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ゴミ箱という装置

駅のホームにあがったところで、先輩が急に立ち止まった。


「ねえ、君さ」


あ、来たな、と僕は心の中で身構える。


「ここのゴミ箱、なんか罪悪感のつかせ方が上手いよね」


指さした先には、よくある三連タイプのゴミ箱が並んでいた。

「燃えるゴミ」「ペットボトル」「缶・ビン」。

それぞれ違う色のラベルに、分かりやすいイラストまで描いてある。


「罪悪感、ですか」


「うん。“指定どおり入れないと、ちょっと悪いことした気分になる”でしょ」


「まあ、分別くらいはちゃんとしますけど」


「偉い偉い」


先輩は適当な褒め方をしながら、ゴミ箱の前までずんずん歩いていく。


「でもさ。このタイプの駅ゴミ箱って、中で全部つながってたりするじゃん」


「……それ、知ってるんですね」


「知ってるよ。前に回収してるの見ちゃったもん。“あ、これ内部で合流してるやつだ”って」


僕は思わず視線をそらした。

同じ光景を、僕も一度見たことがあったからだ。


「先輩も見たんですか」


「うん。横から“燃える”と“ペットボトル”の間を覗いたら、中の袋が一枚で、“あ、演出だったんだ”って」


「演出って言わないでくださいよ」


「じゃあなんて言えばいい? “分別ごっこ装置”?」


「もっとひどいです」


先輩はクスッと笑って、透明カバー越しにペットボトル側を覗き込む。

中には、ペットボトルと一緒におにぎりの袋やら、紙コップやら、微妙に混ざったゴミがすでに見えていた。


「でさ」


先輩が、ゴミ箱越しにこちらを振り返る。


「“中で混ざる”って知った上でも、君はちゃんと分別する?」


「……うわ、いやな質問しますね」


「師走ですから」


関係ないだろそれ。


◇ ◇ ◇


ホームの端のベンチに移動して、僕たちはさっき買った缶コーヒーを飲む。

足元には、さっきのゴミ箱が見える位置。


「一応、分別はしますよ」


缶を軽く揺らしながら僕は言う。


「だって、見た目上は分かれてますし。“混ぜてるって知ってるから適当に入れよう”ってなると、それはそれで自分が嫌なので」


「ほう、“自分が嫌”」


先輩は面白そうに目を細める。


「つまり君は、“結果がどうあれ、正しく入れてる自分でいたい派”ってことだね」


「言い方が引っかかりますけど、まあ……そうかもしれません」


「で、その“正しく入れてる自分”は、実際には結果にあんまり貢献してないかもしれない、と」


「そう言われるとむなしくなってくるんですが」


「そこが今日のテーマだよ」


先輩はさらっと言う。


「“本当は使ってない分類”を人に守らせるって、何のためにやってるんだろうね、って話」


「まあ、普通に考えれば“マナー”とか“秩序”とかじゃないですか」


「そう。“資源のため”というより、“分別する人間のため”。“結果のための分別”じゃなくて“分別する私”を作るための仕組み」


先輩は、自分の缶を指で軽く叩く。


「駅としてはさ、“リサイクル効率”より“見た目のきれいさ”と“散らかりにくさ”を優先してる感じがある」


「だから、内部ではまとめて捨てるけど、分別させておいた方が、利用者が適当に突っ込まない、ってことですか」


「たぶんね。“どこでもいいや”ってなった瞬間に、紙コップの中身とか、弁当の残りとか、悲惨なことになりそうだし」


ああ、それは想像できてしまう。


「じゃあ結局、あれは“駅の秩序を守るための作法”ってことですね」


「そうそう。“資源回収”というより、“駅のしつけ”」


さらっと言う言い方が、妙に怖い。


◇ ◇ ◇


「でもさ」


先輩はベンチにもたれながら、少しトーンを落とした。


「私が引っかかるのは、“分別させておいて、実は混ぜてます”って状態が、けっこう人の善意を雑に扱ってない? ってところなんだよね」


「雑、ですか」


「うん。“ちゃんと守ってる人”の努力が、運営側の都合のための“道具”にされてる感じがして」


「道具……」


「カント先生が聞いたら怒りそうじゃない?」


「唐突に哲学者出さないでください」


「でもさ」


先輩は楽しそうに続ける。


「“人を手段としてのみ扱ってはいけない”って話、こういうところにも顔を出してくるんだよ」


「“正しい行動をしてください”ってお願いしつつ、実際はその正しさを“見た目の管理”だけに使っている、ってことですか」


「そう。“分別してください、資源がどうのこうの”って言いながら、本当は“きれいに見せたいから協力してね”だったとしたら、ちょっとズルくない?」


「う……」


言葉に詰まる。


「いや、駅側にも事情はあるでしょうけど」


「それはそう。だから私は、“分別が無意味だ!”と言いたいわけじゃなくて」


先輩は、空になった缶を手のひらで転がしながら言う。


「“人に正しさを要求するときは、その正しさがどこへ行くのかも、なるべく正直であってほしい”ってだけ」


「なるほど……」


「“正しいことしてね”って言われて、ちゃんとやった結果が“内部でゴチャ混ぜでした〜”だと、“善意をコントロールされてる”感じがしてくるじゃない?」


それは、たしかに。


◇ ◇ ◇


「でも、結果的に駅がきれいになるなら、それでいいって考え方もありますよね」


僕は、少しだけ反撃してみる。


「分別させたほうが、なんだったら、実利はちゃんとあるわけで」

・ゴミ箱の周りに散乱しにくい

・臭いもましになる

・駅員さんの回収も楽


思いつくのはこんなところだろうか。


「お、功利主義の登場だ」


「名前つけないでください」


「でもそう。“結果として街がきれいになるなら、分別演出もアリじゃない?”っていう考え方はある」


先輩は、とん、と足先で地面をつつく。


「ただね。その計算に、“信頼のコスト”も入れてほしいな、とは思う」


「信頼の、コスト」


「うん。“どうせ裏で適当にやってるんでしょ”っていう感覚が広がるとさ、ゴミ箱以外のルールも守られにくくなる」


「“駅って、形だけちゃんとしてて中身は適当なんだろうな”みたいな」


「そうそう。そうなると、“分別させて秩序を守るための仕組み”が、逆に“全部どうでもいいや”を増やすきっかけになる可能性もある」


先輩は、さっきのゴミ箱の方をちらっと見る。


「功利主義で守るにしても、短期の“きれいさ”だけじゃなくて、長期の“人の協力する気”まで含めて計算しないと危ない」


「僕、駅のゴミ箱にそこまで深刻な役割を感じたことなかったです」


「駅って、小さい政治の実験場だからね」


「それはさすがに言い過ぎでは」


◇ ◇ ◇


「じゃあさ」


先輩は、缶を持ったまま立ち上がる。


「仮に駅側がこう言ってくれたら、君はどう思う?」


先輩は、少し声色を変えて、アナウンスっぽく話し始めた。


「『現在、設備上の都合により、ゴミは最終的には同じ袋で回収されています。しかし、分別して入れていただくことで、駅構内の清掃や作業が大幅にしやすくなります。“駅をそこそこ快適に保つため”に、どうかご協力いただけませんか』」


「……すごく正直ですね」


「でしょ」


先輩は笑う。


「資源がどうとか、リサイクルがどうとか、それらしい理由をくっつけないで、“こっちの都合なんですけど、お願いできます?”って言ってくれたほうが、まだ気持ちはいい」


「それなら、僕も素直に分別しますね」


「“相手の都合”が見えてるほうが、“協力するかどうか”をちゃんと自分で決められるからね」


僕は少し考えてから、言う。


「逆に言うと、“正しそうな理由”でごまかされると、自分が選んでるのか、選ばされてるのか、よく分からなくなるってことですか」


「うん。“善い人でいたい”って気持ちを、“秩序のための燃料”にされる感じ」


その言い方は、少しだけぞわっとした。


◇ ◇ ◇


ホームの端まで歩いて、僕たちはちょうど向かい側の線路越しに、さっきのゴミ箱が見える位置で立ち止まる。


小さな子どもを連れた親子が近づいてきて、お母さんが「はい、こっちがペットボトルね」と言いながら、子どもに分別させているのが見えた。


「……ああいうの見ると、余計に複雑ですね」


僕はつぶやく。


「子どもに“ちゃんと分別するんだよ”って教えながら、内部では混ざってるわけじゃないですか」


「そうだね」


先輩も同じ方向を見ながら言う。


「でもさ、あの子にとっては、“ペットボトルはこっち”“紙はこっち”っていう動作自体が、“公共でのふるまい”の訓練になってる」


「“公共でのふるまい”」


「ゴミ箱の中身がどうであろうと、“ルールを意識して人と場所に気をつかう”って練習にはなってるわけ」


「それって、ちょっと“しつけ”っぽくないですか」


「その通り。駅のゴミ箱は、小さい“しつけ装置”」


先輩は、ふっと笑った。


「気持ち悪いと思うか、ありがたいと思うかは、もう価値観の問題だね」


「先輩はどっちなんですか」


僕が聞くと、先輩は少しだけ黙り込む。


ホームに電車接近のアナウンスが流れ始める。


「……どっちでもない、かな」


「どっちでもない?」


「“そういう装置である可能性”を知った上で、その上で自分がどう振る舞うか選びたい、って感じ」


ゆっくりと言葉を選ぶように、先輩は続けた。


「“どうせ混ざってるんだから適当に入れよう”って反発するのも、“知らなかったことにしておとなしく従う”のも、どっちもなんか違う気がするから」


「じゃあ、どうするのが先輩っぽいんですか」


「そうだねえ……」


先輩は自分の空き缶を軽く持ち上げて見てから、小さく笑った。


「“中で混ざるのは知ってるけど、私は私の気持ち悪くない分別をする”、かな」


「自分の、気持ち悪くない……」


「“駅のため”だけじゃなくて、“自分がこうありたいから、こう捨てる”っていう、理由をこっち側に取り返す感じ」


先輩は僕をちらっと見る。


「君も、多分それに近いでしょ。“混ざろうが混ざるまいが、適当に突っ込む自分は嫌”って、さっき言ってたし」


「……否定はできません」


自分で言ったことを、きれいに使い返された。


◇ ◇ ◇


電車がホームに滑り込んできて、風がふっと吹き抜ける。


「じゃあ結局、あのゴミ箱に対して僕たちはどうすればいいんですかね」


ドアが開くのを待ちながら僕が聞くと、先輩はちょっとだけ考えてから答えた。


「“あのゴミ箱のために”じゃなくて、“こういうゴミ箱がある世界で生きてる自分のために”振る舞う、が今のところの仮結論かな」


「すごく分かるような、分からないような言い方ですね」


「君が毎回分別するとき、“駅の期待”じゃなくて“自分の基準”をちょっと思い出せば、それで十分だと思う」


先輩はそう言って、少しだけ笑う。


「“正しい行為”が、誰かの都合だけじゃなくて、自分の納得にもつながってるなら、中で多少混ざろうと、まだギリギリ耐えられる」


「ギリギリ、なんですね」


「人間、だいたいギリギリで折り合いつけて生きてるから」


電車のドアが開く。

僕たちは乗り込む前に、さっき飲み終えた缶をもう一度見た。


ホームの端のゴミ箱には、さっきの親子が投げ入れたペットボトルが見えたままだ。


「とりあえず、今日はちゃんと分別して帰りますか」


僕が言うと、先輩はうなずいた。


「うん。“私たちの気持ちが悪くない範囲”でね」


そう言って、先輩は缶を軽く持ち上げた。


僕たちは、いつものように電車に乗り込み、ドアが閉まる直前、もう一度あのゴミ箱を見た。


中で混ざっているかもしれない仕組みと、それでも分けて投げ入れる人たち。


そのどちらもが、この街の“正しさ”の一部なんだろうと、なんとなく思いながら、僕はつり革をつかんだ。

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