Part.1 この世界の"裏"
「ちょ、どういうこと……なんでアンタ、そんなもの持っているわけ!?」
烏飼一樹は日浪市にある県立高校に通う高校生である。時々遅刻をするし、授業中の居眠りも多いと素行は良いとは言えないがそれでも欠席だけはしたことがない。成績も上の下から中の上ぐらいを行き来するあまり目立たないところをキープしている。交友関係は広い方であり、特別部活には入っていない物の、時折誘われてはスポーツを嗜むぐらいの運動はしている。
ただし、彼をごく普通の学生と表現するには些か語弊が生じる。
普通の学生であれば、深夜に人目の付かない工場跡地には来ない。
普通の学生であれば、頭上から奇襲を受けても対処はできない。
普通の学生であれば、何もない筈の右手に日本刀は現れない。
それもそのはず、彼は"表"の人間ではない。
「あんた、"裏"の人間か?」
「"裏"って? マフィアとかそう言うのって意味なら違うわよ? てか、こっちの質問に答えなさい!」
「ほう……?」
思いがけない返答に一樹は面食らう。
一樹が言う"裏"の人間とは、なにも闇の世界の住人のことを言っているわけではない。この世界に住まう大半の人間には魔力が流れている。そして、ただ生活をしているだけでもある程度魔力を無意識に用いている。しかし、ほとんどの人間がそのことを知らない。平凡な生活を送る大多数の人間を表舞台の人間という意味を含めて、"表"の人間と言う一方で、魔力の存在を知る者を"裏"の人間という。"知る者"と言う定義になっているのは、なにも魔力の知識を持っているからと言ってすべての"裏"の人間が恣意的に魔力を行使できるわけではないからだ。
――この素っ頓狂な反応、どういう意味だ? "裏"の人間であることを隠す必要なんざ、せいぜい奇襲を仕掛けるときぐらいだろ?
一樹は"敵"として認識しつつある女性を、改めて見据える。どうやらもたれ掛かっていたときは足を浮かせていたみたいで、自分よりも頭一個分程低い小柄な少女だった。外見から察せられる年の頃はせいぜい中学生程度。化粧の後も見受けられず、胸元で光る丸い石を除けば、特別着飾っている訳でもない。持って生まれた相貌の良さから地味さは感じられないが、特別華美とはいえない格好である。やはりこの深夜の工場跡地には相応しくない。
――今この状況で隠し立てするメリットはない。にも関わらず否定しているのはどういう領分だ?
一樹は先ほど弾き飛ばした物を視界の端に入れる。銀光りする刃を先端に付け、真っ黒に塗られた棒状の獲物。長さはせいぜい1mほどでやや短いが、槍と見て間違いない。石を穂先にした槍が太古の昔には使われていたぐらい、武器というカテゴリーの中では古い歴史を持つ。フィクションの世界でも有名な部類に入るだろう。
――"裏"の人間でもない限りこんな武器は使わねぇと思うんだが。
しかしだからと言って、現在で槍を使う人間がいるかと言えばそうでもない。闇の住人の武器で真っ先に想像するのは銃であるだろう。近接武器にしてもせいぜいナイフ、またはドスぐらいだ。真実がどうなのかはともかく、少なくとも槍を連想する者はそういないと思われる。それほどまでに普遍化された武器でない、というのもまた槍の事実である。相手に不意打ちをかましたいというただそれだけの目的で、入手方法すら検討のつかない槍をわざわざ仕入れてまで使うだろうか。殺傷が目的であればそこら辺に落ちている石を落とすだけでも充分なのである。
――"裏"って言葉を知らない"裏"の人間もいるだろうが、それは普段魔力を使わない疎い人間ぐらいだろう。しかし、槍を使うやつが疎いのか?
そんな槍を使うのは、常日頃から使っている人間に他ならない。そして、それほどまでに"裏"の世界に入り込んでいる人間であれば、"裏"という言葉の意味を知らないはずがない。
――"裏"を知らない"裏"の人間。当てはまりそうなのは余程の孤高の狼か、あるいは――
「ちょっと、なに黙ってニヤついてんのよ! やらしい。あたしの体見て何考えてんの? 言っとくけど、初めてをアンタのような人間にあげるつもりはサラサラないわ」
「んなこと考えてねぇって。いや、何者なのかな、って考えてるとこだ」
ニヤついている、と言う事に一樹は一切否定を入れない。鏡を見なくても分かる。内心に沸き上がる強い喜び。考え得る限り、最も可能性の高い彼女の正体……それを思えば、確証を得る前からにやけてしまうのも無理はない。感情を滅多に出さない方だとよく言われるし、自覚しているが、そんな一樹でも抑えきれないほどの興奮が胸を渦巻いている。
「あんた、何者だ?」
「いい加減こっちの質問に答えなさい! 何様のつもりよ」
そんな一樹の興奮を打ち砕くようにぴしゃりと言い放つ少女。一樹は「はぁ……」と内心でため息をつき、会話の流れを辿る。質問は確か刀を持っている理由、だったか?
「この刀か? 知り合いから貰った」
「貰った!? "人間"はそう言うのあんま持たないんじゃないの!?」
「まあ、確かに一般的じゃねぇけど、俺自身は――」
一端言葉を句切る。彼女の些細な物言いに覚えた違和感を確認するため、そして相手に揺さぶりをかけるために、一樹は言葉を吐き出した。
「――"人間道に住む"、ただの人間だ」
本来付ける必要すらない単語に、少女の顔に動揺の色が強く出る。鳩が豆鉄砲を食ったような表情で呆ける彼女を見て、先の推測は確証に代わる。一樹は更に心の内が昂ぶるのを感じた。
「その物言い、本当にただの"人間"!? "人間"はその辺の理解が薄いってデマだったの?」
――ビンゴ
内心で渦巻く狂喜を抑えつけ、あくまで平然と少女に答えを返す。
「デマじゃねぇさ。たまたま、俺がその辺に詳しい人間だったってだけ。その認識は間違っちゃいねぇよ」
「あっそう。だったら、なおさら聞きたいことが、」
言葉が終わるか終わらないかの瀬戸際で、少女は動いていた。
少女は予備動作を一瞬で済ませた後、こちらに向かって疾走。地面に落ちていた槍を拾い上げ、そのかがんだ勢いを利用して跳躍。一瞬のうちに大地から消え去っていた。
――上……
かろうじて跳躍の瞬間を見ていた一樹は相手の攻撃を予見。後ろに飛び退る。
着地した一樹の目には、大地に槍を突き刺す少女の軌跡が写る。砂埃を舞わせて勢いよく着地した彼女は、最初から避けられることを予測していたのか悔しがるでもなく立ち上がり、大地に突き刺さった槍を抜き取り一旋させる。華麗な流線を描いた後に構えられた槍は、少女の倍近い長さを誇っていた。
「あるっ!」
鋭い穂先と共に向けられたのは少女の眼光。槍にも負けず劣らずの鋭さを秘めた眼光に一樹は生唾を飲む。
恐怖も確かに存在するがそれだけではない。跳躍の結果破れた天井から差し込む月光は、さながらスポットライトのように屹立する彼女の小さな、しかし迫力に満ちた全身を照らし出していた。
良い意味でも悪い意味でも無駄な肉が一切ない体つきと、露わになっているたおやかな二の腕。低い背丈に似合う整った童顔に、しかしあどけなさは微塵も感じさせない。淡い月光りに照らされて浮かぶ彼女の引き締まった顔つきに、一樹は恐怖や戦慄と言った感情だけではなく、少女の美しさと強かさの迫力に飲まれていた。
ふっ、とほほが綻ぶ。素直な気持ちが、口をついた。
「ほぉ……こいつぁ、美しい」
「なっ!!」
緊迫した場の雰囲気をぶちこわす、嘆賞の呟きが彼女の頬を赤らめる。その表紙に穂先を突き付ける手が緩んでしまった。動揺した隙を見てなお、一樹の視線は少女の顔から離れなかった。
――月光で染まる紅い頬もまた格別だねぇ。とは言え、その頬……
紅潮した右頬に目を凝らしてみれば、奇妙な紋様が見える。十字架とも十文字の槍とも受け取れる図柄を描いた緑色の紋様だ。入れ墨のように彫られたものでも、シールのように貼られた物でもなく、浮かび上がっていると表現するのがしっくりくる。不思議なことにしっくりとそこにある紋様は、彼女が"人間"でないことを示すには充分すぎるものだった。
「あぁ、悪い悪い。ところで俺に聞きたいことがあるって言ったっけか?」
一樹は肩に担いでいた日本刀を両の手で握り込む。日本刀を正中線上に真っ直ぐ構える様は、少女の突きつける槍に対する答えのつもりだった。少しにやけていた顔から一切の表情を消し去り一心に睨み付ける。
少女がはっと息をのむ。一樹の雰囲気が一瞬にして変わったことに気づいたのだろう。緩んでいた槍を構え直す。
先の惚けていた声とは違う。突きつけている直槍を思わせる、凜とした張りのある声で答える。
「ええ。降参するなら今のうちよ? 無理に手荒なことをしたいとは思ってないし」
「普段なら俺もそうなんだが、どうにも気分が昂ぶって仕方がねぇ。誰も見てねぇわけだし、ちょっくらこの興奮を発散させる相手をしてもらおうかな?」
「物の言い方を考えなさいよこの変態!」
やりとり自体はどこか軽いとは言え、2人の間に流れる緊迫感は一切緩んでいない。
破れた天井から差し込む月の明かりが雲間に隠れたとき、大地を蹴る2つの音が共鳴した。