プロローグ
この世を恐怖の深淵へと沈めていた破壊と殺戮の化身たる魔王。彼が勇者と仲間によって倒され、早三年もの時が流れようとしていた。いま大陸にすむ人々は魔王復活以来数十年ぶりに訪れた平和を心より楽しみ、安寧のうちに暮らしている。それはかつて魔王軍と熾烈な戦いを繰り広げた勇者の仲間たちとて例外ではなかった。彼らもまた、過酷な魔王討伐へと旅立つ以前の穏やかな生活に戻っているのだ。これはそんな勇者の仲間たちの一人、大魔法使いコーンが繰り広げる物語--。
麗らかな日差しが大地を照らし、影法師がぼやける春。褐色のレンガが敷き詰められた通りをコーンはカツカツと足音を鳴らしながら歩いていた。通りの両側では東方より持ち込まれたサクラという木が盛大に花を咲かせていて、春の心躍るような雰囲気を盛りたてている。コーンはその淡い花びらの舞い落ちる中をほほ笑みながら通過すると、巨大な門の前に立った。その門のわきにある門柱には、黒いプレートに金文字で「メルトバーレ魔法学院」と刻まれている。さらにその奥には、都の王城にも及ぼうかという巨大なレンガ造りの建物たちが覗いていた。
「いよいよ今日から僕も先生か……。生徒さんがいい子だといいな……」
「あっ、コーン先生~!」
「うん?」
コーンが振り向くとそこには一人の少女が立っていた。ちょうど舞い散るサクラと同じピンクブロンドのツインテールが揺れていて、そのはつらつとした闊達な笑顔はとてもかわいらしい。だが、その少女はなぜか生徒の制服ではなく教師が愛用する紅のローブに身を包んでいた。コーンはそれを疑問に感じると少しその細めの眉を歪める。しかし、少女はそんな事お構いなしにとてとてと彼に駆け寄ってきた。
「はじめまして! 私は学年主任のシルフィーです!」
「どうもよろしく……って学年主任!?」
びっくりして眼を丸くしたコーン。彼はシルフィーを上から下までよく見てみる。ゆったりとしたローブに包まれたその身体は凹凸が一切なく、身長もコーンより頭一つ低い。だいたい百五十サントくらいだろうか。彼がどれほど眼を凝らして見たところで、彼女は大人には見えない。
そんな遠慮のないコーンの視線にシルフィーは顔を赤くした。彼女はそのまま少し顔をうつむけると、怒ったようにコーンに言う。
「そっ、そんなに見ないでください! は、恥ずかしいじゃないですか!」
「ごっ、ごめんなさい!」
「もう、気をつけてくださいね! それじゃあ行きますよ!」
シルフィーはそういうと、紅くなった顔を勢いよくコーンの方からそらした。彼女はそのまま無言で彼の手を引っ張り、学院の中へと連れて行く。その半ば強制連行といった行動にコーンは「引っ張らないでください~!」と頼りない声で叫んで抗議するものの、それは一切無視された。まさか女性相手に本気で振り払うわけにもいかないので、彼はそのまましぶしぶといった様子で学院の中へと連れて行かれる。こうして何はともあれ、コーンはメルトバーレ魔法学院の門をくぐったのだった。
こうして元勇者一行の大魔法使いコーンは、先生としての生活をスタートさせたのである--
一方そのころ。メルトバーレ学院の学院長室には二人の男がいた。一人は白いひげを伸ばした老人、もう一人はやせぎすの壮年男性である。彼らはそれぞれ飴色の木でできた豪奢な椅子に腰を沈めて、古びた鏡に眼をやっていた。その銀製の鏡の黒いてらてらとした表面には学院の門付近が写されていて、その中央には先ほど門を潜ったコーンの姿がはっきりと示されていた。
老人はそのコーンの姿をいかにもおもしろくなさそうな様子で見ていた。しきりに髭に手をやっては、不満げに眉をゆがめながらそれを盛んに撫でる。さらに彼はギシギシと歯ぎしりをすると、喉の奥から絞り出すようにしがわれた声を出した。
「大魔法使いと聞いたからどんな男かと思えば……まだ少年ではないか」
「しかし学院長。奴はあの魔王をも倒した勇者一行の一員、腕は図りしれませぬ」
「問題ない。どれほど腕があろうが教師である以上、不祥事を起こせばわしの権限で追い出せる。それより生徒の手配は万全だろうな?」
壮年の男はねちっこい嫌な笑みを浮かべた。彼はそうして一拍ほど間をおいてから学院長の問いかけに答える。
「むろんです。奴のためにとびっきりの生徒を用意しておきました……」
「そうか。ははっ……はははっ!」
明りのつけられていない薄暗い学院長室に、ぬめるような気味の悪い高笑いが響いた。この底なし沼のような笑いが何を意味するのか。それはまだ誰も知らない--。




