Part.30 通話
――火蓮ちゃん? 電話なんて珍しいなぁ。
時は少し遡る。早く取ってくれと急かすように鳴り続ける携帯電話の液晶画面には、火蓮の名前が書かれている。普段電話をかけてこない彼女がどうしてわざわざ? と思いながらも、どこか居づらかった病室……と言うよりは、一樹の隣から離れられたことに少し安堵している。
――これを契機にちょっと頭を落ち着かせよう……
音和の言葉通り、待合室はすぐ近くだった。時間が早いこともあり、待合室にはまばらに人がいるだけで、これならそこまで迷惑にもならないだろう。
『ごっ、後藤センパイ! 遅いですよっ!! どんだけ待たせるんですか!!』
「火蓮ちゃん!? どうかしたの慌てて?」
携帯に表示された名前の通り、確かにその声は木下火蓮に違いない。しかし、軽い態度故に何があっても動じないような"強かさ"が彼女の持ち味だと思っている七曜は、その彼女の慌てふためいた声に耳を疑ってしまう。中々出なかった自分に苛立っているみたいで、普段見せるどこかふざけた物ではなく、真剣に怒っているようだった。
『どうかしたのってそんな悠長なこと言ってる場合じゃないんですよ!』
「遅くなったのはゴメンって!! とりあえず落ち着いて!!」
怒気を孕んだ声ではあるが、どうじにどこか涙声が混ざっているように感じられる。何があったのだろうか? 狼狽している彼女を宥めながら七曜は続きを促す。
「なにがあったんだい?」
『あのですね、みーちゃんが、みーちゃんが……っ!!』
「みーちゃんが?」
みーちゃんこと水山浅葱がどうかしたのだろうか? どこか呑気に構えていた七曜は火蓮の次の言葉で強い衝撃に打たれる。
『……みーちゃんが、どこにもいないんですっ!!』
「どこにも、いない? えっ、待ってそれは新しい冗談で……」
『違います、大マジですっ!!』
冷静に考えれば、火蓮が大切な友人を使って七曜をはめようとしているなどと考えづらいことだろう。衝撃的な言葉に七曜自身、気付かぬうちに動揺していたのだ。現実逃避に近い形で口走った冗談に、間髪入れずに大声で否定してくる火蓮に七曜はようやく浅葱が本当にいなくなってしまったと言う事実を受け入れることができた。
『今日学校に来てなかったんですよっ!! みーちゃん休むなら休むってしっかり言うんですけど、学校側になんの連絡もないみたいなんです』
あまり接点はないとは言え、七曜の中でも浅葱は大人しくマジメな少女という印象がある。一樹と違って学校を無断でサボるタイプには到底見えないし、だからこそ火蓮がここまで心配しているのだろう。
「本当かい? それで、浅葱ちゃんの携帯には――」
『もうかけましたっ!! かけたんですけど全然繋がらないんですよ。それで、家に電話をかけてみたんですけど、どうやら昨日の夜出て以来、家に帰ってないみたいでして……永楽さんも心配していましたっ!!』
「えいらく? えいらくって、誰だっけ?」
『みーちゃんの後見人に当たる方ですよっ!! 血の繋がりこそないですけどみーちゃんの事を本当に気にかけている方ですっ!! みーちゃんも永楽さん大好きでして、仮にどこか出かけるとしても永楽さんになんの連絡も入れないなんてありえないんですよっ!!』
ずっと前に浅葱と話をしたときのことを思い返す。その永楽という人が話していた人生の格言についてやけに嬉しそうにについて教えてくれたことがあった。あの時の純真な笑顔は、「こんな顔もできるんだ」とやけに印象強く覚えている。
『だからとても心配で心配で……センパイ、何か知りませんかっ!?』
「そんなこと言われても……分かんないよ」
『もしかしたらセンパイの所なのかなぁ、って少し期待してたんですけど違うんですね……センパイ昨日バイトで遅かったですよね? 見たりしませんでしたか?』
「見てないよ。あれ、僕昨日バイトしてるなんて言ったっけ?」
『後藤センパイ大抵バイトしてるじゃないですか!! ごめんなさい、誘拐でもされちゃったんじゃないかってアタシ本気で心配してまして……』
何を期待していたのかはよく分からないが、鼻をすすった後、『ごめんなさい』と謝ってくる火蓮。受話器越しでも本気で心配し、涙を流している彼女の姿がありありと想像できて七曜の心がチクチクと痛む。
「変なこと聞いてこっちこそごめん……そもそも行方不明なら僕らじゃどうしようもないことも――」
――行方不明?
自分が口走ったその単語に七曜はハッとする。
それこそ、日浪市でひっそりと起きている事件……一樹が今回の件に首を突っ込むことになった切っ掛けでもある事件。それは不良達の"行方不明"だった。
その行方不明となった不良達は所々で虚ろな顔をしながらも徒党を組んで動いていた。先週は一樹が火蓮を送っている時に道をふさいでいたそうだし、昨日は龍穴を守るように動いていた。
そう、何者かに操られているかのように……。
「もしかして……いや、待てよ……?」
『後藤センパイ? どっ、どうかしたんですか?』
「火蓮ちゃん、浅葱ちゃんが夜に出て行った時間とか分かるかい?」
『聞いてます。確か11時頃です。永楽さん曰く、授業で使う絵の具がなかったみたいで慌てて飛び出したらしく――』
――11時ぐらい、だって……?
まだ何かを喚いている火蓮の言葉をシャットアウトし、七曜は考えを巡らせる。
バイトを終わらせサンゴと出会ったのが大体10時半頃。そこから音和を病院に送り届け、八雲に龍脈の調査をして欲しいと頼まれ、少しその調査をしたのが11時30分ぐらいだったのではなかろうか? その11時30分前後で、七曜はある人物と出会っている。
――あの時、"アイツは"僕に勧誘を持ちかけていた……そして、僕が断った後になんて言ったっけ?
"『あり合わせで申し訳ないですが、お茶菓子を用意してお待ちしますよ』"
忌ま忌ましさをにじませきった"あの男"の低い声が脳裏を過ぎる。思い出すのもどこか癪に障るが、"あの男"……セキラが次に言っていた言葉は……
『あの、どうかしましたか?』
「……そうか……」
『えっ、あっあの後藤センパイ?』
七曜は浅葱の姿を思い浮かべる。本人はとても気にしているらしいが、彼女の肌は一般的な日本人女性に比べて"黒め"の褐色である。
――そうだ、セキラの言葉は、そう言う意味だったんじゃないかっ!?
"『貴方の好きなチョコレートなどはいかがでしょうか?』"
そしてセキラの言葉……チョコレート、と言われれば、大半の人は黒い板状のお菓子を想定するだろう。ホワイトチョコレートを真っ先に連想する人もいるだろうが、少なくとも七曜は黒い方を思い浮かべるし、そちらの方がどちらかと言えばメジャーだろう。
――あの時は詳しく僕のことを調べてるなぐらいにしか思ってなかったけど、違う!
チョコレート……黒く、甘いお菓子……黒い肌の、可愛い少女……
チョコレートという単語は浅葱の事を指している比喩なのではないか……?
「あの野郎っ!!」
『センパイっ!?』
事実に気付き、七曜は壁を叩き付けて大声を張り上げる。電話越しの火蓮が心配そうに声をかけてくるが、怒り心頭に染まる七曜の頭にその声は入ってこない。
昨晩から一樹へと向け続けている懐疑の目、浅葱が攫われたと言う衝撃的な事実。そのすべての裏側にあの男の影が見える。
――セキ、ラっ!!
あの男の声がグルグルと自分の頭の中を駆け回る。加速器のように回る度に彼への強い怒りが増幅されていく。壊れんばかりの勢いで携帯電話を握りしめ、再び壁を殴りつける。公共の場所であることなどもはや七曜は忘れているのだ。
「……火蓮ちゃん? 君は今どこにいるんだい?」
『センパイ……あっ、あの急に……』
「良いから」
急に声色を変えた自分に驚いたのだろう。先程まで浅葱の事を気にかけてい泣いていた火蓮が、その涙を引っ込めて恐る恐る言葉をかけてきているのが分かる。だが、七曜はそんなことも意に介さずに彼女へと言葉を返す。
「どこにいるの? 安全な場所かい?」
『アタシは今学こ――』
不意に訪れた地響きに火蓮の声が途絶える。ゴゴゴゴゴと強く地面を揺らすかのような、しかし不思議と体幹にブレを感じさせない奇妙な地震が続き……ふとした瞬間、一息に鳴り止む。
「火蓮ちゃん!? 火蓮ちゃ――」
『……』
――返事がない……? いや、そんなことはどうでも良い……。
火蓮からの返事が返ってこないこと……そして、自分の周囲で誰1人として騒ぎ立てていないこと。"狭界"かなにかが張られたのだろうとおよその予測を立てて七曜は再びあの男の事を考える。
――セキラっ!! アイツだけは、アイツだけは……っ!!
***
「さっきの電話は火蓮ちゃんからでね。浅葱ちゃんがどこにもいないって言ってたんだ」
「ちょっと待て、だったら誘拐かどうか分からないだろうが」
どこか焦点が自分に合っていないように言い放つ七曜に一樹は思わず言葉を返す。電話のことを知るよしもない一樹からすれば、理論的な彼らしからぬ根拠にかける発想の飛躍のように感じられたのだ。
「かもしれない。だけどね、火蓮ちゃんから聞いた情報の端々からそれ以外にはないと思うし、何より……」
強い怒りに七曜が染まっていることは見て分かる。平凡で何気ない生活に幸せを覚えている七曜からすれば、その平凡を脅かされたと言う事実はそれだけで逆鱗に触れてしまうのだろう。
「……昨日セキラに言われたことが所々重なるんだ」
「そうか。で、お前はどうするんだ?」
「決まってるだろ! セキラをぶん殴りに行く!!」
いつにない物騒な言葉を吐き散らかす七曜。しかし、一樹は知っている。
――永江さんに"保護観察"されて以来なりを潜めてたが、なんだろうな、スゲェ懐かしい。
七曜と出会った時の事がフラッシュバックする。
"『君かい? 犯人は?』"
あの時のことは鮮明に覚えている。3人の男を宙づりにした上で"内炎"を用いた拷問を行っている小さな後ろ姿。
自分の気配に気付き、振り返ったときに見せた鋭く、冷たく……悲しい眼光。
"『いや、どっちでも正直良いんだ。"裏"の人間なら、全員犯人候補なんだからさ』"
自分と出会った4年前……
彼は、復讐に燃えてこの日浪市を訪れていたのだから。
「そうでなくても、彼らはこの日浪市に"狭界"を張ってまで攻めてきたんだ! 放っておくことなんかできないだろ!?」
――…ここまで、だよな。俺には、俺の目的がある。
「確かに……だが、罠だとは思わないのか?」
「罠でも結構!! 君と2人ならなんとかなると僕は……」
「おい、ちょっと待てや」
熱くなっている七曜に、それこそ流水をぶっかけるかのように一樹は冷ややかな言葉を投げかける。
その瞬間の七曜の「えっ?」と心から不思議そうにしている表情が一樹にはやけに印象的だった。
――こうなっちまったコイツを説得している時間すら惜しい……もう、腹は決まった。
言葉を言うのに、少しだけためらいがある。
そのためらいを、一樹はぐっと押し殺して言葉を吐き出した。
――俺は、俺のやりたいように動かせてもらおうか。
「勝手に俺を頭数に入れるんじゃねぇ……俺は行かないぞ」
決意と共に放ったその言葉に、七曜の怒りの形相がほんの一瞬だけ、悲しみの相貌を見せた気がした。




