Part.32 対峙
雨に濡れることをまったく厭わず、傘もささずに一樹はただ駆ける。雨に濡れたコンクリートの上だが、体勢を崩すことのない軽やかな足取りだった。
――そうだ、この方が遙かに動きやすい。
今までこの身を縛り付けていた、重いおもりがなくなったかのように、一樹の足はすいすいと動くのだった。
――一人きりならば、他人を計算に入れて無理に行動する必要もねぇ……自分の勝手で、好きなように動き回れる。
鼓動が徐々に早くなる。走っているからだろうか? 違う。その割には"胸の痛み"など少しも感じられない。
手がかりが間近に迫っているという事実、一歩踏み込む度に確実に近づけていると言う現実、それが一樹の足を動かし、感情を高ぶらせる。
――誰にも邪魔をされずに、俺の道を走ることができるんだ。
5年間待った。待ち続けた。
時には自分から探しに行ったこともある。そのどれもが無駄に終わったが、それでも次こそは見つかるはずだと信じて彼は歩み続けた。
いや、無駄だったのだろうか? それは違うと一樹は思っている。
過去を失ったからこそ分かる。自分が過去を追い求めるのも、それまで自分が積み上げてきた"烏飼一樹"と言う人間の土台を取り戻すためなのだから。
記憶が戻れば、自分がどんな人間だったかが分かる。
記憶が戻れば、"自身"を持って他人と接する事ができる。
記憶が戻れば……過去の知り合いを悲しませる事もなくなる。
"「目標に対する執着心……僕は好きだった。だけど、そこまで自分のことしか考えてないヤツだったなんてね。今は心から軽蔑してるよ」"
最後の七曜の言葉が脳裏を過ぎる。
彼の言葉に思わない所がないわけではない。それでも、自分は自分が定めた目標の成就にすべてを賭けてきたのだ。
今、この局面になっても……目標が一番であることは変わらない。
――痛みなんざ、その本人にしか分からない……だから、俺の痛みも、"アイツ"の痛みも、自分だけしか知り得ないんだ。
七曜が痛すぎる痛みを抱えているだろうことは一樹もよく知っている。だが、その痛さと言うのは推測することでしか分かることができない。傷を伴っているのはあくまで本人だけであり、相手の立場にいくら立ったところで真実の痛みなど分からないのだから……
――そう……自分だけの、痛みだ。
セキラに連絡を入れようにも方法など知らない……だから、一樹は彼との契約に無関係の協力者……六花の方ではなく、もう1人の男の方へとひた走る。
――そのためにも、俺は自分の信じた道を突き進む。
***
――案の定、魔力の流れはそうなってるわけね……
病院の屋上庭園。日浪市の中央に屹立するタワーを登れば、より広くはっきりと魔力の流れを見ることもできるのだろう。しかし、この高さでも充分なほどに魔力の線は七曜の目に写っていた。
相も変わらずそこら中の龍穴に魔力が集まっている。
相も変わらずそこら中の龍穴に雷の線が走っている。
――こっちにも不良達は連れてきたわけか
どうやったのかは知らないが、セキラが操っている不良達もまたこの"狭界"に入り込んでいるらしい。魔力の潜在量を無理矢理上げたのだろうかとおよその見当をつけながら、七曜は目を凝らし続ける。
――不良達がそこらの龍穴を守っていると言うのは今でも変わらない。吸収点も依然変わってないね。
変わっていない、と言うのは語弊があるのかもしれない。深夜に見た時よりも魔力が収束している点は増えている気がするのだ。間違っても減ってはいないが、敵は今なお行動を続けていると言う事らしい。
――紛らわしい線ばかりだな……っ!!
絡まった配線コードを解くかのような苛立ちともどかしさから、七曜の心はいきり立つ。病院のフェンスを握りつぶし、歯ぎしりを繰り返しながらも七曜はその放出点を特定すべくあちこちへと目を凝らす。魔力の集中点の数が多すぎて中々見つからないものの、放出点となっているのは現状たった一つだけである。その場所を探すべく目を皿にして日浪市中を見渡せば……
――見つけたっ!! 駅前の方かっ!!
そこからの行動に七曜はまったく迷いがなかった。およその方角と距離を突き止めると、七曜は両の手に炎を生みだし、膝へと叩き込む。ツボを刺激して増強された筋力を利用して跳躍、フェンスの頂上に着地する。不安定な足場の上、再び炎をふとももへと叩き付け、フェンスを蹴って空中へと己の身を投げ出した。
"「……目標に向けて何もしてなかったヤツに返す言葉なんざねぇよ」"
病院から落ちていく中、吹き付ける向かい風が雨の飛沫を巻き上げる。
濡れた顔を拭いながら、七曜は一樹が自分に放った言葉を思い返していたのだ。
――一人きりだろうと、構うものか……!!
そんな自分を振り払うかのように、首をブンブンと振るって再び決意を固める。
――この生活を取り戻すためなら、僕はなんだってやってやる……そうだな、手始めにまずは、
地面に向けて七曜はそのまま足を突き出して着地する。魔力で筋力を活性化させたとは言え、着地際に訪れる衝撃すべてを軽減できるわけではない。ズシンと重たい衝撃が体中を駆け回るが、しかしそれすらも七曜は再度ツボを刺激することで軽減して走り出す。
――セキラだ。絶対に、ぶちのめす!
***
――学校にいるなんて、存外マジメなのかしら?
ケパロスに案内された場所。それは学校だったのだ。一樹や七曜も通う日浪市にある日浪高校。てっきり脱獄囚達とともに行動をしているとばかり思っていたため、この場所に案内された時は面食らったものだ。
――探してないのは……離れのあの建物だけ。
既に学校全域を走り回っている。3階もある巨大な建物の中を全力で走り回って分かった事は、現在ここにいる学生達には"狭界"に巻き込まれるほどの魔力を持った者や超能力者はいないと言うことだ。人がいたらいたで共同戦線を張れないものかと思っていたのだが、どうにもこの学校に"裏"の生徒はいないらしい。離れの建物……体育館の前に立ち、サンゴはその扉を勢いよく開ける。
「……来たか。ご苦労なことだな」
扉を開けたサンゴを迎え入れたのは吹雪。
温度を感じさせない冷えきった声を漏らしながら、国柴六花は体育館のステージに腰掛けていた。入り口に立つサンゴからは見ることができないが、彼女は手に何かを乗せて眺めていたようだった。首からかけられているそれを、物惜しそうに制服の内側にしまい込みながら、六花は徐に立ち上がる。
「来たわよ。意外ね、しっかり学校に通っているなんて」
「まぁ。どのみちここには用事があったしな。昼間ぐらいは学校で適当に時間を潰すかと考えていたんだ」
体育館のステージから飛び降り、六花は勢いよく伸びをする。手の動きに呼応して揺れる豊満な胸部に目が行き、サンゴは舌打ちをする。
「用事ってなによ?」
「……私の、と言うよりも我々の目標に思い当たる節はないのか?」
艶めかしさすら感じる色っぽさを滲ませながら、六花は微笑みを見せる。優美な微笑みだが、心の底から他人を見下げているような嘲笑だ。声の調子も手伝って、自分の神経をを逆なですることだけを考えきったような態度にサンゴは体育館の床を勢いよく踏みしめることで答えを返す。
「悪かったわね、ないわよ!!」
一樹や七曜と違い、龍穴を目にしていないサンゴは脱獄囚達が何をしようとしているのかはまったく見当が付いていない。そのため、未だに彼らは日浪市で魔力を蓄えながら潜伏しているだけと考えているのだ。
「それよりも、その口ぶりはムラサメ達と手を組んでいる証拠だと受け取って良いのね!?」
「その通りだが……ふん、こんな無能なヤツに追い詰められかけているとは、アイツらと手を組んだのは間違いだったのかもしれないな」
あっさりと六花は認めてしまう。微笑みを崩して溜息をつく彼女の姿に、しかし落胆の色はそこまで濃くない。会計の時に小銭を探していたが1円ギリギリ足りなくて引き下げる時程度の形だけの落ち込みは、最初から彼らのことをそこまで期待していなかったことの表れに他ならなかった。
「無能っ!? あのね、これでも1人捕まえてるし、なにより昨日アンタからライターを奪ったわ!! 無能に物取られる無能以下の存在だって卑下したいならそれでも良いけど!?」
「……あれが、お前達を分断させるための罠だったとしたら?」
口では反論を見せるが、六花の冷静すぎる声に内心で「もしかして?」と不安をかき立てられるのがサンゴである。今一樹と七曜がどうなっているのか、そのことがまったく分からない以上、六花の言葉が真実である可能性も高いのだ。しかし、不安に負けじと六花へと口を出し続ける。
仮に向こうの目論見通りこちらが分散したとしても、ここで負けなければ良いのだから。
「後からならなんとでも言えるわ。負け惜しみにしか聞こえないわね」
「負け惜しみかどうかはこれから分かることだ。いや、その頃には意識などないかもしれないが」
「強がっちゃって! そもそもあたしがアンタに負けると本気で思っているの!?」
「それはこっちの言葉だな。うっすらとしか見えない魔人の痣。弱っている魔人が、仮にも人間のホームグラウンドである人間道で勝てるとでも?」
「うっ」とサンゴは短く唸る。それに関しては事実であるとしか言えないし、六花の実力が未知数であるとは言え、あの音和との戦闘を「楽な仕事だ」と言い張る実力、不意打ちだったとは言え先日の交戦で戦闘不能まで追い詰められた経験、自信に満ち溢れて揺らぐことを知らない態度、そして……写真を見て気にかかったある事実。多くの状況から楽に倒せる相手でないだろうとサンゴは睨んでいる。そもそも、この"狭界"に入れること自体、魔力量が常人以上である証左なのだ。
だが、負けるかもしれない、と言う理由で相手へと立ち向かうことを躊躇するほどサンゴは潔くないし、諦めが良くない。
絶対負けると決められたわけでもないのに諦めるなど、最初からサンゴの脳裏にはないのだ。
「そこまで言っておいて負けたら相当恥ずかしいわよ?」
「……ほう?」
六花に負けじと見せつけた笑顔。挑発や迫力に飲み込まれまいとするサンゴの気概に六花の口角も少し上がる。
「アンタから色々聞き出したいことがあるの。そのためにも、まずはアンタを打ち負かすっ!!」
「聞きたいこと? なんだ、一樹のことか?」
「それも……気になるけど、一番はムラサメ達の所在よっ!!」
一樹という単語にサンゴは少し反応を見せてしまう。その反応に六花は急に吹き出す。
「あははははっ!! なっ、なんだ、魔人の癖に人間に発情しているのかっ!? はははっ、一樹の事が、気になる事実を、ムラサメという目的に置き換えていることなど見て分かるぞ?」
それまでの無感動なしかめ面を浮かべていた人物とは思いがたかった……年頃の少女のように、顔全体を綻ばせながら六花は笑う。心の底からおかしいとでも言いたげに、凍り付いている表情を溶かしながらも六花はただ笑う。
彼女の笑い声が体育館中に響き渡る。不快な笑い声をサンゴは歯ぎしりをして、拳を握り込み、体全体を小刻みに揺らしながら……ふっ、と全身にかけていた力を抜く。
「そうね、それは事実よ」
怒り心頭になっている彼女らしからぬ物静かな言葉。六花の笑い声にかすれて消えてしまいそうなその言葉だが、しかし六花の耳には不思議と入ってきていた。
何も握っていないはずなのに、喉元に槍を突き出された錯覚が六花の脳内を過ぎる。穂先のように、鋭く研ぎ澄まされている言葉だったのだ。
怒りに燃えたサンゴはまっすぐで御しやすい……サンゴの性格をつき、後の流れを有利にしようと目論んで彼女をひたすらに煽っていた六花は、彼女の姿を見てはっと切れ長の目を見開く。
「イツキが好きよ……なによ、文句あるの?」
そもそも、サンゴは怒っていなかった。安らかな笑顔を浮かべながら、六花の方を見つめている。
彼女の放つ思いはどこまでもまっすぐだった。




