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名もなき物語  作者: 白カギ
《衝突の物語》
39/85

Part.18 暗中

 ――雨、止まねぇなぁ。


 久々に入れた熱いコーヒーがピリっと舌を焼き、「熱っ」と短く呟きながら一樹は窓の外を睨み付ける。いや、決してコーヒーの熱さに苛立ったからだけではない。相も変わらず勢いよく降り注ぐ雨は止むことを知らない。先程天気を調べてみたが、明日も降り続くばかりかより強くなる見込みがあるらしい……明日学校に行きたくねぇーと一樹は眉を顰める。


 ――つったく、まだ外にいるのか? 変なオッサンに絡まれても知らねぇぞ……


 携帯の時計を見てみれば。午後11時。口論をしたのが6時ぐらいだから、既に5時間近く経った計算だ。急に人間と魔人の違いを省みて怒り出したサンゴは未だに外で六花を探し続けているのだろうか? 駅の方に六花が去っていったこともあり、一樹の見立てでは未だに見つかっていないと思うのだが……。ちょうど届いたメッセージを見て、一樹は溜息を漏らして椅子にもたれ掛かる。


 ――国柴の住所を知ってるヤツもいなければ、サンゴを見かけたヤツもなし、か……。


 家に帰り、風呂に入って一息入れた一樹は、六花のことやサンゴの事を学校の友人に片っ端からメールで聞いていたのだ。六花が敵に……正確には、自分の記憶を奪った男に通じている確率はサンゴが言っていたように高い。脱獄囚の事など知ったことではないが、しかしその男の影がチラリとでも見えるのであれば一樹の食指は動く。あくまでついでにと言うレベルだが、サンゴの事も聞いて回ってみたが……しかし、どちらもまるで手がかりなしだった。


 ――なんにせよ、今日できるのはこんぐらいか。探し回っても良いが、流石に今日は調子が悪い……。


 サンゴに渡した魔力も食事をとり、のんびりとしていたからかある程度は回復している。しかし、万全と言うにはまだほど遠く、雨に濡れて自分の体調も芳しくない。今日はこのぐらいにして本腰を入れるのは明日からでも良いかと一樹は天井を仰ぎ見る。


 ――……あの野郎、魔力だけ取ってどこか逃げるなんてな。つったく、帰ってきたらどうとっちめて――

「……って、あんなヤツ、どうでも良いだろうが」


 額に手をやって目を閉じながら一樹はぼやく。ぼんやりとするとサンゴの心配をしてしまう雑念を払うかのように頭を振りながらも、不思議と思考は彼女の事へと向かっていく。雨が屋根を叩く音だけが聞こえる静かな空間。思えばずっとそんな生活をしていたはずだが、それがずっと前の事のように一樹は感じてしまう。この一週間はなにかがあれば逐一騒ぎ立てる彼女がいて、「一々うるせぇな」とその度に目くじらを立てては飛んでいき、なにかと彼女とぶつかって……


 ――なに女々しくなってんだか。あんな頑固者、いなくなって清々したわ。

 

 無理矢理にでも考えを断ち切るように、用済みになった携帯を充電器(クレードル)に差し込みながら、コーヒーを一気に呷る。机にコップを叩き付けた衝動で、机の上に置いてあった写真立てが蹌踉けてパタンと音を立てて倒れた。反射的に手を伸ばしたが、その写真立てに入っている写真を思い返したところで一樹の手は止まってしまう。


 ――…………


 以前、サンゴが居候のお礼にとプレゼントしてくれたガラスの写真立てだ。シンプルなデザインだが、特に飾り立てるのが好きじゃない一樹の好みに合っているし、落ち着いた雰囲気の家具が多い一樹の部屋に違和感なく馴染んでいる。気に入っていた置物だが、しかし一樹はそれを直すのがどうしても躊躇われてしまう。


 ……その置物は、決してただの置物ではないのだから。


 ――……つったく、これが立ってようが倒れてようが関係ねぇだろうが。


 ある種の踏ん切りをつけて、一樹は写真立てを手に取った。額縁の中に収められているのは自分とサンゴのツーショットの写真だった。カメラという科学技術を見て目を輝かせていたサンゴとそれを窘める一樹が写ったなんとも間抜けな写真だった。サンゴは撮り直す事を強く望んでいたのだが、自然体で面白いと思った一樹は彼女の意見を無視してそのままプリントし、写真立てに入れたのだった。


 ――はっ、くだらねぇ……

「ははっ……ははっ……」


 自嘲とも懐古ともとれる、感情が入り交じった笑みが浮かぶ。ただ一人きりで声を漏らしている姿はなんとも不気味だなと自虐的なことを考えながらも、一樹の静かな笑いは止まらない。ニヒルに笑い飛ばした後に、一樹は再び写真を見遣る。


 ――写真見たぐらいでなに感傷的になってんだか……ん? 写真?


 ふと、写真という単語に一樹はなにかが引っかかる。それまで浮かべていた笑みを引っ込めて、真剣な顔つきで記憶を辿り……一樹が覚えている最も古い記憶がふっと頭の中に現れる。


 ――写真、だと……っ!?


 かつて、一樹が記憶を失った直後、まさしくこの部屋で見つけた1枚の写真。その事をたった今思い出したのだった。あちこち家捜しをしても自分の記憶に繋がりそうなものは何一つ残っていなかったが、ただある写真だけがこの机の上に置かれていたのだ。


 ――あの写真、そう言えばっ!!


 勢いよく立ち上がり、写真立てを机の上に戻して引き出しを開ける。案の定、その引き出しの中に写真は入っていた。その写真を乱雑につかみ取る。


 ――コイツは、まさかっ……っ!?


 ***


 ――あれ? コイツなんか元気そうじゃない……?


 ケパロスを追いかけるサンゴの脳裏は、先ほど彼(?)と出会った時のことを思い返している。

 ケパロスがその視界に入ったとき、なるほど確かに全身の毛並みは雨に濡れており、泥や雨に汚れている無惨な姿だった。しかし、その後の動きを思い返せば……なにより、今目の前でピョンピョンと軽快に障害物を避けながらどこかへと向かっているその姿に、弱っていると言う印象はまったく感じない。抱きかかえた時も、全身水浸しの割には体温は下がっていなかったし……


 ――この裏道……追いかけるのはキツイとは言え、明らかにあたしが歩くことを考えてる気がするのよね


 入り組んだ道であるし、障害物も多くてとても歩きやすいとは言えない。それでも、壁や塀を乗り越えたりと言った動物的な行動をせず、あくまで地上を歩き続けているだけなのだ。それだけではない。ふと頭上を見上げれば、家屋の屋根が雨を遮っている。建物の構造上すべての場所がそうというわけではなく、時折頭上に冷たい雨が落ちてくるのだが、しかしそれもほんの一瞬程度。屋根がある道を選んで歩いていると言われれば素直に信じられる道をケパロスは歩いている。


 ――シチヨウが賢いって言ってたけど本当ね。まるで、あたしをどこかに連れて行きたいみたいに……


 最初は自分の家……要するに、一樹の家まで帰るのかと思っていた。そうだと思って少しだけ付いていくのを躊躇ったが、しかしそれなら追いかけていってケパロスをネタにして一樹と仲直りの話を切り出そうかと目論んでいたのだ。しかし、どうやらケパロスは一樹の家とは反対の、駅の方角に向かっているようだった。


 ――いや、ケパロスはただの犬よ。犬がそんな……あれ、ちょっと待って?


 ケパロスの事を考えていると、どうにも何かを見落としているような気がしてくる。ここまでのやりとりの中でおかしい所があったような気がして、少し記憶を辿ってみるが……しかし、上手く頭が働かない。


 ――んー、なんか引っかかるような……


「ワンッ!!」

「ええっ!? なになにっ!?」


 威勢良く吠えたケパロスにサンゴの足は止まる。足下を見てみれば、ケパロスは暗闇に向かって唸っているのだった。なにか見つけたのだろうか? サンゴはしゃがみ込み、彼を落ち着かせるように背筋を撫でる。


「なんかあったの?」


 電灯も月明かりもなく、一寸先もはっきりと見えない完全な暗闇が広がる裏通り。犬は暗いところでも目が利くらしいが、サンゴそこまで目が良くない。ケパロスが唸っている先へと恐る恐る進んでみれば……


 ぐにゃっ


 奇妙な感触が足の裏を襲い、背筋が強ばる。この道を覆っているのはコンクリートだったはずだが、公園で踏んでいた泥よりも柔らかく、弾力性があった。あり得ない気味の悪い感触に驚いて足を離し、咄嗟にしゃがみ込んで手を伸ばす。


 ――なによ、こ――

「ええっ!?」


 自分が踏みつけた柔らかいものを手に取ったサンゴは思わず声を上げてしまう。人間道にある変なゴミかなにかだと思っていたサンゴはその「やけになじみのある柔らかさ」に面食らってしまったのだ。


 人肌とも表現すべき……いや、物の比喩ではなく本当の人肌を手に取ったのだから。


 握った太さから言って、恐らくウデを掴んだのだろう。女性か、細い体つきの男性なのだろうか? 肉の柔らかさよりも骨の固さの方が上回っていた。


「うぅー……」


 ケパロスは低くうなり続けている。もしや彼は、この事を自分に伝えるためにここまで案内したのではないか? そんな事を少しだけ考えるが、目の前で倒れている人の介抱が優先すべき事態だ。【アプソル】を召喚してすぐに地面に突き刺し、極小さな魔方陣を地面に描いてわずかな光を生み出す。そこにはうつぶせに倒れている女性の姿があった。自分が腕を踏みつけたにも関わらず意識を戻さない辺り、重篤な状態であることは間違いない。呼吸確認をするためにも、その人物をサンゴは仰向けにさせて……


 一瞬、思考が止まってしまった。


 ――待って……嘘でしょっ!?


 その人物があまりにも酷い傷を負っていたから……と言うわけではない。その顔自体にサンゴは驚いたのだった。

 そこにいたのはメガネをかけた温和な少女の顔……自分にこの顔を直接向けたことはなかったが、しかしサンゴは遠くからこの顔を何度か見て、怒りを募らせたためかこの人物が誰であるかはよく分かっている。


「ちょっ、ちょっとっ、だっ、大丈夫!?」


 どこか声が上ずってしまうのも仕方がないだろう……そこに倒れていたのは、喜多村音和だった。


 ――なんで、よりにもよってコイツが……っ!!


 昼間のことが脳裏に浮かび、起こすのは躊躇われるが……こうやって倒れたままでいられるのであれば、まだ自分を襲いかかる程に目を醒ましてくれていた方が良い。最悪寝起きと共に彼女の持つ暗器に仕留められるかもしれないが、今この状態なら自分だけでもなんとかなるだろう。


「オトワっ!? しっかりしなさいっ!!」


 幸か不幸か……否、不幸で良いだろう。声をかけても、軽く揺すってみても音和は目を醒ます気配がない。まさかと思って、恐る恐る彼女の胸に耳を当ててみる。どうやら鼓動はあるようだが、それでも目を醒まさない昏睡状態には変わりない。こんな状態になった彼女をどうすべきか分からなくて混乱しているサンゴは、ケパロスの低いうなり声が癪に障る。


「うぅー……」

「ちょっと静かにしてなさいよっ!! って……」


 ケパロスが吠えている方を見てサンゴは違和感を覚える。彼が見ている方角は音和が倒れている場所ではなく、明後日の方向を向いていたのだ。サンゴはそちらの方に視界を移す。


 ガタッ!


 と大きな音がしたかと思うと、タッタッタと一定のリズムを刻みながら走り去る音が聞こえてくる。一瞬だけ見えた後ろ姿は、長い髪の毛を翻して立ち去っていく女性に見えて……先日、公園で手合わせした女性のことが脳裏を過ぎる。


 ――アイツが犯人!? 特徴だけなら昨日闘ったアイツとそっくりだけど……っ!? でも、今はオトワの手当のが大事だし、でも……


「誰だっ!? そこで何をしているっ!?」


 唐突に響いた誰何の声に、サンゴはびくりと背筋が強ばる。不意の大声に硬直したのもつかの間、しかし聞き覚えのあるその声に、サンゴは声を張り上げる。


「シチヨウっ!! アンタ、なんでここにっ!?」


 案の定、後ろに立っていたのは傘を差して立っている七曜の姿だった。低くした声に含まれていた威圧感は、一瞬とは言えサンゴにヒヤリとさせるほどの迫力があったが、自分の姿を見て「サンゴちゃん?」ときょとんとしている普段の彼らしい姿は紛れもない彼の姿である。


「それはこっちのセリフだよ。どうしてこんなところに?」

「ケパロスに案内されてきたのよっ!!」

「ケパロスに? よく分かんないけど……まぁいいや。僕はバイト帰りでね。魔力を感じてここに来たんだよ。脱獄囚じゃなくてよか……」


 七曜自身も知り合いがいたことに少しだけ安心したのだろう。普段のような落ち着きを取り戻し、柔和な笑顔を取り戻すもつかの間。サンゴの後ろに倒れている人影が目に止まり、まじめな顔を作ってサンゴの横にしゃがみ込む。


「音和ちゃん!?」

「知ってるの?」

「あぁ……一応聞くけど、音和ちゃんと戦闘になった、とか?」

「あっ、あたしじゃないわよっ!! 仮にそうだとしてもこんなところでは闘わないわっ!!」

「それもそうだよね……あの音和ちゃんとやりあって、無傷でいられるとは考えにくいし、」


 サンゴの姿をまじまじと見つめた後に七曜は冷静な判断を下す。時折"魔物狩り"でバイトしている七曜だが、実は一樹よりも音和に会った回数は多い。そのため、音和が魔人と闘うとどうなるか、と言う事については一樹以上によく知っているのだ。音和相手に魔力は通じないし、肉弾戦を挑もうにも暗器を用いた読みづらい攻撃を用いてくる。音和と共闘したことは何度もあるが、しかしその度に七曜は新しい暗器を目にしているのだ。魔人を見つけて"殺戮者"となった音和を止めるには魔人を逃がすか、音和を気絶させるしかないのだが、それをこなすために魔人が無傷で済むとは到底思えない。


「脱獄囚にやられたってのが妥当な所かな?」

「あたしはそう思わないわね……こんな狭い場所で、脱獄囚があのオトワを相手取るかしら? あたしは絶対ゴメンよ」

「確かに。だったら……ちょっと待っててね」


 そう言うと七曜は周りを"見渡す"。実情を知らない者が見れば、ただきょろきょろと周りを伺っているようにしか見えないが、彼の目……魔力を見ることができる魔眼の事をしれば話は変わってくる。ひとしきり周囲を見渡した後に、ふぅーと溜息をついて目を閉じた。


「"土"の魔力が多くなっているね……って、あれ? 残りの脱獄囚達って"水"と"雷"じゃなかったっけ?」

「そう、そのはずよ……」


 残っている脱獄囚……魔界でも有名な彼らのことをサンゴは一樹と七曜に話している。詳しい事を知っているわけではないが、しかし彼らは"土"の魔術を使えたと言う記憶はなく……。


 ――アイツらじゃない……となればっ!!


 先程立ち去っていった人影の方を睨み付けながら、サンゴは立ち上がる。突然の行動に七曜は「サンゴちゃん!?」と驚きの声を上げるが……


 ――協力者しか、いないわよね!?

「悪いけど、オトワは任せるっ!! 適材適所で行きましょうよっ!!」


 影が逃げてからそこまで時間は経っていない。追いつけるはずだと判断したサンゴは、呆気にとられている七曜に最低限の事だけを告げて走り出した。

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