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期待の福袋

 一月二日の午後。


 初売りの人混みから逃げ出すように、僕と後輩は駅前のベンチに腰を下ろした。後輩の足元には、デパートの紙袋が一つ。中身が透けないように、きっちりと口が閉じられている。


「買ったんだな、福袋」


「はい……買っちゃいました」


 後輩は紙袋を見つめたまま、少し困ったような顔をしている。


「でも、開けてないのか」


「開けられないんです」


「は?」


 後輩はマフラーに顔を半分うずめて、小さな声で言った。


「開けたら、終わっちゃう気がして」


 その言葉に、僕は少しだけ考え込んだ。何を言ってるんだこいつ、とも思ったが、後輩の真剣な顔を見ると、安易にツッコむのも躊躇われる。


◇ ◇ ◇


「開けたら終わるって、どういうこと?」


「あのですね」


 後輩は紙袋をそっと膝の上に乗せた。


「福袋って、開けるまでは"何が入ってるか分からない"じゃないですか」


「そりゃ、まあ。それが福袋だし」


「でも、開けちゃったら、"これが入ってた"って確定しちゃうんです」


 後輩は真剣な顔で続けた。


「今はまだ、"もしかしたらすごくいいものが入ってるかもしれない"って思えるんです。でも、開けて、もしハズレだったら……」


「ああ……」


 なんとなく、後輩の言いたいことが分かってきた。


「"あ、ハズレだった"って確定しちゃうのが、怖いわけか」


「そうなんです」


 後輩は申し訳なさそうに笑った。


「変ですよね。買ったのに開けないなんて」


「いや、分からなくもないけどさ」


 僕は自分の手袋を見つめながら言った。


「宝くじとか、発表の日まで"当たってるかも"って思えるのが、一番楽しい時間だったりするって聞くし」


「そうなんです! まさにそれです!」


 後輩は嬉しそうに身を乗り出した。


「開けちゃったら、その"楽しい時間"が終わっちゃうんです。だから、開けたくないっていうか……」


「でも、それだと永遠に開けられないんじゃないか」


「そうなんですよね……」


 後輩はまた困ったような顔に戻った。


 駅前のロータリーを、初売りの袋を抱えた人たちが次々と通り過ぎていく。みんな、買ったものを使うために帰っていく。でも、後輩の紙袋だけは、まだ封印されたままだ。


◇ ◇ ◇


「ちなみに、いくらの福袋だったんだ?」


「三千円です」


「中身の予想価格は?」


「五千円相当、って書いてありました」


「じゃあ、開けたら二千円得するんだろ、理論上は」


「そうなんですけど……」


 後輩は紙袋をぎゅっと抱きしめた。


「"五千円相当"って言われても、それが本当に自分の欲しいものかどうかは分からないじゃないですか」


「まあ、そうだな」


「例えば、すごく高い服が入ってても、自分の趣味に合わなかったら、価値はゼロですよね」


「極端だけど、言いたいことは分かる」


 後輩は少し考えてから続けた。


「でも、"開けるまではまだ可能性がある"んです。もしかしたら、本当に欲しかったものが入ってるかもしれない。もしかしたら、想像以上のものが入ってるかもしれない」


「シュレディンガーの猫みたいだな」


「なんですか、それ」


「箱を開けるまで、中の猫が生きてるか死んでるか分からない、っていう思考実験。本当はすこし違うらしいけど」


 後輩は少し考えてから、くすっと笑った。


「じゃあ、この福袋も、開けるまでは"当たり"と"ハズレ"が同時に存在してるってことですね」


「そういうことになるな」


 冬の風が吹いて、後輩のマフラーが少しだけ揺れた。紙袋は相変わらず、後輩の膝の上で眠っている。


◇ ◇ ◇


「でもさ」


 僕は少し考えてから言った。


「ずっと開けないでいたら、それこそ三千円が無駄になるんじゃないか。開けなかったら、価値はゼロだぞ」


「そうなんですよね……」


 後輩は困った顔で紙袋を見つめた。


「開けたらハズレかもしれない。でも、開けなかったら何も始まらない」


「完全に詰んでるじゃん」


「詰んでます」


 後輩はあっさり認めた。


「でも、先輩」


 後輩は顔を上げて、僕を見た。


「"可能性"って、いつまで"可能性"でいられるんでしょうか」


「どういうことだ?」


「例えば、この福袋を一年間開けなかったとして。一年後に開けたとき、"やっぱりハズレだった"って分かったら、その一年間の"可能性"って、何だったんだろうって」


「……ああ」


 なるほど、と思った。


「"可能性がある状態"を維持するために、"現実を確認しない"っていうのは、結局、先送りしてるだけってことか」


「そうなんです。でも、先送りしてる間は、少なくとも"ハズレじゃない"って信じられるんです」


「それって、幸せなのか?」


「分かりません」


 後輩は正直に答えた。


「でも、"ハズレだった"って確定する瞬間よりは、まだマシな気がして」


◇ ◇ ◇


 しばらく黙って、二人で紙袋を見つめた。


 中身は見えない。音もしない。ただ、そこにあるだけ。


「なあ」


 僕はふと思いついたことを言った。


「"当たり"と"ハズレ"の基準って、何なんだ?」


「え?」


「だってさ、五千円相当のものが入ってたとして、それが自分の欲しいものじゃなかったら"ハズレ"なんだろ? じゃあ逆に、三千円相当でも、すごく気に入ったものが入ってたら"当たり"なんじゃないか」


「……たしかに」


 後輩は少し考え込んだ。


「金額じゃなくて、"自分がどう思うか"が基準ってことですか」


「そうそう。だから、開けてみないと"当たり"か"ハズレ"かなんて分からないんだよ。今、"ハズレかもしれない"って怖がってるのは、"自分が気に入らないかもしれない"って怖がってるだけで」


「……うわあ」


 後輩は少し顔を赤くした。


「それ、言われると恥ずかしいですね」


「だろ?」


「でも、その通りです。結局、私が怖いのは、"期待してたものと違った"ってがっかりすることなんです」


 後輩はマフラーに顔をうずめた。


「だったら、最初から期待しなければいいのに、勝手に期待しちゃって」


「人間だからな」


◇ ◇ ◇


「じゃあさ」


 僕は少し意地悪く言った。


「この福袋、いつ開ける? 明日? 明後日?」


「……今日、家に帰ったら開けます」


 後輩は小さな声で言った。


「えっ、開けるの?」


「開けます。だって、先輩の言う通り、開けないと何も始まらないので」


「急に素直だな」


「素直じゃなくて、覚悟を決めただけです」


 後輩は紙袋をぎゅっと抱きしめた。


「でも、ここまで散々悩んだんだから、何が入ってても"当たり"ってことにします」


「それ、無敵だね」


「はい。覚悟を決めたので」


 後輩はそう言って、少しだけ笑った。


「"可能性"を楽しむ時間は、もう十分楽しみました。だから、次は"現実"を受け入れる番です」


「お、偉いじゃん」


「褒めないでください。恥ずかしいので」


◇ ◇ ◇


 駅のホームに向かう階段を上りながら、後輩がふと呟いた。


「先輩」


「ん?」


「もし、すごくハズレだったら、明日愚痴聞いてください」


「お前、結局それかよ」


「だって、一人で抱え込むのは辛いので」


「まあ、いいけどさ」


 僕は苦笑しながら言った。


「でも、もし当たりだったら?」


「そのときは……」


 後輩は少し考えてから、照れくさそうに笑った。


「自慢します」


「最悪だな」


「でも、どっちにしても先輩に話すってことです」


「つまり、どっちに転んでも俺の負けってことか」


「そういうことです」


 後輩は紙袋を抱えたまま、改札にICカードをタッチした。


 ピッという音とともに、ゲートが開く。


 紙袋の中身は、まだ誰にも分からない。


 でも、少なくとも今日の夜には、その"可能性"は"現実"に変わる。


 それが"当たり"でも"ハズレ"でも、後輩はきっと、明日また何かを話しに来るんだろう。


 そんな気がして、僕は少しだけ笑った。


「じゃあ、明日、結果報告待ってるよ」


「はい。期待しててください」


「期待はしないけど、楽しみにはしとく」


「それ、矛盾してません?」


「矛盾してるかもな」


 冬の夕暮れの空は、少しだけオレンジ色に染まっていた。


 福袋という名の"可能性の箱"を抱えた後輩の背中を見送りながら、僕は思った。


 開けるまでの時間も、開けた後の時間も、どっちも大事なんだろう、きっと。


 そして、どっちの時間も、一人で抱え込むより、誰かと分け合ったほうが少しだけ軽くなる。


 そんな気がした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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