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名もなき物語  作者: 白カギ
《衝突の物語》
54/85

Part.33 竜虎

「……烏飼一樹と後藤七曜は、別れましたか」


 日浪駅のベンチに腰掛けながら男は呟く。右手の甲についた稲妻形の痣が見えるように手を組みながら、誰もいない空間に呟くその姿は、仕事終わりに黄昏れている冴えない会社員を思わせる……が、その男の姿を見れば印象は大きく変わってくる。組まれた右手の中指にはシトリンを思わせる黄色い石が付いた指輪を填め、耳元には小さく光るピアス。華美さも地味さも感じさせない絶妙なバランスを保って付けられたアクセサリーに加え、つり上がった細い眉毛がよく似合う掘りの深い顔つき。細い目を鋭くぎらつかせるその姿は、冴えないと言う単語とは無縁そうなエリートが、その日の疲れを癒すべく適当な良い女を見定めているようにしか見えない。


「是非ともそのやりとりを見たかったですが、およそは想像できますしあまり興味ないですよ」


 しかし男の前には女は愚か人っ子一人いない。ぷかぷかと浮かぶ小さな黒い雲があるだけだ。通信機として用いているその雲が何かを言ってくる。どこか楽しそうにまくし立てるその声にその男、セキラは溜息混じりに言葉を返す。


「どうせその当人がここに来るわけですし、その時に色々と楽しませてもらいます。では、俺はこれで」


 半ば無理矢理通信を切り、ぼんやりと空を仰ぐ。昨日の一番酷いときと比べればまだまだマシだが、降りしきる雨は止む気配がない。大雨を自分の全身に浴びながら、セキラはニヤリと口角を上げる。


 ――雨は良い……盤石たる土壌をも、降り注げばすべてを壊していく。


 ふと、昨日の夜に話したあの少年達の顔が頭に思い浮かぶ。それまで強気だったにも関わらず、ある情報を持ちかけただけでその顔から自信が消え動揺の色を露わにした滑稽な顔つきがたまらなくおかしい。


 ――特に後藤七曜だ……信じると軽々しく口にした割には……なんてことはない、猜疑心に押し潰され、この結果を引き起こしているではないか。


 笑いを堪えるのに必死になりながら彼と向かい合った昨晩……七曜は威勢の良さを忘れずに向かい合ったつもりかもしれないが、彼の空元気はセキラの目には明らかだった。


 ――所詮、自分の都合の良い物の見方しかしてなかった報いだな。信頼という型にはめて烏飼一樹を分かった気でいたのだから……本当に、烏飼一樹と言う人間をとらえていたのならば、この結果など引き起こさなかっただろうに。


 その男がもうじきここに来る……反応など、その時に見て楽しめばいい。そう思いながらも、一抹の不安が頭を過ぎる。


 ――いや、正確には俺もまだ掴み切れてなどいない……烏飼一樹と話したとき、真意など分からんがアイツの目には俺を利用して何かを達成しようという強い思いしかなかった。


 もう1人の方、烏飼一樹……。事前に集めた情報を元に臨み確かに狙った結果を出せてはいる……が、それでも一樹が取った行動は自分の思い通りとは言い難かったのだ。


 ――それでもガキはガキ……目の前に美味い餌を垂らせば、それに貪るように向かう"餓鬼"には違いない。


 雨は今も降り止まない。だが、セキラはそんな雨が大好きだ。

 あの時も、そう言えば大雨が降り注いでいたなとセキラは思い返す。


 ――魔統帥を追い詰めるのに比べれば、ガキ共を謀るなど容易い事よ。


 ***


「イツキが好きよ……なによ、文句あるの?」


 射竦めることしかできなさそうな細い目が見開かれて驚きを表し、

 結ばれるか嘲笑しか出なさそうな口元もまた開かれて驚きを表す。


 六花の表情を変えられたことに内心で喜びながらも、サンゴは言葉を続ける。


「そりゃあたしだって悩んだわよ。人間相手にこんな事思うなんて考えてもいなかったし、そもそもよりによってアイツに惚れちゃうなんてどうかしてるわよね?」


 初めて六花相手に苦笑を浮かべる。友達同士で浮かべるかのような裏のない笑顔だ。


「でも、好きになっちゃったのは事実じゃない? だから、あたしは思うわけ」


 昨日の夜、一樹とケンカ別れをして、母の夢を見ながら雨の中で考え、ケパロスに言葉を投げかけられて……


 そして、昨晩見た光景が蘇る……


 ***


 時は10時間ほど遡り、昨晩0時頃。


『だから、着いてこいと言っているだろう。……なに、家主でこそないが一樹とずっと一緒に生活しているのだ。気兼ねなく入ってこい』

「……本当に、良いの?」

『女性を追い返す趣味もないしな。一樹の事が気にかかるなら、我の客人と言う事にすると良い……』

「そう……じゃあ、お言葉に甘えて……」


 先に部屋へと入っていったケパロスについて、彼女も部屋へと入っていく。


「えっ…………!?」


 目に飛び込んできた風景に、彼女は言葉を失った。


 リビング、今まで何度もここで一樹と共に食事を取ってきた団らんの場所だ。

 今この場にその少年はいない。それは当然だし……いたらいたで困るだろう。


 だが、"それ"は変わらずにあった。


「なんで……?」


 思わず口をついた言葉と共に、サンゴはそこへとまっすぐに向かう。

 食卓の上に、1人分の食事と……書き置きを書こうにも読むことができないサンゴを気遣って、わざわざ買いに走ってくれたボイスレコーダーが置いてあったのだ。皿の上にラップをかけてまで置いてあるのは……


「オムライス……なによ、なんであたしの分も作ってあるのよ……」

『少食とは言え、一樹とて成長期。食べられないことはないだろうし、冷凍保存しておくなり色々できるはずだ。そもそも、チキンライスをわざわざタマゴで巻くなど、手間がかかるからやるまいて……』


 人間道に来て初めて食べた料理……卵焼きを食べて以来、サンゴは卵が大好きだった。バランスが偏るからとあまり作ってもらえないのだが、それでもこの一週間で何回か一樹は卵を使った料理を作ってくれている。


『……一樹がお前を許していなかったらな』

「……まったく、あたしが戻ってこなかったらどうしたのよ」


 付け合わせのサラダも、学生のくせして存外栄養バランスなどに拘る一樹らしく海藻サラダになっている。サンゴはあまり食べたことなどなく最初は苦手意識があったのだが、しかし一樹に言われて食べてみると存外美味しかった。そんな明るい思い出が蘇る。


『さぁな。一樹なら明日の朝飯にでもしたのかもしれん』

「バカね……材料が勿体ないとかいつもぐちぐち言ってるのに」


 サンゴは細長いボイスレコーダーに手をかける。文字は読めないが、一樹に教えてもらってこの機械に限り、操作方法は分かっている。いつもと同じように、ボイスレコーダーの再生ボタンを押す。


"『あー……これを聞いてるってことは帰ってるんだろ? 頭が痛いんで手短に話すぞ……』"


 安物だけあって、音質は決して良いとは言えない。

 これだから科学は……と心の中で強がるように悪態をつく。


"『目の前にあるようにメシは作ってあるし……風呂も入れてある。前教えたボタンを押せば追い焚きできるから冷めてたら使え』"


 頭が痛いのは本当なのだろう……所々で言葉が途切れたり、痛がっている声が入ってくる。


"『メシは作りすぎただけだから、別に食わなくても良い……ちょっと、気になることができたので外に出てるし、今日は帰ってこないかもしれないから鍵は閉めておけ……』"


 ケパロスはその声を聞きながら、『頭痛の癖に一樹はどこに行ったんだ……?』と小首を傾げている様子だが、サンゴは彼の声など耳に入らない。


"『その……色々言いたいことはあるが、今伝えておきたいのは1つだけだ』"


 言うのを躊躇っているかのように、数秒、間の時間が空いている。ボイスレコーダーを握りしめながら、サンゴは一樹の言葉をただ待っていた。


"『ごめん……悪かったよ』"


 データはそこで切れていた。再生が終わってからも、サンゴはずっとボイスレコーダーを握ったまま立ち尽くしている。


『雨の中出歩くなど……まったく、我は雨が嫌いだ。雨宿りさせてもらうよ』


 そう言い残してケパロスは立ち去っていく。彼の足音が聞こえなくなった直後、サンゴは膝から崩れ落ちる。


「イツキ……イツキぃっ……っ!!」


 ボイスレコーダーを握りしめ、顔をボロボロにしながら一樹への想いを漏らし続ける。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ッッ!」


 一樹に抱いていた恐怖心や猜疑心という暗雲から降り注ぐかのように。


 彼女の雨は、いつまでも流れ続けたのだ。


 ***


「魔人と人間の差なんてそんな大した差なのかしら?」

「……ただの開き直りにしか聞こえんがな?」

「そうね、開き直りよ。事実が変わったわけじゃない」


 サンゴが自分の思いを受け止めて、事実を受け入れたところで、事実を変える事ができる訳ではない。


 自分は自分(まじん)だし、

 一樹は一樹(にんげん)だ。


 だが、それでも会話をすることができる。意思疎通もさることながら……それこそ、意地をぶつけ合わせられるレベルでコミュニケーションも取れる。

 そして、同じ困難に立ち向かうこともできれば、同じ幸福を分かち合うこともできる。


 改めて気付いたその"事実"を、サンゴは六花へと告げる。


「だけど、事実の見え方は少し変わったわよ?」


 事実など、見方一つでいくらでも変わる。立場ごとに思うことが変わるのはもちろんのこと、主観性を持つか、客観性をもつかでもだ。


 確かに、客観的に見れば魔人と人間の異質な交わりかもしれない。

 しかし、主観的に見れば同じ"ヒト"同士が織りなす平凡なやりとりだったのだ。


 そして、そのやりとりの中でサンゴは確かに幸せだと思っていたのだ。


 ――……そうよ、バカはバカらしく、開き直って突っ走れば良いのよ。

「…………そうか」


 内心で決意を固めたサンゴに対して、六花は黙り込んだまま目を閉じる。何かを考え込むように、じっくりと目を閉じている六花の姿にサンゴは敵対している身でありながら、不意打ちをすると言う選択肢は頭に浮かんでこなかった。


「……そうかも、しれないな」


 長い時間目を閉じていた彼女は……意外にも、拒絶でも無関心でもなく、素直にその言葉を肯定したのだった。顔を見てみれば、複雑そうに浮かべた表情になにかが含まれているようにも感じ取れる。ただ否定された、もしくは肯定されるにしても嫌みたらしく言われていればなにかを言い返していたのだが……まったく予想外の反応を返されてしまい、サンゴは拍子抜けしてしまう。


「なによ味気ないわね。思うところでもあったの?」

「……ふん、言い返して欲しかったのか? そもそも、私からすれば他者などどうだって良い」


 憂いを断ち切るかのように、六花ははっきりと言い放つ。先の表情から一変、いつもの無表情を浮かべながらきっぱりと。


「この世にいるのは私と他人……そして、一樹だけだ。他の人間などいようがいまいが何も関係ない」


 いや、無表情と言うには彼女の顔は明るすぎる……一樹以外の物すべてがどうでも良いとまで言い切る六花、その顔に浮かんでいるのは恍惚の表情。氷で固められていた無表情が溶け、蕩け、一樹への思いに酔いしれていると言う表情だった。


 静かな言葉だった。

 だが、不思議と彼女の信念が籠もっている気がした。


 一樹だけに向けていたあの恥じらいや照れている思いを考えれば……彼女が他の人間と一樹を明確に線引きしていることは明らかなのだから。


「そう言う意味では人間でも魔人でも大差はないな。お前も後藤も、脱獄囚共もクラスメイト共も、私からすれば、等しくどうだって良い存在だ」


 一樹へと向ける並々ならぬ偏執の思いを即座に内に戻し、絶対零度を思わせる視線をまっすぐにサンゴへと突き付けられる。本当になにも思っていないからこそ向けられる彼女ならではの拒絶の視線に凍り付きそうになるが、しかしサンゴにはその視線にどこか引っかかる所がある。


「また言い切ったわね。じゃあなんでアンタはそんなどうでも良い存在であるあたしを目の仇にしてるわけ?」

「人間道でよく言う言い回しに、『悪い虫がつく』や『お邪魔虫』と言う物がある。虫を人間……いや、ヒトに置き換えている比喩だということはさておいて、不思議な言葉だろう? ヒトに虫がついたところで誑かそうとしているわけでもないのにな」


 サンゴはただ黙って彼女の言葉に耳を傾ける。珍しく口達者に自分の事を話す六花に引き込まれては、これから向かい合うときにペースを掴まれてしまうと心が警鐘を鳴らすが、しかしサンゴは彼女の違和感を探りたいと言う思いが勝る。


「だが、ヒトはその虫を嫌う。虫とて自分達が生きるために必死に行動しているだけなのにも関わらず、ヒトは追い払うだけでなく時には殺す。生命を殺しているにも関わらず、ヒトはまず罪の意識など持たないし、仮に抱いたとしてもすぐに忘れ去ってしまうだろう」


 足音をコツコツと立てながら六花は体育館を歩く。身振り手振りを交えて話すその姿は演説を彷彿とさせ、なおさらサンゴは彼女の言葉をじっくりと耳をそばだてる。


「要するにヒトは自分とまるで違う物に強い嫌悪感を抱く存在なのだよ」


 六花の想いは本物なのであろう。彼女が向けてくる冷たい視線には、しかし彼女なりの信念が含まれている。

 だが、サンゴは本当にそれだけなのだろうかと首を傾げてしまう。

 それこそ、直前に彼女が見せていた憂いの表情もだが……一樹の家で知った"六花のある過去"を鑑みると、この言葉に別の意味があるように思えてしまうのだ。


「自分が大切にしている物に虫がつけば迷うことなく払い落とすだろう? その血しぶきが飛ぶことすらよしともせず、追い払うだろう? 一樹を腐らせる貴様のような"虫"に私が嫌悪を示すのはそう言うことだ」


 どうでも良い物はそこらで勝手に飛び交っていればいい。

 だから間違っても、自分(わたし)の世界に入るんじゃない。


 そう言い張る六花の主張は……なるほど、だからこそ彼女はあそこまで人を拒絶した吹雪を生み出せるのだろう。


「一樹に飛び交い、彼を腐らせる"虫"を駆除すること……できれば後藤すらも駆除したいが、一番処理したいのはお前でな」

「女であるあたしどころか、男であるシチヨウにまで嫉妬してるなんて、とことん嫉妬深いのね」

「"虫"に嫉妬などしない。ただ邪魔だと思っているだけだ」


 何度かバスケットコートを縦に往復し、サンゴの前で六花は足を止める。

 絶対零度を思わせるその瞳だが、今は大きな闘気を感じ取ることができる。


「良いわよ。あたしもアンタに聞きたいことはあるけど……どうせ"虫"の羽音なんかアンタの耳には入らないんでしょうね?」

「物わかりが良い"虫"だな」


 対して六花は組んでいた腕を解き、腰を低く落とす。武器を隠し持っているのか、はたまた己が身一つで闘うのかはまだ分からないが……戦闘態勢をとっていることは、彼女の纏う雰囲気から分かる。


「ここに邪魔者などいない……思う存分、"虫"退治ができる」

「退治されるのはどっちかしらね! 散々虫虫って言われ続けてあたしも今腹の虫が治まらないのよ!!」


 サンゴは【アプソル】を召喚し、手元で何度か旋回させながら構えを作る。両手に握った槍の穂先を六花へと突き付けながら、サンゴは毅然と言い放つ。


「決着、つけようじゃない!!」

「望むところだっ!」


 竜虎相搏(りゅうこあいう)つ……しかと睨み合った2人の死闘を邪魔する物など、この空間にはない。

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