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名もなき物語  作者: 白カギ
《衝突の物語》
40/85

Part.19 暗影

 7月3日 11時30分頃 日浪市某所


 ――思わず追いかけたはいいけど、どうしよう?


 夕方に六花を追いかけた時とは違い、今回の道は一本道である。雨に濡れることを厭わずにただ走り続けたサンゴは、やがて人影の背中を見つける事ができた。距離を詰めて押さえ込むかと一瞬考えたが、体躯の差と雨に濡れて万全とは言えない現状では押さえられる公算はかなり低い。


 ――そもそも、あたしに気付いてるのかしら?


 そして、女の走り方はどうにも逃走しているようには見えない。髪が濡れないように頭を押さえて走っている姿は、自分から逃げていると言うよりは一目散に家に向かっているだけのように感じられて……確証は持てないが、大きな雨音が足音を隠し、そして女がこっちを一切省みない様子からそうなのではないかと思えてくる。ならば、不意打ちに【アプソル】から"軌槍(トラック)"を発動させて後ろから貫くのもありなのではないかと思った瞬間、その女性は曲がり角でカクンと曲がる。


 ――あっ、待ちなさいっ!!


 続いて曲がったサンゴが目にしたのは寂れた2階建ての家だった。所々に穴が空いており、多くの窓ガラスが割れている。人がいなくなって長いこと経っていることが一目で分かる酷い有様の家屋だが、その扉が閉まるのをサンゴは目にする。


 ――ここに逃げた……のでしょうね? どうする、すぐに追いかける?


 塀の影に隠れて家の方を伺いながらサンゴは算段を立てる。恐らく、あの家は敵の本拠地なのだろう。敵に待ち伏せされている可能性もあるし、そうでなくても古い家だ。床を踏めば音が軋むであろうし、距離を取らないと言うのは危険極まりない。雨に濡れるのは嫌だが、少し待つかとサンゴは建物全体を伺う事に専念する。


 ――あれ、灯り……?


 2階の窓には仄かな光がガラス越しに見える。人間道に広がる"電気"ほどの明るさではなく(サンゴの知ったことではないが、そもそもこの廃屋に電気など流れていないだろう)、魔界でもよく見かける蝋燭のような小さな灯りだ。雨が降る深夜の時間帯だからこそ気付くような、ほんのささやかな炎の灯り……女性が入ってからそこまで時間は経っていない。既にここに誰かがいるということなのだろうか?


 ――とりあえず、あそこに行ってみましょうか……?


 もう少し、ここで待ったら、とりあえずあそこを目指してみよう……そう思ってサンゴはじっと家を睨み付けた。


 ***


「音和ちゃん? 音和ちゃん!」

 ――体内に魔力なし、っと。


 1人残されてやや困惑気味ながらも、行動自体は比較的冷静に七曜は音和の容態を確認している。声をかけて意識を確認すると同時に、魔眼を発動させて音和の体をくまなく見渡し、魔力が入っていないのかを確認したのだ。超能力者である彼女は本来であれば魔力を持たない。そのため、七曜が魔眼を通して音和を見るとヒトの形をした空洞が見えるだけなのだ。視界的にはあまり気分が良い物ではなく、超能力者を見る機会があまりないため何度見ても慣れないものであるが……文字通り、一目で彼女の体内に異変が起きているか否かが分かると言うのはありがたいものだ。


 ――魔術的な異変はなし。よかった、それなら病院に全部任せられ――

「うわぁあっ!!」


 安心するのもつかの間、耳を劈く奇声が聞こえたかと思えば、不意に喉の辺りに強い拘束感が訪れる。


「ぐっ!?」


 何が起きたのかまったく分からなかった七曜の目の前には、血走らせるほどに目を開いた音和の姿が。ただ目の前にいる"敵"を仕留めることだけを頭に、歯を噛みしめて首に力を込めている姿は、その相手が自分(みかた)であることなど気付いていない。直前まで気絶していたとは思えない瞬発力と爆発力は流石は"狩人"。確実に相手を殺すことだけを考えた締め付けを振り払おうにも、彼女の細くたおやかな指は大樹の根っこの如く七曜の首を掴んで離さない。


「おと、わちゃ……」

「うるっ、さいっ……!!」


 ――やばい、このままじゃ、死ぬっ!!


 拘束を解こうにも音和の手は自分を離さない。

 説得を試みようにも締め上げられて声が出ない。

 

 拘束を振り払うことはできないのだろうか? 朦朧とする意識の中、最後に思いついたひらめきに従って七曜は右手を音和へと差しのばす。


 ――これでダメなら、もう……


 右手にありったけの魔力を込め、炎を生み出す。

 なにも音和を攻撃をしようと言うわけではない。自分であることを示すために、火を灯したのだ。


「おっ、おと、わ、ちゃん……ぼっ、僕だよ……」


 暗闇の中に突如灯った炎に音和が驚いたその一瞬。手にかかる力がほんの少しだけ弱まった。呼吸が苦しくなっている喉を振るわせて七曜は嗄れた声を出す。


「僕?……って、後藤さん!?」


 幸い自分の声は音和に届いたようだった。驚いた表情で手を離した。喉に訪れる空気に何度か噎せながら、七曜は言葉をひねり出す。


「そう、七ゴホッ、七曜、だよ……久、しぶりゴホゴホっ!!」

「ごめんなさい、勘違いしてました……」

「ごほっ、ごほっ……きっ、気にしなくて良いよ……」


 音和の身から考えれば、敵だと勘違いしてしまうのも無理ないだろう。常に生死の境に立たされる"狩人"であれば実に正しい行動であろう。

 それに……やや空元気ながらも、七曜はあえて前向きに考える。


 ――サンゴちゃんがいたら間違いなく締め上げられ……いや、最悪首の骨ごとポキン、だったかも。よかった、僕だけで、って


 この場にサンゴがいなかったのはせめてもの幸いだった。常の音和ならまだしも、"殺戮者"の音和ならありうる話だ。この場にいたのが自分だけであった幸運に感謝をすると共に、


 ――あれ、ケパロスはどこに行ったんだろう?


 そう言えば、既にケパロスの姿がないことに気付く。サンゴが立ち去った辺りから犬の鳴き声が聞こえなかった気がする。犬でありながらそこら辺を歩き回っている変な犬ではあるが、しかしその割にはどこか野生らしさは感じられなくて……


 ――まぁ、良いか。

「無理もないって……敵と間違えたんでしょ」

「はい……あの、敵は……?」

「僕が来た時にはいなかったよ。救急車は呼んでおいたし、無理しないでゆっくり休んでなよ」

「そう、します……どうにも、まだ意識が……」


 敵がいないこと、そして七曜が側にいることに安心したのだろう。ぐったりと体を寝かせ、手を伸ばして顔を覆った。


 ――まぁ、命に別状がないならよかったよ。


 未だ痛む喉元を押さえながら七曜は安堵の溜息をつく。締め上げられた事実はこの際水に流そう……そう思った時、音和の口元が動く。


「……雨宮(あまみや)、さん……」

「えっ?」


 反応するが、しかし音和は気付いた様子はない。夢うつつの状態で言葉が勝手に漏れているのだろう。七曜のことを意に介さず、訥々と音和は呟き続けている。


「……まだ、私は未熟……でし、た」

「……」


 マジメな性格である彼女らしく、その言葉の端々から後悔の念が滲み出ている。懺悔を聞き入れる神父のように、七曜はただ黙って彼女の言葉に耳を傾ける。


「……冷静に、考えれば……対処、できたのに……」

「…………」


 そこまで気に病まなくても良いのに……そう思わないではいられない七曜だったが、しかし彼女とて1人の"狩人"だ。下手に奇襲を受ければ命をとられるやもしれない……音和が悔やんでいるのもそういう所にあるのだろうし、それを思えば変に優しい言葉をかけるべきではないと七曜は考える。


「……わけ、ないのに……」


 救急車が来るまでどのみちここを動くことはできない……七曜は彼女の言葉に耳を傾けながら、時間が過ぎるのを待った。


 ***


「……蝋燭、もうちょっと灯したらどうですか?」

「えー、良いじゃん。雰囲気出るし、俺はこっちのが好きなんだけどな?」


 ――よく、見えないけど……


 蝋燭が灯っていた部屋の扉の影に隠れながら、サンゴは部屋の中を窺う。

 その部屋には、こちらに背を向ける形で1人の男が椅子に腰掛けている。部屋の中央に丸いテーブルがあり、その上にはメラメラと燃えるロウソクの炎が。


「私は嫌いです」

「そう?」


 そして、そのテーブルを挟んだ向こう側にはこちらに背中を向けている黒髪の女性の姿が見える。蝋燭に火を付けた後、手に持ったライターを机の上に置きながら女は口を開く。


「いくら貴方とは言え、男と2人というのは恐いですから」

「そう邪険にするなよー。君と俺の仲なんだからさ」

「……」

「あれ、六花ー? 無言はやめようよー?」


 ――リッカ? 今、リッカって言ったわよね!?


 男が軽い調子で言った名前もさることながら……振り返った顔は紛れもなく国柴六花その人だった。氷の彫刻を思わせる無表情は、かすかな炎に照らされることで美しさと同時に不気味さをも醸し出す。以前一樹に見せてもらった日本製のホラー映画に出てきた幽霊の少女を彷彿とさせるが、しかしサンゴは怖じ気づくのではなくむしろ自分の闘志が滾るのを感じる。


 ――やっぱり、アイツじゃないっ!!


 音和が倒れている現場から逃げている影を追いかけ、六花の姿を発見した……音和を倒した者だと言う絶対の証拠はない。だが、彼女が何かしらの関わりを持っているのは間違いないと見て良いだろう。元より六花を怪しいと思っていたサンゴは今すぐにでも影から飛び出し殴りかかりたい。しかし、今ここで殴り込もう物なら……。


 ――もう1人の男……こっちは、誰よ?


 声色と高身長な姿から男であることがかろうじて分かる謎の人影をも相手取らなければならない。最初は脱獄囚だと思っていた。しかし、サンゴが知る限りのその人物達……"狂乱索餌(きょうらんさくじ)"の異名で恐れられるムラサメとその従者、セキラのどちらかなのではないかと思っていた。実際に会ったことこそないが、しかし"魔界"ではある事件を起こした有名人であり、その人となりぐらいは知っている。今ここにいるようなフランクかつフレンドリーな喋り方をするような人物ではないことは確かなのだ。


 ――リッカが敬語で喋ってるってのも、少し気になるわ。


 初対面で六花と最悪の出会い方をした、と言うのもあるがしかし彼女のあの不貞不貞しい物言いは、他者への尊厳など欠片も感じさせなかった。そんな彼女が敬語など使うとはまったく考えられなかったが……。考えていると、六花が口を開く。


「……ふぅ。しかし、こんな雨の中で魔界の連中もご苦労なことですね」

「仕方ないだろうね。えっと、ヴァンだっけ? 仲間の1人がいなくなって焦る気持ちもあるだろうさ」

「その上"双貌(そうぼう)殺戮者(さつりくしゃ)"が来たとなれば暗躍すら難しくなりますからね」

「ただでさえ厄介な暗器使いが冷静さそのまま残虐性10割増しで向かってくるわけだからね。魔人に恐れられるのも無理はない」


 "双貌の殺戮者"と言う物騒な単語は文脈から察するに人の事を差しているらしい。不思議とサンゴには思い当たる節がある。

 それこそ、普段は温和な顔をしているが、魔人(じぶん)に向ける顔は悪鬼羅刹のごとく恐怖を振りまく少女……


 ――オトワのこと!? だとしたら……


 そして、そんな彼女が倒れていた現場から逃げ出したのが六花であるのだ。男の言葉からも、それは間違いないように思える。


 ――コイツも協力者って事? あれ、もしかして……


 サンゴは先刻一樹とケンカしたとき……の少し前、六花の正体について考えていたときを思い返す。

 あの時、六花が何故記憶喪失を知っているのかと言う疑問に対する、答えのある可能性を口走ったが……それは……


「ところで、六花、聞いても良いか?」


 発端は六花が記憶喪失の事をなぜ知っているのかという疑問からだった。

 そしてその答えに、サンゴはふとあることに思い至ったのだった。


「烏飼一樹は……どうだった?」


 ――イツッ!


 思わず声が出そうになるのを自ら口を覆って防ぐ。

 声こそ漏らすことはなかった。しかし、口を覆った反動でそのまま扉へと体をぶつけてしまい……大きな物音を立ててしまったのだ。


「――誰だ!?」

「なにか音がしたね?」


 雨音に紛れて音が聞かれなかった事をほんの少しだけ祈ったが、しかし扉を叩いた衝撃までは隠しきれない。部屋の中の2人も自分に気付いたようだ。


「まさか、聞かれていたのか!?」

「みたいですねっ!」


 威勢の良い声と共に床を蹴る音が聞こえる。一瞬もしないうちに六花は部屋の外に躍り出て、扉の影で隠れる自分を見つけるはずだ。そうなれば今の自分にはどうすることもできない……考えるよりも早く、サンゴは【アプソル】を召喚し、大地へと突き刺す。


「痛っ!!」

「大丈夫!? リ――」

「こっちは気にせずあっちをっ!!」


 机にぶつかったのか、ゴンッという鈍い音がして物が倒れる大きな音が聞こえる。その際、なにかがこちらへと転がってきたのがサンゴの視界の端に止まる。


 ――これは……いや、まずは魔術をっ!!


放出(エミッション)ッ!!」


 目を閉じながらサンゴは張れるだけの魔方陣を地面に走らせ、そこからすぐに光を瞬かせる。攻撃することが目的なのではない。魔術と共に放たれる緑色の閃光による目眩ましだった。


「くっ!?」

「眩しっ!!」


 そして、部屋の入り口に光の槍衾を作る。飛び越えることも容易い距離だが、一瞬の足止めにはなるはずだ。先程転がってきた"ある物"を握りしめ、サンゴは一目散に窓へと突っ込む。


 ――やっぱり、リッカは敵と繋がってるっ!!


 脱出経路は先程家を窺っている時にあらかじめ立ててはいた。たまたまながらも手に入れた"ある物"を握り締めて、サンゴは闇雲に夜の町へと走り去っていく。


 ――とりあえず……今は引くわっ!!

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