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名もなき物語  作者: 白カギ
《衝突の物語》
46/85

Part.25 準備

 7月4日 午前9時頃


 ぐっすりと眠っていたサンゴは、顔の辺りをくすぐる生暖かい感触に目が覚める。どこか湿っぽい奇妙な感触だったがなんなのだろう……不思議に思って目を開けてみれば、自分の上に乗り、ペロペロと自分の顔を舐めていたケパロスの姿が。


「…………」

『わん!』


 なるほど、犬が主人を起こす時にこういう方法を取る、と言うのをサンゴは知っていたし、ちょっと憧れる所があった。それは事実である。

 てっきり、親愛の気持ちで舐め回すのだとばかり思っていたが、どうしてこうも不快な気持ちが胸の奥底から沸き起こるのだろうか?


「ケ、パ、ロ、ス……っ?」

『…………わん、わんっ!!』


 なるほど、ハァハァと荒い息をしながら尻尾を振るう犬の姿は可愛い。子犬であればなおさらであろう。それは認める。

 てっきり、純粋無垢な気持ちで飼い主を起こそうとはしゃいでいるのだとばかり思っていたが、どうしてこの犬からは何かを誤魔化しているようなぎこちなさがあるのだろうか?


「なにしてんのよっ!! この変態っ!!」

『いや、この姿なら許されるかと痛い痛いっ、死ぬ死ぬっ!!』


 飛び起きてケパロスの首根っこを掴みかかるサンゴ。気味の悪い感覚の正体に気付いて本当に嫌だったのだろう、締め殺さんと歯を噛みしめるその姿は目の前の(ケパロス)よりも犬らしかった。


「確かに犬なら可愛いわよっ!! でも、アンタただの犬じゃないでしょ、魔獣でしょ!?」

『じっ、実際の犬だってこういう疚しい気持ちがあるかもしれないじゃないか?』

「残念、お母さんから聞いたことがあるけど、親愛の情を表すときに口元を舐めるって言う習性からくる行動だそうよ!!」

『分かった!! 我が全面的に悪いからこの手を離してくれぇっ!!』


 ケパロスの絶叫が寝起きの頭に響き渡り、サンゴはなおさら機嫌が悪くなる。締め上げていた手を離し、顔を触ってみればベトベトとしたよだれの感触……とりあえず処理せねばとベッドから跳ね上がり、洗面所へと向かう。


 ――アイツは帰ったかしら……言いたいこと、色々あるんだけど。


 一樹の部屋の前を通ったとき、サンゴはふと足を止める。


 昨晩、サンゴが見たある光景……あの光景を見て、サンゴは色々と考え直す事ができたのだ。あの時見た"アレ"を思い返すと……胸の内から嬉しさと涙が同時に込み上げてくる。頬が熱くなったサンゴは「どうせ寝てるでしょ……」とそっぽを向いて、一樹の部屋の前を通り過ぎる。

 唾液塗れの自分なんて見て欲しくない、と言う思いを少しだけ秘めながら、静かに階段を下りていく。


 階段を下り、洗面所にてサンゴは顔を洗い始める。歯を磨き始めた時に、ケパロスが足下に来た。昨晩裏道を駆け回っていた機動力とは思えない遅さだが、やはり階段の上り下りには時間がかかるようだった。


『なんだ、洗ってしまったか。我からの"親愛"を無碍にしおって』

「いらないから拭いたんじゃない!! もう、次やったら魔力全部没収してそのまま締め落とすからね?」

『ほう、面白い。ならば、我も本気を出して抵抗しよう』

「魔獣の癖になにを粋がってんのよ。あたしを嘗めてると痛い目見るわよ?」

『そのセリフはそっくりそのままお返ししよう。まぁ、なんだ。先の行動はなにもやましい気持ちだけで行ったわけではないぞ』

「……本当に? なんか意味あるの?」


 そのまま身だしなみを整えるかとサンゴは髪を梳かし始める。ポニーテールというシンプルな髪型だが、そこはサンゴも女の子。母親が身なりだけはきちっとしなさいと煩かったことも手伝い、ある程度見た目は意識している。腰程までに届く髪の毛をブラシで撫でつけながら、ケパロスの話を促す。


『ライターの匂いは追えそうだと教えてやろう、時間も時間だしそろそろ起こしておく方が無難であろう、ついでに犬らしく舐めてみよう、一樹の前に味見をしてやろう、なんならそのまま我の虜にさせてやろう、そして今日辺り警戒しておいた方が良いだろうと伝えたい程度の魂胆でだな……』

「半分がやましさでできてるじゃない!! なによ、イツキの前に味見しておくって!!」

『フハハ、そのままの意味だ!』

「まったく、本当アンタ達は……」


 どうしてこう言う話題を平然と突っ込んでくるのだろう。一々調子を崩してくる話し方にいらつきは覚えるが、一樹との会話を彷彿とさせるその喋り方に、サンゴは怒りよりも寂しさを覚えてしまう。昨日の"アレ"の事もあり、一樹に会いたいと言う思いは更に強くなっている。会いたくない、恐いと言う気持ちが全くないわけではない。しかし、今はそれを上回るほどの思いがサンゴの胸の内を締めているのだ。黙々と髪の毛を整えながら昨日の会話や……それ以前、何度もしてきた平凡な会話を思い返し、その気分は徐々に萎んでいく。


 ――また、戻れるのかな……?

『なに、また取り戻せば良かろうて。昨日も言ったであろう』


 低くしたマジメな声に、サンゴはドキッとして髪を梳く手を止める。年を経たからこそ得られる渋みを放ちながらサンゴの方を見つめるケパロスの眼光は、自分の考えをすべて見透かしているかのような鋭さと同時に……見透かした上で励まそうとしている暖かさがある。その気持ちは嬉しいのだが、素直に口にするのはどこか癪に障ってしまう。手を動かし始めながら、横目でケパロスに意地の悪い言葉を吐いた。


「……本当、どうしてアンタってそこまで人の心読めるの? そう言う能力持ってるとか?」

『能力ではない、ただの技術だ。伊達に年は食っておらんし、他者の恋愛事情など犬も食わぬて……お、我上手いこと言ったのではないか?』

「別にそこまで上手くないわっ!!……で、警戒ってなんの?」

『言うまでもない、脱獄囚達の事だ。近い内にヤツらは攻めてくるだろう』


 ケパロスの方を見れば神妙な顔つき(に見える)をしてサンゴの方をじっと見つめている。どうにも、これは本気で聞いた方が良いのであろう……いつものポニーテールを結びながらサンゴは意識をケパロスへと向ける。


「攻めてくる、ってなんで? 直接的な動きがあったとか?」


 寝起きで頭がぼんやりしている事を差し引いても、サンゴはあれこれと落ち着いて物を考えるのが苦手なタイプである。戦闘中など動いているときは頭がスッキリして相手の観察などができるのだが、逆に動いていないときはその注意力も散漫してしまう。それを自覚しているため、今のように聞いた情報をただ分析することに自分が向いていないことはわかりきっているのだ。ケパロスが言う理由にまったく心当たりがないのにちょっと悔しさを覚えるが、ここは素直にケパロスに質問をする。


『そういうわけではない。ヤツらが喜多村音和を襲撃した事を考えればヤツらが仕掛けてくるのも遠くないだろう、と考えただけだ』

「喜多村……ってオトワのこと? そう言えば、アイツどうなったのかしら?」

『あぁ、七曜が病院に電話をしていたし、心配することはないぞ』

「そう……なら、良かったわ」

『良かったとは予想外だな。曲がりなりにも殺されかけた相手であろう?』

「そりゃ、そうだけど……でも、向こうにもなにか事情があるんでしょ? 未だに思い出すだけでゾクって来るし、できれば会いたくはないけど……死なれるのはなんか嫌。ただ、それだけよ」


 魔力の強さがすべての魔界である。魔力によるヒエラルキーは現在の魔統帥、アナンタが即位した際に撤廃された物のそれはつい最近のこと。未だに武力や魔力を行使する輩は多いため、魔界にいると人間道の日本ほど平和的な考えは持てない。そのため、殺らなきゃ殺られるなら仕方がないと言う考えが主流であり、ほんの3年ほど前までサンゴもまたそう思っていた……しかし、母親の死を直視して以来、どうしても人の死に抵抗を覚えるようになっている。


 ――なにより、向こうだけが悪い訳じゃないわよね


 殺気だった音和が迫ってきたとき、自身もまた殺気を以て抵抗していたのは事実である。殺気に殺気で返せば、それはお返しと言えるだろう……と、一晩寝て頭を整理できたサンゴは考えている。


『そうか……話を戻すが、音和を襲い、そしてお前さんに会合を見られてしまった。ここまでしてしまえば、本腰を挙げて検挙に乗り出してくると向こうは考えるだろう?』

「そうね。第二第三のオトワを出さないためにも、一刻も早くアイツらを探さなきゃ、って思ってるわ」

『あんなのが2人も3人もいたら魔人は刈り尽くされるからごめん被りたいな』

「そう言う意味じゃないわよ!!……まー、否定はしないけどね。で、こっちは確かにより本気を出すわね」


 実際、サンゴのこれからの予定は六花を強襲することにある。謎の男と六花から逃げる中、机に足をぶつけて六花が落としたライターをくすねていたのだ。先程ケパロスが「匂いを追える」と言っていたのはこのことであり、サンゴの指針は既にその方向性で固まっている。


「でも、相手にいるのは強いのか弱いのか分からないけど人間道で確実に協力をしているリッカと男でしょ? それに加えて脱獄囚の"狂乱索餌"ことムラサメと、その従者セキラよ? アンタもその2人のことぐらい知ってるでしょ?」

『知っているが、それならどうなのだ?』

「だから、それだけ戦力が充実してるわけじゃない? オトワをどうして襲ったのかは分かんないけど、そんな無理に慌てる必要性は薄いんじゃないかしら?」

『言い分に一理はある。だが、音和のことを……具体的には、職業を鑑みるとどうなる?』

「"魔物狩り"だっけ? でも、それがどうしたの?」


 言われてもサンゴにはピンと来ない。首を傾げてケパロスに向き直ると、意外にもどこか楽しそうに口を開くケパロスの姿があった。ヒトに説明することが好きなのだろうか?


『ご存じの通り、"魔物狩り"だな。"魔物狩り"と魔界は連絡を取り合っており、本来であれば脱獄囚が出た場合魔界は"魔物狩り"に連絡を入れる。だが、今回に関しては"魔物狩り"の"狩人"が1人も来ない辺り何故か連絡をしていないようだな。恐らく一樹は八雲や……恐らく永江には知らせたのであろうが、あの2人は一樹のためにと情報をあえて握りつぶしているに違いない』

「待って、ハルエって誰なの?」


 そう言えば昨日もそんな名前を聞いた覚えがあるような……とサンゴは口を挟む。ケパロスは「うーむ」と一瞬首を傾け、


『イツキの後見人みたいな物だ。で、話を戻すが脱獄囚共の事は伝わらずとも、今回音和が襲われたと言う知らせは"魔物狩り"に間違いなく届く。魔界側がどんな思惑があって握りつぶしているのかは知らんが、』

「それは……つまり、"魔物狩り"が動き出すとでも言いたいの?」

『イヌにも……』


 神妙な顔をして頷くケパロス。肯定されていることは雰囲気から分かったが、一瞬なにを言われたのか本気でサンゴは分からなかったのだ。


「……如何にもって言いたいわけ?」

『イヌにも……イカって別の漢字で烏賊だぞ!? 烏が入っていて、一樹を連想させるじゃないか!!』

「カンジってなに? 人間道の言語なの?」

『漢字も知らぬか!!……まぁ良い。ともかく、いくら悪名高きムラサメ小僧であろうと数には勝てんだろうと言いたいのだ』


 下手に突っ込んだネタに反論されて調子を崩すケパロス。人の心情を読み取りやすい以上、会話の主導権を握りたがるのであろうが逆にそのリズムを崩されると余計にうろたえるのであろう。良い気味ねとサンゴの口角が上がる。


「そうかもしれないわね。そもそも逮捕されてる時って拘束具付けられてて……あれ!?」


 今更ながらも疑問に思う。サンゴが言ったように、囚人達は拘束具に魔力を吸収されている。ムラサメ達はその拘束具から抜け出し、そして人間道に来る際にも魔力を消費している。更にサンゴ自身実感していることだが、人間道では大気に流れる魔力が少なく、魔力の回復が遅い。そのため、今現在でもムラサメやセキラは魔界にいた全盛期ほどの力を出すことはできないはずだ。サンゴと違い、彼らは魔力を徐々に回復しているはずだから潜伏期間が長くなればなるほど魔力を取り戻していく。それは別に疑問に思うことではない。

 問題はもう1人の脱獄囚、ヴァンのことである。ムラサメやセキラのネームバリューが大きい反面、ヴァンの名前は無名であり、サンゴも彼の名前を脱獄囚のリストで見たのが初めてであった。そのため彼がどういう魔人なのかをまったく知らないのだが……無名の彼が、そこまで多くの魔力を持っていたとは考えづらい。にも関わらず、先日闘ったヴァンの魔力は衰えた魔人のそれではなかった。ヴァンの回復量が異常に高いとしても、1日で七曜とサンゴを退け、更に一樹相手に善戦する程まで魔力が回復するとは考えづらい。


 ――じゃあ、なんでアイツはあんなに闘えたのかしら?

『どうかしたのか?』

「いや……まぁ、今はどうでも良い事ね」

『そうか? 話を戻すが、ムラサメ坊主やセキラの魔力は魔界と比べて半分から7、8割程度であろう。この程度の魔力なら、"微笑(びしょう)氷狼(ひょうろう)"クラスでなくとも八雲ですら仕留められるはずだ』

「びしょ……なんて?」

『"魔物狩り"にいる最強クラスの狩人のことだ。あまり気にするな』


 八雲に関しては一樹から何度か名前を聞いている。しかし、"微笑の氷狼"と言う聞き慣れない単語にサンゴは首を傾げるが、ケパロスはその疑問を一蹴して話を続ける。


『と、脱線したが要するに相手からすれば"魔物狩り"に知られたらその段階で詰みであり、そして知られる確率が現在とても高まっていると言う事だ。ここまでは良いか?』

「えぇ……なんとなく分かってきたわ」


 鏡を見て自分の身だしなみを確認し、「今日も良いわね」と内心で満足しながらサンゴはケパロスに向き直る。


「相手としては、増援が来る前に一刻も早く目的を果たしたい……そういうわけね?」

『イヌにも。故に、恐らく向こうも目的を果たすために今日辺り仕掛けてくるはずだ……まぁ、我はのんびりと見ていることにするよ』

「えっ? 手伝ってくれないの!?」


 正直な所、サンゴはケパロスを貴重な戦力としてカウントしていた。実際にどれくらい強いのかは分からないが、魔獣である以上持ち前の爪やキバだけでなくなんらかの魔術を使えるだろう。一樹が動いてくれるかが分からないと言う事もあり、できれば手伝って欲しいと思っていたのだが……そんなサンゴの意中を察することなく、ケパロスは首を横に振る。


『我にも色々事情がある……一樹が記憶喪失を口外したくないのと同様、我の正体もなるべく秘密にしておきたいのだ』

「そう言えばアンタ、何者なの? ただの魔獣じゃないわよね?」

『さぁな。心当たりがないならないでそれで良いが、歴史の勉強ぐらいしたほうが良いぞ』


 意地悪くはぐらかすケパロスにサンゴは頬を膨らませる。


「うっ、うるさいっ!!……どうせ無知なお子様ですよっ!」

『(……まぁ、そんなことも言っていられない事態が近づく気はするがな……)』

「えっ?」

『年寄りの戯れ言だ、気にするな』


 そう言うとケパロスは洗面所に背中を向ける。「流石に起きてるんじゃないかしら?」と最後に一樹の所に行こうとしたサンゴは、窓の外に降りしきる雨を見てげんなりしてしまう。


『今日も雨だな。しかし、向こうは天候など気にしてもいられまい』

「そうね……こっちも気にしてられないわ」

『違いないな』

「だから手伝ってくれないかしら? そうよ、ネコの手も借りたい状況なの!!」

『我はイヌだ……しかし良いな、その洒落』

「かっ、感心してるんじゃないわよ!!」


 ふと思いついたことを小さく呟いただけなのだが、何故か聞き取られてしまった。どうして烏飼家に住まう者達はこうも耳聡いのだろうか。

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