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名もなき物語  作者: 白カギ
《衝突の物語》
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Part.29 憤怒

「"狭界"だと……なんだそれは?」

「えーっと、ですね。簡単に言えば、魔人達が秘密裏に動くための結界みたいなものです」

「魔人達……となると、アイツらが動き出したのか?」


 確かに音和を襲撃してしまえば、間違いなく八雲に伝わり、八雲から"魔物狩り"へと伝わってしまう。そうなれば魔物狩りも腰を上げて日浪市に乗り込んでくるだろう。昨日セキラが自分に交渉を持ちかけてきたのも攻め入るための下準備なのではないかと思っていたが……どうやら読みは当たっていたらしい。ケパロスとよく似た思考回路をしているが、これもまた長年一緒にいる故の師匠(ケパロス)譲りのものだ。


 ――クソ、もう来たのか……まぁ、考えはほとんど決まってはいるが


「かもしれませんね。こうしちゃいられ……っとぉ!?」


 立ち上がろうとした音和だが、ケガの影響だろうか? 右足で立とうとした矢先、つんのめって膝から崩れ落ちる。そう言えば今日はまだふとももの辺りを見ていないと思ったが……無理もない、彼女の足下には包帯が巻かれていたのだ。


「ケガしてるんだし無理するな……それに、昨日も言っただろう? 魔人を殺すわけにはいかないんだ」

「……そうでしたね」


 言葉こそ素直に引いている音和だが、その顔には自分が参加できないことに対する悔やみが見られる。こうでも言わなければ、音和は無理にでも立ち上がろうとするだろう。言葉こそ魔人の生死を気にしているようなものだったが、一樹が本当に心配しているのは音和の体であり、無理して戦闘に参加し再起不能になるような傷を受けてしまったらそれこそ八雲に申し訳が立たない。


 ――なにより、変にコイツが魔人と戦闘されると、色々と困るしな……。

「気に病むことはねぇよ。こっちのことは俺等でなんとかする。だからお前はゆっくり休んでてくれ」

「分かりました……でしたら烏飼さん、これを!」


 そう言って音和は一樹に端末を渡す。黒く小さな筐体で、一面に液晶画面が張り巡らされているそれは、一般的にスマートフォンやタブレット端末と表現されるものと酷似している


「なんだこれは……携帯なら俺も持ってるぞ?」

「携帯じゃないですよ。そもそもこの"狭界"では電波入りませんから」

「マジ……みたいだな」


 携帯電話を取りだして電波状況を見てみれば、そこには圏外の文字が見えるだけだった。となると、どうやら今から家に電話をかけてケパロスに知らせを入れるのは不可能であるらしい。そんなことを確認していると、音和が筐体の端末をあれこれと操作をして、「見てください」と画面をこちらに向けてくる。

 プロが使う道具であることを考えれば、どんな複雑な物なのかと少し物怖じしながらも覗き込んでみれば……なんてことはない。画面の中央部に二重丸が描かれ、そこを中心として緑色の波が周りに広がっては消え、消えては広がりを繰り返していると言う比較的分かりやすい作りをしていた。


「なんだこの見るからに発信器っぽい物は」

「見たとおり発信器です……咄嗟の判断で正確に狙いを定められたわけじゃないですから、もしかしたら変な物にくっついてるかもしれませんけど……多分、この男についてるハズです」

「マジか。しかし、なんでまた?」


 抜かりない上に様々な手段を体に仕組んでいる音和らしいと言えば音和らしいと言える。至れり尽くせりな手際に、なるほど、八雲からすれば「良い部下」なんだろうなと勝手に納得してしまう。


「あたしなり他の"狩人"なり、いずれ誰かが捕まえに行かなきゃいけないじゃないですか。そのために備えて、咄嗟に仕掛けたんです。"魔物狩り"で支給されてる発信器で、"狭界"内部専用のモードもあるんです。対象が"狭界"外にいたらErrorの文字が出ますから、中にいることは確実みたいです!」

「これはまた便利な……ありがとう、何から何まで本当にかたじけないな」

「いえいえ、これぐらいしかできませんけど……どうか健闘を祈ります」


 音和から端末をもらい、一樹はすぐさま踵を返す。手がかりがここまで近くにある、と言う事実を前にして動かないことなどできなかったのだ。とりあえずは……待合室にいるであろう、七曜を探す。この"狭界"の事を詳しくは知らない一樹だが、しかし自分が来ることができるのであれば七曜もまた内部に入ることはできているはずだろう。人っ子1人いないと言う奇妙な病院の廊下を走りながら待合室まで向かえば、そこには携帯を耳に当てている七曜の背中があった。


「七曜ー!」

「…………」

「……七曜?」


 いくら声をかけても七曜は反応を見せない。携帯電話に電波が届かないため、通話に集中していると言うわけではないと思うが……構わないだろうと一樹は七曜の肩を揺する。びくりと背筋を強ばらせ、七曜はゆっくりと後ろを振り返る。その顔つきに、思わず一樹ははっとしてしまった。


「七曜……?」

「あぁ、一樹か……」


 憤怒の形相に染まっていたのだ。つり上がった目から放たれる眼光は普段の温和さなど感じられない。燃え盛る炎を思わせる苛烈さを感じさせる彼に"温和"と言う言葉は文字通り生温い。険しく引き結ばれた口元は、普段閉じることを知らない饒舌な彼の姿が嘘のように固く閉じられている。七曜らしからぬその相貌は、普段の彼を知る物が見れば腰を抜かす物に違いない。


 ――いや、正確には……


 彼がここまで怒りに身を任せている姿を見て「七曜らしからぬ」と表現するのは一樹からすれば少し語弊があるように感じる。


 ――中二の時だから、3年前、だったか? あの頃のアイツみたいだな。


 なぜなら……一度、それも初めて会ったときに怒りに染まった彼を一樹は見ているからである。


「狭界"の基準からはねられたと思ってたけど、いたんなら良かった……」


 口調こそ普段の彼とそこまで大差はない。しかし、その内容がどこか刺々しい。相手を常に気遣っているような口ぶりではないし、何より言葉の端々からは今にでも思いの丈を爆発させんとする予兆が感じ取れるのだ。


「あぁ、で、"狭界"ってなんだ?」

「僕も詳しく知ってるわけじゃないし、正直詳しい事なんてどうでも良いでしょ? ここに余計な人間はいなくて、ぶっ倒すべき敵がいるだけ。ただそれだけなんだから」

「シンプルな説明だな、分かりやすくて助かるわ……」


 普段の七曜であれば、ここで得意げに解説を入れてくる。しかし、今は説明を放っておくどころかあまつさえどうでも良いとまで口にしているのだ……無駄を省きたがる一樹だが、どうにもそれを相手にやられると調子が狂ってしまう。


「……電話は誰からだった?」

「火蓮ちゃんからだったよ」

「木下か。珍しい。デートの誘いかなんかか?」


 突如、急に七曜は近場にあった壁を殴りつける。当然のことながら、聞いている人間もいなければ咎める人間もいない。しかし、いくら人が見ていないからと言って常識外れな行動をする人間ではないことは一樹もよく知っている。


「んなわけないだろう!? ふざけてるのかい!?」

「いや、そういうわけじゃ……じゃあ、なんだったんだ?」


 七曜がここまで怒りを露わにしているのだ。冗談交じりの事を言った自分に非がないわけではない……が、それにしても彼の怒りは大きすぎるように見える。火蓮から聞いた事でよっぽど怒りを買うような事があったのだろうか……そう考えながら、七曜の言葉を待つ。七曜は荒い息を吐き出しながら、その言葉を言い放った。


「浅葱ちゃんがセキラに攫われたんだ!!」

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