師走ですけど
「ねえ、君さ」
駅へ向かう坂道の途中で、先輩が急に足を止めた。
吐く息が白くて、街灯の光にちょっとだけ混ざっている。
「年初に立てた目標って、どれくらいやり残してる?」
今日も安定の発作スタートらしい。
「……もうちょっとマイルドな聞き方ないんですか」
「ないね。師走だからこそ直球でいこう」
先輩はスマホを取り出して、画面を僕に向けてくる。
そこには「2025年やることリスト」と書かれたメモが開かれていた。
「英単語帳を一冊終わらせる」「腹筋を一日20回」「月一冊は本を読む」
その下に、控えめなチェックマークと、やけに多い空欄。
「……思ってたより生々しいですね」
「でしょ。君もなんかあるでしょ、“今年の抱負”の成れの果て」
「いや、その……」
「ごまかしてもいいけど、師走の冷たい風はごまかせないぞ」
どんな格言なんだそれは。
「……英語の参考書を“今年中に一周する”って、年始に言った覚えはあります」
「何周した?」
「三分の一周です」
「どのへんで割り算したのそれ」
先輩は笑いながら、スマホの画面を指先でなぞった。
「でさ。この“やり残しリスト”を眺めながら、さっき思ったわけよ」
「何をですか」
「帳尻合わせって、どこまで許されるのかなって」
◇ ◇ ◇
坂を降りきると、駅前の広場には「歳末感謝祭」と書かれた横断幕がかかっていた。
人波を避けながら、ロータリーの端を歩く。
「例えばさ」
先輩が言う。
「“英単語を一年で1000個覚える”って目標を立てたとして。1月から11月までサボって、12月に一気に1000個覚えたら、それって“達成”って言っていいと思う?」
「……極端ですね」
「極端だからこそ分かりやすいでしょ」
先輩は続ける。
「“一年かけて身につける”って話だったのに、最後の一ヶ月でむりやり帳尻合わせしたとしたら、それは“目標達成”なのか、“数値だけのごまかし”なのか」
「テストに出るタイミングによる気もします」
「お、現実的」
僕は肩をすくめた。
「でも、正直言うと“ギリギリになって慌ててやる”っていうのは、わりと僕も経験ありますし。夏休みの宿題とか、最終日に一気に……」
「それ、“やったこと”にカウントしてる?」
「……一応、はい」
「じゃあ、その“一応”を今日は解剖してみよう」
先輩は、ロータリーの端のベンチに腰を下ろした。
僕も隣に座る。
◇ ◇ ◇
「まずさ」
先輩は指を一本立てる。
「“帳尻合わせ”って、だいたい二種類あると思うんだよね」
「二種類、ですか」
「一つ目は、“結果だけ合えばいいやつ”」
「結果だけ、ですか」
「例えば、“冬休みの宿題を提出日に出せばOK”とか、“模試の点数が何点以上なら合格ライン”とか」
「確かに、そこはプロセスまでは問われないですね」
「この場合、夏休みの宿題を最終日にやろうが、コツコツやろうが、先生から見れば同じ『提出済み』」
先輩は、ベンチの背もたれに体を預ける。
「もう一つは、“過程も含めて意味があるやつ”」
「例えば?」
「“毎日腹筋をする”とかさ。“毎晩寝る前に日記を書く”とか」
「ああ……」
「これを12月にまとめてやると、“腹筋10,000回一気にやりました”みたいな怪物が生まれるわけだけど」
「もう別の競技じゃないですか」
「そう。結果の数字は同じでも、中身は全く違う」
先輩は指を二本立ててみせる。
「つまり、“帳尻合わせがまだマシな目標”と、“帳尻合わせした瞬間に意味が激減する目標”がある」
「それは、なんとなく分かります」
僕も自分の英語参考書のことを思い出しながら答える。
「“語彙力を一年かけて増やす”って話だったのに、最後の二日で詰め込んでも、たぶん半分も残らないだろうな、って」
「でしょ」
先輩は、能天気そうな顔でうなずく。
「だからさ、“帳尻合わせ”って言葉だけで語ると一括りになっちゃうけど、中身はけっこうバラバラなんだよね」
◇ ◇ ◇
「じゃあ問題です」
先輩が急に教師みたいな声を出した。
「今年の君の“英語参考書一周計画”は、どっち寄りの目標だと思う?」
「いきなり僕の傷口を狙うのはやめてください」
「師走なので」
「師走だから何でも許されると思わないでください」
そう言いつつも、僕は少し考える。
「……本当は、“一年かけて少しずつ慣れる”系の目標だった気がします」
「つまり、“帳尻合わせすると意味が薄くなるタイプ”だね」
「ぐうの音も出ません」
「まだ出しときなよ。12月分くらいの音は」
先輩は笑いながら続ける。
「でさ。ここからが本題なんだけど」
「まだイントロだったんですか」
「うん。ここまでは“分類”」
先輩は、空を見上げた。
「私が気になるのは、“帳尻合わせ”って行為が、どの瞬間から“自分への嘘”になるのかってところなんだよね」
「自分への、ですか」
「そう。先生や親をだます話じゃなくて、“自分が自分にどう説明するか”の問題」
◇ ◇ ◇
「例えばさ」
先輩は、手のひらを開いて見せる。
「“本当は一年かけてやるはずだったこと”を、12月の一週間で慌ててやるとする」
「現実味のある例ですね」
「そのときに、心の中でどう言い訳するか」
先輩は指を折っていく。
「パターンA:『いやー、ギリギリだったけど、ちゃんとやり切った自分えらい』」
「自画自賛タイプですね」
「パターンB:『まあ、数字上は達成ってことにしとくか……』」
「妥協タイプですね」
「パターンC:『これ、達成って言っていいのかかなり怪しいけど、完全にゼロにする勇気もないから、とりあえず“やりました”って書いとくか』」
「それ、一番リアルなやつです」
僕が思わず即答すると、先輩がニヤッと笑う。
「でしょ」
「僕も似たようなことを何度か……」
「で、どのパターンも、“外から見たら同じ“やり終えた”」なんだよ」
先輩は真面目な声になる。
「問題は、“自分の評価”がどこに落ち着くか」
「自分の評価、ですか」
「うん。“やればできる”って思うのか、“どうせ最後にならないとやらない”って思うのか」
先輩は、足元の影を軽く蹴る。
「帳尻合わせってさ、一時的には“今年の自分はまあまあ頑張ったことにする”っていう帳簿上の操作なんだけど」
「はい」
「やり方によっては、“来年の自分の信用”を削ってることもある」
その言い方が、妙に胸に引っかかった。
「来年の自分の、信用……?」
「そう。“今年もギリギリでどうにかなったし、まあ来年もギリギリでいいか”って、自分の中の“ギリギリ許容量”がインフレする」
「ああ……」
「そうすると、“本当は前から手をつけるべきこと”まで、全部“12月処理枠”に押し込もうとし始める」
先輩は、スマホのカレンダーを開いて見せる。
「“冬休みにやる”“年末にやる”“年明けから本気出す”っていう謎の予定がどんどん溜まっていくわけですよ」
「胃が痛くなる言葉のオンパレードですね」
◇ ◇ ◇
「じゃあ」と、僕は少し反撃してみる。
「帳尻合わせって、そんなに悪者なんですか。たとえギリギリでも、“ゼロよりはマシ”って考え方もありません?」
「いいね、そこ大事」
先輩が少し楽しそうに僕を見る。
「たとえば、英語参考書の三分の一周でも、やらないよりは確実にマシだし」
「ですね」
「その意味で言うと、“帳尻合わせ”はちゃんと“マシ側”にいる行為ではある。“何もしませんでした”よりは明らかに進歩してる」
「ですよね」
「でもね」
先輩は、指を一本立てる。
「“マシ”と“誇れる”は、別なんだよ」
「……あー」
思わず変な声が出た。
「“ゼロよりはマシ”のことを、“これで完璧!”って言い張り続けると、多分どこかでしんどくなる」
先輩は、少しだけ息を白く吐いた。
「だから私は、“帳尻合わせ自体”じゃなくて、“帳尻合わせをどう扱うか”のほうが大事だと思ってる」
「どう扱うか、ですか」
「そう。“これは苦し紛れの帳尻合わせだったな”って、ちゃんと認めて笑えるなら、まだ健全」
「でも、“これが本来の実力”って思い込もうとすると?」
「来年の自分を、また同じしんどい目に遭わせることになる」
先輩は、少しだけ真顔になる。
「それって、“未来の自分にツケを回してる”って意味では、ちょっとした自分への虐待だと思うんだよね」
その言い方は、少しだけ重かったけれど、よく分かった。
◇ ◇ ◇
「じゃあ先輩は、今年の“やり残しリスト”どうするんですか」
僕が訊くと、先輩はスマホの画面をもう一度見下ろした。
「うーん……」
「“帳尻合わせは悪だ!”って散々言ったあとで、実は今から全部やるとか言い出したら、かなり面白いですけど」
「やらないよ、全部は」
先輩はあっさり言った。
「やるんですね、多少は」
「さすがにゼロは嫌だからね。でも、“これはもう、今年中にやっても意味が薄いな”ってやつは、潔く“来年の自分への正式な業務引き継ぎ”にする」
「正式な、ですか」
「うん。“帳尻合わせでごまかさず、ちゃんと“今年はここまでしかできなかった”って認めてから渡す」
先輩は、親指でいくつかの項目を選択して、
「来年の目標」という新しいメモに送り込んだ。
「こうやって、“今年の自分の限界”を一回ちゃんと見てから、“じゃあ来年どうする?”って考えるほうが、まだマシな気がしてる」
「それはたしかに、ちょっと健全な感じがします」
僕もポケットからスマホを出す。
年始に、勢いだけで作った「2025年の目標」フォルダを開く。
「……“英語参考書一周”は、帳尻合わせした方が良いですよね」
「そうだね」
先輩はケロッと言った。
「だって、今からでも三分の一を半分周くらいにはできるでしょ。それはそれで、“ゼロじゃなかった”記録として残したらいいよ」
「ずいぶんと柔軟ですね」
「帳尻合わせって、“全部を救う魔法”じゃなくて、“少しでもマシにしておく応急処置”くらいに思えばいいんじゃない?」
先輩は、ベンチから立ち上がった。
「“それで全部チャラ”って顔をしなければ、だけどね」
◇ ◇ ◇
駅への階段を上りながら、僕はふと聞いてみる。
「じゃあ先輩、帳尻合わせを“してもいいライン”って、どのへんだと思います?」
「そうだねえ」
先輩は少し考えてから、振り返った。
「“今年の自分に、ぎりぎりで“よく頑張ったね”って言えるところまで」
「曖昧ですね」
「人間なんてだいたい曖昧だよ」
さらっと言わないでほしい。
「本当にダメなのは来年の自分が困るの分かってて、“ま、どうにかなるでしょ”ってツケだけ積み上げるやつ」
先輩は階段の途中で立ち止まって、僕を見る。
「君はさ。“今年の自分”と“来年の自分”のどっちに、ちょっとだけ優しくしたい?」
「……そう言われると、来年のほうですかね」
自分で言って、少しだけ苦笑いする。
「じゃあ、“来年の自分が“まあ許すか”って言えるくらいまで、今年の帳尻合わせはやっていいんじゃない?」
先輩は、そんなふうにまとめた。
「“来年の自分に怒られない程度の帳尻合わせ”」
「また長い名前つけましたね」
「長い名前はだいたい正しい」
根拠のないことを、楽しそうに言う人だ。
◇ ◇ ◇
改札前で足を止める。
人の流れはせわしないのに、どこか年末特有のゆるさも混ざっている。
「じゃあ僕も、帰ったらせめて……“半分周”くらいまでは進めてみます」
そう言うと、先輩がニヤッと笑った。
「いいじゃん。“今年の自分への最低限の礼儀”としては、そのくらいで」
「ハードルはそれでいいんですか」
「完璧主義は大体、年末に自爆するからね」
先輩は軽く手を振った。
「完璧になれなかった自分を、“まあ、ここまでやったなら良し”ってそれなりに認めてあげられるくらいの帳尻合わせが、一番人間らしいと思うよ」
「人間らしい、ですか」
「うん。“全部やりました”って嘘つくより、“ここまではやりました。来年はもうちょっとマシにします”って、正直に言えるほうが、まだかっこいい」
「……来年の自分に笑われない程度には、頑張ってみます」
「来年の君が、“去年の俺、よく頑張ったじゃん”ってちょっとだけニヤッとできるくらいにね」
そう言って、先輩は改札を抜けていった。
僕もICカードをタッチしながら、スマホの「2025年目標リスト」をスクロールする。
全部は無理だ。
でも、ゼロで終わらせるのも、さすがに嫌だ。
「……とりあえず、三分の一を“半分くらい”にするところから、かな」
自分にそう言い聞かせて、僕はホームへ続く階段を上った。
今年やり残したもの全部には、到底手が届かない。
でも、“来年の自分にそこまで嫌われない程度の帳尻合わせ”くらいなら、今夜からでも、まだ間に合う気がした。




