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名もなき物語  作者: 白カギ
《解決の物語》
73/85

Part.12 六花 1

 周囲の砂を巻き込みながら砂嵐は勢いを増していく。外界から隔絶された空間である"狭界"の内部にありながら、巻き上げられた砂がさながら暗幕の如く景色を断絶している。すべてから見放された空間の中で、少女……国柴六花は膝を抱えて蹲っている。地面に垂れるほどの長い髪を束ねることもなく、体中を濡らしながらも微動だにしない彼女は端から見れば死人の如き風貌をしている。


 ――すべて、どうでも良い……

「ぅ~ん……」


 彼女の横にいる1匹の虎が小さく。虎の姿を取っているが、少女の元に顔を寄せながら漏らした声は、弱々しい猫のように感じられる。その声に虎としての威厳は感じられない。消沈しきった(ティグレ)の声に、やつれきった六花は顔を上げる。僅かに上がった口角は、猫を助ける善意に溢れた女性の安らかな笑みとはほど遠い。自身の境遇を子猫(ティグレ)に重ねて落ち込む少女の寂しい微笑だった。虎を撫でつけてその感触に目を細めながらも、何度目とも知れぬ後悔が胸の内をよぎる。


 ――"一樹"を……裏切ってしまった。彼の、邪魔をしてしまった……


 もう長いこと泣いているはずなのに、未だに涙が流れ続けるのはどうしてなのだろう?

 もう何度も悔やんでいるはずなのに、未だに悔恨の言葉が漏れるのは何故なのだろう?


 ただただ、一心に信じて行動しただけだった。世間的に褒められた行動ではなかったのかもしれない。彼女が草上姉妹に手を貸していたのは、この日浪市に住むすべての者を犠牲にしてでも"一樹"を取り戻したい、ただそれだけを願ってのことだった。


 ――……とんだピエロだな。もう、どうでも良い……。


 ここに来る直前何をやっていただろうか? 数日前までの"暗黒街"での日々など既に忘却の彼方に追いやっている。代わりに思い浮かぶのは彼との楽しかった記憶。それほどまでに、彼女は一樹に会いたかったのだ。


 ――5年間待った……いなくなったと思っていた君が生きていると聞いた時、いてもたってもいられなくて来た。それなのに……それなのにっ!!


 それなのに……実際に会った彼は違った。


 一樹と再会を果たした前日、サンゴと思しき槍使い……今思えば、あれは一樹達を攪乱しようとしていたリンかウララの変装なのだろう。出会ってしまったのが六花であったがために、六花もまた作戦に組み込むべく、その直後に六花の姿を模してサンゴと戦いに行ったとすれば、サンゴとの齟齬にも辻褄が合う……と戦い、その後リンと接触した時に聞かされていた"一樹"の情報など虚言だと思いたかった。自分の目で見るまでは信じられない。そんな思いと共に学校に転入し、廊下で彼と出くわしたのだが……自分を見ていない瞳に物怖じしてしまった。その後、彼の匂いが比較的強かった後藤七曜に頼んで、案内してもらって出会ったのは……リンからの情報通り、自分の知らない"彼"だったのだ。


 ――君は、もういない……いるのは、空っぽなアイツだけだ。


 首から提げているガラス製のネックレスを胸元から取り出す。小学生が描く花のような、円を覆うように半円が6つ着いただけの粗末なネックレスだ。過去に色々とやって貢がせた男達からもらった装飾品とは比べるのもおこがましくなる程に陳腐なものだったが、それでも六花は頑なにこれ以外の物を身につけようとは思えなかった……ギュッと、壊れないように、しかし込められるだけの力を込めてその花を握り締める。


 ――もう一度、君に会いたい……会いたいだけだったのに……私は、それすらも壊してしまった。


 一樹への熱がそのまま溢れ出るかのように涙は止まらない。心配そうに呻くティグレの声も彼女の耳には入らない。自分の身をギュッと抱きしめて砂嵐へとかける魔力をより一層込める。


 ――虫は虫らしく……一人で死んでいくのが、お似合いなのだろうな……。


 サンゴとの戦闘もあるが、それ以上に精神の消耗が大きい。このまま砂嵐を出し続ければ、魔力が枯れて死ねるはずだ。砂嵐の音に紛れて木々が千切れる音やガラスが割れる音が響いているが、何が壊れようと知ったことじゃない……左回りに巻き上がる砂の風の中で、六花の脳裏にかつての日々が蘇っていく。


 ***


 国柴六花は生まれた時から不幸だった訳ではない。少なくとも、彼女が生まれた時、周りには祝福の声が満ちていた。

 会社勤めで忙しかった父親は、仕事を引き上げてまで出産に立ち会ってくれたそうだ。母親の手を握り締めて、六花が産声を上げる瞬間を一緒に見届けて、手放しに喜んでくれた。

 その場に立ち会ったのは両親だけではない。父親とは一回り近く年が離れていて当時中学2年生ほどだった叔母と、母親の両親……要するに、六花にとって祖父母に当たる人物も駆けつけてきてくれて、泣き続ける六花を笑顔で迎えてくれたそうだ。


 暖かい家族に囲まれてはいたが、

 不思議と父方の祖父母とは顔を合わせなかった。


 特別に元気が良かったわけではなかったが、特に病気になることもなく健康にすごすことができたのは両親のおかげだっただろう。撒いた種に毎日こまめに正しい世話をしていれば綺麗な花が咲くように、六花は二人の愛を受けながらすくすくと育っていった。


 美しい花が咲く前に、悲劇は訪れる。

 両親が二人で出かけている時に、交通事故に巻き込まれて死んでしまったのである。小学校2年生に上がる頃だった、大型トラックと正面衝突をした二人は即死だったらしい。幼い六花を残して、両親は帰らぬ人となってしまった。


 葬式の時、六花は伯父だと名乗る人物に引き取られた。目の前のことが信じられずにぼんやりとしていた六花は、流されるがままだった。

 六花が小学生になったぐらいの頃に初めて家に来たその男に、六花はあまり良い感情を抱いていなかった。父親とどこか似ていたものの、その顔は死人のようにやつれていた。端整な顔つきのハズだが、痩せ細った体躯に無精髭、ぽつぽつと小さな声で喋る所は小さな子どもには不気味に写る。そのくせ、目には爛々と輝く生気が感じ取れる奇妙な男だったのだ。相反する性質を持つその男だが、葬式の時に六花を引き取ると言った時、


 間違いなく彼は笑っていた。


 ***


「汚れた血を見せるんじゃねぇよッ!」


 見せるつもりなどなかった。ただ、もう殴らないでと血の付いた手のひらを見せて懇願したかっただけだった。

 自室である埃まみれの物置に投げ出された小さな体は、腹を殴られた痛みに食べたばかりの腐ったパンを吐き出す。ドロリと溶けている粘液の中に紛れ込む小さな塊達が、次から次へと吐き出されていく。血が紛れ込んでいるこの吐瀉物が放つ得も言われぬ異臭ももはや慣れてきた。


「腹がたつっ!! また床を汚しやがってっ!」


 理不尽も良い所である。靴を履いたままの足で伯父は六花の背中を踏みつける。強い衝撃に呼吸が止まる。くぐもった呻き声を六花は漏らした。


「悔しかったら劫輝(こうき)譲りの魔力で反撃してみろよっ!? 俺からすべてを奪った、アイツ譲りの力でよぉっ!?」


 懐かしい父親の名前を忌々しげに口にしながら、伯父は六花の背中を踏みにじる。踏みつけられた痛みもさることながら、背中がひりひりと熱くなってくる。布きれ同然の薄汚れた服に、足を通じて魔力を送り込んでいるのだ。背中を焼く"火"の加減は、六花を気絶させないままヒリヒリと背中を焼いている。すべてを投げ打って泣き出したい気持ちに駆られるが、そんな声を上げよう物なら「やかましい!」と更に強く蹴られる事はこの生活が始まった最初の1年で嫌と言うほど焼き付けられた。


「はんっ、つまんねぇの」


 望み通り黙っていたのに、燃えた背中を蹴り飛ばされた。小さな六花の体は吹き飛ばされ、本棚にぶつかる。その拍子に本がどさどさと六花の体に降り積もり、痛みに悲鳴を上げたくなるがぐっと堪える。あまり蔵書がなかったのが幸いだ。


「おいおい、生きてるかー? 頼むぜ?」


 コツコツと鳴る足音が、固い床を通して六花の体内に響く。ただ歩いているだけなのに、一歩ずつ近づくにつれて体が強ばっていく。逃げ出したいが本の束が六花を逃がさない。


「死なれることだけは困るんよ。不審死に見せることぐらいなら別に楽勝だけどよぉ、なにかと面倒じゃねーか?」


 一冊ずつ本をどかしながら伯父は物騒なことを口ずさむ。もっと本があったら、伯父はここまで来られないのに……さっきとは矛盾したことを願いながらも、伯父の手は六花の頬をギュッと掴む。


「ガキは勉強しないとな? まーでも、義務教育だけで充分だよな?」


 歪んだ口ぶりは、暗にそれ以上の人生なんか存在しないと言う事を示している。握り締める頬の痛みが強くなるが、六花は何もできない。何をしても意味などないことを充分に理解しているからだ。


「憎たらしい目をしやがって……美しさは母親譲りってか!? ますますうぜぇっての!」


 本の山に向けて叩き付けられる。やめて欲しい、そう思いながら一心に目を向けていただけだ。それなのにどうしてここまで拒絶されるのだろうか。何をしても意味がない、そんなことを幼い心はゆっくりと学んでいたのだ。


「ちっ。今日はこの辺にしといてやるからしっかり片付けとけよ、六花っ!?」


 よかった、この先の"アレ"は今日はないんだ。これ以上先があるもなにも、ここまでの扱いですらまともなものではないのにも関わらずそんなことを思ってしまう六花は、小さな体を痙攣させる。伯父が立ち去っていく足音が聞こえなくなってからも体の震えは止まらなかった。


 自分に対する虐待はいつもいつでも行われる。学校に行くことは許されているものの、そうでないときはこの物置から出ることを許されていない。許されるのは魔術の実験台にされる時だけだ。先程まで部屋の外にいたのも伯父からの実験を受けていたからである。実験、とは名ばかりでただ魔力をぶつけて六花が傷つくのを楽しんでいるようにしか見えないのだが、その時に見せる伯父の顔は真剣そのものである。幼い六花には何をされているのかはよく分からないが、時折憎々しげに呟く「劫輝(こうき)め……」と父親の名を言うのと関係があるのだろうか?


 他にも、なにか気に入らない事があれば伯父は六花に手を上げるし、時には食事を与えられないこともある。尤も、毎日与えられる食事とて決して食べられたものではないのだが……。

 いっそ殺してくれれば良いのにと思う。それでも、伯父は六花を殺さないことだけは気にかけているようだった。学校には通わせてもらっている。元々悪くなかった成績を落とすなよと、暴力を伴ってだが勉強をさせられている。こうして毎日傷を付けられているものの、学校に行く前には治癒の魔術で傷を治してくれている。この部屋にしても、並の質ですらない汚れた布団があるだけではあるが、彼女が昔から気に入っていたトラのぬいぐるみは取り上げられていないし、ささやかな娯楽として本はおかれている。


 自分のことを気遣ってなどではないのだろう。身体や心を適度に癒して、六花をギリギリの所で殺さないようにしているだけだ。


 ――なんで、私は生きているんだろう……


 言いつけを破ればなにをされるか分からない。本を片付けながら、六花は布団の上に横たわる。荒い息を吐きながら涙を流し続け、明日行かねばならない学校のことを考える。


 家族と別れてかれこれ5年……元々人と接するのが苦手で奥手だったが、ここでの生活は拍車をかけ、学校でまともに会話をしたことなど5年近くない。内気な性格故に、六花は学校でもイジメをうけていたのだ。


 教員はそんな六花を見て、心配はしてくれているが実際になにかをしてくれたことはない。

 いや……正確には、あった。

 2年生になった直後、激変した六花を見て担任がこの家に直談判してくれたこともあった。その時、六花には希望が見えたようにも思えたのだった。


 しかし、その先生は六花の前に二度と姿を現すことはなかった。次の日から代わりに入ってきた教員は、あからさまに自分に関わらないようになっていた。


 今なら分かる……当時、急に転勤したと聞かされてはいたが、おそらく伯父がその教員を生け贄に学校側に手回ししたのだろう。何が何でも自分の居場所を奪おうとする彼の意気込みの原動力はなんなのだろうか・


 ――死にたい……だけど、死ねない……早く、殺してくれればいいのに……。


 音を立てて吐瀉物に集ってくるハエたちが目に止まる。よくこんな汚い物に集ることができるものだ……そこまでして生きたいのだろうか?


 昏睡に似た形で意識が徐々に遠のいていく。

 明日も、どうせ学校を無言で過ごし、家で殴られ、床につくだけ……


 既に、彼女は幸せな人生など諦めている。自分の不幸を嘆くことなど、とうの昔に彼女は忘れている。


 その頬を伝う涙は、痛みによる反射的な涙だ。そう思い込んで、ただ自分の心を殺し続けていた。


 ***


「……」


 虐待の日々が続く中、気付けば六花は小学校の最高学年となっていた。

 1度目の席替えが行われ、離れただの近くなっただので一喜一憂する同級生達を尻目に六花は自分の席で俯いている。


 自分に話しかけてくる人間などいない。

 代わりに自分にくれるのは拒絶の目。関わりたくないと言う思いが見て取れる目をただ向けている。


 元々暗い人間が黙って俯いていれば当然喋りたくもないだろう。誰かに話しかけられてもあがりきってしまい、何も話す事ができずに自分から立ち去ってしまっていたのだ。昔はまだ友達もいたのだが、伯父に引き取られて以来、気付けば六花に話そうとする人はいなくなってしまった。六花が完全に無反応だったからだろうか? 学年を経るにつれて、直接的なイジメはなくなり、誰一人として彼女に干渉しようと思う者はいなくなった。


 誰一人六花の近くに寄ることすらしないまま、時間がすぎてゆく。気付けば3時間目が始まっていた。教科書を取り出そうとした六花は、しかしその教科書を忘れてしまったことに気付く。


 ――しまった……どうしよう。


 勉強にのめり込むことで周りからの目を無視していた彼女の心は酷くざわつく。国語の授業で教科書がなければ教師はすぐ気付いて自分を叱りつけるのではないか。伯父との関わりで怒られることに強い抵抗を持つ六花は、それが嫌だったのだ。だからと言って、素直に話そうにもどうすれば良いか分からなくて……とあれこれ悩んでいる内に、気付けば授業開始時間が近づいてくる。


 ――話したくない……でも、怒られたくもない……。


 頭を抱えて悩んでいる六花の目の前に、スッと教科書が差し出される。驚いて顔を上げると、面倒くさそうに立ち上がって先生の所に行く少年の姿が。


「先生、教科書忘れました。隣の人に見せてもらって良いですか?」


 騒がしい教室の中だったが、その声だけはやけに聞こえてくる。特別大きな声で放たれた訳ではない。先生と一言二言話した後、少年は六花の隣の席に腰掛ける。


「……教科書忘れたから、見せてくんない?」


 はじめて見た隣の少年。垂れた目が特徴的なその少年の名札には、烏飼一樹と書かれていた。

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