マツムシソウの声
マツムシソウが鳴いているとあの子は言っていた……。
八月十三日。夏休みもあと半分となった頃。電車に揺られて幼馴染の莉紅と一緒に、もう一人の幼馴染が眠る場所へと向かう。
「誕生日おめでとう! 楓花ちゃん!!」
莉紅が思い出したように大声を上げた。周りの人は迷惑そうだったりクスクス笑いをしたり別段気にしてない様子だったりする。私は正直恥ずかしかったから穴があったら入りたいって感じ。でも、そういうのを全く気にすることが“出来ない”彼女と一緒に居るのだから仕方が無い。
「ありがとう。莉紅」
優しくそう伝えると、花が咲いたような笑顔を浮かべて「うん!」って頷くから、許すしかないんだ。
今日は私の誕生日であり、幼馴染で愛する人の一人だった葵の月命日。葵が死んだ七月十三日から丁度一ヶ月が経った一年前の今日の日。荒みきった心の退廃を止めることが出来ず、死んでしまおうという結論に達していた。
「楓花ちゃん何処に行くのー?」
今みたいに莉紅と一緒に電車に揺られて葵が眠る場所へと向かっていた。一言告げてから莉紅と心中するつもりで。
「ねえねえ、葵ちゃんに会いに行くのー? ツマんなーい! 葵ちゃんもうお話出来ないんだよー! ねえ!」
黙りこくっている私の肩を掴んで揺らして、駄々っ子みたいな声を出す莉紅。葵は莉紅にとっても幼馴染だった。でも心が壊れてしまっている莉紅は何かを感じることがあまり出来ないのだ。いつもこんな調子で、これからもずっとそうなのだという。こんな様子の莉紅を皆は酷い奴だって罵る。幼馴染が死んだのに!って。何も感じないといっても悪意を向けられていいわけじゃない。そんなの私が我慢できない。一人で死んでしまっては誰も彼女を守れなくなる。だから一緒に死のうと思っていた。
莉紅がこんなになってしまったときも荒んだ私だったが、でもあの時は葵が支えてくれたからなんとかやってこれた。そう、葵が居たから私は救われていたのに。縋ってばかりいたから遺書を見るまで苛めに苦しんでいたことに気が付けなかったんだ。葵に救われたからこそいる自分だったのに……。
涙が流れた。私の肩を強く揺らしていた莉紅の手が離れる。
「楓花ちゃん! どこか痛いの? だいじょーぶ?」
誰かが泣いた。悲しいこと、悪いこと、ということを思う気持ちは少なからず残っている莉紅。すっかり忘れていたけれど、昔の彼女は少し以上に心配性で“全ての人”を大切にしている子だった。
「楓花ちゃん!」
縋るような莉紅の声。私はその声が聞こえないように小刻みに肩を揺らしてすすり泣く。いつものように“大丈夫だよ。気にしないで”って言ってあげるだけで済むのに。その言葉一つで莉紅は実際の状況がどうであれ安心することが出来る。それが形式でも彼女はその言葉通りで真に受ける。それでいいはずなのに言葉が出てこなかった。
そのまま静かになり、静寂に包まれたと思いかけた時だ。
「誕生日おめでとう! 楓花ちゃん!!」
莉紅から嬉しげな声があがる。そして私の手を握って微笑む。すっかり忘れていた。いいや考える暇なんてなかった。今日は私の誕生日だった。
「いっぱいいっぱいお祝いしてあげるから。だから、もう泣かないで?」
子供をあやす様な声に私を見つめる優しい眼差し。もう失ってしまったと思っていた莉紅が一瞬現れた。そんな彼女に抱き付いて子供のように私は泣き叫ぶ。でも本当にあの一瞬だけで、キョトンとした様子に戻り、いつも通りの空っぽな笑顔を浮かべるだけだったけれど、いつかまた昔の莉紅が戻ってきてくれるのではないか? という、悲しい希望を持ってしまった。
「着いたよ! 楓花ちゃん!!」
回想に浸っているうちに目的地の駅に着いた。
霊園に向かうまでの道には紫色の花弁の花、マツムシソウが沢山咲いている。昔は、葵の早くに亡くなったお父さんのお墓参りに着いてきていたから何度も目にしている光景。それを見る度に思い出す。いつだったか「マツムシソウが鳴いている」なんて葵が言ってきたことを。
「やっぱりなんにも聴こえなーい!」
なんて、莉紅は必ず耳を澄ませて聴こえることのない音を必死に探す。
“マツムシソウの花言葉って、ここに来る人たちの気持ちみたいなんだよ。だから、皆の代わりに精一杯悲しいって鳴いてくれてるみたいだって思ったの”
そう言っていた「ここに来る皆」の中の「葵の鳴き声」に私は気が付いたけれど、莉紅と同じように聴こえない振りをしていた。
「楓花ちゃん?」
心細そうな莉紅の声。愛おしい声。
私は幼馴染という枠組み以上に莉紅を愛している。けれども、莉紅の心が壊れてしまったとき、葵が私を好いていた気持ちに気が付き、縋ってしまったのだ。
「大丈夫だよ。気にしないで」
そう言うと、莉紅はすぐに信用して満面の笑みを浮かべる。それに優しく微笑み返す。
縋ったのは私なのに、愛おしく想えるのはやっぱり莉紅だけだったから、葵の気持ちに答えることが出来なかった。苛めが理由の自殺なんていうのは私たちを守るための嘘だって本当は分かっていたのに……また縋ろうとして、でもその嘘が優しさだけじゃないことぐらい分かっているから、逃げられなくて苦しくて死のうとしたんだ。
一年前の七月一三日。葵に呼び出された。向かった先は葵が通っている高校の屋上。
既に夕暮れの時間だったけれど、生徒や先生もまだ居る中で他校の生徒でも軽々侵入出来たこの学校は一言でいうと「ゆるい」とのこと。
私たちは、中学までは幼稚園からエスカレーター式の私立の学校へ三人一緒に通っていたが、葵のみ母子家庭である等の家庭の事情で高校は別の市立へ進学していたのだ。
屋上に着き、風の強さに驚く。私たちの通っている学校は屋上が封鎖されていて生徒が入ることは出来なかったから知らなかった。昔葵と、学校の屋上って憧れるという話をしたことがあったけれど、髪は乱れるし肌に当たる風は少し寒い気がしたから、そんなにいいものでは無いような気持ちになった。
「葵」
先に来ていた葵はこちらの気配には気が付いていない様子で背を向けたままなので、呼びかける。
返事は帰ってこなかったが、ゆっくりとこちらへ顔だけ向けてきた。泣き腫らしたと思われる真っ赤な目に反比例して青白い顔。ぎこちない笑顔を作ってきた。胸が締め付けられるような感じがする。
沈黙が流れた。葵をこんなにしたのは紛れもなく私だったから掛ける言葉が見つからなかったのだ。
数週間前の出来事。一度は気持ちを受け入れたけれど、愛しているのは莉紅だって分かったから、葵の気持ちは受け入れられないことを伝えていた。
「何で私じゃ駄目なの?」と問う葵に「莉紅じゃなきゃ駄目なんだ」と、自分の気持ちで押し切った。
「そっか。分かってたよ」なんて、葵は納得したように振る舞うから、それに乗っかって逃げた。そして気まずくて今まで会っていなかったのだった。
そんな中伝えたいことがあるからと呼び出された。けれども葵は何も言わないで、悲しそうな瞳で私の瞳を見つめてくる。
「葵」
沈黙に耐え切れなくて、なんと言ったらいいかなんて分からなかったけれど名前をもう一度呼びかけた。それでも私を見つめるだけで、その瞳から目を逸らしたいけれど逸らすことが出来ないでいた時。
“愛してる”
声は風に掻き消されていたけれど、葵は唇を確かにそう動かした。そして、私の目の前で飛び降りた。
嘘の理由を付けて死んだのは私を一生縛りつける為、目の前の死の光景が未だに焼き付いて離れていない。何処へ行っても逃げることが出来ない。本当は、逃げてばかりいる私への愛の証明の為に死んだ……それを認めるのが恐かった……嗚呼!! 葵を殺したのは私だ!
いくら耳を澄ませても風の音ぐらいしか聴こえない。マツムシソウは鳴かない。