拝啓、神様あるいは一年後の自分へ
初詣の帰り道は、行きとは違う匂いがする。
さっきまで人でごった返していた参道から一本外れた裏道は、急に静かになって、さっきの屋台のたこ焼きの匂いも、甘酒の湯気も届かない。代わりに、冷えたアスファルトと、吐く息の白さだけがくっきり残る。
鳥居をくぐって少し歩いたところで、先輩が隣から声をかけてきた。
「ねえ、さっき何お願いした?」
いつもの発作だ、と僕は思う。
「いきなりですね……。あれ、そういうのは人に言うと叶わないんじゃなかったでしたっけ」
「“言うと叶わない”って便利なバリアだと思わない? 言いたくないときに何にでも使える」
「否定はしませんけど……。先輩こそ、こういうときだけ妙にぐいぐい来ますよね」
「こういうとき“だけ”じゃないでしょ。で、何お願いしたの?」
逃がす気ゼロらしい。ため息をひとつついて、僕は観念する。
「……まあ、無難に。家族の健康と、受験がうまくいきますように、です」
「うわ、教科書みたい」
「仕方ないじゃないですか。ああいうところで“彼女ができますように”とか具体的なことは言えませんし」
「別に言ってもいいと思うけどね。そういう正直さ、嫌いじゃないよ」
先輩はケラケラ笑ってから、ポケットに手を突っ込んで、さっき引いたおみくじをくしゃくしゃと丸めた。
「ちなみに私はね、“今年もそこそこ楽しく生きられますように”ってお願いした」
「“そこそこ”って控えめなのか欲張りなのか分からないですね」
「『めちゃくちゃ楽しく』にしないあたりが、現実を知った大人の知恵ってやつだよ」
どの口が言うんだろう。
先輩は笑いながら、ふっと真顔に戻る。
「……でさ。毎年思うんだけど」
「はい?」
「私、神様信じてないんだよね」
あまりにもさらっと言うから、返事に困る。
「今さらの告白ですね」
「君は?」
「“信じてるか信じてないか”って、改めて聞かれると難しいですけど……。少なくとも、さっき手を合わせたときは、それなりに“何か”に届く前提でお願いしたつもりです」
「ふむふむ。“何か”ね」
先輩は足を止めて、振り返って神社の方角をちらっと見た。鳥居はもう見えないけれど、さっきのざわざわした気配は、まだ背中に残っている気がする。
「私もさ、手は合わせるし、二礼二拍手一礼もちゃんとやるんだよ。さっきもやってたでしょ」
「見てました」
「でも、“あそこに神様がいて、今この瞬間だけ私のお願いを聞いてくれてる”ってイメージは、正直あんまりない」
「じゃあ何してたんですか、さっき」
「それを今から考えるんじゃん」
先輩は平然とした顔で言う。
「神様を信じてないのに願い事してるって、冷静に考えると矛盾でしょ。矛盾してる行動には、大体裏に別の理由がある」
それは、先輩にしては珍しくまともな導入に聞こえた。
◇ ◇ ◇
参道脇の川沿いの道に出る。夜の川は、見えないのに流れている音だけ聞こえて、なんとなく落ち着かない。
「じゃあ、まず整理してみようか」
先輩は、ポケットからスマホを出してメモアプリを開いた。こういうときだけ妙に段取りがいい。
「初詣で『何をしているのか』の候補ね。一応、思いつくままに」
指で画面をタップしながら読み上げていく。
「一、神様にお願いしている。二、年始の行事としての“型”をなぞっているだけ。三、自分に宣言している。四、周りに“ちゃんとした人ですアピール”している」
「四番目は言い方が悪くないですか」
「事実をちょっとだけ毒で味付けしただけだよ」
先輩は悪びれない。
「で、さっき君が言った“家族の健康と受験”は、どれだった?」
「……一と三が混ざってる感じですかね。神様にお願いしているつもりでもあるし、結局は“今年一年頑張ります”って自分に言い聞かせてるところもあるので」
「なるほどね」
先輩は満足そうにうなずく。
「でね、私の経験上なんだけど」
「はい」
「“神様へのお願い”って形をしてるのに、実態としては“自分への契約書”みたいになってる願いが、一番多い気がするんだよね」
「契約書、ですか」
「そう。“今年こそ痩せますように”とか、“今年こそ勉強頑張れますように”とかってさ、よく考えたら“自分以外にどうしようもない領域”でしょ」
ああ、と何となく納得する。
「たしかに、“今年こそ宝くじ当たりますように”は、まあ外部要因ですけど、“痩せますように”は……」
「“君が痩せろ”としか言いようがないやつ」
先輩はケラケラ笑う。
「その手の願い事って、“神様にお願いしてる”というより、実際には“未来の自分に約束してる”に近いと思うの」
「でも、それをわざわざ神社でやる必要ありますか? 自分の部屋で心の中で決めても良さそうですけど」
「そこがポイントなんだよね」
先輩は指を立てる。
「自分の部屋で一人で『今年こそ痩せよう』って思っても、三日後には“まあいっか”ってなるじゃん」
「否定しづらい現実ですね」
「でも、神社ってさ、非日常の空間じゃない?」
さっき通ったばかりの鳥居と灯籠の列を思い出す。たしかに、普段の通学路とはまるで違う空気だった。
「普段着のままなのに、なんとなく背筋が伸びる感じはありました」
「でしょ。そういう“舞台”で、自分の願いを口に出すことで、“今年の私、これで行きます”って宣言してる」
「じゃあ、先輩にとって初詣は“宣言会場”ってことですか」
「そう。“未来の自分との契約締結セレモニー”」
言い方だけ妙に大仰だ。
◇ ◇ ◇
川沿いの道が少し開けて、小さな公園が見えてきた。ブランコにはもちろん誰もいない。
「でも、それって結局、自分に向かって言ってるだけなら、神様はどこにいるんですか」
僕はベンチに腰を下ろしながら訊く。
「さっき“神様信じてない”って言ってましたよね」
「私にとっての神様は、“契約の証人”かな」
「証人」
「うん。契約書にサインするときって、第三者の署名欄があったりするじゃん。あれと同じ」
先輩は空気中に四角を描くように指を動かす。
「“今年こそ痩せますように”って願い事は、“今年こそ痩せます”って自分との契約書で、その一番下に“神様”の署名が入る感じ」
「……かなり勝手な使い方してませんか、神様」
「神様って便利だからね」
「雑にまとめないでください」
先輩は笑いながらも、少し真面目な顔をする。
「でも、“第三者の存在”ってけっこう大事なんだよ。自分と自分だけの約束って、すぐごまかせるでしょ。“まあ誰にも言ってないし”って」
「たしかに、ランニング三日坊主とか、誰かに宣言してたらもう少し続いてたかもしれないですね」
「逆に、“あの神社でお願いしちゃったしな……”っていう微妙なプレッシャーが、少しだけ背中を押してくれる」
「“神様に見られてる気がする効果”ですか」
「そうそう。“本当に見てるかどうか”より、“見てる気がする”っていう主観が効く」
先輩は自分の手袋を見つめながら続ける。
「だから、私から見ると、初詣の願い事って、“目に見えない誰かに証人を頼んで、自分と未来の自分の間に契約を結ぶ儀式”なんだよね」
「だいぶ勝手に図式化しましたね」
「君、さっきからツッコミの精度が上がってきてない?」
「先輩の論理が飛躍しがちなので、仕方なく補正しているだけです」
「優秀な補正係で助かるよ」
◇ ◇ ◇
しばらく黙って川の音を聞いていると、先輩が思い出したように言った。
「そういえばさ。君、お賽銭いくら入れた?」
「五円です。恋愛運を上げたい人は“ご縁があるように”で五円玉らしいですよ」
「へえ。恋愛運狙いだったんだ」
「今のは一般論です。間違っても僕個人の話だと受け取らないでください」
「はいはい」
先輩はくすっと笑ってから、自分のコートのポケットを叩いた。
「私はね、五十円入れた。“十分なご縁がありますように”」
「少数派の語呂合わせですね」
「“十分”っていい言葉じゃない? “足りる”って感じがする」
先輩は少し遠くを見る目になる。
「でも、お賽銭の金額って、面白いよね。“願いの重さ”とどこまでリンクしてると思う?」
「“一万円入れてる人はそれだけ真剣”って感じはしますけど……。さっき見た感じ、ほとんどの人は十円とか五十円でしたね」
「そう。“神様への投資額”と“願いの切実さ”の間に、はっきりした相関があるかというと、怪しい」
「そもそも、受験の成功を十円でお願いしてる時点で、だいぶコスパ良すぎですよね」
「でしょ。冷静に考えると、“この人生の重大案件を、なぜ十円で頼めると思った?”ってツッコミたくなる」
先輩はそう言いながらも、ふっと表情を緩める。
「でも、お賽銭の金額って、たぶん“願いの重さ”というより、“自分がどこまで本気で自分と契約する気があるか”の目安なんだと思う」
「どういうことですか」
「例えばさ。財布の中に小銭がほとんどないときに、千円札でお賽銭するって、結構な決意がいるじゃん」
「それは……そうですね。千円あったら牛丼食べられますし」
「その“牛丼一杯分”を、“今年の自分のための契約費用”として払うかどうか」
「“契約費用”って言うと急に生々しいですね」
「でも、生々しいくらいがちょうどいいと思う」
先輩は、石畳の上でつま先を軽く鳴らす。
「“今年こそ痩せますように”ってお願いを、五円で済ませるのか、五百円払うのか、一万円かけるのか。“どのくらいの痛みを、今ここで引き受けるか”って話」
「じゃあ、さっきの先輩の五十円は、どのラインなんですか」
「“今年もそこそこ楽しくなればいいや”ってレベルだと、そのくらいで十分かなって」
先輩はあっけらかんとしている。
「本気で人生変えたい人は、もっと痛い額を突っ込めばいい。そしたら、後戻りしづらくなるでしょ。“あそこまで払ったんだから、ちゃんとやるか”って」
「それはもはや自己投資の領域ですね」
「そう。“神様への課金”というより、“未来の自分への前払い”」
◇ ◇ ◇
「……でも、そう考えると、ちょっと怖くもありますね」
自分でも意外になるくらい、素直にそう漏らしていた。
「何が?」
「“願い事=自分との契約”だとしたら、“守れなかったとき”に、自分を責める材料が増えるだけなんじゃないかって」
先輩が少しだけ目を細める。
「“今年こそ痩せますように”ってお願いして、結局変わらなかったとき、“ああ、また裏切った”って感じるのって、結構しんどいじゃないですか」
「ああ……」
先輩は空を見上げた。冬の夜空は、街の明かりに押されて星がよく見えない。
「たしかにね。“契約”って言葉を使うと、途端に重くなる」
「責任とか、義務とか、そういう単語がちらつきます」
「だから、私のイメージだと、“契約”というより“メモに近い契約”かな」
「メモ?」
「そう。“法律事務所で結ぶガチガチの契約”じゃなくて、“自分と未来の自分が同じ方向を向けるようにするための覚書”」
先輩は、指で空に線を描きながら続ける。
「“今年はこういうふうに生きたいね”っていう方針を、一年の最初にざっくり書いて、それを神様っていう謎の証人の横で読み上げる。うまくいかなかったら、そのときは“ごめん、やっぱり無理だったわ”って一回ちゃんと謝る」
「神様にですか」
「そう。あと、自分にも」
先輩は、ふっと笑う。
「“去年の私、これお願いしてたよね。ごめん、全然達成できなかった”って、一回認める。で、“今年はちょっと条件下げるわ”とか、“方向変えるね”とか、そうやって更新していく」
「更新……」
「契約って、本当はそうやって何度も書き換えていくものだと思うんだよね。一回決めたら絶対厳守、じゃなくて」
「そう聞くと、少し気が楽になります」
「でしょ。“守れなかったら終わり”じゃなくて、“守れなかったら話し合い”」
先輩は、ポケットからくしゃくしゃのおみくじを取り出して広げた。さっき丸めていたやつだ。
「ほら、これ。“小吉”。『焦らず歩いていけばよいでしょう』って書いてある」
「さっき、それ見て微妙な顔してましたよね」
「“大吉”のテンションで行く一年じゃないって、釘刺された気分だったから」
先輩は苦笑して、紙を見つめる。
「でも、“焦らず歩いていけばよい”って、さっきの“更新可能な契約”と相性いいじゃん。“今年も歩きながら考えればいいよ”って」
「神様、意外と柔軟なんですね」
「“本当に神様が書いたのか”は知らないけどね」
◇ ◇ ◇
公園を出て、再び駅へ向かう道に戻る。人通りは行きよりも減っていて、遠くから救急車のサイレンだけが聞こえた。
「じゃあ、まとめると」
僕は歩きながら言う。
「初詣の願い事は、“神様へのお願い”という形をしているけれど、実態としては“未来の自分への宣言”であり、“その契約の証人として神様に立ち会ってもらう儀式”、という解釈で良いですか」
「お、うまくまとめたじゃん」
先輩は親指を立てる。
「で、その契約は“絶対遵守”じゃなくて、“毎年アップデート可能な覚書”。守れなかったら素直に“ごめん”と言って、条件を調整する」
「……なんだかんだで、だいぶ人間に優しい神様像になりましたね」
「結局、一番怖いのって、“神様”というより“自分が自分をどう見るか”だからね」
先輩は、自分の吐く息を眺めながら続ける。
「“一年後の自分”が、今の自分を見てどう思うか。“あのとき手を合わせてたくせに何もしてないじゃん”って呆れるのか、“まああの状況でよく頑張ったよ”って苦笑いしてくれるのか」
「そういう意味では、さっきのお願いも、ちゃんと“一年後の僕”に届いてるといいですね」
「届くように生きてくれたまえ、未来の君のために」
「先輩、人ごとみたいに言わないでください」
「人ごとだもん、私の受験じゃないし」
言い方は冷たいのに、声はどこか楽しそうだった。
◇ ◇ ◇
駅前のロータリーが見えてきたところで、先輩がふと思い出したように言う。
「じゃあさ、せっかくだし」
「はい?」
「来年の初詣で、今日の話が本当かどうか確かめてみようよ」
「どうやってですか」
「一年後の初詣のときに、今日何をお願いしたか覚えてるかどうか。覚えてたら、“今日のお願いは、それなりに自分の中で重かった”ってこと」
「……忘れてたら、“そもそも契約する気すらなかった”ということですね」
「そう。“あのときの私はただ雰囲気で手を合わせてただけだった”って、笑えばいい」
「笑えますかね、それ」
「笑い飛ばさないと続かないよ、たぶん」
先輩はそう言って、少しだけ僕の方を見た。
「だからさ。今日のお願いを覚えてるかどうか、来年の君に聞いてみよう」
「来年の僕に、ですか」
「うん。“あのとき、何を願ってた?”って。で、覚えてたら“まあまあ偉い”。覚えてなかったら“そんなもんか”ってもう一回考えればいい」
「……先輩の中で、未来の僕の評価基準が勝手に決まっていくのがちょっと怖いです」
「そのくらいのプレッシャーはあってもいいでしょ。“契約”なんだから」
「さっき、自分に優しい覚書って言ってませんでしたっけ」
「人間、矛盾して生きてるからね」
先輩は、にやっと意地悪そうに笑った。
「神様も、きっとそこは笑って見てるよ。“ああ、また何か言ってるな”って」
「その神様、だいぶゆるいですね」
「ゆるい神様のほうが、人間とは相性いいんだよ、きっと」
改札前で立ち止まりながら、先輩は胸ポケットを軽く叩いた。
「じゃ、また学校始まったら教えてね。“受験うまくいきますように契約”の進捗」
「契約って言われるとプレッシャー倍増なんですが」
「大丈夫。証人はさっきの神社の神様だから。私はただのうるさい観察者」
「一番厄介な立場じゃないですか、それ」
先輩は笑って、ICカードを改札にタッチした。
改札を抜けていく背中を見送りながら、僕はさっき賽銭箱の前で呟いた言葉を、もう一度心の中でなぞってみる。
家族の健康。受験のこと。今年一年の自分のあり方。
それが本当に“神様”に届いたのか、“一年後の僕”に届いたのかは分からない。
でも、少なくとも、この帰り道で先輩とああだこうだ言い合ったことくらいは、ちゃんとどこかに残ってくれる気がした。
「……来年まで覚えておけるかな」
小さく呟いて、僕も改札にICカードをタッチする。
ピッという音とともに、今年最初の契約書は、見えないどこかにファイルされた――そんな気がした。
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