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名もなき物語  作者: 白カギ
《衝突の物語》
49/85

Part.28 "狭界(きょうかい)"

 7月4日 午前10時20分頃


 時間は少し遡る。身支度を終えたサンゴは家を出る前に一樹の部屋の前へと来ていたのだ。ドアをノックし、ガチャリと扉を開ける。


「……イツキ? 帰ってる?」

『まだみたいだな……まったく、あの放蕩息子は』


 部屋の中はもぬけの殻となっていた。眠っているのではないかと危惧していたが、どうやらケパロスが言うとおり、一樹はまだ帰っていないようだった。今日は平日でありもしかしたら学校に行っているのかも知れない……が、普段通学で使っているカバンがそのまま床に放り散らかしている辺りそうではないだろう。


「まったく、パジャマとか脱ぎっぱなしで……本当、だらしないわね」

『その辺に関してのしつけはしてないからな。まぁ、我の場合言わずとも誰かがやってくれたのでやり方が分からないのだが』

「犬らしい……ん?」


 机の上に一枚の写真が置かれていることに気付く。裏返されておかれたその写真をサンゴはふと手に取って覗き込む。


「これは……っ!!」

『どうしたっ!?』

「ごめんなさい、ただの写真よ。小さい頃の写真っぽいわね」


 驚いて声を荒げたが……大した写真ではない。幼き日の一樹と思われる少年が写っている至極平凡な写真だった。どこにでもある……のかサンゴはよく知らないが、恐らく珍しいものではないだろう。写真立ての中にいる自分達と違い、どこか色彩がぼやけて見えるのは古い写真であることの現れだろうか?


『その写真、我も初めて見る。ほう……5年前に会った時のことを思い返させる。この頃は記憶を失って色々大変だったなぁ……』

「やっぱりイツキなのね。面影があってちょっと憎たらしい顔つきだわ……可愛いけど」


 ぼんやりと垂れた瞳と眼光の鋭さはこの頃からだったらしい。しかし、今と比べると小柄で童顔であることもあってどこかマイルドに見えるのだ。どうしてこの可愛さが抜けてしまったのだろうとサンゴは少しだけ残念に思う。


「で、こっちの子は誰かしら?」


 ひとしきり一樹を観察した後、そのとなりに立っている少女の方へとサンゴは目を向ける。胸元に名札がつけられているが……当然、サンゴは読むことができない。


『名前が書いてあるではないか、読んでみろ』

「読めないことぐらい知ってるでしょ!? もう、そんだけ言うんだからアンタは読めるんでしょうね!?」

『どれ、我に貸してみろ』

「え、やっぱり読めるの……」


 犬に知識で負けていると言う事実はどこか悲しいが……しかし、ケパロスは自分よりも遙かに年上なのだ。それに人間道に滞在している期間も大きく異なる……負けても仕方がないのだとなんとか言い聞かせつつも、今度一樹や七曜から聞いてみようかしらとどこかで悔しがりながらケパロスの解読を待つ。


『く、に、しば……ろっかで良いのか? いや、もしかしてりっかと読むのか? まったく、漢字は本当に難しい。なんだ音読み訓読みって。同じ読み方1つだけで良いだろうに……』

「リッカっ!? ええっ、リッカなの!?」


 「それどころか音読み訓読み自体にも複数ある漢字とかふざけているのか!?」と漢字に対する文句をはき続けるケパロスの足下から写真をひったくり、サンゴはその写真をじっくりと見る。確かに、スッとした目鼻立ちや切れ長の目には六花の面影が残っている。しかし、彼女が六花であると言う事をサンゴは信じられなかったのだ。


 ――嘘、これがリッカなの!?


 控えめに視線を投げかける彼女の姿からは、彼女が漂わせていた凛とした雰囲気や周りに与える威圧感など感じられない。自分に自信がなさそうに顔を俯かせた少女と今現在の傍若無人な彼女を想像することはどうしてもできなかったのだ。


「なんであんなことになっちゃったのかしら?」

『ん? よく分からんが、5年もあればヒトは大きく変わるものだぞ?』

「それにしても変わりすぎじゃない?……いや、待って……」


 写真に写る六花の姿にサンゴは少し引っかかるところがある。確信を持っているわけではなく、どこか漠然と感じる奇妙な違和感……言葉にするのも難しいのだが、しかし不思議と"魔人(サンゴ)にとって"馴染みのある状態……


『ほう……この少女、もしや……』

「アンタもそう思う?……もしかして、だけど……」


 突如、ゴゴゴゴゴと地響きがなり響く。不思議と体幹が揺らぐことのない奇妙な地震だったが……揺れている内に、サンゴの体表に感じる"なにか"が増してくる。濃密な"それ"に体が包まれる感覚はサンゴに心地よさを与えてくる。人間道では薄く感じていた"それ"の濃度が上がってきていることを肌で感じながらも、サンゴはケパロスに大声を張り上げる。


「なっ、なにっ!?」

『……やはり、この手で来たか』


 思い当たることがあるのか、ケパロスはどこか楽しそうに呟く。時間にして1分ほどだっただろうか? 耳に響く大地を震える音がようやく止まる。大きな規模の地震であったが、しかしそれにしては物は倒れていない。ただの地震でないことは明白だが、しかしサンゴが地震ではないと思った根拠はそこではない。

 そう、ずっと体中に感じ続けている、ある物の存在……


「なんか魔力が増えてない? 魔界、よりは少ないんだけど、そこによく似た……」

『増えている、が、なんだ"狭界(きょうかい)"は初めてか?』

「きょう、かい……もしかして、"ハザマの世界"のあれ!?」


 サンゴが感じていた通り、やはり大気中に流れる魔力が増えている。ケパロスが口にした単語にに思い当たることはないのだが、昔母親からそんなような単語を聞いたことがある。


『イヌにも』

「……もうツッコまないわ」

『構ワン!』

「……良いから、教えなさいよ! 気になるじゃない!!」


 常にこの調子でイヌネタを挟んでくるケパロスに辟易する。根がまじめであることもあってどうにもそう言う会話は調子が狂ってしまうのだ。"狭界"のことを聞きたいのに中々聞かせてくれないことにイライラが募ってくる。


『そう睨むな……六道と魔界の間にはそれぞれスキマの空間……通称"ハザマの世界"があるのは、魔人なら知っておろう?』

「そのぐらいなら……それぞれの世界を断絶している世界よね? 普通の手段では決して入ることのできない空間、それが"ハザマの世界"でしょ?」

『イヌにも……では"狭界"とはなにか? "狭界"とは、術者が指定した範囲の内にある物のうち、ある条件を満たす物だけをコピーした上で、"ハザマの世界"へと送る魔術のことだ』

「へ、へぇ……難しいけど、"狭界"ってのは魔術で、"ハザマの世界"ってのが空間を指すってことで良いかしら?」


 サンゴは座学に関してはあまり得意ではない。魔術の知識も彼女はあまり知らないし、そしてこういう原理を聞くと……反射的に眠くなるタチであるのだ。


『問題ない……で、話を戻すが"狭界"でコピーされる物は大きく分けて3つだな。1つは無機物や地盤。要するに、今回の場合"ハザマの世界"に運ばれてきた範囲の地形などはそのまま、ということだな』

「……後2つは?」

『1つが我々魔人や超能力者だな……理由に思い当たる物はあるか?』

「さぁ? なんで魔人と超能力者が同じカテゴリーみたいに言われてるの?」

『やはり知らんか……混乱させるのもあれだし、詳しい説明は省こうか。第一周期のことぐらい、少しは知っておけよ』


 第一周期という単語に聞き覚えはあるが、サンゴもあまり詳しいことは知らない。だが、今大事なことはそこではない。自分の無知がなおさら恥ずかしくなるが、サンゴはケパロスに生返事をして続きを促す。


『もう1つが術者が定めた一定以上の魔力を持つヒトと動物だな。今回の場合だと、協力者の存在を加味すれば……一樹クラスの魔力を持ってさえすれば入れるだろう。もしかしたら一樹は除かれているかもしれんがな』

「なんで魔力量なの?」

『では逆に、一定未満の魔力しか持たない人の場合どうなるか。結論から言えば、コピーされずここに運ばれては来ない』

「えっ、どういうこと? その人達はどこに行っちゃうわけ?」

『最初にも言ったが、"狭界"とはある範囲を"コピーして"から"ハザマの世界"へと送る魔術だ。あくまでコピーをしたものを貼り付けているだけであり、元の地形は変わらず人間道の同じ場所同じ座標に存在しているよ』

「そう言うこと……。で、そのコピーの条件に満たされない人達が消えるとかそういうわけじゃなくて、なにもなかったかのように普通の生活を送っているわけね?」

『そうなる……それでは、魔力量が一定以上の人はどうなるか? 魔力の大部分がコピーされてこちらの"ハザマの世界"へと連れてこられるわけだが、その際三大魔術の内の1つ、"転換の魔術"が自動で使われるのだ』

「三大魔術って、もしかして"武器出し"や"翻訳"と並んでるアレのこと?」

『イヌにも。時代の違いか? 我の頃は"装備の魔術"が一般的だったがな?』


 "武器出し"は自分の得物を好きなときに出せるという魔術であり、"翻訳"は異界の人間達でも交流を図ることのできる魔術のことだ。どちらも何故使えるのか、と言う事は魔界でも深く研究されていないが、特に困ることもないのであまり研究も進んでいないと言う魔術である。

 しかし、サンゴは三大魔術の最後の1つ……"転換"については本当に名前しか聞いたことがなかった。どういう物なのか、まったくもって分からない。


『話を戻せば、"転換"の魔術により、魔力量が一定以上の人はごく少量の魔力とその体が取り残され、"ハザマの世界"へとコピーされる。その少量の魔力と体はそのまま元の世界での代替品となるわけだな』

「代替品……? でも、その代替品に意思はあるの?」

『正直な所、魔人はこの"転換"が使われないから知らん……おそらくだが、少量の魔力だけになる以上、ないだろうな。ただそこにいて、帳尻を合わせるだけの存在となるのだろうよ……"神"の施したシステムと考えれば良いのではないか?』

「"神"って、第一周期にいたとされている?」

『イヌにも……まぁ、第一周期のことなど我も人並みにしか知らんがな』


 ケパロスは一樹の机の上へと飛び上がり、サンゴと目線を揃える。犬でしょと突っ込もうかと思ったが、会話の文脈から言えば人で良いのではないかとどうでも良いことを考えてしまう。


『"狭界"自体魔人しか使えない高度な魔術な上に、術式の中にも何故含まれているか分かっていない部分も多い……話を戻すが、この"狭界"にコピーされた物にダメージを与えると、"狭界"が解かれて合一化された際にその物にもダメージが行くと言うこと。要するに、例えば今ここでこの机を壊していけば、"狭界"が解かれてコピー元と一緒になった際にも机は壊れたまま、となるな』

「それって、元より生身のあたし達魔人や超能力者は元より、コピーされてこっちに来た一樹や七曜たち人間も、ってこと?」

『イヌにも……ここで死ねば、元に戻った瞬間変死体として扱われる。ここにいる限り動くことはできるため、この"狭界"を用いて物色はできても諜報や暗殺が容易にできるわけではないのだがな。いくらコピーされた世界であろうと、受けるダメージ自体は現実と言う事だけは頭に入れておけよ』

「肝に銘じておくわ……それで、この"狭界"は脱獄囚達がやったと見て良いのかしら?」

『"狭界"を張ることができるのは魔界の生物のみだ。我でもお前さんでもなければそうであろうな……"狭界"によってコピーされた物はこの"ハザマの世界"から出ることはできないし、逆にコピーされていない物は"ハザマの世界"に入り込める訳ではない。先も話したが、"魔物狩り"を恐れた彼らの最終手段だと考えて相違あるまいて』

「そうなるわよね……だったら、結局やることは変わらないわね?」

『うむ……人目を気にせず戦闘ができる分思う存分闘う事ができる。物を壊すと色々面倒くさくなるから、それだけは避けてほしいがな』

「できる範囲で頑張るわ。さて、と」


 出る間際にもう一度一樹と六花が写った写真を見る。この頃から落ち着いた雰囲気を出している一樹と、弱々しい笑みを浮かべる彼女。しかし2人の雰囲気は決して悪いものではない。すぐ隣にある自分と一樹が写った写真と同様、この写真はある一瞬を切り取った紛れもない事実なのだ。

 そしてその事実から予測できるとある"事実"……"狭界"の発生で聞きそびれてしまったが、先程サンゴが六花に対して感じたその"事実"が正しければ、彼女の境遇がうっすらと見えてくる。魔界でも非道な行いのハズだが、人間道で"そうなっている"と言う事実はなおさら彼女に同情の心が沸いてくる。六花がどういう思いで動いているのか、元から謎が多い彼女の真意がサンゴはなおさら分からなくなってくる。


 ――でも、今リッカが敵として動いているのは事実、でしょ?


 だが、だからと言ってサンゴは六花に対して慈悲の心が沸くのかと言えばそういうわけではない。


 良いことは良い。

 悪いことは悪い。


 かつて母親から教わった事の根幹にあったのはそこなのだ。その基準はあくまで自分の判断なのだが、しかし自分が動くという以上自分を信じるしかないとサンゴは割り切っている。


 だからこそ、サンゴは割り切ってケパロスに告げる。


「リッカの所から攻めるわよ!! さぁ、案内しなさい!!」

『任せておけ』


 一種の覚悟を決めたサンゴに微笑むように、ケパロスは意気揚々と言葉を返す。振り返ることなく、一樹の部屋を後にして、サンゴは烏飼家を飛び出した。

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