勝負3
「私……」
ーー降参するわ。
口を開き、そんな言葉を落とそうとしたその時、脳を振るわす振動が沸き起こる……。グラグラと揺れる感覚から、徐々に振動は大きくなり、大きな鐘の中にでもいるように、大音量の音が振動となり脳に伝わって揺らされているような、ぐわんぐわんとした大きなものが私を襲う。
ーーなっ、今度はなに!?
思わず頭を抑える。けれど、大きくなった揺れは収まらない。
相変わらず体は突風にあおられたまま宙を浮いて自由は利かないし、かまいたちはある意味定期的とも言えるほどのリズムで私の体を刻んでゆくし。けれど、そんな事すら頭の隅に追いやって忘れてしまうくらい、私の脳は揺れていた。それは痛みが伴うものではないが、そのせいで吐き気がするほどだ。
ーー気持ち悪い……。どうしちゃったの、私の体……。これもあの男の新たな攻撃なのだろうか。
目眩がして視界はグレーの世界。時折ザザッと砂嵐が目の前を駆け抜けていき、気分は悪いなんてものではない。嘔吐感から胸を押さえつけ、前のめりになった。強風にあおられているせいで、胃の中までも渦を巻いたように荒れているのがわかる。
「何か言いたげですが、やっと降参する気にでもなられましたか? そうなのだとすれば早く、意識を失われる前に降参して下さい」
「……こっ、こうーー」
降参ーーと言葉にすればたった四文字なのに、それが上手くいかない。これ以上口を開けば、きっと胃の中のものを全て吐きだしてしまうから……。苦い唾液が口内にジワリと滲み出て、それが更に気分の悪さを助長する。
視線は相変わらずグレー 一色。揺れる脳に引っ張られてか、意識も霞みだす。
ーーもう、ダメだ。
そう思った瞬間、体の力は抜け、私の体は大きく仰け反った。ーーガクンッ、と大きく仰け反り動かなくなった私の体。目を瞑り視界を遮り、体は自分のものではないように動かない。
「……だから言ったのに。とうとう意識を失われてしまいましたか」
意識を失った……? ううん、違う。だってあの男の声も風の音も聞こえているから。なのに、体が思うように動かない。むしろ今までどうやって動かしていたんだったっけ?
瞼ですら重いし、この瞼はどうやって開けばいいの? 体の仕組みがわからない。まるで自分のものではないみたい。
「こういう場合、どうすればいいのか?」
男は外野いる者たちに問いかける。
『ーー五分待て。それでも目覚めなければ再起不能とみなし、挑戦者の勝ちとする』
「五分……ね」
そう呟いた言葉が微かに聞こえた。風が吹き荒れる中、そんな呟きが聞こえたのは辺りを包む風の勢いが穏やかになったから。相変わらず体は動かない、けれど、感覚はある。緩まった風が優しく私を地面に降ろしている様子とか、闘技場の床も大理石で出来ているせいで、堅く、冷たい感覚が傷の無い体をひんやりと冷やす。逆にかまいたちによって傷つけられた傷は、熱を持ったように熱い。けれどもう身を切り裂かれる時に同時に聞こえる切れ味の良い音や、身が引き裂ける瞬間の嫌な音もしない。
それは、突然訪れた静寂だった。
ーーああ。このまま何もしなくても、いいんだ。このままここで横になっていれば負けと判断されるんだね。そうすれば終わるんだ。何もかも。この痛みや苦しみ、恐怖からも解放されるーー
もう、いい。それでいい。
そんな風に何もかもやけっぱちで、全てを放棄しようと思っていた時、どこからともなく声が聞こえた。
『ーー諦めるのか』
それは勝負していた男の声でもなく、この場外にいる審判達の声でもない。
『お前は諦めるのか……』
ーーえっ……?
どこから聞こえてるのか。
不思議なのは、言葉の聞こえてくる感じが違うこと。
耳に届くのは男の声に、私の周りを吹く風の音。そんなものとは別の場所から聞こえてくるこの声は一体どういえばいいのか……。外的なところではなく、もっと骨に響くようなーー
ーーそう、言うならばこれは……脳から?
ずっと揺さぶられるように揺れていた脳がだんだん落ち着きを取り戻しはじめていた。まだ揺れている感覚はあるものの吐き気を催すほどではなく、ほんのり小さな鈴が揺れるように、小さな音を奏でるように、私の脳は揺れていた。
それはどこか心地よく、そしてなぜだか懐かしさを覚えるほどに……。
(ーーねぇ、あなたは誰……?)
『……同じ魂を持つ者よ。お前は諦めるのか』
(同じ魂……? 諦める……? よく分からないけど、諦めるっていうのはこの勝負の事を言ってるの?)
『……』
声の主は答えない。暫く待ってみるが、返事が返ってくる様子がない。けれど言っている事はきっと、私が思っている事と同じだろう……そう思って再び問いかける。
瞼の開け方も忘れてしまったように、口を開ける事も出来なかった。只々重く感じる唇を、ボンドか何かでくっつけられているような、もう何年も開かずの間となってしまったかのような……そんな重々しい唇を開けるなどという事は諦め、心の中に言葉を落とす。
(ーー私には何も無い。魔法も使えないし、能力も無い。そんな私にどうやってこの場を乗り切れと言うの?)
自分の言った言葉は、ズシンと心に鉛を落とした。
『……諦めるのか?』
何を問い返しても同じ返答。それにはさすがに痺れを切らし、噛み付いた。
(そうだよ、悪い? なによ。さっきから同じ事のばっか言うけど、諦めちゃいけないっていうの? どうせ私はこの世界とは関係ない人間なんだし……。それなのにこんな状況で……なのにまだ足掻けっていうの?!)
『……ならば、この世界がお前のいう自分の世界であれば諦めないというのかーー? 本当にこの世界だから諦めるというのかーー?』
(そ、そうだよ……)
『どういう理由でここにいるのかは分からないが、この世界と全くの無縁というわけではないだろう……。けれどそれでもお前はどうでもいいと諦めるのか』
(ぐっ……)
言いたい放題言ってくれる。確かにこの世界はあっちの世界と平行した次元。同じ世界ではないにしろ、ひとつひとつの選択が異なり派生した別の世界……。言うなれば、一歩違えば私だってこの世界の住人だったのかもしれないというパラレルな世界。
ーーそうノアは私にそう教えてくれた。だけど。
『アイツならばきっと諦めなかったはず。アイツならばどんなに小さな可能性も見逃さない。自分で未来を切り開こうとしたに違いない……』
(……なによ……アイツ、アイツって。一体誰の事よ)
勝手に人を比べないで欲しいものだ……と、ムッとしながら聞き返す。これだけ否定されれば腹もたつし、その相手が誰なのか気になるもの。そんな刺々しい言い方にも、淡々とした物言いで返事は返された。
『それは……お前と同じ魂を持つ、我が主君であるーーミア』
ーーまた、ミア。ここに来てからずっとそう。ミアミアミアミアって……。
こっちの世界での、私。けれど本当にミアが私と同じ魂を持つ者なのか、正直ずっと半信半疑だった。
姿形は似ているようだけど、それでも色々違い過ぎて。自分とは違う。私は平凡で、大した取り柄も無い。けれどこちらの世界に来て聞かされるミアという人物は強くて、あのカイトにも慕われている。
姿形が似ている人なんて世界を探せば一人くらい見つかるだろう。けれど魂となれば、逆に姿形が違っていても共通する部分があるものなのではないか。そう思うのに、私とミアにはそれが全然見つからない。
会ってみれば何か違うのかもしれないけれど、ミア自体一向に見当たらないし、姿も掴めない。
そう考えると、私はこの世界に来た理由を何一つ成し遂げれていないのではないか……。
(どうしてミアが私と同じ魂を持ってると思うの? あなたは誰なの?)
『ーー諦める者に手を差し伸べる者などいない』
バッサリ。
さっきかまいたちに切られたときよりも痛い。傷が見えない心の奥の奥が切られた気がする……。
『お前はどうしてここへ来たのか。それは簡単に諦められるものだったのか』
(そんなわけないッ。死にたいわけなんてないし……私は……)
言葉はそれ以上続かなかった。言われている事はもっともだと思ったから。
言い返した言葉は本心だ。けれど、どこかまだこの世界には真剣に向き合うことが出来ないでいた。この世界に来て間もないから、この世界があっちの世界とかけ離れた存在だから……どこかでそう思う自分がいた。
それはきっと、こうしている今もーー
『では、お前はそのまま諦めてしまうがいい。諦めてしまえばこれ以上傷つくことも、恐れることもない。
だがそれでは、何も手にすることも出来ない……』
静かになった。もう脳を揺らす感覚も、それによる謎の声も聞こえない。ただ、あるのは無音。
さっきまでは脳に響く声と対話しながらも風の音や男の声も微かに聞こえていた。けれど今はそれすらない。勝負はもう付いてしまったのだろうか。場外の人が言っていた五分はもう過ぎてしまったのだろうか。
……いいやそれは無いだろう。それならばもっと闘技場内には声がしているはず。少なくとも男が歓喜する声が届いてもおかしくない。けれどそれは聞こえてこない……なら、勝負はまだついていないんだ。




