Part.9 鎮静
「おらっ!」
銃弾がサンゴの胸を貫く直前に強い風が吹き付ける。突風は銃弾の動きを反らしていき……細身であるサンゴの脇をすり抜けていく。奇跡的にこのような風が吹きつけてきたのか? いや、弾丸を吹き飛ばすほどの風がなんの前触れもなく吹き付けるとは考えづらい。人間道の気候を熟知しているとは言えないサンゴだが、今日まで生活してきた気候は魔界と大差ない穏やかな環境だった。故に、自然発生とは思えなかったのだ。
であれば……聞こえてきたかけ声と合わせて考えると、思い当たるのは1つだけだ。ちょうど今朝方に直撃を喰らったからよく分かる。戦いの場でありながら、強風に当てられて顔を覆ってしまったのだが、それは音和も同じ事。彼女もまた目を覆い、ずっとサンゴへと向けていた意識がその"風"を引き起こした要因へと向けられる。音和も正体に気付いたのであろう。
「"解除"ッ!!」
煩わしく思ったのか、"解除"を用いてその暴風を……"風"の魔術を解除する。魔力でできた"風"はその一言に吹き飛ばされてしまったが、音和の注意がそちらに向いたためサンゴは無事に着地することができたのだった。
――今のうちに追撃を……痛っ!
着地する隙を狙って槍を突き出そうとするが、左手に突き刺さったナイフの痛みに怯んでしまう。今度の隙を音和は見逃さなかった。遅れて着地した音和は、サンゴへと銃口を向ける。血走った目だが、焦点はサンゴに集中していた。
「逃がさねェぞ魔じ――」
「逃がしてやれよ、っと!!」
気怠げな声とは裏腹に、機敏な動作を見せながら声の主は音和の体を飛ばす。宙に浮いていたこともあり、音和の体は少し離れた所に飛ばされる。体当たりで音和をはね除けた後に、"彼"はサンゴの方を見てため息をつく。
「やれやれ……貧乳で助かったな、サンゴ。巨乳なら死んでた」
"彼"……烏飼一樹は面倒くさそうに顔をしかめながら軽口を叩く。タックルをかました右肩を押さえながらサンゴへと向き合うその姿に本来は感謝すべきなのだろうが……しかし、彼の言葉に怒りが募る。左手に刺さったナイフを抜き、ついでに魔力を用いて傷を治癒しながらサンゴは睨みを利かす。
「後で刺す!……けど、ありがとうイツキ」
「謝礼だけは後でもらってやる……だが、まだ終わってない」
一樹はすぐに音和の方を見て刀を構える。一樹が吹き飛ばした程度で戦闘不能になるほど音和は柔ではない。受け身こそ失敗していたが即座に立ち上がり、歪んだ顔から憎悪の声を張り上げる。
「邪魔をするなァッ!」
唾液を撒き散らしながら吐かれた暴言と共に音和は右手を振るう。振るわれた右手から、小粒のなにかが飛んでくるのがかろうじて見えたと思ったら、次の瞬間に深い煙が上がる。分断することが目的だったのだろう。すぐ近くにいたはずの一樹が見えないほどの濃い煙が巻き上がった。そして、何を焼いたのかは分からないが、あまり良いとは言えない匂いも襲いかかり、サンゴの視力と嗅覚は完全に奪われてしまう。煙に咳き込むサンゴの耳に、大地を蹴る音が聞こえる。
――イツキだったらゴメンねっ!!
反射的に、サンゴは【アプソル】を右手に持ち替えて音のする方へと向ける。その行動が功を成したと理解したのは、キンッ、と言う鋭い音が聞こえた直後だった。刃と柄がぶつかった音に違いないため、最初は一樹が闇雲に振るった刀が当たったのではないかと思った。しかし、止まることなく続けて攻撃してくるその刃の攻撃間隔は、日本刀を振り回しているにしては短すぎるように思う。事前に聞こえてくる風切り音に合わせて【アプソル】で防御を繰り返す。音和のナイフを【アプソル】の柄に当てて、つばぜり合いの状態になったとき、サンゴはハッとする。
――コイツ、銃を持ってるんじゃ――
直感的なひらめきと豪運で避けられたとしか言いようがない。嫌な予感がして咄嗟に体を反らした直後に、薬莢がはじけ飛ぶ音が聞こえ、自分がいた場所……心臓部分を通過していくなにかが見えたのだ。戦慄を覚える暇すら与えないように、音和は声を張り上げる。
「まだまだァッ!!」
――蹴りっ!?
煙を自らが吹き飛ばすように、ドロップキックの要領で突っ込んでくる音和が目に止まり、慌てて槍で防御を計るが既に堪えるだけの力が入らない。【アプソル】を弾き飛ばされ、サンゴは地面へと叩き付けられる。
「止めェッ!!」
勝利を確信した笑みなのか、狂気に染まった微笑みは今までよりも嬉しそうに見える。手に持った小型の銃をサンゴへと突き付けた音和は、引き金へと手をかけた。
【アプソル】は弾き飛ばされ、蹴られて地面に叩き付けられた衝撃に体も思うように動かない。防ぐ手段が完全に断たれ、万事休すかとサンゴはギュッと目を閉じる。
――やだ、まだ死にたくないよっ……っ!!
強烈すぎる音和の殺気と向けられた銃口、そして一切動くことのできないこの状況に、サンゴはただ自分の無念を呪うことしかできない。引き金が引かれるまでの時間がやけに長く感じられて……
ゴンッ!
と鈍い音が耳に入る。引き金を引いた時の乾いた音とはほど遠いその音に、恐る恐る目を開けてみると……
「ガッ……ッ!!」
赤く血走った音和の目が白へと変わり、大地へと倒れ伏していった。
倒れていく音和の後ろから現れたのは、刀を逆手に持ったタレ目の少年の姿。
「間一髪、セーフだったみたいで」
そう……"風月"を逆手に持ち、柄で音和の頸動脈を叩いて昏睡させた一樹が立っていた。彼はニヤリとほほえみながらしゃがみ込んでサンゴの顔を覗き込む。
「まったく、お前は寝っ転がるのが好きだねぇ?」
「……本当に……」
「ん?」
「……本当に、死ぬかと思った……っ!!」
「なにしおらしく泣いてんだか……よく耐えたな、サンゴ」
どこか素直じゃない彼の言葉に少しだけ腹が立って、しかし素直に喜んでることを感じさせる笑顔を向けてくれて、でも最後の最後で諦めてしまった己の不甲斐なさが悔しくて、だが想い人に助けられたという事実も決して悪いものではなくて……
色んな想いが目から零れてくる。溢れ出る涙に目頭が熱くなる感覚が、生きているという感覚がこれほどまでにありがたいことだとサンゴは久しぶりに思い知った気がした。
***
帰りがけの学生が混み合う駅の中、道行く人々をかき分けながら七曜は前へと進んでいく。駅に入る前に見えた大空は雲に覆われていた。まだ雨は降るには時間がかかりそうで、もしかしたらバイトが終わる頃には雨が降っているかもしれない。夏であることもありまだそれほど暗くはないが、赤い夕焼けが見えないと言う事に少しだけ七曜はナイーブになっている。
「おい、本当にこっちなのか?」
「うん、合ってるよ。けど……」
いや、感受性が豊かであることは自負している七曜だが、流石に夕焼けが見えるか見えないかを気にするほど感傷的ではない。七曜の頭を悩ませている問題は天気等と言う遠い空のことではなく、すぐ後ろにいる少女のことだったのだ。その少女、国柴六花は歯切れの悪い言葉に腹を立てたのか、不満そうに聞き返す。
「なんだ?」
「ごめん、ちょっと休ませて」
そう言って七曜は壁へともたれ掛かる。だらしないヤツだな、と罵りながらも、律儀に自分の隣に来て腕組みをしながら手すりに腰掛ける六花を見て「あはは、面目ない……」と苦笑を漏らす。
「なんかデートしてるみたいだね」
「……………は?」
「ごめんなさい」
場を和ませようと思ったのだが、普段以上に低くした声と細められた目に溢れんばかりの嫌悪感を感じ取りなにも言えなくなってしまった。道中、こちらから会話をしてみてもすべてこの調子……流石にここまであからさまな拒絶はされなかったが、「どうでも良い」「うるさい」「それは今大事なことか?」とすべて跳ね返されてきたのである。会話のドッジボールどころか、壁に向かってスーパーボールを投げつけてるような感触しか得られないのだ。スーパーボールを投げて遊ぶのは楽しいかもしれないが、そのスーパーボールがすべて顔や予想外の方向に跳ね返るのでは楽しみよりも徒労感が勝る。女の子との会話では百戦錬磨の七曜でも、ここまで話そうとしない相手は初めてだった。苦笑いを浮かべながら七曜は内心で溜息をつく。
――はぁ、どうすれば良いんだろ。
別に七曜は体力的に疲れている訳ではない。部活には入っていないが過剰なバイトや過激な"裏"のできごとで常人以上に体力はついている。わざわざ座ったのは時間稼ぎの行動であるが、それ以上に考えをまとめたかったのだ。
――案内して欲しい場所がそこだとはねー?
会話を突っぱねられる度に、「釣れないなぁ、折角そっちが提案してきたのに」と(心で)悪態をつき、やがて提案された言葉へと考えが移る。壁ドンされながら突き付けられた言葉を吟味しては迷い、気分転換にと六花に話しかけやはり突っぱねられ……が延々と続いていたのだ。頭脳的に、そして精神的に疲れが出てきたのは事実なのである。メガネを取り、額を押さえながら七曜は再度考え直す。
――いっそ、まったく知らないところに行きたいって言われた方が遙かにマシなんだよね。
隣に腰掛ける六花の顔を覗き見る。忌々しげに人混みを睨んでは訳もなく威圧感を振り向いている彼女だが、クラスで浮かべていた陰鬱な顔よりかはどこか楽しそうではある。おしゃまな女の子が楽しみを懸命に堪え、それを隠すために、照れ隠しでもするようにわざと難しい表情を浮かべているような純真さが感じ取れて……なおさら、七曜の顔には影が差し込む。
――日浪市なら大抵の場所は案内できるよ。できるけど……ねー?
先ほどから七曜の頭の中を何度も駆け回っている六花の一言が、再び彼の頭の中に鳴り響く。
『烏飼一樹……彼の家に行きたいのだ。知っているだろう?』
その言葉を聞いたときに、落雷に打たれた。
七曜の中ですべての時間が、動きが、思考が停止したのだった。あまりの驚きに鼓動すら止まったように感じる。それぐらいに衝撃的な言葉だったが、しかし七曜は同時に浮かべていた顔もまた中々の衝撃を与えるものだったのである。
『…………』
答えを決めあぐねている自分を見つめる六花の顔。頬にはほんのりと朱色が差し、恥ずかしそうに目を伏せて、嬉しそうに口元を和らげている顔だったのだ。氷の彫刻とは程遠い暖かさを感じる人間の顔。完成された芸術美より完全ではない人間の美しさに人間が入れ込む理由がよくわかった気がしたのだ。それほどまでに、表情の変わった六花に七曜は思わず抱きしめたい。なんなら壁ドンを逆にやりかえしてでも告白してみたいと思ってしまうほどに六花がより魅力的に思えたのだ。
しかし、その衝撃から冷めて冷静になった七曜は疑問に駆られる。何故六花が一樹の事を知っているのか? 授業中はおろか休み時間ですら六花はずっと机の上で不機嫌そうに窓の外を眺めていたのだ。であれば、自分が目を離したこの放課後の間になにがあったと見るべきだろう。
だが、一樹と言葉を交わしたとは考えづらい。「喜多村来るから早く帰るわ」と言うメールの通り、一樹はまっすぐ家に帰ったはずだ。仮に六花と言葉を交わしたにせよ、一樹なら埋め合わせの約束を取り付ける。初対面の相手にそれを言う女の子もどうかと思うが、今日今すぐに家に行きたいと六花が言ったならば、どこかしらで待ち合わせするなり、一緒に家まで行って待たせるはずだ。その事から、一樹と六花が知り合ったばかりだと言うのは考えづらい。
であれば六花が一樹とすれ違って、一目惚れしたのだろうか? 見た目が云々というのは個人によって感性の差があるため言及しない(七曜の所感だが、一樹は平凡よりは少し上の顔つきでモテるか否かの境目であり、実際何人か女子から紹介してほしいと頼まれたことはある)にせよ、それならばどうして六花は一樹の名前を、それもフルネームで知っているのだろうか? 自分達の高校に名札はない。そのため姿を見ただけで名前を特定するのは不可能であり、仮に六花が一樹の事を調べ上げるストーカー気質であれば……名前だけでとどまるものだろうか? 住所も調べ上げ自分から向かいそうな気がしてならない。
――となると……考えられるのは1つだけ、なんだよね。
六花が一樹を元から知っていた。
七曜の頭にはその考えしか残っていない。そうであれば一樹を知っていること、人となりを知って惚れていること、そして家が分からないことも合点がいく。
――それは別に良いんだよ。問題は……一樹が記憶喪失ってことだ。
一樹は記憶喪失であることを七曜を含めごく少数の"裏"の人間しか打ち明けていない。六花が"裏"の人間かどうか、七曜はまだ彼女に魔眼を向けていないため分からないのだが、"裏"の人間だとしても六花は一樹の記憶喪失を知っているとは思えない。
――会わせても良いのかなー? 会うことで一樹に手がかりが増えるなら万歳なんだけど、一方で一樹が記憶喪失であることを知って彼女がどう思うのか。彼女が受けるだろうショックを考えると、連れて行かない方が賢明なような……でも、彼女は遅かれ早かれ一樹の家に辿り着きそうな気がするし、だったら今案内しても一緒?……ああっ、迷うなぁ!!
ずっとその答えを出せずに、七曜はわざと遠回りをしていたのだ。いっそ記憶喪失の事を打ち明けてしまうか? と七曜は考えるが、先日の一件でサンゴに勝手に話したことを咎められたことを思い出すとどうしても言い出すのは躊躇われる。
――そう言えば、まだ一樹の事を話題に出してなかったっけ。食いつくかな?
「あのー、六花さん。どうして一樹と会いたいの?」
ダメ元で七曜は六花に声をかける。「お前に関係あるか?」などとまた突っぱねられることを覚悟していたのだが、六花はこちらを向いて「あぁ、」と話を始める。
「どうして、か。さぁ、言葉にするとなるとどこか照れくさいな」
「照れくさい?」
――もしかして一樹の元カノとか? いや、小学校で交際なんてするもんなのかな?
最近の子供は成長が無駄に早いからなーと最近の子供である七曜はじーっと……意味合いは違えど、早い成長によって成熟した体をした六花を見る。
今の彼女は、クラスの前で爆弾発言をしたあの姿と同じだとは思えない。白く透き通った頬にはうっすらと朱が差し、キッと結ばれていた口元はわずかに歪んでいる。恋する乙女と言う表現がこのクールな彼女に似合うとは七曜も思ってもいなかった。それほどまでに朝とは別人の姿を自分に……いや、烏飼一樹に向けている。壁ドンをされた時にも見たこの表情に、六花にとって一樹はそれほどまでに憧れていた存在なのだろうことを七曜は推測する。
――六花さんはまだしも、一樹が小学校で彼女を作るなんて考えづらいけど、って小学校の一樹って今の一樹とは違うわけか。じゃあ、一樹の記憶喪失前の姿を知る手がかりになるかも!?
「もしかして、一樹と昔なんかあったとか?」
「べ、別にそういうわけでは……あーもう、なんでお前にこんなこと喋らなきゃならないんだ……」
「もしかして照れてる?」
「――ッ?」
図星のようだった。頬における朱色を占める割合がより大きくなり、顔全体を真っ赤にしながら口を押さえて切れ長の目を見開く。教室にいたころの無表情が嘘のように今の彼女は分かりやすく照れているのだ。その姿が面白く、どこか愛らしくて七曜もまた笑顔が零れる。
「あっはは。国柴さん、結構素直なんだね」
「うっ、うるさい!」
顔を真っ赤に染め上げて抗議の声を出しても、今の彼女には威勢や迫力など皆無だった。同年齢の女の子らしいしおらしさを見て、七曜の胸中は複雑な思いが渦巻く。
――……一樹に会わせても良いのかな?
別人のようになって一樹に会える興奮を見せる六花。この彼女に、現実を知らせても良いのだろうか? そればかりを考えるが、どうにも答えは出てこない。
夕焼けは雲に隠されていき、空はいっそう暗くなる。これ以上悩んでも仕方がない、雨が降る前に片付けたいな、と七曜は立ち上がった。




