Part.16 嫉妬
「そうよ! あたしは魔人で、あんた達は人間よ! 違うのよ、なにもかもっ……!」
無数の針が全身をくまなく刺し貫くように、雨は激しく彼らの身を叩く。そんな猛雨の勢いにも負けず、サンゴの吐き出した言葉は一樹の胸に深く刺さっていたのだ。
「なによ、文句あるの!? 好きな人が目の前でキスされてるのを見るのと一緒なのよ! こう言えば"人間"達にもよくわかるかしらね!?」
降りしきる雨を意にも介さず、カッと目を見開いてサンゴは一樹達を睨み付ける。鋭い眼光に射竦められて、七曜は元より一樹もまた反論することを許されなかったのだ。しかし、その目が訴えるのは怒りだけではない。
「こうでも言わないと……分かんないわよねっ!!」
口元を険しく結びながらじっと睨み付けているその両目からは、雨に紛れてそれぞれ一筋の線が流れている。少しでも怒りに身を任せていないと悲しみに飲まれてしまいそうな分水嶺にサンゴが立っていることは見て取れる。そんな彼女に一樹はなんて声をかけて良いのか分からなかった。
「あたしがリッカに怒ってるのはそう言うことよ。そうね、こうしましょうよ」
静かに言いながら、サンゴは右手に槍を召喚し一樹へと突き出す。眼前に突き付けられた切っ先に一樹は身を引くが、それでも睨み付けたままのサンゴから目を離すことはない。
いや、離せなかった。
彼女の放つ静かな迫力から目を背けることなどできなかったのだ。
「アンタ達は人間らしく穏やかにやれば良いじゃない。あたしは魔人らしくリッカに直接聞いてみる!」
「サンゴちゃん、気持ちはわかるけど、少し落ち着いて……」
「うるさいっ!」
あぜ道を踏みしめた足が泥を飛ばす。鋭い視線を七曜へと移しながら、サンゴは言葉を続けた。
「コロコロと女を乗り換えるようなナンパ男に気持ちが分かってたまるかっ! 思いもしない同情の言葉ですべての女が靡くと思ったら大間違いよっ!」
「うっ……そ、そんなことは……」
思わず突き付けられた一言に、七曜は言葉を失ってしまう。決してそんなつもりで七曜は言ったわけではないのだろう。それは一樹にも分かる。だが、怒りに身を任せているサンゴは聞く耳を持たない。彼女の持つ1本の槍のように、まっすぐな直情をそのまま七曜へとぶつけてしまっているのだ。
「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよっ!! 本当に好きになったのなら、お金がないことだけを理由に遊ぶだけ遊んで関係をバッサリ切るなんて考えられないわっ!!」
「…………」
「サンゴ……少し落ち着け」
七曜には七曜なりの考えがある。だが、サンゴが言ったことは紛れもない事実であることもあり、七曜は何も言えずにただ黙り込んでしまった。珍しく落ち込み、ハッとした表情でいる友人の代わりに一樹は口を挟む。
「アンタも一緒よっ!! 冷静な仮面を被ったままでいるのは良いことだと思うけど、それは本気で人と接しているって言えるのかしらね!?」
一樹が口を開く前に、サンゴの言葉が突き刺さる。ここまでの激情を彼女が表していること……自分と一樹達が、人間と魔人が違うと言う事を気にして、冷静な判断を失ってしまっているからだ。なぜ今日になっていきなりこうなったのか、一樹は流石に分からない。だが、一樹は彼女がこうなってしまったという事実を一樹はありのまま受け止めて、どうすれば彼女を宥められるかを考え始める……そう、一樹はサンゴに腹を立てるよりも先に、そう言う分析をしてしまうのである。
「感情を剥き出しにして、それに任せるって事を考えた方がいいんじゃないかしら!? その方がずっと人間っぽいわよ!!」
そして、サンゴはそう言う分析をしてしまう一樹へと怒っているのだった。
人とぶつかることを極力減らしてでも、自分の目的へと辿り着こうとする一樹の思いは必然的に合理性を追い求めることとなる。
人と無理にぶつかり合って時間を減らすぐらいならば、自分が折れてでも最低限の時間で口論を終わらせる。
先日ヴァンを捕らえる時ですら、彼の攻撃を受ければ自分の記憶を垣間見えると知ると、彼の攻撃を喰らうことをなんの迷いもなく受け入れていたほどだ。
そんな一樹だからこそ……サンゴの言葉に怒りを覚えるよりも先に、合理性に従って彼女の意見を受け入れて折れてしまうのである。
怒りが全くないわけではない。だが、目の前で感情をさらけ出しているサンゴとは対称的に一樹は感情を表に出すよりも、引っ込めてその場を抑えることを選んでしまうのである。
「ご尤もだな……だけど、これが俺の性分なんでねぇ?」
だから、冷静に普段通りに一樹は思いを口にする。
一樹がここで選んだ行動は、冷静に彼女へと言葉を返すことだった。
ここで下手にぶつかっても意味がないと、そう判断して一樹は彼女の怒りに乗っていない様子を見せつけようとする。
「ご尤も……? なにがご尤もよっ!! あたしが言いたいこと、なにも分かってないじゃないっ!!」
その行動が、なおさらサンゴの激情を買ってしまうと言う事にも気付かずに。
「その口ぶりがムカつくって言ってんのっ!! どうせあれでしょ、アンタはこの時間すら鬱陶しいって思ってるからそう言う口ぶりになるんでしょ!?」
サンゴの言葉は見事に一樹の図星を突く。彼女の持つ直槍がそのまま一樹の心を貫いたかのような衝撃が一樹の体中に襲いかかり、変な汗が流れてくる。
「ヒトの態度は行動に表れる……面倒くさいとか鬱陶しいとかそう言う態度は、端から見れば案外分かるものなのよっ!!」
「…………」
「こうやって怒ってるのに、それをただ受け流すことだけを考えている……? 自分の事を適当にあしらわれてると知れば、そう言う態度はなおさら腹が立つのよっ!!」
心の中を見透かされているようなサンゴのまっすぐな怒りに、一樹は思わず舌打ちを漏らしてしまった。
「…………ちっ。あぁ、そうだよ」
サンゴはもはや説得できる態度ではない……こうなってしまえば、彼女を良い宥めることは不可能だろう。そう思って今の一樹は、この不毛なやりとりを「いかなる形であれ」収束させる方向で会話を進める事を選んでいるのだ。一樹はタレ目ながらも鋭い眼光をサンゴへと返す。
「どうして土砂降りの中であれこれ考えなきゃなんねぇんだ。お前がやりたいならお前がやりたいようにやればいいだろ?」
「一樹!? 君までそんなことを!?」
「うるせぇな七曜。どうせコイツは止まりはしねぇだろ? 俺等は俺等なりにやればいいし、ここらで別行動にしようじゃねぇか?」
「話が早いじゃない。良いわ、あたしはそうやって動く。しばらくアイツを尾行して、怪しい動きを見せたら即座にぶった切ってやるわ!」
「違っても俺は弁護しねぇぞ? それでいいな?」
ただ一人、冷静なままの七曜を差し置いて一樹とサンゴは言葉の応酬を交わす。サンゴはコクリと頷き、
「どうぞ!! その代わり、この方法で解決したらアンタの手伝いなんてしないわよっ!?」
「ほう? であれば俺らの協力体制もなくなるが、それは良いのか?」
「勝手にすれば良いじゃない!……それじゃあ、ここでお別れね。あたしはリッカを追うからそこをどきなさいっ!」
一樹の喉元へと槍を突き出して威圧するサンゴ。その威圧に一樹は特に動じる様子を見せずに「はいよ」と横にずれる。
「じゃあな」
走り出していくサンゴへと、一樹は小さく呟く。サンゴはその声に返事をすることなくただ六花が去った方へと走り去ってしまった。
***
「つったく……」
「一樹っ!! どういうことか説明しろっ!」
サンゴが走り去った直後、すぐさま踵を返して帰宅しようとしていた一樹の胸ぐらに七曜は掴みかかる。急に掴みかかられて一樹はあからさまに面倒くさそうに眉根を潜め、七曜へと投げやりに言葉を返す。
「どういうこともクソもあるかよ。つったく、急にヒステリックになるなんざ、めんどくせぇ女だ」
「そんな物言いはないだろ!? サンゴちゃんの思いを汲み取って、傷つかないようにする説得もできたはずだ!」
七曜は気付いている。感情をまったく変えないようでいて、一樹は内心で腸が煮えくりかえる程に怒っていたことに。
先の場を抑えるのであれば、話の内容から言っても感情を露わにしてサンゴに掴みかかりでもした方が場を収められた勝算も大きかったはずだ。サンゴとの協力体制を解くことは、一樹にとってもデメリットに働く部分が多い。彼の目的を考えればそちらの方が遙かに効率の良い方法である。
だが、一樹は後を見据えた効率よりも今この場を回避するだけの将来的に不利益な効率をとっていた。一樹の性格から言っても……恐らく、本当に怒っていたからこそ、ムキになってサンゴに冷静な自分を見せつけようと思っての行動だったのだろう。
「できただろうな……だけどよ、そっちに持って行くのがめんどくさかった。ただ、それだけだ」
冷静な口ぶりを見せているが、内容から言えば決して効率を求めている普段の彼とは大きく異なる。一樹が怒りで冷静な判断ができていない証拠だった。
「めんどくさいって……あのね、多分気付いてると思うけど、サンゴちゃんの魔力はだいぶ回復してきたとは言え決して本調子じゃない。それに以前彼女から聞いたでしょ? 残っている脱獄囚達の素性は……」
「だから知らねぇっての。アイツが勝手に決めたことだろ? その結果アイツがどうなろうとアイツの責任だ」
そう言いながら一樹は七曜の手を無理やり引きはがす。雨に濡れていつも以上に気怠げな表情を浮かべながらも、一樹は七曜へと鋭い睨みを向ける。
「別にお前がサンゴに協力したいならすれば良いだろ? それも俺の知った事じゃない」
「そんな子供みたいな意地を張るなよっ! サンゴちゃんにも非はあったとは言え、君も謝るべきだ」
「それこそめんどくせぇ。己があいつに固執する必要性なんかない。他のコマを探せば良いだけだろ?」
掴みかかってよれた制服を直しながら一樹は淡々と言い放つ。細められたその視線から感じるのは明らかに怒りの感情だった。合理的な行動を取るために折れることは多いとは言え、一樹の性分は頑固者であると七曜は知っている。こうなってしまっては中々止められないことは百も承知なのだ。何を言えば彼が収まるか、それを考えていると一樹はクルリと背中を向けてしまう。
「風邪引いちまう……帰って風呂でも入るわ。じゃあな」
降りしきる雨を鬱陶しそうに睨み付け、足に纏う気持ち悪い泥の感触に苛立ちながらも一樹は歩き出す。奇しくも六花を追いかけたサンゴとは正反対の方角へと進もうとしている一樹の背中に、七曜はありったけの大声で言葉を放つ。
「手段手段って言うけど、君の本心はどうなんだ!? サンゴちゃんと一緒にいたいとか思わなかったのか!?」
その声に一樹は立ち止まる。泥を踏む足音が止み、七曜の耳に聞こえるのは水面を叩く無数の雨音だけ。連続して鳴り響く轟音だけが場を支配するこの空間で一樹がどれだけ立ち止まったのかは分からない。時間にすればほんの短い間かもしれない。しかし、その答えが返ってくるまで七曜には随分と長い時間が経っているような気がしたのだった。
それは、一樹にとっても同じなのかもしれない。
「別に」
轟音に紛れて一樹の小さな声が届く。雷が落ちてきたと錯覚したような、淡泊で冷め切った一言と共に一樹は雨の中へと姿を消していった。




