Part.21 遭遇
7月4日 0時頃 日浪市某所
空に垂れ込んだ暗雲は日浪市中に等しく雨を降らせ続ける。それは人目から離れるかのように立地されている烏飼家とて例外ではない。絶え間なく降り注ぐ雨音に紛れて、しゃりっ、しゃりっと敷き詰められた岩を踏む音が聞こえる。
――電気は、着いてるわね……。
傘も差さず、ハァハァと息を荒くしながら音の主は辺りをキョロキョロと見回す……と事実をただ列挙するだけだとストーカーの類だと思われるかもしれない。しかし、その少女、サンゴが行っている行動はむしろ追跡されていないかを確認しての行動なのだ。
六花と思しき少女と謎の男との会合を覗き見して逃げ出した後、サンゴは真っ先に烏飼家に向かった……わけではなく、日浪市中をあちこち駆け回っていた。どこをどう走ったのかはよく覚えていない。自分の体調が万全ではないこと、そして相手が2人がかりでその上実力も未知数という圧倒的不利な状況から、なんとしてでも追っ手を撒かなければとかれこれ30分近く逃げていたのだ。常人離れした持久力を見せながら雨の中を疾走する少女を周りがどう思って見ていたのかは知らないが、当の本人は必死であった。
そして、彼女を追ってくる気配がまったく感じられないこともあり、サンゴは撒いたと判断。気を緩めることなく、烏飼家への帰路を辿り、無事ここまで辿り着いたのだった。
「くしゅんっ!」
くしゃみを漏らしながらサンゴは踵を返し、烏飼家の扉の前に立つ。蝶番がついている、押せば開くありきたりな玄関。子どもの力でも開けられる決して重くはない扉が、しかし今のサンゴには重く分厚い鉄板のように映っているのだ。1日中動き回った倦怠感に襲われていたサンゴだが、その扉の前に立ったとき、緊張のあまり疲れが吹き飛び、鼓動の動きが早くなった。
――……アイツ、起きてるわよね?
既にサンゴの体内時計は狂っている。既に深夜2時ぐらいだと錯覚していたため、"彼"は既に眠っており、こっそりと家に忍び込んで玄関ぐらいで寝させてもらえれば……と言う"彼"と向き合わないで済ませる作戦は打ち砕かれてしまう。
――……どうしよ……なんて、謝れば良いの?
ぶるぶると体が震えるのは、雨と汗で体中が濡れているからだけではない。"彼"に出会う怖さ、そして自分から離れた癖にぬけぬけと帰ってくる自分の不甲斐なさがサンゴの小さな体にのし掛かっているのだ。のし掛かった重圧は、普段であれば安易に伸びる手の挙動にすら影響する。扉に手をかけた瞬間、サンゴは手を引っ込めてしまう。
――やっぱり、やめとく? いやっ!!
いっそ目を逸らしてしまおうか? そう思うサンゴだが、即座に首を振る。ここ以外に行く当てなどサンゴはない。そして……ここで謝らなかったら、恐らく自分はずっと後悔してしまうはずだ。
――あっ、開けるわよ!?
「イツキ? いるの?」
心の中で再三言い聞かせ、サンゴはついに扉を開ける……。
今にも消え入りそうな声と共に、恐る恐る烏飼家へと入ったサンゴは玄関に並ぶ靴が少ないことに気付く。
――あれ、留守なの?
通学にも使っている黒色の少し汚れたスニーカー……要するに、一樹の靴がなかったのだ。一樹と対面せずにすむと知ってどこかホッとする自分に嫌悪感を抱く。
――どうしよう?
こっそり間借りしようと考えていたものの、実際に世帯主のいない家に入るのはどこか気が引けてしまう。傘だけ拝借して一樹を探しに行こうかなと傘立てに目をやると、
『むっ? 帰ったのか?』
突如、聞こえてきた声に背筋が強ばる。一樹が来たのではないかと身構えたのだが、しかし冷静に聞いてみれば彼の声とはまるで違う。バリトンと表現されるよく通る声と尊大な口ぶりは一樹の物とはほど遠いのだ。
『和室付近が壊れているのは何事だ? どうせ誰も来ないとは言え、雨の中剥き出しにしたままというのはいかがな物かと……』
聞き慣れない声に泥棒か何かかと勘ぐるが、しかしその声色は警戒とは無縁な、むしろ逆に安心して緩みきった緊張感のない声である。まるでこの家にいることが当たり前であるかのようなフランクな声だった。
――誰なのっ!? えっと、この場合撃退しても良いのかしら!?
【アプソル】を召喚し、相手を仕留めるか? 得体の知れない声にサンゴは警戒心を高める。しかし、それを人間道で安易に行っても良いものか……傘立ての方を眺めながら、どう動くかで頭を悩ませている内に、声は徐々に距離を近づけていく。
『いや、それは別に良いのだ。どちらかと言えば我の話を聞いて……むむっ!?』
急に荒げられた声に、サンゴは声のする方をハッと見る。しかし、サンゴは声の主がどこにも見えなかったのだ。声は聞こえる。しかし、バリトンの声が似合うような高身長でガタイが良い男の姿はどこにもない……だが、声はすぐ近くから声の主はこちらに気付いた様子に関わらずサンゴはその姿を確認することができなかったのだ。
『しまった、一樹じゃなかったのかっ!! まぁ、仕方ない』
気のせいかその声が自分の真下から聞こえてくる。不思議に思って視線を下げてみれば……そこには銀色の毛並みが美しい子犬がいるではないか。どこか凛々しい顔つきで、どこか気品溢れる子犬だったが……サンゴはこの子犬にとても見覚えがある。
「ケパロスっ!? えっ、アンタが喋ってるの!?」
『然り。先程は雨の中連れ回して悪かったな……あー、名前はなんと言ったか?』
そう、先ほど雨の中でも出会い、音和の元へと案内してくれた……ケパロスの小さな姿だった。
***
0時20分頃 日浪市 某所
――……あれ? 誰か来る?
魔力の集中点へと向かう道すがら、七曜は前から人影が歩いてくるのが目に止まる。日付を跨いだとは言え、この時間帯であれば通行人が道を歩いていることは決しておかしいことではない。しかし、今から七曜が行こうとしている場所が人里離れた工場跡地……サンゴと一樹が初めて出会った場所……であることを思えば、七曜にはどうしても不思議に思えてしまうのだ。不良達が行方不明になり、そして一樹がサンゴ、ヴァンと戦闘を繰り広げても誰も気付いていない程に、工場跡地は人目につかない場所である。そんな場所から歩いてくるその人影は、線の細さからも女性のように見受けられてますます七曜は疑問に思う。
――なんだろう? 不良とは思えないんだけど……
工場跡地を根城にするのは日浪市で暴れ回っている高校生達である。しかし、目の前の女性が纏う雰囲気は彼らのような粗暴さや品のなさなど感じられない。そもそも、そう言う人種は中々一人で行動などしないものだ。多くの仲間を引き連れて数の利を作り、威圧感をばらまくことで初めて動くことができる。しかし、この女性はそんな不良達とは正反対に見えるのだ。たった1人ながらも、どこか張り詰めた空気を放ちながらその女性はしずしずと雨の中を歩いている。
もしかして警察が見回りでもしているのだろうか? よほどあり得ない話ではあると思うが可能性としてゼロではない……補導されたら厄介だ。どうやって言い訳をしようかと考えながらも、とりあえず機先を打っておくことに越したことはない。
「こんばんはー……?」
スラリとしたその姿がどうしても同年齢には見えず、恐る恐るながらも声をかけたが……はたして、傘を少し上げたその顔は七曜にも見覚えがあった。傘の下から覗く冷ややかな視線に驚きが含まれていたがそれも一瞬。すぐに視線の温度は下がり、その人物は口を開いた。
「……なんだ、後藤か?」
「えっ、六花さん……?」
電気が切れかけている街灯に照らされたその姿には覚えがある。転校初日に並外れたインパクトを自分達に植え付けた転校生、国柴六花の姿だった。学校の制服ではなく、黒を基調とした落ち着いたジャージに身を包んだその姿はどこか新鮮で、横雨に吹かれたのか少し濡れている。いつもであれば色っぽさに心を打たれる七曜だが、しかし今この場に限っては、と言うよりは"出会った人物が人物だけに"そんな感想よりも疑問の方が先に沸き起こる。
――なんで、こんな所にいるんだ?
「奇遇だね。こんな場所でどうかしたの?」
「別にお前に言う必要もないだろう……じゃあな」
どこか疲れている様子で言葉を吐き出しながら、六花は立ち去ろうとする。あまりにも自然に話をぶった切り、そのまま帰ろうとする六花に七曜は一瞬反応が遅れてしまったが、すぐさま我に返って「待って!」と声を張り上げる。
「夜にこんな所歩くなんて危ないよ? なんなら送っていっても……」
「結構。これでも危険には慣れている」
「そんなこと言っても、最近物騒だし……」
「くどいっ!」
思わぬ大声に七曜はビクッと身をこわばらせる。
いや、大声だけではない。六花は足を止め、振り返りざまに七曜のこめかみへと足を振りかざしたのだ。回し蹴りの要領で突き付けられたつま先に七曜は反射的に身を引くと共に、六花の放つ迫力に圧されてしまう。
彼女から感じ取れるのは絶対の拒絶と嫌悪感。
「私に構うなと言っているだろう? 何度言えば分かる?」
つま先越しに六花の声が届く。まっすぐに伸ばした足を突き付けながら彼女の体は微動だにしない。恐るべき体幹を感じさせながらも、しかし七曜はそれ以外のある事に気付いていたのだ。
――今、魔力を使おうとした!?
魔人ほど鋭敏な感覚を持っている訳ではないが、昔から魔術を使っているだけあって並の人間以上に七曜は魔力に敏感である。その七曜が感じ取れる程の魔力を一瞬放出したように感じたのだ。ただの威嚇だったのか、実際に魔術を使った様子はない。しかし、今もし本当に魔術を使っていたのであれば間違いなく七曜は一撃を取られていた。
「……ごめん。でも、君はいったい……」
何者なんだい? と続く言葉が七曜は出せない。質問を先読みしたのか、六花の見せた肉食獣を思わせる鋭い眼光に黙殺されてしまったのだ。
向けられたつま先が弾の籠もった銃口のように思える。引き金に手をかけて脅迫されているかのような錯覚を受け、七曜は嫌な汗が噴き出すのを感じる。
「……ふん」
七曜の反応に満足したのか、鼻を鳴らして六花は足を下ろす。放り投げた傘を拾い上げて背中を向けたとき、彼女はポツリと声を漏らした。
「……に集る、……が」
「えっ?」
雨の音に混じって彼女が何を口走ったのかは分からない。だが、その声に込められた怨嗟の情は明らかに自分に向けられていた。思わず聞き返した七曜に、六花は返事の代わりに舌打ちを見せる。
「なんでもない……」
小さく残して六花は立ち去っていく。
――……六花さん? 本当、君はなんなんだい?
雨が降る闇の中へと消えていく六花を見送りながら、七曜の胸中には疑念がただただ渦巻いていく。
――……いや、今は彼女にかまけてる暇はない。僕にできることを、しなきゃ!!
首をぶんぶんと振り、意識を改める。与えられた仕事をして、少しでも役に立たなければと六花への疑念を払いのけ、七曜は工場跡地へと向かっていく。




