Part.16 記憶の断片
月明かりに照らされるまともに鋪装されていない道路。所々ひび割れたアスファルトの跡が、人の記憶から忘れ去られた場所であることを如実に表している悲しい道を、1つの影が走っている。
「あーもう、わけわっかんないわあのバカっ!」
当然その道を走る彼女を除けば、誰1人として通る者はいない。人の目を気にする必要のない夜道を疾走しながら、少女は叫ぶ。
『じゃあ教えてあげるよ……あのね、一樹は――なんだよ』
『――って……そんなっ。じゃあ、さっき言ってた事って』
『うん、そのままだね……これが、一樹の唯一の行動理由にして至高の目的だよ』
つい先ほど繰り広げた会話を反芻しながら少女はただ走る。
『でも、その目的ってことはアイツの企んでる事って』
『察しの通り、だろうね』
――くっ、なんか疲れてきた……魔力って、本当体力に密接に関係してるのね。
普段であれば決して息が切れるような距離ではないはずだが、少し胸の中が苦しくなってくる。
――別に、無理して行く必要はないんだろうけど……でも、そのために必要な手順を考えれば……
いらぬ心配かも知れないが……それでも、少女は心配で仕方がなかった。人の危険と聞けばいても立ってもいられない性格の彼女は、気付けば七曜との会話をぶった切って一樹の向かった工場跡地へと駆けだしてしまっていた。
――そんだけ大変な過去を抱えてるのに……なんでこんなに手際よく、迷いなく行動できるのかな!……本当、羨ましいし、
少女は古びた工場の門の前で止まって息を整える。ただ走ってきた疲労からくるものだけではない胸の鼓動に少女は気づき、赤面してしまう。
「少し、カッコいいかも……って、浮ついてんじゃないわよっ!」
自分の言葉を否定するように強く首を振り、少女は……サンゴは工場へと入っていった。
***
――ん……なんかもやがかかって見づらいな……なんだ、これは
「ちっ、捕まっちまったか……」
【夢視眼鏡】……虫眼鏡の形を取った魔宝具で、レンズ越しに記憶を覗き込むことができるものである。使用者が望む記憶を検索することもでき、本来は尋問の手間を省いて情報を入手するために使われた物であるらしいのだが、ヴァンは相手にイヤな記憶を見せつけて拷問させるために使っている、と言う制作者からすればまったく逆の手段で使われている魔宝具である。
一樹は抵抗することなくぶら下がっている。完全に観念したのか、特に苦しげな様子もなく自分の運命を待ちわびているかのような余裕を見せるその一方で、ヴァンの顔には少しずつ焦りの色が強く浮かんできた。
――なんでこんなに見づらい……闇の中を歩いているようになにも見えないって初めてだな……。
今まで何人もの人間の過去を見てきた経験を持つヴァンでも、このようなことは初めてだった。検索をかけている間に他人の記憶を覗くのが密かな楽しみであり、現に先ほど七曜に使ったときでも、必要外の記憶を覗いて楽しんでいた物だが……しかし、なぜか一樹の記憶ははっきりと見ることができない物が多い。
――最初の方の……最近の記憶ははっきりと見えるのに……なんで見えない記憶の方が遙かに多いんだ……?
「どうだ……俺の記憶、見えてるか……?」
まるで見えてこないのをはなから知っているような口ぶりで呟く一樹に、ヴァンは怒りを見せる
「お、お前っ! まさか、わざと……?」
「いや、俺はなにもしてねぇよ……それにわざとだったら既に攻撃してるっての……体力ももうねぇし、どうしようもねぇよ……諦めてるだけだって」
ふぅ~、と一息ついている一樹には見るからに企んでいるようには見えない。しかし、ヴァンはここまでのやりとりで一樹が一筋縄でいくような輩ではないことは重々承知させられている。ここで検索を止めて一樹を仕留める、と言う選択肢は最初の挑発に完全に乗ってしまったヴァンにはなかった。自分のプライドにかけて、意地でも記憶を覗き込んでやろうとヴァンは込める魔力を強くする。
――一刻も早く覗きこまないと!
ヴァンは"趣味"を放り投げておいて目的の記憶にヒットすることに魔力を集中させる。
――あった……もやがかかってて、まだ見にくい記憶だが、これで良いだろ……
ヴァンは乱雑に【夢視眼鏡】を裾に仕舞う。
普段であれば、ヴァンは記憶を逐一確認している。最も忌むべき記憶が、逆にその人物の怒りのトリガーとなることもありうるからだ……が、今回に限っては見づらい記憶であったし、なによりヴァン自身に冷静さが欠けていた。どんな記憶なのかははっきりとは見ていない……記憶を魔力の配置でのみ見定めて、ヴァンの人差し指と中指に"記憶の炎"が灯る。
「その余裕も、今のうちだぜ!?」
「っ!」
驚きに目を見開いた一樹に向けて、ヴァンは2本の指を突き刺す。眼球に触れる直前で"記憶の炎"は一樹の眼球へと"焼き付け"られた。
「ぐっ、ぐおおおっ!?」
「ふぅー、一時はどうなるかと思ったわ」
首から手を離し、一樹を地面に放り捨てる。網膜に"焼き付けて"いるため、目を閉じたところで消える代物ではない。両目を閉じて悶え苦しむ一樹を見るに、おそらく魔術は効果的であったのだろう。若干の賭けに勝利したヴァンは安堵のため息をつく。目を閉じようが何をしようが、どのみち自分の過去の記憶から目を背けることはできないのである。
「ぐぐっ……」
「大事な過去と向き合えるんだから、そりゃお前からすれば願ったり叶ったりじゃないのか? はははっ」
苦しんでいる一樹の横腹を蹴りながら、ヴァンは歪んだ笑みを浮かべる。
「ぐおおっ!」
一樹の悲鳴がヴァンの耳に入ってくる。強い者に過去の辛い記憶を見せつけ、屈服させたときの爽快感……ヴァンが最も好きこのんでいる至高の快感である。どんな強者であれ、まず一つは辛い過去を持っている……それを見せて精神を揺さぶり、相手の動揺を見て楽しむ。その後に自分の手でトドメを刺す、と言うのがヴァンの普段の戦闘スタイルであり、いかに他者から揶揄されようともヴァンにとってはこの方法を変える気はサラサラない。
「なー、今どんな気持ちだ? まあ、幻聴が聞こえるようにしてあるから、この言葉も耳には届かないんだろうけどさっ! 自分がかつて苦しんでいた時をもう一度味わうんだぜ!? どんな気持ちだよ、教えてくれよ!」
地面に倒れ込んでいる一樹の背中を踏みつけながらヴァンは大声を張り上げる。踏みつけられた一樹は短く呻き声を出し……返せるはずのない質問に答えを返す。
「あぁん、気分、か……? そうだな、言わせてもらえば……」
***
薄暗い部屋の中、どういうことか幼い一樹は涙を流していた。
――これは……間違いねぇ。おそらくあのときの記憶だ。どういう状況なのかはまったく分からねぇが、そのことだけは分かる。
そんな一樹の傍らには、1人の男が立っている。長身の男で、現在の一樹よりも年上に見える。顔を上げた一樹の網膜に映り込んだのは、黒い着物に身を包んだ奇妙な風貌で、顔も鼻から下をマスクで覆っていた。唯一はっきりと見える吊り目気味の目は、鋭い形で一樹へと向けられている。その瞳は心情を読み取ることができないほどの暗い闇を讃えていた。
「――――」
マスクがもごもごと蠢く。男はなにかを言っているようだった。マスクを付けてくぐもっていると言うわけではない。最初から一樹の耳には幻聴など聞こえてなかったのだ。
――肝心なところ聞こえねぇ……それもそうか、無理な話だな。
一樹の瞳から涙が零れるのを感じる。しかし、なぜ一樹は涙を零しているのかがまったく分からなかった。自分の口がなにかを言っているような気もするが、口を開いて喉を振るわせて、叫んでいると言う感覚だけがあって自分の声が聞こえない、と言う奇妙な状態の中、現在の一樹は至極冷静に考える。
――そもそも初めて見る記憶に幻聴がついてくるわけがねぇ……ごく一部を除いて、まったくと言って良いほど俺にはこれより前の記憶が無いんだからな……
そんな一樹の叫びを無視するかのように、男の大きな手は一樹の頭をわしづかみにする。
直後、自分の脳内に何かを流し込まれる感覚が押し寄せてくる。何が流し込まれているのかはよく分からない……頭の中をかき乱されているかのような奇妙な感覚だった。
――変な感じだが……このときだろうな、記憶がなくなったのは
その直後に、当時の一樹の視界は暗闇に包まれていく。奇妙な喪失感と共に、当時の一樹の意識は落ちていく。
しかし、今の一樹はむしろ歓喜に包まれている。かすれゆく視界の中で見えた男の顔を一樹は食い入るように見つめる。
――ようやく、ようやく見つけた……! これが、唯一の手がかりだ
自分が尤も嫌っているらしい記憶を見せつけられて、一樹が最初に感じた感覚はその一言だった。
大切な手がかりとの邂逅の記憶を得て、一樹は口元をほころばせ――
***
「最ッ高の気分だ! お前に一言伝えることがあるとすれば、それは俺が今までの人生の中で一度も費やしたことのないほどの感謝を込めて伝える"ありがとう"ぐらいだ!! ございます、ぐらいつけて、涙を流して喜んでやっても良いぐらいの感謝の気持ちでいっぱいだぜ!?」
顔を上げて言葉を吐き続ける一樹の顔に浮かんでいるのは、笑顔。
記憶を"焼き付け"られ、忌むべき記憶が繰り返し再生されているはずの目を血走るほどに見開き、口元を歪ませるその姿からは狂気しか感じられない。なんとも歪んだ不気味な笑顔に、ヴァンは一樹がこちらをしかと見ているような錯覚すら受け、背中から足を離してしまう。
「な、なにを言ってるんだ!?」
「なにを言ってるも何も、お前も好きな合理的な事を言ってるだけだ。感謝の気持ちを伝えるときは、ありがとうございます、だろ!?」
邪悪な笑みを向けながら一樹はヴァンの元へと這い寄る。一樹の見せる不気味な表情に射竦められたかのようにヴァンは動けなかった。
「ふぅ~……捕まえた」
無表情に一瞬で戻った一樹はヴァンのコートを掴む。つい先ほどまでの異様なまでの昂揚から一瞬で元に戻るという豹変ぶりに驚く隙を与えずに、一樹はコートを掴んだ手に魔力を込める。
「お前のコートを……"重く"する」
一樹はコートに魔力を込める。"重くなった"コートは重力に負けて大半の部分が破れ落ち、肩に残った部分はヴァンに重圧を加え、態勢を崩させる。地面へと倒れ込んでいくヴァンと引き替えに、一樹は手に取ったままのコートを元の重さに戻しながら立ち上がった。ヴァンは地面に倒れ伏せながらも、
「きっ、貴様っ!」
即席で作った"焼夷弾"を一樹へと投げつける。視界は奪われているが、一樹に限っては聴力は失っていない。魔力を発するボッという音のした方にコートの切れ端を垂らし、ニヤリとほくそ笑む。
「恩を仇で返すようで申し訳ないんだが、これでチェックメイトだな」
先ほどヴァンから奪ったコートを盾にする。戦闘中でも見せていたコート自体の能力……魔力を"焼き付け"ておける特性を活かし、一樹はコートに魔力を流す。できるかどうかは正直やってみなければ分からなかったのだが、どうやら誰でも使える物であるらしく、そしてそこまで多くの魔力を必要とはしないみたいで、残り少ない一樹の魔力でも"焼夷弾"を防ぐことができた。コートを逆手に使われて驚愕を隠せないヴァンの表情に追い打ちをかけるかのように、一樹は頭上を仰いで声を張り上げる。
「さって、後はお前の仕事だぜ、サンゴ! 俺は今、ありがたい記憶を焼き付けられて動けねぇ!」
「正直上から見ていてどん引きしてたわっ! 言われなくてもっ、」
屋根を走る鉄骨を蹴る音が聞こえる。上を見上げれば、槍を構えてヴァンへと落下してくる少女、サンゴの姿が。
――こいつ、いつの間に……いや、ケイタイってヤツのバイブレーションはもしかしてっ!?
ヴァンの予想通り、先ほど鳴り響いたバイブレーションは、一樹が七曜と別れる際に決めておいた合図……と言うよりは、適当に頼むと言っていたので一樹も直前まで分からなかったが、携帯のバイブレーションを3回鳴らすこと。それがサンゴがそちらに向かった、と言う合図である。ただっぴろいこの広場において、姿を隠しきれる場所は頭上しかない。魔人であれば、相手の魔力を感覚的に肌で感じることも可能だが……サンゴは現在、並の人間と同等の魔力しか持っていない。それよりは魔力量が高い一樹が目の前にいたし、なによりサンゴが入ってきたのはつい先ほど、記憶を"焼き付け"ようとしていた頃だ。一樹に集中しすぎていて侵入者に気づけなかったこと、そして一樹に記憶を見せることに躍起になっていたことをヴァンは完全に後悔し、そして自分をここまで熱中させていた烏飼一樹という少年に恐れを抱く。
――いや、まだ何とでもなる……コイツなら、炎さえ見せつければっ!
「させるかっ!」
ヴァンは落ちてくるサンゴへと"焼夷弾"放つ。空気中に流れる魔力へと自身の魔力を"焼き付け"、彼女のトラウマである炎を見せつける。
***
炎が下から迫り来る、その情景にサンゴの脳裏には過去の記憶が蘇ってくる。
――やっぱり、嫌な記憶だな……いつ思い出しても、良い記憶とは言えない
その炎を見て沸き上がってきたのはやはり、恐怖と自己嫌悪。それは変わることなく自分の中に眠っている。
しかし、そんな中でふと、怪しく微笑む一樹の顔が目に入る。
――だけど……記憶があるってことは、それはあたしが生きてきた確かな証、でもあるんだ……
記憶の炎を"焼き付け"られて、彼はいったいどんな情景を見ているのだろう? 辛い記憶を焼き付けるとのことらしいが、彼にはその"記憶がない"。
――アイツはそんな過去すらない……自分を形作ってきた景色がいったいどういう物だったのか、それをずっと求めているんだ。
炎を見据えながら、サンゴは静かに槍を構え、そこにありったけの魔力を込める。体内の魔力の変化に疎い自分でも、確かに体内の魔力が激減していくことがよく分かる。
そんなこと知った事じゃないと言いたげにサンゴは目を閉じる。苦しみと安らぎが混ざり合った真剣な面持ちから、過去から逃げようという弱い想いは感じられない。むしろ、自分の過去と向き合う強さすら感じられる。閉じられた瞳から、サンゴは一筋の涙を流す。
――やっぱりイヤな記憶だけど……だけど、これもあたしにとって、大切な過去の記憶、なんだ。逃げ出すんじゃない、まっすぐに見据える。お母さんを失った失敗を、二度と繰り返さないためにも、
サンゴは目を開く。眼前に迫る炎に向けて、サンゴはありったけの魔力を込めた【アプソル】を振りかざす。切っ先の残像が見えるほど素早く振り抜かれた槍の先には……事実1本の魔力の線が描かれている。
「いつでも、全力で立ち向かう!」
【アプソル】の軌跡は両断していた炎を、正確にはその炎を形成していた魔力を吸収して発光する。昨日、蛇に向けて放たれたのと同じ緑色の光だった。
「なっ――」
その光は一瞬で槍へと姿を変えて、目を見開くヴァンの体を刺し貫いた。




