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名もなき物語  作者: 白カギ
《衝突の物語》
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Part.15 波紋

 どんより曇った空から一滴、また一滴と冷たい小雨が一樹の肌を濡らす。両脇に広がる田んぼの水面に小さな波紋が生まれては消え、消えては生まれていた。本降りになるのはもうしばらく先であろう。落ちてくる水滴が六花のもたらした凍結を解かし、一樹とサンゴはすぐさま七曜へと向き直る。


「あの女はなんだ!?」

「わっけわかんない!! やりたい放題言いたい放題な自己チュー連れてくるなんて女好きもほどほどにしときなさいよ!!」

「僕が聞きたいよ! 2人とも一回落ち着こう!」


 口を揃えて出た言葉は当然のことながら、国柴六花の事である。彼らの心に未だ消えない波紋を残した六花は出会い頭に三者三様、それぞれ異なるインパクトを植え付けていたのだ。七曜に至っては生活がかかっているバイトを休んででも(尤も、少し前に「遅れます」と断りの電話を入れてはいるのだが)彼女のことが気がかりなのだ。


「2人の質問に答えていけば……六花さんは僕のクラスにきた転校生だ。確かにクラスでも言いたい放題言ってたけど、まさか"裏"の人間だったなんてね」

「クラスでも、ってアイツ孤立する気満々じゃない。協調性がないなんて、それじゃあ会話できないのも頷けるわね!」


 忌々しげにサンゴは歯を噛みしめる。六花の氷結から解放されてからもサンゴは彼女への怒りを見せ続けているのだ。その怒りが並外れているような気がするが、しかしここまで怒りを見せるとはよほど馬が合わなかったのだろうか。


「いや、その辺は君にも問題があるような……」

「七曜の言うとおりだ。どうしてそうお前は初対面の人間にも気兼ねなく怒りを見せる?」

「あっ、相手が悪くなきゃ怒らないわよ!! あたしの怒りは結構順当よ!」


 いつもいつでも怒ってるじゃねぇかと一樹は心の中で溜息をつく。確かに、荒っぽいところがあるとは言え、サンゴの性格は比較的常識人であり、彼女の中にある一定の線引きさえ越えなければ普段は怒ることはない。実際自分達へと話している言葉にも怒気が含まれている訳ではなく、八つ当たりをしているわけではないのだ。その線引きが極端な気がするが、自分の中でのルールがあるというのは決して悪いことではないだろうと一樹は尊重している。


「思い返すだけでも腹が立つわ。身長の事と言い、人をバカにした発言と言い、それに……」


 言葉を止めたサンゴの方を訝しんで見てみれば、ふと彼女と目が合う。頬を赤らめて、チラチラと目を逸らしたり向けてきたりと忙しない動きだがなにかあったのだろうか?


「サンゴ? どうかしたか?」

「……ちっ。なんでもないわよ」


 あからさまな舌打ちを見せ、ぷいとそっぽを向いてしまう。明らかな怒りの所作は、自分に対しても怒りたいことがあることを伝えているが、しかし一樹には心当たりがない。六花が親しげに話したことに対して嫉妬しているのかと思ったが、そんなことぐらいで怒るキャラだっただろうか?


「それよりも問題はあの意味深な口ぶりよ。アイツ"裏"の人間なの?」

「その辺は間違いないよ。去り際に"見て"みたけど彼女の体内に流れてる魔力は常人よりも遙かに多かった」


 魔力を見ることができる七曜が言うのであればそうに違いないのであろう。どうして普段の日常生活の中で使わないんだと以前尋ねたところ、「使う魔力が多いってのもあるけど、できれば周りの人を疑った目で見たくないんだよ」と地味に上手いことを言っていたのを思い出す。


「それに関して僕も聞いておきたいことがあるんだけどさ、一樹って記憶失う前から"裏"のことを知っていたわけ?」

「シチヨウ正気!? イツキに記憶がないことぐらいアンタも分かって……」

「知ってなかった。それは断言できるぞ」


 自分の事を気遣ってくれるのは嬉しいが、しかし不毛な会話をする趣味はない……思いがけず遮られたことに驚いたサンゴが一樹に口を開く。


「なんで断言できるのよ? あたしはアンタが傷つくんじゃないかって心配で……」

「七曜の方がお前より付き合い長いんだし、その辺は心得てくれてるっての」

「そう……なら良いわ」


 どこかつまらなさそうなサンゴだった。今度はまだ付き合いが短い自分への不満なんだなと一樹ははっきりと見て取れる。変な所で意地になる彼女の姿が一樹は結構好きだったりするのだ。


「ちょっと説明してやると、俺が消えた記憶はエピソード記憶であって意味記憶じゃないんだよ……って、分かるか?」

「"翻訳の魔術"が働いてないのかしら? エピソード記憶と意味記憶って聞こえたんだけど、意味分からないわ。翻訳ミスよね?」


 "翻訳の魔術"はその概念が相手の文明の中にも存在しているのであれば、言語をそのまま置き換えると言う性質を持つと以前七曜から聞いたことがある。要するにサンゴがそれらの単語を聞こえる上に話せると言う事は魔界にも記憶に関する学問は存在するのだろう。


「…………。簡単に言えば前者は色んな場所での色んな思い出を、後者は事実やら概念やらを司る記憶のことだ。どういうことかっつーと、知識を得たときにいつどこで誰から教わったのかは覚えていないが、その知識だけは残っている……みたいなことだ。分かるか?」

「え、えぇ……」

「簡単に言うと、一樹が記憶を失う前に得た知識はすべて持っている、ってことだよ」

「その通り。俺が魔術について知ったのは中学に入って少ししてから、要するに記憶を失ってからだ。それは間違いない」


 すべてを完璧に覚えているわけではないが、記憶を失って以来一樹はなるべく多くのことを記憶しようと思い、事実記憶力は格段に上がっている。記憶喪失を得てこういう能力を得るとは皮肉な物だが、よく聞く「失って初めてありがたみが分かる」と言うあの理論の一つなのであろう。


「となると、六花さんが昔から"裏"の人間だったとしても、君を巻き込んでいたわけではないってことか」

「そう思う……あの女、国柴に俺が巻き込まれていたら、魔術の事を知ってはいたはずだ」

「一樹が過去に魔術を知ってたかどうかなんて今はどうでも良いじゃない! 大事なのはあの女……なんだっけ、リッカが何者かってことよ!!」

「違いない。何故俺が記憶喪失であることを知っていたんだろうな?」


 七曜もまた「そこだよね」と同意を返す。


「一樹が記憶喪失であることを知っているのは、僕とサンゴちゃん。後は八雲と……音和ちゃんはどうだっけ?」

「喜多村も知っている。今挙げたヤツらと後はケパロスぐらいにしか喋っていないさ」

「ケパロスってアンタが飼ってる犬のことでしょ?……アンタ犬に話しかけてるの?」

「サンゴちゃん、そう言うときは察して黙ってあげるのが筋だよ」

「おいお前ら……まー良い。そうしとけ」


 ケパロス、とは一樹が飼っている子犬である。犬の癖に放浪癖があり、滅多に一樹の家にいない。前に会ったのはちょうどサンゴと出会う直前……一週間ほど前ではなかったかと一樹は記憶している。風の吹くまま気の吹くままにそこらを散歩している犬らしくない犬だが……実は"彼"にはある秘密がある。七曜すら知らない秘密であり、"彼"から固く口を封じられているのだ。


「ともあれ、そのぐらいしかいない。そして、その中で口外するヤツがいるとは思えな……あっ」

「……うん、だからあれだけ謝ったんだからそろそろ水に流そうよ!! 大丈夫だよ、サンゴちゃん以外には誰にも言ってないから!!」


 先日の一件で七曜はサンゴに一樹の記憶喪失を伝えている。サンゴがこちらに着いてくれたため結果オーライではあるのだが、「誰にも言うな」と釘を刺しておいたにも関わらず女子に言い寄られて口を割ってしまう七曜には(あえて)猜疑心を抱かずにはいられなかったのである。


「……裏切り者がいるのはさておき、知っている人間は限られているし、仮に誰かが口外したとしても国柴に届くとは考えづらい」

「そうなるけど……でもイツキ、アンタ大事な人を見落としてない?」

「そう言えば永江(はるえ)さんも……」

「ハルエって誰よ……その人もそうなんでしょうけど、あたしが言いたいのはそうじゃなくって」


 見知らぬ女性の名前が想い人の口から出てきたことに一瞬だけムッとした様子でサンゴは言葉を続ける。ちなみに、永江とは一樹にとって大の恩人である。"魔物狩り"における古株の狩人で、八雲が"魔物狩り"に入るときも口添えしてくれたのだ……当然のことながら年齢は離れており、恋愛対象とはほど遠い。


「アンタの記憶を奪ったヤツなら、記憶喪失の事を知ってて当然じゃない?」

「……確かに」

「サンゴちゃん冴えてるね! そうだよ、犯人ならそのこと知ってて当然だよ!」


 先日ヴァンによって焼き付けられた記憶に映っていた黒衣の男……その一味であれば、一樹が記憶を失っていることを知っているのも頷ける。


 ――なぜそっちの線を考えなかったんだ。仲間を疑うのではなく、敵を視野に入れる。普通に考えればそっちの方が妥当だろうに……いや、考えすぎだろ。色々あって疲れてるし。


 サンゴに指摘されるまでその考えに辿り着けなかった自分に不甲斐なさを感じるが、魔力を抜かれた疲れのせいだろうと一樹は自己完結してサンゴの意見に耳を傾ける。


「そもそも、あの女が本当にイツキの知り合いだったのかも怪しくないかしら? イツキが記憶を失っている以上、昔からの知り合いだという確証は全くないわけだし」

「本当にお前サンゴかってぐらいに冴えてるな。確かにアイツが知り合いだという証拠はゼロだ」

「聞きたいけど、アンタ達の中であたしってどういうキャラなのよ……」


 戦闘面では確かに切れ者だが、普段の生活ではあまり賢いとは思えない、と言うのが一樹と七曜の共通の感想なのだが流石に変に突っついてのやぶ蛇は避けたい。2人とも目を見合わせて黙ることにした。


「魔人のことを、と言うよりはあたしのことを知っていたのも、脱獄囚の協力者だとしたら納得いかない!? すべてに辻褄が合うわ」


 後一歩の所で致命傷を負わされる程までに追い詰められた一戦を思い出したのか、大きな目に闘志を浮かべて歯噛みしている。血の気の多いサンゴらしいと言えばサンゴらしいのだが……どうにも違和感を覚えてしまう。彼女と邂逅したとき、目の当たりにした彼女の闘志とはなにかが違うように思うのだ。直槍を思わせるまっすぐな闘志が、どこか歪んでいるような……そんな一樹の考えをよそに、サンゴは自分の考えをしゃべり続ける。


「実際、雰囲気がどこか似てたのよっ!! 向こうもあたしを見てなにか思ったようだったし!」

「落ち着けサンゴ……お前、やけに決めつけにかかってないか?」

「そっ、それは、その……」


 何気なく放ったその言葉に、サンゴは言葉を詰まらせる。その反応を見て一樹は「やっぱりな」と溜息をつく。


「決めつけるもなにも、あんだけ怪しいんだから疑って当然じゃない!!」

「なにをそんなに怒ってる? 口論がそんなに気にくわなかったのか?」

「そういうわけじゃないわよ!! 口論ぐらいならアンタやシチヨウともよくしてるし、口が通じないから力尽くでって安易に発想するほど荒っぽくないわ!!」

「だが、今のお前を見るとそうなんじゃないかと受け取れるぞ? 確かに国柴はかなり黒に近いとは言え、まだわからないだろ?」


 実際一樹も六花の事をかなり怪しいとは思っている。だが、それでも先程まで六花と向き合っていたときに覚えた奇妙な違和感が引っかかってならないのだ……。


「それは、その……」

「六花さんが怪しいと言うのは賛同できる。だけど、僕も一樹と同意見だね。もしかして、六花さんに嫉妬してるとか?」


 ――嫉妬? 国柴が俺の手を握ったぐらいで……


 そこまで考えて一樹はハッとする。先日工場跡地であったサンゴとのやりとりを急に思い出したのだ……サンゴを見れば、下を向いている彼女の姿。チラリと見える彼女の大きな目は伏せられており、唇を噛んでなにかを堪えているように感じられる。服のすそを握り込むその姿に……自分の手を悔しそうに握りしめていると受け取れる姿に、一樹は確信を得る。


 ――魔人にとって"手を握る"、と言う行為が意味するのは……!


「七曜、それ以上言うのはやめろ……」

「一樹?」


 ――ちっ、余計なこと言いやがって……知らないかもしれねぇけどな


 唐突な言葉に首を傾げる七曜に、一樹は内心で舌打ちを入れる。七曜からすれば、「一樹ともっと近い位置にいるサンゴちゃんが六花さんに手を握られたことぐらいで動揺するとは思えない」と軽い気持ちで言ったことなのだろう。仮に動揺してたとしても、サンゴであれば照れ隠しで肯定するなり否定するなりしてくれるはずだと思っていたのだろう。


 あくまで、人間界の尺度で「手を握ること」を考えていたらの話だが。


「……シチヨウもイツキもこう思ってるんでしょ?」


 ポツリ、と大きな雨が一樹の頭を叩く。田んぼの水面を叩く音が時間と共にゆっくりと、だが少しずつ早くなる。


「リッカがイツキの手を握ったぐらいでなにをそんなに動揺してるのかって……そうよね、アンタ達はそう思うんでしょうね」

「サンゴちゃん? 確かにそのと……」

「七曜! "魔人"からするとだな――」


 一樹の考えは、あくまで先ほどの一件にサンゴがジェラシーを感じていただけだと思っている。だからこそ、それを刺激してはいけないと思って一樹は咄嗟に口を出したのだ。


 だが、一樹は知らない。


 サンゴの中には既に一つの大きな波紋ができていたのを。

 今の一言が決定打となる新しい波紋を投げ込んだのを。


 重なった波紋は、大きな衝撃となって放出される。


「そうよ! あたしは魔人で、あんた達は人間よ! 違うのよ、なにもかもっ……!」

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