Part.6 始動
「ありがとうございました!」
1日が過ぎ、終業の挨拶が教室内に轟く。2年生の夏という部活をやっている者からすれば大切な時期を一時も無駄にせんと血気盛んに飛び出していく級友を横目に一樹は帰り支度を進める。
「一樹ー、今日はお前剣道部来るのか?」
「悪ぃ。今日は、てかしばらく行けねぇわ」
一樹は部活には入っていない物の、鍛錬も兼ねて剣道部に時々顔を出している。そのため行かねばならない義理も義務もないのだが……並外れた実力を持っているため、度々入部を勧められているのだ。それに応じる気はサラサラない。
「あんだよ、つれないな。女か?」
「…………そんなところだ」
サンゴも歴とした女性であり、彼女絡みのことで部活には行けないため質問への答えとして間違ってはいないだろう。十中八九質問のニュアンスからは外れているが、決して嘘はついていない。クラスメイトは「畜生!」と泣きながら駆けだしていった事もあり、やはり意味合いは違ったのだろうが一樹は特に悪びれることもなく教室を後にする。
――確かに、今日はもう1人女が来るが……さっさと帰るか。しかし、転校生、ねぇ。
昼に火蓮から聞いていた転校生のことが少しだけ頭をちらつく。自分のクラスに転校していない以上、そして部活に所属していない以上まず関わりを持つことなどないはずであり、正直なところどうでも良い……と思ってはいるものの、それでも人間の性なのか興味が全くないと言えば嘘になってしまう。風の噂で七曜のクラスに転校したと聞いたため、知ろうと思えばすぐにでも知り合うことはできるものの、しかし今日は既に用事ができている。
――また後日でいいよな。目下の問題はどっちかっつーと……めんどくせぇ……
これからある用事を無事に完遂するにはどうすれば良いのか? それだけを頭の中で色々と画策しながら廊下を歩いて行く。
考え事に没頭すると周りが見えなくなりがちなのは一樹の癖である。集中力が桁外れであると言う意味では長所であるが、周囲への意識が落ちると言うのは短所であり一概に良いことだとは言えない。
だから彼は気付かなかった。
人の目を集めてやまない、雪を思わせる少女とすれ違ったことを。
***
雪を思わせる白い肌を持つその少女はその瞬間足を止める。
「…………っ!!」
振り返った彼女の目に、彼の姿は見えない。
小さく呟いた彼女の声は、彼には届かない。
か細く伸ばした彼女の腕は、彼を掴まない。
***
家族はいない、と言うより記憶から抜け落ちている一樹だが、それでも元々は家族と共に過ごしていたはずの家にそのまま住んでいるのである。一人暮らしで使わない部屋は多数存在しており、サンゴはその一室を借りて寝泊まりをしている。元々両親が生活していた部屋なのだろうか、若者の趣味には合わない拡張ばった古めかしい家具ばかりがあったが、特に必要性を感じないためベッドの上にかかっている花柄の布団を除けば特に物を持ち込んだりはしていない。ちなみに、この花柄のシーツは先日のテスト休みに一樹と買いに行ったばかりである。
――なによ、なによなによなによっ!
電気を付けず、照りつける日差しもカーテンで遮断された暗い部屋。花柄の布団にくるまりながら、サンゴは歯ぎしりを繰り返す。今日はほぼ一日不貞寝をして過ごしていたが、気分はまるで晴れない。いつもなら、寝れば大抵の嫌なことは忘れる単純な性格でも今日に限っては腹の虫が治まらなかったのだ。
――ああ言えばあたしが引くとでも思ってるのかも知れないけど、むしろ逆ね! あたしは負けず嫌いなのよっ! イツキが誰となにをしようったって、関係ない、
長いこと寝ていたためか、体に満ちる魔力は充分に溜まっている。無論全盛期とは比べものにならないのであろうが、それでも一戦をこなすぐらいなら充分である。朝に心の大部分を占めていた落胆のほとんどは闘争心へと変わり、勢いよく布団をはね除ける。
「ぶち壊してやるっ! 台無しにしてあげるわよ!」
我ながらどうにも根深いなぁと少なからず思いながらも、そう言った理性を押しのけるようにサンゴは拳を握りしめる。カーテンを開けてみれば、既に日も暮れ始めた夕方。鮮血のように不気味な赤色に空が染まっているのを見て、「流石に寝すぎたわ!」とかなり後悔をするが……逆を言えば、訪問者を待ち呆ける必要もないのだろう。
――"魔物狩り"ってことは、"裏"の人間なのよね。なら最悪【アプソル】を持ち出しても良いわよね!?
物騒なことを考えているサンゴの思考を、インターホンの音が断ち切る。
「来たっ!」
勢いよくサンゴは窓際へと身を運び、玄関を覗き込む。門の前で一樹と話をしている来訪者をじっと睨み付ける。そこにいるのは後ろ髪を一房だけみつあみにして尻尾のように垂らしている高身長の女性。猫背にしているためあまりそうは見えないが、実は170cmを越えている高身長の一樹に迫らんとする背丈であり、小さな身体を少なからず気にしているサンゴは嫉妬の気持ちがなおさら強くなる。
が、そんな妬みも彼女の胸元に視線を寄せると、
――胸はあたしのが勝ってる! てか、あたしで勝てるってあの人……
同情へと変わってしまう。文字通り自分の胸に手を当てて、そのかすかな膨らみに少しだけ落ち込みながらも、それでもあの女性よりはあるように感じるのだ。女性は手首が隠れるほどの長袖を着ているが、夏という時期に適した薄生地の服であることは分かる。どう見ても着やせしているのではなく元々胸がないのであろう。やせ形であることもあって、体に女性らしい膨らみは少ないが、雰囲気には女性らしい柔らかさがある。特に、フレアスカートの裾からチラリと見える白いふとももには健康的な色気と魅力が溢れているように思うのだ。体に色気はないのだが、そのすべてを返上せんとする勢いで魅惑的なふとももに、サンゴはジェラシーを感じて頬を膨らませてしまう。
――どうせ、あたしに色気なんてないですよ……にしても、"魔物狩り"にいる割には落ち着いた人ね。
もう一度、サンゴは彼女の顔へと視線を移す。穏やかそうな顔つきにメガネはよく似合っていて、理知的で優しそうな印象がある。遠目に見ている限りお似合いのカップルに見えなくもないのだ。
――イツキって落ち着いてる人が好みなのかしら……アイツ自身落ち着いてるし、っと!?
ふと、女性がこちらに目を向けた気がして、サンゴは慌てて隠れる。別に見られても構わないはずだが、かつて敵地を偵察していた時を思い出して反射的に身をかがめてしまったのだ。
――気付かれては……ないかしら? よし、敵のことは大体頭に入ったわ……さぁ、覗きに行くわよっ!
サンゴは手をパチン、と叩いて意気込んだ。
***
「失礼しました」
放課後の学校に残るのは部活をしている者か図書館で勉学に励む者の2つに大きく分けられる。一樹は時折部活に入り込んで運動をしているみたいだが、その友人である七曜は部活に所属しているわけでも、入り込んでいるわけでもない。基本的に彼の放課後の予定はバイトで埋まっており、始まる時間が遅い場合は図書館で勉強をしているのだ。たまに分からないところを教師に質問しては、なるべく短い時間で集中して覚える。成績優秀者向けの奨学金をもらいながら学校に通う七曜なりの処世術であった。
――バイトまでもうちょい時間あるなー。今日は駅前だし、ゆっくり向かうのも良いかも。
ちょっと本屋で立ち読みでもしようかなと帰りの計画を立てながら歩いていると、突如すごい力で手を引っ張られる。あまりにも突然のことに、為す術もなく引っ張られて壁へと追い詰められてしまった。謎の襲撃者は腕を掴んでいた手を離し、七曜の退路を囲むように眼前に立ちふさがる。状況整理もままならずに混乱していたが、耳元に突如「ドン!」と言う大きな音がしてハッとする。音をする方を見れば白く細い腕が伸びているではないか。この状況、と言うよりはシチュエーションに七曜は見覚えがある。
「今流行の壁ドン!?」
「壁……なんだ、それは?」
女性の低い声が自分の正面から聞こえてきて、七曜は目線を横から正面へと移す。そこには、無表情を浮かべて聞き慣れない単語にきょとんとしている……
「六花さん、知らないでやったの? こうやって異性を壁に追い込んで逃げ場をなくすことだよ」
「そうなのか。変なものが流行ってるんだな」
「僕もそう思うよ。六花さん、世情には疎い方なの?」
転校生、国柴六花の姿があった。見事な壁ドンで彼女の息づかいが分かるほどに肉薄しているため、クラスで遠くから眺めていた時以上に彼女の顔を見ることができる。透明感溢れる透き通った肌の白さと、変化に乏しい無表情は氷の彫刻を思わせる。芸術として突き詰められた美しさはあるものの、どこか人間らしさとは離れているような気がするのだ。しかし女好きの七曜からすればその事に言及するつもりもなければ追求するつもりもない。有無を言わせぬ美貌を持つ少女に迫られていると言う状況に鼓動は高まり、冷静な考えは吹き飛ばされてしまうのだ。「まあ」と短く肯定する彼女を見て、七曜は少しだけ微笑みが漏れる。
「やっぱり? テレビとかネットとかしなさそうなイメージがあるかな」
「……まー、壁ドンがなんであろうとどうでも良い」
実際は男性が女性にするのが主流だそうだが、そんなこと言っても蛇足かなと七曜は言葉を堪えて六花の顔をじっと見つめる。
美人がぶっきらぼうにしているからなのだろうか? 冷めた視線で見つめられるとなにもしていなくても自分が悪いように思えてしまう。その手の趣味があれば「踏んでください!!」と喜んで言いたくなりそうな女王様気質があるのは違いない。
「踏んでください……」
「……虎の尾を踏む、と言うことわざを知っているか?」
「薄氷を踏むの類義語、だっけ? あはは、そんなに僕の行動はひやひやするかい?」
「驚いた。なんだ、知恵は少なからずあるのか。人は見た目によらないと言うが……いや、この場合見た目通りなのか?」
マイナーなことわざを言い当てられたことがそこまで驚きなのか、六花の表情に感心の色が見える。六花の言葉通り、確かに七曜は見た目だけならマジメな優等生である。シャープな顔つきにメガネはそれだけで知的な印象を与えるし、首元にこっそりとかけた球体のネックレスを除けばとくに飾り立てているわけでもない。しかし、成績が良いことを知られると大抵驚かれる。おそらく日頃の態度が問題なんだろう。それに関して否定することができない自分が少し悔しい。
「お褒めにあずかり光栄だよ。それでなんの用? もしかして、告白!?」
「…………お前、今暇か?」
「暇っちゃ暇だよ、って答えるぐらいかな?」
冷たい視線と共に完全にスルーされるものの、七曜はそのぐらいではめげない。確かに中途半端な時間が残っている。神妙な表情で聞いてくる六花に「暇じゃないよ」と嘘をつく隙など与えられなかったし、なにより女性を相手にする嘘はなるべくつきたくない。
「なんで? デートのお誘い?」
「似て非なるものだが……少し、案内してもらいたい」
「案内?」
日浪市に来て間もないことを考えれば至極まっとうな意見に聞こえる。しかし、七曜はそこでなにも考えずに安請け合いするほどバカではなかった。
案内をしてもらいたいのであれば、自分を誘う意味などない。クラスにいる女子相手にこうやって壁ドンすればおそらく付き合ってくれるだろう。この壁ドンに脅迫されて恐る恐る従うなり、この壁ドンで憧憬を抱いて禁断の恋に目覚めるなり、何件か当たれば1人ぐらいはかかるはずだ。
「あぁ……お前なら、知っていると思ってな」
「僕なら? なんだろう、デートスポットとか? 確かに沢山知ってるね。はたまた、生活に便利な安い定食屋さんとか? こっちは店員さんと顔なじみレベルで知ってるかな」
飄々とした態度を崩すことなく七曜はあくまで気さくに話をふる。六花を少しでも和ませようという彼なりの配慮であったが、六花の無表情はそんなことでは崩れない。氷の仮面を被ったまま、彼女は平然と言葉を放つ。
「そんなものどうでも良い…………その、なんだ……」
ただし、平然と返してきたのは意見を一蹴するまでだった。
その直後、急に歯切れが悪くなる。目を逸らして周囲を伺った後、七曜に向き直る。目はせわしなく動き、口元を小さくパクパクと動かしている彼女の姿が。氷が溶けた後のように汗を流している彼女らしくない姿に七曜は面食らってしまう。しばらくすると、意を決したのか彼女は小さく頷く。
「…………耳を貸せ」
「うん?」
言われるがままに耳を貸し……六花は言葉を呟く。
「……だ。知っているだろう?」
「っ!!」
思いがけないその言葉に、七曜は言葉が出てこなかった。
――まさか…………そこに、行きたいってことは……
様々な情報が頭の中で交錯し……結論を出すまでに、少し時間がかかった。
「分かった……案内するよ」




