ――『雪って花に例えられることが多いんだ。天から降ってくる華と言う事で天華という言い方もあるし、』

 ――『六つの花と書いて、六花と言うこともあるんだよ』


 頭の中に、今まで聞いた事もない声が響く。

 同時に、


 一人寂しそうに俯いている六花の姿教科書を貸して上げた瞬間叔母のことを話していた片時虐められていた彼女の元に向かったとき探検と称して向かった場所そこで出会った奇妙な男砂場で遊んでいた一瞬彼女と喋っていた言葉小遣いをはたいて買ったネックレス……


「うぐっ!?」

 ――なんだこれは!? いや、俺はこの感覚を知ってるぞ!?


 六花にまつわる記憶が次々に頭の中を駆け巡る。昨日のそれと言葉で表せば同一に見えるが、そんなことはない。


 ――記憶を失った直後に流れ込んだのと一緒だ……それこそ、八雲や八重さんが写った記憶が沢山流れ込んできて頭痛かったな。


 昨日、写真を見て六花を認識した時は走馬燈のように、曖昧な情報がいくつか浮かんできただけだった。

 それが、今度は六花に関する情報が余すところなく回ってくるのだ。眠っていた記憶が一斉に産声を上げながら目覚めたように声と声が響き合い、映像と映像が重なり合う……六花を突き飛ばし、割れそうになる頭を押さえる。一樹の豹変に驚いた様子だが、頭を押さえて苦しむ一樹を見て、彼女は心配そうに駆け寄ってきた。


「一樹!? どうした、大丈夫か!?」

「大丈夫……大丈夫だが、ちょっと離れててくれないか?」


 六花の声が合わさってガンガンする。まるで自分が死んでしまうかのように心配する彼女の思いが真っ直ぐに伝わってきた。

 記憶の奔流が少しずつだが収まり始め……ようやく、それが消える。体中から汗があふれだし、雨で濡れた体が熱くなっていく。


「はぁ、はぁ……」


 膝をつき、呼吸を整えながら一樹は立ち上がる。どうしようかとおろおろとする六花を見て、一樹はなんとか笑顔を作った。

 あどけなく心配しているその顔は、今ここでは初めて見るはずだったのに、とても懐かしい表情だと実感できる。


「大丈夫だ、ユキ。相変わらず心配性だな」

「えっ?」

「探検行った時、俺転んでケガしたろ? 小さなケガだったのに、まるで俺が死んじゃうんじゃないかってぐらいに心配してくれてさ……何回も何回も大丈夫? 大丈夫? って聞いてくれて……」


 記憶の中にあった一瞬を思い出しながら一樹は語る。はっきりと実感を伴って思い返すことのできる確かな記憶だった。だが、こんな事を彼女が覚えているとは思えない、さりげない一時の記憶だ。ポカンとしている彼女を見て、失言だったかと一樹は後悔する。


「悪い、今のは――」

「……2月の頭ぐらいだったか? 雪が降った次の日で、寒かったのを覚えてる。どっかのお寺に忍び込んでそこの住職さんに怒られたよな。辛抱強く聞いていたが、直後に二人で愚痴を垂らして……」

「駄菓子屋寄って帰ったっけか。今でもあの店やってんのかねぇ? 最近はあの近くにも行ってねぇよ」

「どうだろうな? ……もし、よかったら今度行ってみるか?」

「悪くねぇ……で、なんでそんなくだらねぇこと覚えてるんだよ」


 未だに頭はずきずきと痛む。だが、一樹はその痛みのことなどどうでもよかった。


「きっ、君との……大切な、思い出だからだ……っっ!!」


 顔を押さえて涙を流している彼女を見ていたら、そんな痛みなど吹き飛んでしまったのだ。 

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