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名もなき物語  作者: 白カギ
《衝突の物語》
35/85

Part.14 豹変

「って5年前!? それって確か――」


 気まずい沈黙を第三者が砕いてくる。彼女へ向けていた複雑な思いを良くも悪くも壊してくれたサンゴの口を塞ぎながら、一樹は耳元で囁いた。


(なっ、なによっ!?)

(5年前に俺に会っている。この事実がなにを示すか考えてみろ?)

(えっ、どういうこと!?)

(お前って戦闘中以外本当にバカだよな。記憶を失う前の俺を知っているかもしれないんだ。今黙ってたのは……ちょっと、どう話を聞き出すか考えてただけだ。口挟まないでくれないか?)

(……わかったわ)


 未だ釈然としない様子だったが、記憶の事があるからこそ自分が変に関わるべきではないと判断したのだろう。渋々ながらもこくりと頷いたサンゴを一樹は解放し、目の前できょっとんとしている少女へと向き直る。


「悪い、コイツ変なヤツでな。いとこなんだが、確か5年ほど前にちょうど会ってたんだよ」

「いとこだったか……なら、そんな彼女にあんなに言ってしまったのは失礼だったな」

「気にするな、大体コイツが悪い」


 「ちょっとイツキ?」と小さな声で自分のふとももを捻ってくる。ただでさえ捻られると痛い場所だが、普段から鍛えられているサンゴが握ろう物なら立っているのも苦しくなるレベルだ。痛みに顔をしかめていると、少女は面白そうに微笑みを見せている。


「仲、良いんだな。そう言えば、いとこがいるって自慢げに話してたことがあった気がするが、その子なのか?」

「あぁ、そうだ。この通りちょっと乱暴だが仲良くさせて――」

「あれ? でも男じゃなかったか?」

「……男勝りって意味なんだよ、うん」


 いとこであることを誤魔化す度に八雲(ほんとうのいとこ)の存在がどんどん希釈になっていく気がするがそれはそれとして。


「そうか……なっ、なんていうか、君は少しも変わっていないな」


 はにかみながら真っ赤に染まった顔をこちらへと向ける少女。年頃の少女が想い人へと向けるその微笑みはどこまでも綺麗で……だからこそ、残酷な物に一樹は思えてしまう。直視できない眩しさを持つ彼女の微笑に一樹は目線を逸らしながら、言葉を続ける。


 ――とりあえずは……相手に警戒されないよう、話を合わせる方向から行くかねぇ?

「そうか? 逆にそっちはだいぶ変わったな……女はしばらく会わなきゃ変わるって言うけど見違えたわ」


 言うまでもなく、一樹はこの少女の5年前など知らない。まったく変わっていないかもしれないのだが、こうでも言っておけば大体話は通じるだろう。当たり障りのないことを言って誤魔化しながら、一樹は少女の顔色を窺う。


「本当? だっ、だったら嬉しいな……昔の私は結構太っていたからな」

「だからか。一瞬誰だったか分かんなかったよ」


 変わっていたのは事実だったのだろう。パッと顔を明るくした少女の顔を見て一安心し、一樹は次の言葉を選ぶ。下手に彼女の事を突っついてやぶ蛇になるぐらいなら、自分の話題へと軌道修正した方が無難であろう。


「しかし、変わっていないか。昔に比べて落ち着いたんじゃないかと思ってはいたのだが、そうでもなかったのか」

「とっ、年相応に成長したと言う意味だ……今でも、学級委員とかやっているのか?」

「特には……そう言えば、俺そんなことしてたっけか」


 大した情報ではないかもしれない。

 それでも、学級委員をするような人物だったと言う事実だけでも、一樹にとって大きな情報なのだ。


 ――そんな俺なんざ想像できねぇけど……八雲と似ていたと考えれば決しておかしくねぇか。


「してたじゃないか……何事においても仕切りたがってたけど、人をまとめるのは上手だったなって覚えてる」

「そうだったか? 今じゃこの通り落ち着いた暗い奴になっちまったなぁ」

「いっ、今は落ち着いてる雰囲気がよく似合っているぞ!……そっ、そうだ一樹。今度、あの公園に行ってみないか? 久しぶりに行きたいんだ」

「公園……?」

「そうだ、公園だ……ほっ、ほら。よく昔2人で遊んでいただろう?」

「そう言えばそんなことしてたっけか」


 公園で遊んだ……という事実が少し引っかかる。

 今までは当たり障りのない会話ばかりだったこともあり、せいぜい目の前の少女とはクラスが一緒だとか、せいぜいグループが一緒だったぐらいの接点しかないものだと思い込んでいたのだ。昔自分に片思いをしていて、それを5年間ずっと引きずっていた……我ながらあり得ない仮定だとは思うが、それぐらいが妥当だと思ってはいた。

 だが、今の言葉は少しばかり気になってくる……2人きりで遊んだ、と言っていたが、それはこの少女と自分がかつて並々ならぬ間柄だったと言う事なのではないか?

 それほどまでに、彼女はかつての一樹の近くにいた人物、つまり過去に大きく関わっていた人物なのではないか。


 その思いが一樹を突き動かす。公園の名前は相手から引き出せばいい。そう思って、話題を進めることにする。


 進めて、しまう。


「悪くないな、今度の土曜日とかどうだろう?」

「……私は、別に構わないぞ」

「本当か? そうだ、ついでに昔よく行った場所とか見に行ってみないか?」


 他にも少女と行った場所があるのではないか? 行った場所からかつての一樹の趣味嗜好がわかるかもしれない……そう思って一樹は話を切り出していた。


「良いな。昨日越してきたばかりで、まだゆっくりと街を歩いていないんだ」

「引っ越し? そう言えば片付けとかは大丈夫なのか?」

「あぁ、昨日終わらせているし心配はいらないぞ……」


 昨日? と隣でサンゴが眉をひそめるのが目に止まる。なにやら思い当たる節があるらしいが、頼むから余計なことをしてくれるなよと視線を送ると、サンゴは「分かったわよ!」と言いたげに頬を膨らませる。


「ところで……いっ、一樹……1つ、聞いておきたいことがあるのだが……」

「聞きたいこと? なんだ……?」

「大したことじゃないんだが、その……なんて言ったか、ティグレだったか? あのネコは元気か?」

「ネコ……あぁ、ティグレな」


 英語のタイガーに語感が近い単語だ。どこの国の言葉かまでは分からないが、語感から恐らくトラのことをさすのだろう。トラネコでも飼っていたのだろうか? どんな名前を付けているんだと記憶を失う前の自分にツッコミを入れる。


「あぁ、2年前にぽっくり逝ってしまったよ」

「そうか……それは、残念だな。もう一度会いたかったが」


 当然のことだが一樹はネコを飼っていた記憶などない。実際、記憶を失ってから少しの間、八雲の家に住んでいたこともあり、その間にどこかへと逃げていったのだろう。そう思って一樹は話を続ける。


「墓参りでもしてくれや……裏庭に埋めてるよ。よくそこで遊んだだろ?」

「……。……そうだな、行く度にそこでよく遊んでいたし」

「今じゃ雑草が生えっぱなしの寂しい所だけどな。まぁ、寝っ転がって昼寝するにはうってつけだよ」


 話の流れに沿って一樹は話した。

 ただそれだけだったが……少し離れた所で一部始終を見て、傍観者ながらもじっくりと考察していた七曜が「えっ?」と反応したのが目に止まったが、一樹はそれに気付かなかった。


「悪くないが、虫とかすごいんじゃないのか?」

「夏場だと結構いるな。虫とか苦手だっけか?」

「あまり得意ではないな……フフフ、」


 少女は吹き出す。未だに赤く染まった頬に浮かんだ微笑みは、白い花弁でぷっくりと包まれた開きかけの蕾のような愛らしさがある。ただ、少女の大人びた相貌がそこに加わることで、自信はなさげながらも少女からは不思議と色気が沸いている。控えめな笑顔に一樹の心はどきまぎしながら、急な微笑みに言葉を返す。


「どうしたんだ、急に?」

「いや、なんていうかデリカシーに欠けている所は君らしいな、と思っただけだ。昔からそういう所は治ってないんだな」

「あっ……ふん、よく言われらぁ」


 そう言われて悔しい気持ちになりながらも……しっかりと少女と話を合わせていられることへの喜びが勝る。少女はひとしきり笑った後、一樹の方をしかと見つめてくる。


「一樹、ちょっと良いか?」

「「えっ?」」


 一樹の了承も得ないまま、少女は彼の元へと詰め寄って彼の両手を握った。思いがけない急接近に一樹の心臓も勢いよく跳ね上がり、そして眼前に広がった彼女の顔をしかと目に焼き付けられてしまう。


 女性らしい柔らかな手だった。

 慈愛に満ちた優しい瞳だった。

 蕩けるように甘い微笑だった。


 隣の誰かがふと声を上げたが、一樹は気付かない。少女は握った一樹の手をそのまま自分の胸の前で合わせ、まるで祈りを込めるかのようにぎゅっとその両手を合わせる。天使の羽に包まれる、という表現がしっくり来る、柔らかくて暖かい手の感触に一樹は何も言えなかった。


「相変わらず男らしい手だ。大きくて、ごつごつしていて……」

「そっ、そうか……? 割と普通だと思っているが」

「数年前よりも磨きがかかってるよ……あぁ、やはり良いなぁ……」


 幸せそうに少女は笑う。その直後、少女は夢見心地に独り言を呟いた。


「近くて遠い……何故、"お前"は"君"じゃないんだ……」


 小さなその一言が、一樹の背筋に寒波をもたらす。

 それこそ、自分のすべてが看破されたようなその一言に、ハッとなって少女の顔を見る。


 そこには、相も変わらず浮かんでいる微笑。

 だが、少女の目は少しも笑っていない。


 脇に嫌な汗が滲んでくる。それまでの幸せな感覚から一転、一瞬で現実に戻された一樹は恐る恐る少女に言葉を返す。


「お、おい。今なんて言った……?」

「そのままだ……そもそも、こうやって手を握るのも初めてではないのにあからさまに驚くとはな」

「っ!?」


 瞬間感じた怖気に一樹は手を引っ込める。少女は残念そうに自分の手を見つめ、やがて一樹の方へと視線を移す。

 そこに込められていたのは羨望や好意とは違う。相手を凍らせそうなほどに冷め切った視線を一樹へと向けているのだった。先程までの暖かさに、そのままマイナスをつけたかのような、異常な冷たさが感じられるのだった。


「そっ、それはどういう意味だ……?」

「どういう意味も何もそのままだ。そもそも、今まで私が本当のことばかりを言っていたとでも思っていたのか?」

「なっ……」


 それまでとは違う彼女の迫力に一樹はまた違う意味で凝視してしまう。迫力に呑まれ、一樹は身震いすると共に……どうしても、ある違和感がぬぐえなかったのだ。


 ――騙す? いや、確かに俺はなんの警戒もしなかった。そう言う意味では騙されていたが……


 ほんのちょっと前まで一樹と会話をしていたあの少女が今や凛とした声と共に堂々たる姿を見せている。その豹変だけを見れば、なるほど確かに先ほどの怯えきっていた姿が演技であったと見える。

 

 ――いや……さっきまでのあの姿、どう見ても演技じゃない。


 おどおどした様子で自分に話しかける姿。それはあまりに自然で、しかしどこかぎこちない。演技で生み出せるバランスの域を優に超えていた。本当に自分に対して緊張しているからこそああなってしまったような、素の一面にしか一樹は見えなかった。


 一樹へと向けていた「会えて嬉しい」と言う嬉しさは紛れもなく本心だったように思える。あそこまで自然で目映さを覚えさせるほどに相手を騙し通すことが人間にはできるのだろうか? 一樹とてすべての人間を知っているわけでも、人間のすべてを知っているわけでもない。今までの記憶の中で非常に巧妙な詐欺師に出会ったことはないから断言はできない。だが、それでもあそこまで純粋でまっすぐな想いをでっちあげて向けられるのだろうか?


「一つ訊きたいが……私を名前で呼んでみてくれ。呼べるか?」

「……」

「呼べないよな……」


 そして、今目の前で冷え切った瞳を自分へと向けている少女はどう見ても本物にしか見えないのだ。どちらも本物の姿に見えるからこそ、一樹は彼女の考えをまったく読み取ることができない。

 分からないことだらけの少女は、ゆっくりと口を開き、一樹へと告げる。


「記憶喪失中なら、無理だろう」

「「「っ!?」」」


 いや、一樹だけではない……高らかに告げられたその言葉は、この場にいる七曜、サンゴの元にも等しく吹雪(ブリザード)となって吹き寄せる。全員が全員、驚きと六花の迫力に言葉を失い、行動を奪われてしまったのだった。


「……今日は、それを確認したかったんだ」


 そう言って少女はカバンを担ぎ直し、凍り付いている3人の間をすり抜けていく。途中、少女はサンゴの前で足を止める。


「お前がサンゴだな。なるほど、うっすらと魔人の痣が見える」

「はっ、はぁっ!? アンタ、魔人のこと知ってるの!?」

「知っているも何も……まぁ、また会おう」


 そう言って少女は歩き始める。土を踏みしめていく足音が不気味なほどに一樹の耳へと響いている。数歩彼女が歩いた後、その足音が止まり、自分を呼ぶ声に恐る恐るそちらへと顔を向ける。


「一樹、最後にもう一つ良いか?」


 肺の奥から言葉を振り絞ろうにも、凍り付いた喉を振るわせることが中々にできない。

 何回か呼吸を繰り返しようやく喉にぬくもりが戻ってくる。やっとのことで、六花へと一樹は言葉を返した。


「なっ、なんだ……?」

「私の名前は、国柴六花(くにしば りっか)だ…………好きなように、呼んでくれ。そして……」


 少女の、六花の言葉が途切れる。彼女自身、どうやって続きを言い出そうか迷っているかのように……数秒の間を挟んで、六花は言葉を吐き出した。


「……"君"は私の中で生き続けてくれればいい……"お前"は、別にそのままで良いさ」


 そう言い残して少女は、六花は立ち去っていった。物言わぬ迫力を背中から感じさせながら、しかしただ平然と六花は元来た道を戻っていく。


 空を覆う雲はより一層厚みを増していく。彼女の背中が見えなくなった頃、ポツリと落ちた一滴の雫が頬を濡らすまで、一樹は……いや、ここにいる3人は誰1人としてまったく動くことができなかった。

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