【倫理注意】みにくいアヒルの葬列:苗床のお母さん ――世界で一番きれいになりました ※この物語は童話の思い出を修復不可能なまでに破壊する恐れがあります。純粋に原典を愛する方にはお勧めできません。
――白鳥のお母さんが、静かな湖畔の巣の中でタマゴをあたためていました。
「ぼく」を包む真っ暗な闇は、粘りつくような慈愛に満ちています。
お母さんの中は、世界で一番温かいです。
外の世界がどれほど冷たくても、ここにはお母さんの体温が絶え間なく流れ込んできました。
ドク、ドク、という力強い拍動、それはぼくをあやす最高の子守唄であり、ぼくの命を形作ります。
ぼくは誰よりもお母さんのそばにいて、誰よりもお母さんと一つです。
お母さんの血管の一本一本、神経の一筋一筋が、ぼくの細い指先と愛の糸で結ばれています。
ぼくはお母さんが見る夢を一緒に見て、食べる喜びを一緒に味わっています。
――やがてタマゴが一つずつ割れると、中からは黄色いかわいいヒナたちが顔を出します。
その瞬間、ぼくの楽園に「ノイズ」が混じり始めました。
意地の悪い「兄弟」たちが生まれました。
あいつらはお母さんの外側にへばりつき、ピーピーと騒がしく愛をねだります。
お母さんがいつもぼくのことばかり心配しているのが気に入らないのです。
お母さんの歩みが重くなり、呼吸が苦しそうに漏れるたびに、あいつらは一斉にお母さんのお腹を突き始めます。
「お母さんをいじめるな!」
ぼくは精一杯叫びます。
けれど、あいつらは全く気に留めません。
コン、コン、コン。
鋭い嘴の衝撃です。
それはお母さんの柔らかな肉を貫き、ぼくの平穏を脅かす暴力の音でした。
そのたびに、お母さんはビクンと跳ねて、悲鳴のような、あるいは許しを乞うような掠れた声を上げました。
「やめて! お母さんが痛がってる! ぼくが、ぼくがお母さんを守らなきゃ!」
ぼくは愛を込めて、お母さんのお腹に深く爪を立てた。
引きずり出されないように、お母さんの裏側に自分の体を固く縫い付ける。
これでもう大丈夫。外の乱暴者たちにお母さんを奪わせはしない。
『悪いもの、出ていけ! お母さんを助けるんだ!』
兄弟たちの正義の叫びが聞こえました。
あいつらは、お母さんを苦しめているのはぼくだと思い込んでいます。
なんて愚かなんだろう。
お母さんをこんなに深く愛し、内側から支えているのは、ぼくだけです。
――弱った白鳥は、ヒナたちに食事の仕方を教えます。
外の世界では、兄弟たちが泥の中からエサを見つけようと必死に足掻いていました。
けれど、ぼくだけは違います。
お母さんは、直接ぼくだけには栄養を分け与えてくれます。
お母さんが飲み込んだ命の雫が、熱いままぼくの喉を潤します。
「母さん、おいしいよ! もっと、ぼくを強くして!」
ぼくはもっと大きくなって、お母さんを守る盾にならなければいけないと思いました。
お母さんを通して兄弟たちを見ました。
彼らはぼくと違って、黄色い産毛を汚して、すぐ壊れそうなほど脆弱で、何より醜かったです。
――白鳥はだんだんと衰弱していきます。
お母さんの鼓動が、だんだん遅くなって行きました。
あんなに温かかったお母さんの身体が、少しずつ、しんしんと冷えていくのが分かりました。
兄弟たちは立派な羽を広げ、羽毛も生え変わり始めていました。
あいつらがお母さんの命を外から削り取っているから、お母さんはこんなに弱ってしまったんだ。
ぼくの心は焦りと悲しみでいっぱいになりました。
「お母さん、死なないで! ぼくを一人にしないで!」
ぼくは意地悪な兄弟が許せなかったです。
大好きなお母さんの、冷たくなりかけた筋肉を力いっぱい抱きしめました。
すると、ぼくの背中から、硬くて黒い「翅」が突き出してきました。
それは兄弟たちの、すぐ折れそうな白くて軽い羽根とは構造が違う。
強靭な節を持った足が、お母さんの動脈を力強く掴んだ。
「さあ、お母さん。ぼくを外に出して。ぼくがあいつらを追い払ってあげる!」
――白鳥はついに、地べたに崩れ落ちました。もう、飛ぶどころか、一歩も歩けません。
お母さんの最後の悲鳴が、ぼくの全身を震わせた。
内側から突き上げるぼくの愛と、外から突く兄弟たちの正義。
二つの巨大な「愛」に耐えかねて、白鳥は、ついに音を立てて弾け飛んだ。
ぼくは「外」に出た。
初めて見る外の世界は、なんだかとても乾いていて、凍えるほど寒かった。
ぼくはいっぱい眼が生えている顔を震わせ、六本の節足を伸ばし、ヌラヌラと光る黒い翅を広げた。
「邪魔をするな」
ぼくは吐き捨てた。
目の前には、恐怖で腰を抜かし、泥にまみれて震える脆弱な兄弟。
ぼくは転がる白鳥を見た。
――羽が一枚も無い、黒ずんだ白鳥の抜け殻は、もう二度と動きませんでした。
ぼくは白鳥の中に戻ろうとした。
けれど、そこはもう温かい海ではなく、冷えて固まった肉の空洞に過ぎなかった。
「なんだ。もう、使えないのか」
ぼくは少しだけ残念に思いながら、周囲を見渡した。
川の澱みには、夕闇に溶け込むような「美しい生命」たちが舞っていた。
白鳥ではない。ぼくと同じように、いくつもの眼を持ち、硬質な翅を震わせる、完成された群れ。
「ああ、ぼくも、あそこに行きたい」
ぼくは力強く翅を羽ばたこうとした。
けれど未熟なぼくの体は重く、そのまま水面に突っ込んでしまう。
水面に映っていたのは、醜い白鳥の子ではない。
透き通った翅と、機能美に満ちた節足を持つ「美しい生命」の姿だった。
ぼくはもう一度、今度こそ、迷いなく羽ばたいた。
重力から解き放たれ、体が宙に浮く。
仲間の群れに合流したぼくは、そこで初めて、己の輝かしい使命を知った。
「そうか。だから苗床が必要なのか」
湖には、優雅に泳ぐ真っ白な白鳥たちがいた。
あの、かつて、ぼくをいじめた兄弟。
あいつらは、ぼくの苗床を食いつぶして、あんなに立派に、肉を蓄えて育っている。
あんなに豊かで、あんなに温かそうな苗床が、他にあるだろうか。
ぼくはにっこりと、美しい口を歪めた。
「あいつらのお腹も、きっと温かいんだろう。ぼくの大切な卵たちには、最適だ」
ぼくは、次の「苗床」を見定めて、音もなく水中に潜った。
一番美しいぼくが、一番美しい愛を届けてあげるために。
――こうして、みにくい白鳥の子は、世界で一番きれいになりました。
どこまで真直ぐに主観できるか、知りたくて執筆しました。
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