ドリンクバー的生活
「ねえ、君ってさ」
放課後のファミレス。ドリンクバーのグラスをいじりながら、先輩がまたいつものように変なことを言い出した。
「サブスクに毎月いくら払ってる?」
テスト前に聞く質問としてはだいぶズレている。
「えっと……音楽と動画と、あと電子書籍も入れて……全部で三千円くらいですかね」
「へえ。けっこう“持たない人間”なんだね、君」
「悪い言い方しないでください」
思わず苦笑いする。
「でもまあ、昔みたいにCDやDVDを買わなくなったのは事実ですね。大体サブスクで済ませちゃいます」
「だよね。そこで本題なんだけどさ」
先輩はストローをくるくる回しながら、いつもの“発作モード”に入った目をした。
「サブスクで“観てる/聴いてる”作品って、本当に『自分のもの』って言えるのかな」
「……まためんどくさそうな話を」
「ちゃんとした疑問だよ。いつものやつだけど」
◇ ◇ ◇
「じゃあまずさ」
先輩はテーブルの上に紙ナプキンを引き寄せて、ペンを取り出した。
「君の思う“サブスクの特徴”を箇条書きにしてみてよ。たたき台として」
「叩く前提で頼んでくるのやめてもらえませんかね」
一応、頭の中で整理してみる。
「えっと、じゃあ……」
1. 月額料金を払えば、対象の作品をいつでも好きなだけ利用できる
2. 個別に買わなくていいから、一つ一つの値段を気にしなくて良い
3. だけど、解約したら全部使えなくなる
4. 配信が終了した作品は、契約中でも見られなくなることがある
5. データは自分の手元には残らない
「こんな感じですかね」
「うんうん」
先輩は満足そうにうなずいた。
「見事に“サービス側の説明”って感じだね」
「そりゃそうでしょう。利用規約に書いてありそうなことを並べただけですし」
「じゃあここから、“人間側から見た特徴”に変えていこうか」
◇ ◇ ◇
先輩は僕の箇条書きの横に、勝手に書き足す。
1. 月額料金を払えば、対象の作品をいつでも好きなだけ利用できる
→“いつでも”は“サービスが続き、配信が続き、ネットに繋がっている限り”という条件付き
2. 個別に買わなくていいから、一つ一つの値段を気にしなくて良い
→逆に言うと「どれだけ使っても“自分のもの”にはならない」
3. 解約したら全部使えなくなる
→つまり「記憶以外は全部取り上げられる」
4. 配信が終了した作品は、契約中でも見られなくなることがある
→“好きなときに好きなものを見られる”という前提が、実は保証されていない
5. データは自分の手元には残らない
→“持たない自由”と引き換えに、“失う不安”を常に抱え続ける
「最後の一文、急に詩的になりましたね」
「事実をちょっとキレイに言ってみただけだよ」
先輩はグラスを一口飲んでから、続けた。
「昔さ、好きなアルバムがあったらCD買ってたじゃない? 君のお父さん世代とか」
「うちにも棚に並んでますね。誰も聴いてないやつ」
「そうそう。あれってさ、“一度買っちゃえば、プレイヤーさえ壊れなければ一生聴ける”って感覚だったと思うんだよね」
「まあたしかに、“自分のもの感”は強いですね」
「でも今は、“聴こうと思えばいつでも聴ける”って言いながら、サービスが終わったり、権利関係で配信終了したら、それで終わり」
先輩は軽く指を鳴らした。
「“自分の好きなもの”を、“自分で持ってない”状態が当たり前になってる」
◇ ◇ ◇
「でも、その代わりに“いろんなものを気軽に試せる自由”も手に入れてるじゃないですか」
僕も反論する。
「昔だったら、ジャケ買いでハズレを引いたら泣くしかなかったですし。
今は『合わなかったら次行こ』で済みます」
「うん。そこが面白いところ」
先輩はあっさり認める。
「サブスクって、“持たないこと”で楽になる部分は確かにあるんだよね。物理的なスペースも取らないし、“選択の失敗”に対する心理的コストも低い」
「じゃあいいじゃないですか、サブスク最高ってことで」
「でもさ」
先輩は少しだけ声を落とした。
「“持たない”ってことは、“責任を持たなくていい”ってことでもあるんだよ」
「責任……?」
「昔、CD買うときってさ、“このアルバムに千円払う価値があるかどうか”、ちょっと真剣に悩んだと思うの」
「そりゃあ、高いですし」
「その代わり、“買ったからにはちゃんと聴こう”って気持ちも生まれる。結果的に、そのアルバムとちゃんと向き合う時間が生まれる」
先輩は指で机をコツコツ叩きながら言う。
「サブスクだとさ、“つまみ食い”は得意なんだけど、“腰を据えて付き合う”のが難しくなる」
「あー……それは分かるかもしれません。途中で止めても、別に損した気がしないですし」
「そう、“いつでも別の作品に行ける”自由があるからこそ、“一つの作品に縛られてみる”って経験は減っていく」
◇ ◇ ◇
「でもそれ、悪いことですかね」
僕は意地で食い下がる。
「合わない作品を無理して聴き続けるより、自分に合う作品を広く探したほうが、幸福度は高くないですか」
「合理的に言えば、そうだね」
先輩はあっさりうなずいた。
「ただ、“合理性”だけで語れない何かも、ちょっとだけある気がする」
「たとえば?」
「たとえば、“ハマるまで時間がかかる作品”ってあるじゃない」
「最初ピンとこなかったのに、何回か聴いてるうちに好きになるやつですね」
「そうそう。昔は“買っちゃったから仕方ない”って理由で聴き続けてるうちに、いつの間にか大事な一枚になってた……みたいなやつ」
先輩は少し遠くを見るみたいに天井を見上げる。
「サブスクだと、ああいう出会いが起きにくくなってる気がするんだよね。“最初の数分で判断して切り捨てる”ほうが合理的だから」
「合理的に選び続けるほど、“本当にハマるはずだった何か”を逃してるかもしれないってことですか」
「まあ、言い方を盛ればね」
先輩は苦笑する。
「べつにサブスクのせいで“人生の名曲を全部逃してる”なんて話じゃないけどさ。“持たない自由”には、“すぐ手放せる不安定さ”もセットで付いてくるってだけ」
◇ ◇ ◇
「不安定さ、ですか」
「うん。サブスクって、“今この瞬間”についてはめちゃくちゃ便利なんだよ。聴きたいときに聴きたいものを呼び出せるし、家でも電車でもスマホひとつで済む」
先輩は自分のスマホを軽く持ち上げる。
「でも、“十年後”を考えると、急に怪しくなる」
「十年後?」
「君が三十くらいになったとき、“高校の時によく聴いてたあのマイナーなバンド、久しぶりに聴きたいな”って思ったとする」
「ありそうですね、そういうの」
「そのとき、そのバンドがまだ配信されてる保証はない。サービス自体が別の会社になってるかもしれないし、権利関係でごっそり消えてるかもしれない」
「……たしかに」
「CDで持ってれば、プレイヤーさえ動けばなんとかなる。でもサブスクだと、“思い出したタイミングで世界から消えてる”ことが普通にありうる」
先輩はストローをいじりながら、小さくため息をついた。
「そう考えるとさ、“思い出そのものがサーバー依存”って、けっこうすごい状態だよね」
「言い方が急に怖くなるのやめてください」
◇ ◇ ◇
「でもまあ」
先輩は少し笑って言い直した。
「別に“全部買い戻せ”って話じゃないのよ。サブスクを否定する気はあんまりない」
「じゃあ何を言いたかったんです?」
「うーん……」
先輩はグラスの底を覗き込みながら考える。
「たぶん、“サブスクで聴いてるから、自分は何も持ってないわけじゃない”って話かな」
「……どういう意味です?」
「だってさ」
先輩は指折り数えながら言う。
「サブスクの音源は、サービスが終われば消える。プレイリストも、アカウント消えれば消える。でも──“その曲を聴いてたときの自分”は、君の中に残るでしょ?」
「高校の帰り道に聴いてた曲とか、テスト勉強しながら流してた曲とか、ですね」
「そうそう。“所有”って、多分二種類あるんだよ」
先輩はナプキンの端に書き出す。
* データやモノを持っている所有
* その時間や感情を、自分の記憶として持っている所有
「サブスクは前者をあっさり手放してる代わりに、後者だけをひたすら増やしていく仕組みなのかもしれないね」
「作品そのものじゃなくて、“作品と一緒に過ごした時間”だけをコレクションしていく感じですか」
「うん。で、その時間は、サービスが潰れても消えない」
先輩は、そこだけ少し真面目な顔をした。
◇ ◇ ◇
「だからたぶんね」
先輩は最後にグラスの水を飲み干しながら言った。
「“持たない自由”って、“何も持ってない”ってことじゃなくて、“何を持っていることにするか、自分で選び直せる自由”なのかもね」
「選び直せる自由」
「そう。モノの棚はサブスクに任せて、記憶の棚は自分で管理する、みたいな」
「うわ、管理が大変そうですね」
「だからこそ、君みたいな常識人が必要なんじゃない?」
「なんかうまくおだてられた気がします」
二人で笑ったあと、僕はふとスマホを取り出して、今朝適当に作ったプレイリストを眺めてみた。
そこに並んでいる曲のほとんどは、きっと数年後には忘れている。
それでも、いくつかは、別の時間に、別の場所で、ふいに思い出すかもしれない。
そのとき、その曲がサブスクに残っているかどうかは分からない。
でも、今この瞬間に先輩と交わしたどうでもいい会話だけは、たぶんどこかで、小さく残り続けるだろう。
そんなことを思いながら、
僕たちは「おかわり自由」のドリンクバーをあとにした。




