死亡フラグ
どうしてこうなったのか。何がいけなかったのか。
昨日はやたらと眠たくて、いつもより早く布団に入って寝た。ごはんを食べてお風呂に入って。ママに怒られようが先生に怒られようが気にしないで、宿題もせずにベッドに入って、寝た。
ーーただそれだけ。なのに、なんで……? なんで私が、あそこで寝てるのか……。
私はここにいるというのにーー。
足元で横たわる自分の姿に愕然とした。
「なんで? なんでよ……」
心の声は言葉として、思わず漏れ出る。ワナワナと震える手を必死に抑え付けて。
だって本当なら、今頃私はあのベッドで寝ているはずだ。いや、あそこに横たわった自分がいるのだから、それは正しい表現ではないかもしれない。
なら、それならーーここでこうして、宙に浮いて自分の姿を見下ろしている状況を、どう言えば正しい表現といえるのか?
震える手を口に当て落ち着こうとする。しかしそれによってある事に気がついた。よくよく自分の体を見てみると……透けてる?
マジか……。ちょっと待って、もしかしてこれってーー。
「私……死んだの?」
その事実にたどり着いた時、再び愕然としてたくさんの出来事を後悔した。今まで生きてきた十三年間を。その十三年間での自分の行いを。死ぬと分かっていたなら、私は海斗と喧嘩なんてしなかったのに、と。
いつもなら私から謝るなんて事はしないけど、ってか意地はって出来ないだけだけど……でも、それでも謝ったと思う。謝って、仲直りして……それから、それから……。
ーーずっと伝えられなかった気持ちだって、伝えたのに……。
それももう叶わないのーー?
そう思うと無性に泣きそうになって、自ずと頭が下を向く。向いた先にいるのは、すやすやと眠るように横たわる、私の姿。自分の姿をこうも客観的に見る事なんてない。だからなのか、こうやって見ていると、あれは自分ではないような気さえしてくる。
どこか人形のよう……。けど、体の透けている自分よりは格段に人間らしいはずなのに。それにただ横たわっているだけ。ただ眠っているだけのようにも見える。
……いや、まてよ。これは夢なんじゃない?
溢れ出しそうになっていた涙を必死に戻し、混乱していた頭の中を整理した。突然の状況に頭がついていかず、思ったのはーー死。
だけどそうじゃないかもしれない。むしろそうでなければ納得できない。朝目が覚めたら、心臓止まって死んでました……なんて、どこの高齢者だ。本当はただ、夢を見ているだけなんじゃないのか。もしくは幽体離脱とかいうやつーー?
どちらにせよ、それならばまだ死んだ訳じゃない。
「そうだ、これは夢なんだ。うん、きっとそう!」
そう呟いて希望を持とうと奮い立った瞬間、
「……違うよ。これは夢なんかじゃないんだよ」
私の言葉を打ち消すように、あっさりと、きっぱりとした言葉が私の元へやってきた。それはどこからとも無く、突然に。
「……誰?」
眉間にシワを寄せながら、声のした方を見やる。私の背後にひっそりと、同じようにフワフワと浮いている人物を……。
「初めまして、僕はノア」
ふっくらとした頬、くりくりと大きな赤い瞳。愛らしいチェリーのようなツヤと張りを持つ唇。そんな可愛らしい口元が、小さく微笑んでいた。少年。幼児。そんな言葉が連想する幼い子供。……だけど私は瞳を引き裂けんばかりに見開いて、見入る。
少年の金色の髪から突き出た、二本の白いーー耳。
ーーうっ、うさぎ……?
服装も、少年の白い肌が栄える黒いタキシードに身を包んだ変わった風体。見慣れない人物に私の頭はショートした。
「お前……何者なの?」
なんて無様にもベタな言葉を並べてしまった。でも、だって、なんて言えばいいのか分からなかったから。
地に足がついてなくて、年齢も五歳くらいなんじゃないだろうか。そんな風貌の子供の頭には、さも立派そうな大きな兎の耳。触るとふかふかと兎毛が暖かそうな耳がついている。
うさぎ……ではない。けれど、人でもない。
「僕はノアだよ。時の番人さ」
「時の、番人……?」
なにそれ……。おとぎ話で聞く様な肩書きじゃない、馬鹿馬鹿しい。
そう思って肩を落としそうになったが、その時足元で眠る自分の姿が目に入り、私も人のこと言えた状態ではないか……と、一気に現実に引き戻され、気持ちが沈む。
「……ねぇ、ノア?」
「なに?」
ノアは私の周りを優雅に浮いている。それはこの重力など一切感じない空気の中を泳ぐようにふわふわと。
「さっき、私に夢じゃないって言ったよね?」
「うん、言ったよ」
ふわふわと弧を描いて泳ぐノアは、見た目どおりの幼い表情をやんわりと崩して微笑んだ。そこには不快なものは一切なく、むしろ心温かになるような可愛らしい表情だ。その表情を見ながら、私はーー
「じゃあ私は今どうなってるの? まさか……死んでない、よね?」
確信に迫った。夢のようなこの状況で、馬鹿みたいな質問を投げかける。
だけど馬鹿みたいだと思いながらも、なぜか心臓がドクドクとした禍々しい音を奏でている。そんな私の心情とは裏腹に、ノアはふっくらとした頬に小さなえくぼを作りながら口を開いた。
「うん、死んでない」
その言葉に、一気に肩の力が抜ける。
「……だっ、だよねー」
うんうん、そうだよね。じゃあやっぱりこれは夢なんだよ。そうじゃなくちゃありえないじゃん。なに本気で焦ってんだろうね、馬鹿だなぁ私って……。
そう思って、再び口を開こうとしたその時、先に言葉を発したのはノアだった。
「死んでないよーーまだ、今はね」
にーっこり。そんな擬音が聞こえてきそうなほど、眩い天使のような笑顔をこちらに向けている。
「…………へ?」
「まだ死んでないけど、このままじゃ本当に死んでしまうよ……そう考えると、今の状況は死んでいるのと、そう変わりないかもしれない」
なに淡々と言ってるんだこいつは。
不安や恐怖は、いつしか私の中で怒りに変わり始めていた。うんうん、と首を何度も唸らせ、大きな兎の耳をパタつかせる。
「さっきから言ってることが全ッ然わからないんだけど」
「いたぁ! おねぇちゃん、僕の耳をそんなに強く引っ張らないでよ」
「大体、胡散臭いしっ」
「ひどい!! 僕はれっきとした時の番人だよっ」
だからそれがそもそも、なんなのよ。
「皆さんご存知、みたいに言わないでよ! その時の番人って一体なに?」
「わかったっ、ちゃんと説明するから耳離してよー!」
じたばたと短い手足をバタつかせるノア。そんなノアの耳を離し、私は腕を組んだ。その時、ほんの少しだけど、組んだ腕の透明度が増したような気がした。
ーーきっと、気のせい……だよね?
「全く、おねぇちゃんは乱暴者だなぁ」
そういいながら毛並みの良い耳を優しく撫で付け、恨めしい視線を私に向けた。その視線を受け、今後は耳を握りつぶすつもりで手の平を広げ、ノアの耳へと近づいた。相手に恐怖を感じさせるように、圧をかけながら。
すると、ひぃっ、と小さな悲鳴を上げながらノアが私から距離を取ったのは言うまでもない。
「……っで、時の番人ってなに?」
どーせこれは夢でしょ。
私の中でそれは確定していた。なにせこのノアとかいう子供が、まず胡散臭い。夢の中の時に限って、なぜかこれは夢じゃないって思うもんなんだよ。うちのパパが酔っぱらう時も、そういう時に限って酔ってないって言うのと同じだ。
ノアはコホンと小さく咳払いをして、大して乱れていないタキシードのジャケットの襟を直すフリをしてから、口を開いた。
「僕たち時の番人っていうのはね、この世にたくさんある次元を見守る役目を担ってるんだ」
「次元?」
ますます胡散臭い話が始まった。
「そうだよ。この世にはたくさんの次元があるんだよ。例えば、パラレルワールドって言葉聞いたことはない?」
「パラレル……それってあれでしょ? 違う選択をしていれば違った自分がいた……とかそういう話、だよね?」
今の自分はたくさんの選択肢を選んで今の人生を歩んでる。選択ひとつひとつで開く世界は変わり、歩む道も変わる……なんて、何かで聞いた事があるけど。
「そう、その選択によって人は色んな道を選び取る。無数にね。そんな無数にある平行世界を見守るのが僕の仕事のひとつなんだ」
平行世界。なんてSFな話だ。
「ばっかばかしい。そんなのあるわけないじゃない」
「本当にあるんだよ!」
垂れていた耳をピンと伸ばし、ふっくらとした頬を更に膨らませてノアは叫んだ。喚きながら手足、耳をバタつかせ怒る姿は、なんだか小動物みたいだ。いや、兎の耳をつけているのだから、半分小動物みたいなものだろう。……それが妙に母性本能をくすぐる可愛さがある。
今度はさっきと違った感情を持って、ノアの耳に手を伸ばす。しかしその手に警戒したノアは、そう簡単に触らせようとはせず、再び宙を泳いで距離を取った。
「おねぇちゃんも色んな選択をして今に至っているんだよ。例え選んだ気なんかなくたって、それは自然と選び取っているんだ」
伸ばした手を虚しく降ろしながら眉間にシワを寄せる。
なにそれ、じゃあそれって……。
「……私がこうなったのも、知らず知らずのうちに自分が選択した結果だっていうの?」
夢の中の話だけど、納得出来ない。出来ないものは夢の中でだってできないんだ。だってそれなら、今のこの状態はどうなるのか。自分は一体なんなのか。
「それは違うよ。おねぇちゃんが選んだ選択によってこうなった訳じゃないんだよ。なんていうか、今のこの状況は不測の事態なんだ」
「不測の事態?」
「そう、おねぇちゃんはまだ死んでいない。けど、このままだと本当に死んでしまうんだ……死ぬはずなんてまだないのに」
なによそれ。死んでないとか言ったり、もうすぐ死ぬと言ったり……。
「もー、言ってる意味がわかんないし。ちゃんとわかるように説明してよね!」
吠える私に対し、ノアはしょぼんとした表情で小さな口をさらに小さくすぼめ、声を落とした。
「……僕にもよく分からないんだ。僕が管轄してる時空の一部に歪みを感じてやってきたら、おねぇちゃんの魂は勝手に抜けちゃってるし……」
見て、とノアはベッドで横たわる私の体を指差した。
「おねぇちゃんの体がどんどん色を失いかけてる」
どういう意味……? そう思い、よく自分を見てみると、
「えっ、ちょっと……真っ白じゃない!」
……真っ白、というか、青白い。明らかに血の気が失せている顔だった。
中学の修学旅行で雪山に行った時、雪山に行くにしては少しばかり薄着かなと思える風体で過ごし、フと自分の顔を鏡で見た時もそうだった。
血行の悪さから血の気が引き、唇は青紫に、頬は雪に溶ける様な青く、白い色。そこで横たわって寝ている私は、まさにそんな風貌だった。決して部屋が寒い訳ではない。しかし、明らかに体温は落ち、血が体を廻っていない。
「今のおねぇちゃんは体から完全に魂が抜け出てしまっているんだよ。魂を失った体はやがてただの抜け殻になる……そうなれば体の機能は全て停止し、やがて朽ちてゆく。人が死ぬというのは、そういうことだからーー」
「なに淡々と解説してんの!」
「だって、おねぇちゃんが説明しろって……」
「そうじゃなくって、じゃあどうしたら元に戻るのかって話でしょーが」
空気の中を泳ぐように、手足をバタつかせてベッドに眠る自分のもとへと向かう。しかし掻き分けるものが何もない無重力な状態では、なかなか思うように進まない。それでも私は私の元へと向かった。
「おねぇちゃん、何をする気なの?」
「何をって、自分の体に戻るに決まってるじゃない」
じたばたと手足を必死に伸ばし、手応えのない空気を掻き分け、私は私の元へと向かう。しかしノアのように上手くは進まない。
あの血色の悪い自分を見て、ゾッとした。妙に生々しく、リアルだった。背筋を這う悪寒が、私に信号を送る。これは夢ではないのではないか、と。もしかすると本当なのではないか、と。
もしこれが夢だとしても、やはり気分のいいものではない。とりあえず元の体を取り戻したとしても、別に悪い事はなにもないわけだし。うん、そうだ。元に戻ろう。そう思って私は必死に手足を動かした。
ノアが言う事が本当なら、私はまだ死んでない。けど、このままだと死ぬというのなら、きっとこれは幽体離脱だとかそういう類いの状態なんじゃないだろうか。
それならば、よく見る漫画やドラマのように、あの体と重なり合えば元に戻るのではないかーーそう思っての行動だった。
あともう少し……。私の手が何食わぬ顔でベッドで横たわる体に届く。もう少しで指先が私を捉える。
だけどーー。
「無駄だよ……」
「……えっ?」
ノアの言葉に振り向くこと無く、私は手を伸ばした。するとーー。
「きゃー!!!」
手はベッドのに横たわった体を突き刺し……いいや、刺さったのではなく、通り抜けた。
「どっ、どうして……」
そこにあるはずの体。しかし空気を掻き分けていた時と同じく、この手は何も感じない。何も捉えない。蜃気楼でも見ているような、そこにあると思ったものは実は無く、ただの錯覚……そう思わせるほどに私は私の体を通り抜けた。
「……言ったでしょ、これは不測の事態なんだって。それで体を取り戻せているのなら、僕はすでにおねぇちゃんを元に戻しているよ……だけどそれは出来ないんだ」
「なんでよっ!」
「体と魂を繋ぐものが切れてしまっているから……。聞いたことない? 魂と体は繋がっているって話」
うーん……心理的ななにかで聞いたことある気がするけど……。
「それって本当にあることなの?」
「あるよ。今の状態を見てもまだ信じられないの?」
艶やかな幼い顔に深いシワが刻まれた。そんな風に言われても、現実味がなさ過ぎる話なわけで……やっぱりまだ夢の中なんじゃないかって事が頭のどこかで過っている。
けど、初めよりは危機感なるものを感じてる自分もいる。なにせ、目の前で眠る自分の姿が、どんどん色味を失い、消え入りそうだからだ。
「魂が体から離れるっていうのは別に珍しい事なんかじゃないんだよ。人はさ、夢を見るでしょ? 夢を見てる時っていうのは、魂が一時的に肉体を離れて遠くの別次元へと行っている状態なんだよ。だから寝ている人が寝言を言ってる時に話しかけてはいけないって言うでしょ」
「えっ? ダメなの?」
「えっ!? ダメに決まってるじゃないか!」
ノアはドングリのような大きな瞳を目一杯開き、私の言葉に噛み付いた。
「魂は別次元に行ってるっていうのに話しかけちゃったりしたら、次元を越えて会話する事になっちゃうじゃないか」
それはダメな事なの? いまいちわからないんだけど。
「でもさ、魂が抜けてるのなら、なんで体が話なんてするの?」
「言ったでしょ? 魂と体は繋がってるって。繋がってるからこそ、その繋がりを介して肉体は動かないけど話は出来るんだよ」
でもそれじゃ、夢を見てる時ってそんな頻繁に寝言言ってるものなのかーー? そんな疑問が私の顔に張り付いていたのだろう。ノアは再び話を続け、その答えを教えてくれた。
「夢を見たからって、毎回寝言を言うわけじゃないよ。ただ、魂が抜け出てるのに体との波長……っていのかな? シンクロ率が強い時や、その次元が今いる世界に近い時とか……上手く言えないけど、そういう時に人は寝言を言うんだ。だからそんな時に話しかけてしまったら、次元と次元の狭間に挟まれて、下手をすれば魂と体を繋ぐものが切れて、元の世界には戻ってこれなくなっちゃうんだよっ」
「……へぇ〜」
そっ、そうなんだ……。
頬を腫らして力説するノアの視線から逃れるように目を天井へとスライドさせた。同時に、自分の脳内に眠る記憶を探るーー。
それは小さい頃のこと。
まだお昼寝をさせられていたくらい幼い頃、私は家に遊びに来ていた幼なじみの海斗と、お昼寝をしていた。だけど私がフと目を覚ました時、海斗は隣で何やらブツブツと寝言を言っていて……。
昔の事すぎて、あの時何を言っていたかはもう覚えてないけど、楽しそうに笑いながら呟く海斗を見て、私はつい口を挟んでしまった。
言った言葉も忘れてしまったけど、その言葉を聞いて海斗は眉をしかめていた。何やら呻き声を上げながら……。その様子がおかしくて、暫く話しかけながら気がつけば私は再び眠っていた……。
あっ、あれがダメだったってことだよね? でもでも、その後も何も問題なかったんだし。
「……おねぇちゃん?」
可愛らしく小首を傾げ、顔を覗き込むノア。そんなノアに何でもないとだけ言い、話の続きを促した。
「とにかく、その状態っていうのが一般的に幽体離脱してる状態にもなるんだけど、おねぇちゃんの場合は、その繋がりが切れてしまってるんだよ。だから肉体に戻る事も出来なくなってしまったんだ」
本題に戻ったノアに、私は再び噛み付いた。
「じゃあ、どうすればいいっていうの!?」
このまま死ねって? そんなの絶対に嫌。夢だとしてもそんなのって酷すぎるっ!
生まれて此の方、まだ十三年しか生きてないのに。それなのにもう死ねっていうの? しかも訳も分からない状況で、理由もわからないで……。
自分でも馬鹿馬鹿しいと思うのに、なぜか無性に涙が溢れ出す。この状況に。理解し難いこの夢が。きっとこのぶっ飛んだ現状が、自分のキャパを越えすぎてるんだと思う。
溢れた涙は頬を伝い、無重力かと思えるこの空間から逃れるように落ちてゆく。下へ下へと。しかし涙は床に落ちる事はなかった。いいや、落ちたのかもしれない。ただ、流れた落ちた涙は床を濡らす事無く、消えたーー
それは床に吸い込まれるように。
ーーああ、なんだ。私は今、ここに存在すらしていないんだ。
ベッドに眠る自分の姿。それが本来あるべき姿。じゃあ今の私は……? 私は一体何者なの……? そう思った時、体はある答えをはじき出した。勝手に。本能で。……そう思った。
そうか……これが死ぬということなのだろう、と。
「おねぇちゃん泣かないで……僕、僕、この状況を元に戻しておねぇちゃんを救う為に来たんだから」
ノアの小さな手が私の頭に触れる。ーーあったかい手。本体である自分の体すらすり抜け、透明がかっている今の私の体。そんな不確かな状態でもノアの温もりを感じる事が不思議だな……なんて思いながら、溢れ出した涙を拭い、顔を上げた。
「ありがと、ノア」
私が微笑むと、眉尻を下げ悲しそうに見つめていた幼い顔が一気に輝いた。
ーーほんと子供。けど、可愛いじゃん。
「でも、この状況をなんとか出来る打開策みたいなのがあるの?」
こうなった理由はノアもわからないって言ってなかったっけ? そんな状態で私を救うって、どうするつもりなんだろうか。
「まずどうしてこうなったのかを調べる必要があると思うんだけど、僕の管轄してる世界で、実はおねぇちゃんがいるこの次元と、もうひとつ別の次元でも同じように歪みが確認されたんだよ」
「……もうひとつ別の次元で?」
「そうなんだ。詳しい事は僕にもまだわからない。けど、きっとこれは偶然なんかじゃないんだと思う。だから……」
矢継ぎ早に話を進めるノアの言葉を必死に聞き入っていた私に、それは突然現れた。
「実亜いつまで寝ているの? もう起きないと学校に遅刻してしまうわよ」
「マっ、ママ!」
ノックも無しで入ってきたのは、エプロン姿のママ。いつも見慣れたママが部屋に入るなり、窓辺へ赴き光を遮断していた重いカーテンを開いた。
シャッ、とカーテンレールを走る音が響き、眩しいほどの光が6畳ほどの部屋の中に差し込んで、朝を知らせる。
「ママっ、ママ!」
ママの存在に、私の心はざわつき出す。思わず、必死に両手両足をバタつかせて、ママのそばへと駆け寄ろうとする。だけど、私が向かうよりもママが歩む一歩の方が早く、私の隣を通過する。
伸ばした手は、さっき自分の体に触れようとした時と同じく、ママの体をすり抜けた。
「ママ、待ってママ!」
それでも諦めきれず、ママに向かって手を伸ばす。手を伸ばして、バタつかせて、宙を泳いで。……けど、ママには追いつけない。掴めない。気づいてすらくれない。
「実亜、いい加減に……実亜?」
ベッドに手をかけ、ハッと息を飲んだ。背中を向けられた状態でも、手に取るように分かる。ママが恐れ驚く様が見て取れて、私の心に何かが刺さった。鋭くて冷たい何かがーー
「実亜……? どうしたの……実亜っ!」
私の体を揺さぶり、声をかける。けれど、ベッドの上の私は動かない。ママに揺さぶられ、布団からするりと腕が落ちる。その手を掴んだ瞬間、再びママは絶句する。
「……なんで……冷たい……」
「ママっ!」
必死になって空を漕ぐ。私は必死になって駆け寄った。……けれど、ママがいるところまではとても遠い。こんなにすぐ近くにいるのに、とても遠い。
「おねぇちゃん……」
気がつけば、そばにいるのはノアだ。赤い瞳が悲しそうに深く濃く色を放って、そばで私を見つめている。
「ノア、お願い。私をママのところへ連れてって……」
「……連れてっても、ママさんにおねぇちゃんは見えないよ……それに触る事だって……」
「いいから! 早くっ」
困った顔をするノアに私は掴み掛かった。タキシードの襟や白い兎の耳を引っぱって叫んでーーその瞬間、私の脳裏を何かが過る。ほんの一瞬。けれど鮮やかに生々しい光景。
『実亜……どうしてっ……』
ママが泣いている。その隣でパパが寄り添うように泣いている。なんで、なんで泣いてるの……? ママ達のそばに横たわるのはーー私。黒い世界に、唯一白い私。色素の無い白い肌に、白装束。全て黒いのに、私だけが不自然だった。
『なんでだよっ! なんでお前……!!』
今度は別の声。それはママでもパパでもない。だけど昔からよく知ってる声。最近声変わりをしたアルト声は、海斗だ。
海斗……海斗も泣いてるの……? 横たわる私に覆い被さる勢いで顔を埋める海斗。その背中が小刻みに揺れていた。
『俺……まだお前に謝ってないのに……あんなことで、あんなしょうもない喧嘩したままなのに……』
気がつけば、私の頬を一筋の涙が伝っていた。
『……実亜……死んだなんて、嘘だよなぁ……?』
「海斗!!」
手を伸ばした瞬間、それは霧のように消えていった……。体に電気が駆け抜けていたように、痺れて。喉が苦しい。
「おねぇちゃん、しっかりして!」
ノアがそっと私の背中を摩り、ようやく私は息が止まっていた事に気がつく。頬を伝う涙は、一筋、また一筋とこぼれ落ち、体は震える。
ーーとてもリアルだった。
いやだ……死にたくない……死にたくないよ。私はたくさんやり残したことがある。私はまだ、生きたい。
「……誰か……誰か助けて」
その声にハッとする。再び声の方を見やると、ママがベッドの脇で腰をついていた。恐怖におののきながらーー
「ママ……」
力無く、手足をバタつかせて、ママの元へと向かう。
「おねぇちゃん、無駄だよ」
「でも、だって……だってママを安心させてあげなくちゃ。すごくビックリしてるじゃん。私は大丈夫だからって……心配しないでって。だって……」
ーーだって私は、ここにいるんだよ……?
「……救急車。そうだわ、救急車を呼ばなくちゃ……っ」
震える手を握り締め、ママはそのまま部屋を飛び出して行った。その出て行くまでの間、一度も私の方に視線を向ける事はなく。再び、部屋の中は静まり返る。同時に、私の瞳からは止まっていたはずの涙が滲みだす。
「……ねぇ、ノア」
ノアの返事は無い。けれど、話を聞いているだろう事はわざわざノアの顔を確認しなくたってわかる。ずっと握りっぱなしだったノアの耳。本当は痛いくせに、それなのに文句も言わないで、ずっと私の背中を撫でている。もう平気なのに、それでもなお撫で続ける。安心させるように、少しでも不安を取り除こうとするように。
ーー子供のくせに、生意気……。
けれどそれは心地よくて。私はそのまま撫でられておくことにした。
「さっき私を救う為に来たって、言ってたよね? あれって……本当? 本当に私、元に戻る?」
ノアの手がさらに優しく私を撫で付ける。
「……私、死んだりしない?」
言いながらベッドで眠る自分の姿を見やる。血色を失った顔。それはとても青白く、違和感を感じるほどだ。ママが言っていたように、きっと体は体温を失いどんどん冷えているのだろう。呼吸はしているのだろうか? 見る限りではそれも期待できない。
本当に私は、死んでいないのだろうかーー?
根底を覆すような言葉が私の脳裏を過る。その考えに足はすくみ、瞳に涙でいっぱいになる。けどーー。
「僕は時の番人だよ。人より長い時間を過ごしてきたし、たくさんの次元に生きる人を見てきた。だから誓うよ……おねぇちゃんはこんなところで死んだりしない」
恐る恐る顔を上げる。そこにある言葉を確かめるために。その言葉を言った少年の顔を確かめるために。
信じてもいいのか。すがってもいいのか。選択肢はないはずなのに、それでも確かめたくて顔を上げた。
「これから起こる事はおねぇちゃんにとって信じられない事ばかりかもしれない。もしかしたら辛い事があるかもしれない。僕はおねぇちゃんを救う為に来たって言ったけど、頑張るのはおねぇちゃんなんだ。僕はただ、道を示すだけ。……それでも頑張れる?」
真剣な眼差しでそう言う少年。吸い込まれそうなくらい澄み切った瞳を真っすぐに見つめ、私は頷いた。
ーー今、この状況以上に信じられない事や辛い事なんて、あるものか。
「私は、どうすればいいの?」
掴んでいたノアの耳を離し、涙を拭ってはっきりと言葉にする。しっかりと前を見据えて。するとノアは、再び顔を緩めて微笑んだ。
「さっき言った、もうひとつ歪みが発生した次元へ行こう。きっと何か原因が見つかるはずだよ」
そう言った瞬間、ジャケットの内側に入れていた懐中時計を取り出し、見やる。金色に輝く時計はノアの小さな手と同じサイズだ。
「別の次元って……どうやって行くの?」
「それなら大丈夫。言ったでしょ? 僕は時の番人なんだって。次元は自由自在に行けるんだよ」
そう言って私の手をギュッと握り、もう一方の手で懐中時計の留め具を押した。
「少し眩しいだろうから、目はつぶってて」
「えっ?」
質問するより先に、突然光が視界いっぱいに広がった。朝の光よりも眩しく、かつ、紫や青などの配色がマーブル模様に揺らめき、それらがノアの持つ懐中時計から放たれた。
あまりの眩しさに、ノアの手を強く握り締め、瞳を閉じたーー。