ソーサリー
ノアに言われるまま、目を瞑り、世界を遮断した。
しかし、瞼の裏では焼き付けるほど眩しい光が辺りを包んでいるのがわかる。影すら光で焼き払おうというのだろうか……。そんな風に思うくらい眩しい輝きが瞼の裏に広がっていた。
ノアの小さな手が私を導き、やがて今までで一番眩しい輝きが走る。瞼を閉じているにも関わらず、私は空いた方の手で顔を覆った。
「もうすぐだよ」
その言葉のすぐ後、青や紫といった禍々しい色の光が失速を始め、やがて消えた。
瞼の裏に光り輝く色はない。覆っていた手を退けると、もう一方の手を掴んでいたノアの手も離れ、私はゆっくりと瞼を押し開けるーー
初めは右目、その後、ゆっくりと左目。開け放った先に広がるのは、見た事もない世界だった。
「ここがおねぇちゃんの住む世界と平行して存在する世界。ーーソーサリーだよ」
可愛く微笑んであどけなさを見せつけるノア。そんなノアの言葉が私の耳を右から左へと移動してゆく。
それもそのはずだ。だってこんなでたらめな世界、ある訳がない。
目の前ではロバだかラバだか、いいやどちらも違うのかもしれない。そんな動物が二足歩行をしながら、人間と楽しそうに会話している。かと思えば、そこから二時の方角では竜だかタツノオトシゴだか、いいやこれもどちらとも違うのかもしれない生物が空中を優雅に泳ぎながら片手に買い物かごを握り締めている。
そんな謎の生物と人間がたくさん溢れ返った青空マーケットが目の前には広がっていた。
「……なに、ここ」
「だから言ったじゃないか。ここはもうおねぇちゃんが存在してた世界とは別次元、ソーサリーだって」
なんか……説明されてるようで、されてない気がするのはなんだろう。
「おら、あんた邪魔だよ!」
ドンッと思いきりぶつかられ、危うく倒れそうになった私は、必死に両足で踏ん張ってぶつかられた背後を見やる。鋭く威嚇するような目つきで。
しかしその相手に驚き、一瞬で怯んだ。
「スッスライム!?」
昔、海斗がやってたゲームに出てくる敵キャラにそっくりで。でもどこか愛くるしさを感じさせるキャラとは程遠い。なんていうか、顔が……可愛くない。
SFホラー映画に出てきそうなリアル系。単に形状が似てるだけというか……スライムと言っても、ぶつかられた時なんか硬かったし。痛かったし。形状もどろっとしたアメーバ状の方だし。見た目はバブルスライム系。かつ、キングスライム並みデカい。
「こんな道のど真ん中でぼーっとないしてんじゃないわよ!」
フンっと鼻息を荒くしながら、アメーバ状のスライムはゾロゾロと身を引きずるように立ち去った。
ぽかんと空いた口を閉じる事が出来ず、力の入らない手をゆっくりと自分の頬へ持っていき、力一杯つねった。
「いたたっ……」
やっぱり、夢じゃない。
「おねぇちゃん何やってるの?」
怪訝そうな顔で見上げるノア。なにって……まぁ、そうだね。
「ううん、何でもない」
もう夢だろうが何だろうがどっちでもいい。私はもうあんな悲しそうなママやパパ、それに海斗の姿を見たくない。ただ、それだけ。
だからもう、いつまでも呆けてなんていられない。腹を括ると決めたんだ。元々怪しいと思っていた疑心のメーターはゆうに振り切ってるし、こうなったらどうにでもなれだ!
「ところで、これからどうしたらいいの?」
「うーん……まずはおねぇちゃんを探すための聞き込み調査かな」
「おねぇちゃん……?」
私が疑問を投げかけると、身長の低いノアは再びふわりと宙に浮き、真っすぐ目線を合わせる高さで向き合った。
「こっちの世界のおねぇちゃんを探すんだよ」
「……はい?」
ノアの頭部についた兎の耳がピンッと立ち、そのままピクピクと小刻みに揺れる。何かに敏感に反応している様子だ。
やっぱりその耳は動物並みの聴力を持っているのだろうかーー? そもそもノアは生物的にはどういう位置付けとなるのかも定かではないんだけど。
きっとそれを聞いたところで、僕は時の番人だ、とでも返されるのがオチだろう。何度そう言われてもそれは答えになんてなってないんだけど……。けど、そんな問答はもう十分。
そう思って、その質問は飲み込み、代わりに話の続きを促した。
「えっと、こっちの世界のおねぇちゃんってのは?」
「さっき言ったでしょ? この世界はおねぇちゃんがいた世界と平行した世界だって。だからこの世界にはこの世界のおねぇちゃんが存在するはずなんだよ」
「そっ、そっか……そうだったね」
なんとなく複雑だった。別次元の別世界だとしてもそこで自分を見るというのは変な感じがする。さっき自分の部屋の自分のベッドで寝ていた私。自分が自分を見下ろしただけで不思議な感覚だったのに、それが動き、話をするというのは……とても奇妙だ。
その感覚はドッペルゲンガーか何かの類いに近いのかもしれない。
「おねぇちゃんに予期せぬ事態が起きて次元の歪みが出てたのなら、こちらの世界でも同じ事が起きてる可能性があるんだよ。だからまず、おねぇちゃんを探して無事かどうかを調べてみる必要があると僕は思うんだ」
「……そうだね。うん、わかった」
辺りを見渡した。燦々と降り注ぐ太陽光。いいや、あれも太陽ではないのかもしれない。なにせ青々とした空に浮かぶものはたくさんあるから。
バルーンのようにあちらこちらに浮いている惑星はたくさんの色をマーブル状に色づいていた。
物珍しいのはこの地に降り立った瞬間からそうだ。全てのものが物珍しい。眩しいというのとは別の意味で、目の前がチカチカとするくらいに。
そんな中で上下左右に360度見渡し、目の前に広がる青空マーケットの奥に妙に目を引く何かを見つけた。
「あれって、宮殿?」
私の指先を視線で追ったノアは、ドングリのような大きな目を細め、言った。
「そうだね……この国の城みたいなものじゃないかな? よし、行ってみようよ」
「えっ! なんか……不気味なんだけど……」
「大丈夫、大丈夫」
そう言ってノアは意気揚々と宮殿へ向かい始める。ふわりと宙を飛んだまま移動するノアの後を追いながら、私の足はなんとなく、重い。
目指すそれはインドにありそうなタマネギ型の屋根をした宮殿だ。しかし色は金色ではなく、遠目からでもはっきりわかるほどに、黒い。一瞬光の影になっているせいかとも思ったが、それは瞬時に違うと判断した。そのくらいはっきりと、くっきりとした黒々しさだった。
この世界は見ている限り、明るくポップな配色なのに、明らかにあそこだけは周りを逸脱した存在だった。
だけどーー
小さく溜め息を零した後、よしっ! とかけ声を出し、私は歩き出した。