Part.36 陥穽(おとしあな)
人がゴミのようだ。
どこかの悪役が高笑いしながら放ちそうな言葉が一樹の脳裏を過ぎる。
血を垂れ流しながらそこら中に倒れている人達を見て、不謹慎ながらもそう思ってしまったのだ。20人ぐらいいるだろうか? 大学生、会社員、老人……少なからず女性も紛れ込んでいる。一樹とそう年の変わらない若者の方が多いように見えるが、幅広い世代の人達が、しかし一様に多大な傷を負って倒れ伏せている。雨に紛れて溢れる血液が強い匂いを放って一樹の鼻腔を襲う。その強い匂いは、それまでの興奮を冷ましていく。
「よく来たナァ、ずっと待ってたゼェ?」
いや、冷ましていく要因はそれだけではない。倒れ伏す人達の先には一人の男が立っている。丸いボタンのようなものをくるくると弄びながら男はニヤリとほくそ笑んでいる。その男が一樹の探し求めている人間であったのならば……おそらく、一樹はここまで動揺しなかったであろう。
「"狭界"に紛れ込みやがったパンピー共が片っ端から己の所にやってくるからヨォ、楽しめるかと思って相手してたがどいつもこいつもビミョウでサァ?」
一樹の存在を認めた瞬間、男はそのボタンを握りつぶす。瞬間、一樹の手元の発信器がブーッと音を発して、エラーの文字を打ち出す。その音にハッとなった一樹は、男の姿を呆然と見つめながら声を出した。
「……誰だ、お前は?」
その誰何に一樹は聞き覚えがないことを強く願っていた。
いや、願っている時点で……既に一樹は、それはありえないと半ば諦観している。だが、それでも問わずにはいられなかったのだ。
「己か? 己ァ……」
はたして、その口から聞こえたのは……
「ムラサメってもんだぜ?」
「ムラ……サメ?」
――ハメられた。
聞き覚えがある名前を聞いて、一樹はむしろ冷静にそう思った。
それはサンゴが探し求めていた人物であって……間違っても一樹が探し求めていた人物ではない。
「あんだヨォ。そんなに意外そうな顔するんじゃネェヨォ」
潰した発信器を振り払う左手の反対側には柄に入った大ぶりの刀を肩に立てかけているその男の姿を見た瞬間から、その疑念はあったのだ。
得物を前にした肉食獣を思わせる血走らせた瞳孔の開いた瞳は、切れ長の目とは似ても似つかない。
両頬に走る、古傷や火傷の跡など、あの細面の顔には一筋たりとも走っていなかった。
一樹を目の前に舌なめずりをする下品な雰囲気などあの男からは感じさせない。
――……これであんまり特徴ないだぁ? 魔界ってこんなんばっかりなのか……?
かつてサンゴが言っていた言葉を思い返して一樹は苦笑いを浮かべる。目の前のムラサメの様子をじっと見つめながら、一樹はなぜこんな状態になってしまったのか、そのことを考えていたのだ。
――発信器を握りつぶしたと言う事実……"あの男"が発信器に気づき、このムラサメに付けさせたとしたら、まだあり得るんじゃねぇか……?
そんな希望的観測が一樹の頭の中に沸き上がる。そうだとすれば、このムラサメは"あの男"と直接繋がっているハズだ……だが、次の瞬間ムラサメは鋭い犬歯を見せつけて、ニヤリと笑い顔を作る。
「己がここにいるのが不満カァ?」
「……有り体に言えば不満だな。俺はてっきり、"協力者の男"がいるのだとばかり思っていたが……」
「男ダァ? なんのことを言ってるか分かんネェけど、己ラの協力者はオンナだけだゼェ?」
「なに? 女だけ、だと?」
「こんな事でウソついてもしょうがネェだロォ?」
はったりだ、と一瞬一樹は思った。しかし、一樹は心のどこかで得心していたのだ。得体の知れない男には違いないが、どこか無邪気さを感じさせるきょとんとした姿が演技だとは思えないのだ。その上、一樹がここに来るに至った経緯を思い返してみれば……一樹へとデマを仕込むことができた人物はたったの1人であり、そしてムラサメの情報が真実ならばすべてに辻褄が合う。
――まさか……いや、だとしたら、"お前"はどうして?
***
魔力の爆発で起きた風が六花の髪をたなびかせる。もはやティグレを召喚しておくだけの魔力もなく、気付けばティグレの姿はなくなっていた。
ようやく風が収まる。ティグレの魔術の効果が切れて、砂埃が再び雨に濡れて沈んでいく中、六花ははっと目を見開く。
「……まだ、立っているのか?」
「なっ、なんとか……ねっ」
六花の奥義である"虎砲"……虎を模した砂の塊をぶつけ、魔力の爆発を起こす技である。撒き散らされた砂がサンゴの体を傷つけながら相手の体内へと入り込み、被弾者の魔力を"乾燥"させていく。膨大な魔力と引き替えに放つ六花の切り札だ。
だが……攻撃の要が"魔力の爆発"であったこと、盾に使っていた砂をも"虎砲"に用いたというのはサンゴにとって幸運だった。確信を持って行った行動では断じてないが、"砂の盾"の拘束を逃れたサンゴは"虎砲"に向けて自分の【アプソル】を突き刺したのである。力の限り魔力を吸い込み、爆発の威力を押さえ込むことができたのだ。
とは言え……彼女の肌の至る所に砂によってできた切り傷ができている。その1つ1つが決して浅い物ではないうえに、魔力をそこから"乾燥"させられているのだ。"虎砲"から吸い取った魔力があるとは言え、その大部分を傷の修復に費やしたのである。もはや彼女の中に残っている魔力は枯れ果てる寸前だ。それこそ、"虎砲"に膨大な魔力が込められていなかったら最悪死んでいたであろうぐらいに……。
「しつこいぞ、"虫"がぁあっ!!」
そんなサンゴに向けて、六花は走り出す。ティグレを体外に召喚したこと、召喚や"虎砲"に用いた魔力、全身の傷、疲労……"体内召喚"すらもしていないのか、彼女の蹴りにそこまで威力はない。しかし、そんな蹴りでもサンゴの手を槍から離してしまうには充分なものだった。蹴りに巻き込まれた砂を操り、六花はサンゴの傷口へと砂を入れる。ごく僅かな量だが、"魔力"が乾燥していくのを感じる。もはや立ち上がる体力すら残らずに……無様にも、サンゴは地面へと投げ出された。
「"虫"がっ!! 私のっ!! 邪魔をっ!!」
「ぐっ!!」
地面に投げ出されたサンゴを六花は踏みつける。サンゴは足の軌道を読み、手で防御を試みるも六花はそれごと踏み抜く。痛みは徐々に体を蝕み、やがて手の動きが追いつかなくなる。
「お前さえ、お前さえいなければ一樹もっ!!」
「……えっ!? イツキがどうしたってっ!?」
「しらばっくれるなっ!! お前が、お前が一樹の記憶を奪ったのだろう!?」
思いがけない六花の言葉にサンゴは呆然としてしまう。自分を踏みつける足を止めながら、その強い眼光はなおも弱まらずに自分を睨め付けながら……涙を流していたのだ。
「ちょっと、ちょっと待ちなさいよっ!! なんであたしがアイツの記憶をっ!!」
「それはこっちが聞きたいっ!! お前のせいだと言うことは知っているっ!!」
「本当に、知らないわよっ!!」
「知らない、だとっ?」
激情と共に六花の息が徐々に上がっていく。彼女の踏みつけの頻度が徐々に、徐々に落ちていき……やがて、彼女も足を止めてサンゴの前へと膝を落とした。興奮と疲労で息を荒くした六花の声が聞こえる。
「ふっ、ふざけるなッ!!」
「ふざけてなんかないわよっ!! ……そうじゃなかったら、今イツキと行動してないのもおかしくない?」
「別行動、と言う事も……」
「それでも前みたいに助けに来るでしょっ!?」
サンゴは思いつくままに言葉を吐き出す。しかし、どうせ六花の耳に"虫"の羽音など入らないだろうと諦めていると……六花は思わぬ反応を見せたのだ。
「前みたい……それは、いつのことだ?」
「は、はぁっ……!? 一昨日の夜よ、もっ、もう忘れたの……?」
「一昨日の夜、だと? あれはそっちが先に逃げ出したじゃないか?」
「なにデタラメ言ってんのよ!? イツキが来たからっ逃げたんじゃない!!」
「イツキが来た……? バカ言え、形勢が悪くなって逃げ出しただろうが!!」
話がまったく噛み合っていない……サンゴが知っている事実とは違う事を口走る六花だが、しかしその様子は何かを謀ろうとしていたり、負けず嫌いで言っているようには見えなかった。そもそも、この局面では互いにはったりをかます余裕などない……
「はぁッ!? 逃げられなかったわよ、アンタに砂の拘束を受けてッ!!」
「拘束だと!? アスファルトの上でそんなことができるわけないだろう? 私は今のようにフィルムケースを使ってお前と……」
六花の言葉がそこで止まる。見上げれば。はっとしている六花の顔が見て取れた。細い目を見開きながら遠くを見つめている彼女は、怒りか驚きか……声を震わせながら、声を絞り出す。
「まさか……そう言うこと、なのか?」
「そのまさかですよ」
――この声……えっ、嘘っ、なんでよ!?
返ってきた声にサンゴはハッとする。いや、正確には背筋が強ばった……ボロボロの惨状でありながら、その声を聞いた瞬間にサンゴが思ったこと。それは…・・すぐにでも逃げなければと言う強い思いだったのだ。恐る恐る、その声の方を見る。
「オッ……オト、ワ……?」
「はい、その通り、喜多村音和です。昨日は病院まで運んでくれてありがとうございました」
そこにいたのは……にっこりとした笑顔を見せて、丁寧にお礼を伝える"奇妙な"喜多村音和の姿だった。




