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終わらない、午後6時。—女王陛下は花火から国を守りたい—

作者: 酔子
掲載日:2025/12/14

「アリエル女王、そちらは危険です!」

騎士の1人が私を止めようと手を伸ばす。

「女王陛下っ!」



「そう、女王だもの」

私は振り返って微笑み、首を切るジェスチャーをしてみせた。


「着いてきたら極刑よ」


———炎の中、市民たちが悲鳴を上げて逃げ惑っている。どれほど熱く、苦しいだろう。

(ああ、自分の無力さに反吐が出る)

私は鉄の味が滲む唇を、さらにぎゅっと噛み締めた。


◆◆◆


—1時間前


私は日課である礼拝を終え、書類の山と格闘していた。

(この後は報告書を確認して、会議もあるわね。…もう逃げてしまいたい)


何の面白みもない、普段通りの日常。


ゴーン ゴーン———


午後6時。


何の前触れもなく、誰かの緊迫した声が城に響き渡った。


『火事だ、火事っ!!逃げろ、女王陛下をお守りしろ!』

城内は慌ただしく揺れ、机の上で書類の山が雪崩を起こす。

同時に、床に落ちた書類を踏みつけながら騎士たちが飛び込んできた。

『アリエル女王、こちらへ!』


(ちょっとした小火ボヤだったら良いのだけれど)


太陽はもう沈みかけている。

城の近く、街灯が点き始めた広場には、右往左往する人が溢れかえっていた。


『ちょっと、転ぶわよ。落ち着きなさい』

『じょ、じょ女王!大事な書類がっ』

『紙切れくらい私がどうにかするわ。生きていたら十分よ』

小太りの文官はコクコクと頷いて額の汗を拭った。


パニックになっているのは彼だけではない。

ただ事でない騒ぎに市民たちも顔をのぞかせ始めた、その時。


パーンっ!パチパチパチ———


突如、城の方角から花火が上がった。

陽が傾き始めた空を彩る、大きな美しい花火。


「わあっ、綺麗だね!」

「今日なにかあったか?」

「知らなーい」

どこからか、そんな市民の声がした。


市民も役人も、混乱していたのも忘れ、歓声を上げて空を見上げる。

「綺麗ね…」


しかし。空高く昇った花火はキラキラと花開き、


そのまま、墜落してきた。


『え、』


きゃぁぁぁぁっ!!


『火消しは?』『準備中です!』

『すぐに警鐘を鳴らせっ』


騎士たちが忙しなく動く中。私は焦点も定まらない瞳で街の惨状を眺めた。

(炎が。えっと、私は…)


『#$%&&#、———女王っ!避難しましょう!』


『っ、ごめんなさい。すぐに行くわ』

(しっかりしなさい、アリエル。女王としての責務を果たすのよ)


ふぅっと息を吐いて、嫌な音をたてる心臓を落ち着ける。


消火も救助も、医療だって全然追いついていない。街の外に助けを呼びたいけど…高い壁に囲まれたこの街から連絡を取る手段なんて、そんなもの。


『…ある、わ。あるじゃない』


しばらくして、騎士が馬を連れてきた。

『女王、こちらを』

手綱を差し出される。が、私は受け取らない。


『ええ…それに乗って、あなた達全員、市民の誘導に合流しなさい』

『えっ』


騎士たちは顔を見合わせて戸惑っている。

『そんなっ、では、女王陛下の護衛は誰が?』

『陛下の御身こそ最優先にございます!』


『いいから、行きなさい。命令よ』


(だって。あなた達を連れて行きたくないの)


———城の外で唯一の通信機がある塔へ。

私は煙に目を細めながら少し遠くの塔を見上げた。


高い石壁に囲まれたこの街から連絡を取るにはあそこに行くしかない。かつて戦乱の時代に街を守っていた壁が障壁になるという皮肉。


私の視線に気付いた騎士の1人が焦ったように言い募った。

「陛下、私に行かせて下さい!!あんな所に行けば無事では戻ってこられない…」


そうなのだ。こうしている間にも火の手が迫っているあの塔に登れば、たとえ連絡が取れたとしても地上まで降りてくることは叶わないだろう。


「アリエル女王、国のためにも避難をっ…!」


「私がいなくたってこの国は大丈夫よ。立派な仕組みがあるもの」

(ごめんね。これは部下を見送ってあげる勇気のない、弱虫な女王のわがまま)


カンカンカン———


けたたましく警鐘が鳴り響く中。

「アリエル女王、そちらは危険です!」

「女王陛下っ」


「そう、女王だもの。…着いてきたら極刑よ」


止めようと立ち塞がる騎士たちを振り切り、私は塔を目指して走り出した。

と、同時に私と騎士たちの間に燃えた木材が倒れ込む。


本当に後戻りできなくなった。


ふわふわドレスを掴み、ヒールを鳴らして全力疾走。

火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、自分でも信じられないくらいの速度で走ることができた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」


そして、階段を登って最上階まで来た私は、絶句する。


ガゴゴゴゴ———


嘘みたいな轟音を立てて、城が崩壊したのだ。

それに高い場所から見下ろしたことで改めて街の惨状を思い知る。


「ふふっ、神なんていないのね。今朝も祈ったばかりじゃない」


「..-. .. .-. . / .- .. -.. / -- --」

FIRE(火災)、AID(援助)、M.M(MAN-MADE 人為的)


どうか通信機が生きていますように。


「もっと火災の対応を、いや…そもそも城の管理をしっかりしていれば」


既にこの塔の足元は炎に覆われている。私は自分の命運を悟り、ゆっくりと目を閉じた。


◆◆◆


目を、開ける。


「どうして…?」


そこは塔の中じゃなかった。ものすごく見慣れた執務室。

一体何が起こったの?


「女王?どうされました?」

呆気にとられる私に、宰相のブルーノが気遣うように声を掛ける。いつも通りの彼の声に、ドキドキと嫌な音を立てていた心臓が静まっていく。


「何でもないわ」

(…夢か、幻?きっとそうよ。最近忙しかったから)


「ブルーノ、そこの書類はもう持って行ってちょうだい」

「はーい。こちらの確認もお願いしますっ、おっと」


ぐらりと揺れる山に気が遠くなりそうだ。

うんざりする私に、彼は手でクマの耳を作り、頭に乗せてみせた。

首まで傾げている。


「陛下、すごいクマですね。なんか老けました?」

「うるさいわね」

(…でも)


私はネクタイをキュッと掴んで彼の顔を見上げる。

「へ、陛下?」

「あなたの方が酷いじゃない。仮眠でもして来なさい」

「えー」

口調はともかく、彼は仕事熱心な人間なのだ。

彼の持つ書類をいくつか奪い去り、執務室を追い出すと、


追い出して。

「あれ、」


(このやり取り、知っている気がする)

こういうのをデジャヴと言うんだったかしら。私は立ち上がり、窓に駆け寄った。あの悪夢が頭をよぎる。そんな、

「…まさかね?」


「火事だ火事っ!!逃げろ、女王陛下をお守りしろ!」


あの時と、一言一句違わぬセリフだった。


◆◆2度目◆◆


『アリエル女王、こちらへ!』


崩れる書類、それを踏みつける騎士たちの革靴。光景がぴたりと記憶に重なり、『もしかして』は確信に変わった。

私は彼らに向かって声を張る。


「すぐに警鐘を鳴らすように手配しなさい。それから市民を門の外に誘導するのよ」

「…市民をですか?」


騎士たちは明らかに困惑しているようだ。当然だ。()()()()彼らはこれが、ただの小火騒ぎだとでも思っているのだろう。1度目の私のように。


「急いでっ!!」

「「「…はっ!」」」


「行くわよ」

ブルッ、ヒヒーンッ


私は愛馬に乗って街へと飛び出した。

警備隊にも住民の誘導に参加するよう命令を下す。


まだ警鐘が鳴らない。避難も全然進んでいない。

(みんな平和ボケしているわね。誇るべきなのか、嘆くべきなのか)


「全責任は私が取るわっ!今すぐ門の外に避難なさいっ!」

拡声器を持ち、私自身も市民に叫び始めた頃。ようやく警鐘が鳴り始めた。


そして同時に、花火の音も。


パーンっ!パチパチパチ———


全く同じ光景を目の当たりにし、私は天を仰いだ。

住民たちが走って逃げたとしても花火が地面に届く方がはるかに速いだろう。


「間に合わなかった…いや、そうじゃない」

(今からでも、一人でも多く救うのよ)


「すぐに城から離れなさい!!早く門の外へ!」


たった数分のうちに、炎はうねりながら広がっていった。


王都の住民である、18万2456人が、一瞬で避難できるはずもなくて。

貴重品を気にして自宅に戻っていく人も絶えなくて。


「お願いっ!あなた達を守りたいの…!かはっ、ごほっ…」

煙を吸い込みながら叫び続けた私の喉はとっくに限界を迎えていた。


「アリエル女王。私達も門に向かいましょう」


咳が止まらないまま、護衛の騎士に促されて門に向かう。

(分かっているわ…門に行き、指示を出した方が多くの市民を助けられる…分かっていても、市民の悲鳴の中を駆け抜けるのは辛いに決まっているじゃない)


「〜♪♫〜♪」


「え…」

きゅっと唇を噛み締めたその時、ふと、軽やかな鼻歌が聞こえた。

この地獄の中で異質なその声は妙にくっきりと耳に届く。


「ちょ、ちょっと女王陛下!危険ですって」

「ごめんなさい。少しだけ…」


私は馬から飛び降り、鼻歌にゆっくりと近付いていった。

(この辺りのはずなんだけど———まさか、上?)


「あなたは…?」


見上げた所にいたのは、崩れた建物の上で歌いながらスキップをする幼い少女だった。

彼女は器用に瓦礫の上でくるりとターンし、バレリーナの如く優雅なおじぎをした。


「ここ、丁度バレエの舞台みたいでしょう?…きれいなお姉さん、メイと一緒に踊ろう?」

「おい、危ないぞ。ここにもいつ火が届くか」

騎士が伸ばした手を、キャッ、とはしゃぎながら避ける彼女は年相応の笑みから、急に真顔になった。


「来ないよ。その前に全部元通りになるから」

ストンと感情が抜け落ちた表情に思わずゾッとして血の気が引いていくのを感じる。

「…まさ、か、メイちゃん?もこの火事を見たことがあるの?」


私と同じように。


何を言っているんだ、という顔の騎士。それが普通。お願い、あなたもそんな顔をして?———


「当ったり〜!そうだよ。メイはね、もうすぐ10回目かな?へへっ忘れちゃったっ♪」

「10っ?!」


思いがけない数字に一周回って頭が理性を取り戻した。

冷静になってみると、改めて謎が浮かび上がってくる。


まず、あの花火は誰が、何の目的で打ち上げたの?


それからこの少女。数こそ桁違いだが、彼女も私と同じならば、火事の直前に巻き戻ったのだろうか。時間を遡るなんて。


「魔法でもあるまいし」

「何言ってるんですか女王?そんなの物話の世界にしかありませんって」


(…実在、しちゃうのよ。魔法)


使える人間は存在しないに等しい。かつて悲劇の大戦を生み出した魔法は禁忌タブーであり、存在自体が国家機密なのだ。国でも数人しか知らないだろう。それでも、使えるものが現れたとしたら?


ゾクリと鳥肌が立ち、思わず腕をさする。


「お姉さん、大丈夫?」

しまった、こちらから彼女に話し掛けておきながら考え込んでしまった。しかしメイちゃんは気にしていないように微笑む。


「そろそろだ。じゃあ、また会えたら遊ぼうねっ!お姉さん」

「え、」


ガゴゴゴゴ———


城は、あの時と同じように、轟音を立てて崩れた。


◆◆3度目◆◆


パッと視界が執務室に変わった瞬間、私は部屋を飛び出す。


(きっと、花火自体を止めないと街は救えない)


「女王?!」

「ブルーノ、あとは任せたわ!」

「え?」


辿り着いたのは城の裏庭。

「この辺からだったと思うんだけどな、花火…」


噴水がポツンとあるだけのここは普段から人通りがなく、今も人っ子ひとりいない。

しかし私は、眼の前の光景に息を呑んだ。

「…これに、誰も気が付かなかったというの…?」


真っ白な石畳に描かれた、真っ赤な、大きな模様。


「文字、かしら?装飾がされていて読めないわね」

ぐるりと周りを歩きながら観察していた


次の瞬間。


パーンっ!パチパチパチ———


突然その模様から花火が打ち上がった。

ただの地面から。この目で見ても信じられない。


零れてきた火花が頬をかすめて火傷を作った。


「こんなの、どうやって止めるのよ」


私は街に下りて市民の誘導に参加し、再び、崩れる城を前に立ち尽くしていた。


◆◆4度目◆◆


今度はメイドたちを引き連れ、雑巾とブラシで模様を消そうとした。でも、模様は地面に染み付き、どれだけ擦ってもくっきりと残ったままだった。


その後は再び、地獄絵図を歩くだけ。


◆◆5度目◆◆


そして迎えてしまった5度目。やっぱり状況は何一つ変わらなかった。

もう、何をしても意味がないのかもしれない。


放心状態で火の海を歩いていると、ふと、声を掛けられる。


「大丈夫ですか?」


虚ろな瞳で振り返ると、黒いコートを着た青年が立っていた。

この地獄の中では、異常なほど平然としている。


「平気よ。もう見慣れてしまったもの」

その言葉を聞いてもなお、驚いた様子のない彼に、私はもしや、と思う。

「あなたは、何回目?」


青年のキツネのような切れ長の瞳が炎を映し、キラリと光った。

「僕は、12回目です」


安全な所を知ってるんです、と青年が案内してくれることになった。

歩くたび、彼の短いコートの袖から包帯がびっしりの腕が顔を覗かせる。

「怪我をしたの?」

痛そうで、思わず眉を寄せると青年は可笑しそうに笑った。


「いえ、ループするたびに自分で傷を付けているんです。記録…みたいな?」


———あれ。怪我って、ループしても治らないの?


青年の言葉に、はっと手を頬に持っていくと、ひりひりとした火傷を感じる。

どうせループするなら怪我も、死ぬのですら怖くなかった。でも、治らないなら。


「そうですよ。怪我は治りません。どういう訳か、死んだ奴らは生き返るみたいですが」

心を読んだように言う青年。


「ねえ、あなたは何か知っているの?…どうやったら終わらせられる?」

「さあ?僕()()はただ、この楽園を楽しむだけです」

「楽園、ですって?ここは地獄よ。こんなに、こんな…」


「時間切れだ。この先の廃教会が僕たちの避難場所です。次のループ後、お待ちしています」


城が、崩れた。


◆◆6度目◆◆


「少し行きたい場所があるの」

「はっ、馬車を手配いたします」


私はブルーノに警鐘の手配を頼んだ後、護衛騎士と共に廃教会に向かった。

あの青年は、何かを知っていそうだったから。


記憶を頼りに少し入り組んだ道を進むと、それらしき建物が見えてくる。

「こんな所に教会があったのね…」

そこは想像以上に荒れ果てていた。壁にはツタが這い、ステンドグラスが外にも散乱している。

馬車を降りるとカビのような匂いが鼻についた。


「女王、ここに一体何が?」

「私にもよく分からないわ」

「はぁ」


気が進まない様子の騎士を追い越して、ドアがあったであろう四角い穴をくぐって中に入る。


ガシャン、カランっ

散らばるガラス片を靴でかき分けながら青年を探して歩くと、彼は予想以上に早く見つかった。


「久しぶり、なのかしら」

「…ようこそ」


青年はその腕に、まさにガラスの欠片を振り下ろそうとしていた所だった。

彼はギリギリで腕を下ろして苦笑する。

「レディにこんなの見せられませんね。包帯を巻き直すので少し向こうを向いていて下さい」


できれば怪我は見たくないので、素直に後ろを向く。


「それは、痛くないの?」

「痛いですよ。痛いから、生きているのだと実感できるんです。何度も何度も同じ瞬間を繰り返していると、自分を見失いそうで」


パーンっ!パチパチパチ———


その時6度目の花火が上がった。青年は確か、これで13度目。窓の外をどこか楽しそうに眺めている。


「そろそろ来る頃かな」

「?、何が…」


青年の視線をたどると。


「また会えたねっ♪お姉さん!!」

「坊っちゃん、無事かー?」

「あれ?新入りさんですか?」


ぞろぞろと、老若男女、十数人が入ってきた。

瓦礫の上で歌って踊っていたあの少女、メイちゃんもいる。


「この人たちは皆ループ経験者で。身を守るためにこうやって集まってるんです」

「な、るほど?」


彼らは何故か、皆楽しそう。

酒に酔った様子の中年男性が私によろよろ近づいてきて、騎士に食い止められた。

「お嬢ちゃん、最初は辛いと思うけどねえ、ここは楽園なんだよ」

「楽園?」

そういえば青年も同じような事を言っていた。そう思って彼の方を見ると青年は言葉を繋ぐ。


「みんな、非日常に憧れる。自由で、秩序のない世界に。1度は思ったことがあるでしょう?天変地異が突然起こって非日常が訪れたらいいのにって」


「それでも、苦しんでいる人がたくさんいるわ」

「どうせ巻き戻るんですよ。死人も生き返ります」


「原理も何にもわからないけれど、引き起こしてくれた誰かさんに感謝だね」

女性が呟くと、皆が一斉に頷いた。

私は決して賛同はできないけれど、そう思うことで、彼らは正気を保ってきたのだろう。


「お姉さん、みんなを助けたい?」

ふと、メイちゃんが小さな声で尋ねてくる。頷くと彼女はこっそりと囁いた。


「メイね、一回不思議な人に出会ったの。『魔法使い』って言ってたよ」


◆◆7度目◆◆


『魔法使い』


覚悟はしていたけれど、厄介なことになった。ループした私はまず、とある場所に行くことを決意する。そこは城の地下にある小さな部屋。神官長の管理する鍵でしか入ることができない。


「女王陛下。本当に行くのですね?」

「ええ。お願い」

5つの厳重な扉を経て、私はほこりっぽい空気に鼻を擦った。

「おじゃまします」


私に続いて部屋に入った神官長はしっかりと鍵を閉める。


「セレンさん。女王陛下が来られました」

「こんにちは、アリエルです。お尋ねしたいことがあって参りました」

「”#$%&&%$#」


私がランプを点けると、虚ろな白く濁った瞳の女性の顔が浮かび上がった。揺り椅子に座っている。彼女は30代くらいに見えるが、なんと百年以上生きているというのだから驚きだ。


「セレンさんは、花火を上げる魔法、時を戻す魔法についてご存知ですか?」

「”#$%&%$#」


セレンさんは、魔女。かつての戦乱の時代、魔法で国を1つ滅ぼしたとか。ずっともごもごと何かを呟いているが、聞き取れない。耳を近づけたその時。


パーンっ!パチパチパチ———


しまった。長居しすぎたか。でも大丈夫。城が崩れるまでは。


「ユートピアはすぐそこだ。愛の欲望が選んだのさ」


「「?!」」


(喋っ、た。し、目が合った)


この人は魔法による大戦後、生き残った唯一の魔女として『保護』という名目で軟禁され続けてきた。その存在は歴代の神官長と王にしか知らされず、まともに喋ったことは1度もないとか。


私は同じように驚いている神官長と顔を見合わせる。


「セレンさん、どうやったら皆を救えるのでしょうか?」

「”#$%&%$」

それ以降は何を聞いても、焦点の合わない虚ろな目でブツブツ何かを呟くだけだった。


(ユートピア、?愛の欲望って…?)


次の瞬間。


ガゴゴゴゴ———


部屋が大きく揺れ、私は持っていたランプを落としてしまった。


「まずい…!」


城が崩れた。城の中でこの音を聞くのは始めてだ。完全にやらかした。セレンさんの言葉に気を取られた。

慌ててドアを開けようとするが、鍵は神官長が持っている。

「神官長っ、鍵を!…神官ちょ、う」


様子がおかしい。


「ごめんなさい、女王」

「どうしたの?今はいいから、鍵を!」


「私のせいなんです」


その独白は、突然始まった。

◆◆◆


少し前から、頭の中に不思議な声が響くようになりました。

『お前はこのままで、本当にいいのか?』と。


幻聴かと怖くなって医者にかかりましたが、薬草をもらっても治らなかった。

何度も繰り返すその声は日に日に大きくなり、気が狂いそうでした。

そんなある日恐ろしい夢を見たんです。


———女王陛下。


あなたが無実の罪を着せられて処刑される夢でした。


妙に生々しくて、今でもはっきりと思い出せます。何も知らない民衆が、噂に踊らされてあなたに石を投げる。そして無力な私がそれを見ている。


飛び起きた私に、頭の中の声は言います。

『これが未来だ。お前はこのままで、本当に良いのか?』


神のお告げなのだろうと思いました。


『本がある。神殿に、本がある。読め。望みが、叶うだろう』

頭の中の声は、私に指示を始めました。

私は何がなんだかよく分からないままに神殿で本を探し、何と、見つけたんです。


見てみると。


魔法の使い方が詳しく書いてありました。…そして、己の望みを自覚した。


『アリエル女王の愛を踏みにじり、石を投げた馬鹿な民衆を滅ぼしたい』


私は本に書いてある通りに、魔法陣を描き、呪文を唱えました。すると…

その後はご存知ですよね?


でも、すぐに後悔しました。


民を助けるために自分を犠牲にしてでも全力を尽くすあなたの姿を見てしまったから。

知っていたはずなのに。律儀に、毎日礼拝に来て民の幸せを一心に願うあなたの姿に惹かれたはずなのに。あなたを危険に晒すことにもなるのに。正気じゃなかった。


なので、同じ本に書いてあった『時を巻き戻す魔法』を使いました。


何とか魔法を解くことができないか、と。


頭の声は『犠牲を払うことになるぞ』と止めてきますが、それでも良かった。償わないといけないから。だけど何回巻き戻しても結局止めることはできなくて。


そのうち、魔法に耐性を獲得する人が現れたんです。その人達の記憶は巻き戻らない。

ほら、城で『火事だ!』って叫ぶ人がいたでしょう?あの人の声のお陰で、城の人達は素早く避難ができる。でも焦りました。その人達に正体がバレたら自由に動けなくなる。


だけど結局、あなたに告白することになりましたね。本当に、ごめんなさい。


◆◆◆


話を聞いて、私は息を呑んだ。

(私のため…私の、せい)


さっきの小さな違和感が腑に落ちた気もする。


突然の花火の音、それに構わずセレンさんに奇妙な質問をする私。明らかにおかしい状況だったにも関わらず、神官長は驚きも、戸惑いもしなかったのだ。


犯人だったのならば、説明はつく。


「”#$%&’&%$#」

2人とも沈黙する中、セレンさんの声だけが聞こえる。


私はそっと沈黙を破った。

「結局、頭の声って何だったのかしらね」

そこじゃない。もっと色々あるはずだけど、頭がぐちゃぐちゃで。


神官長は、はっとしたように言う。

「それが、初めて聞いたセレンさんの喋り声。すごく似ていたんです」

「え」


セレンさんが神官長を唆した?どうして、何のために?


「セレンさん!どうやったら魔法は解けるんですか?教えて!」

がくがくと揺さぶってみても、揺り椅子が軋むだけでセレンさんは全く反応しない。


その時。


パラッ


天井に亀裂が入って、粉のようなものが降ってきた。この部屋は限界だ。


「”#$%&%$#っ!」

神官長が叫ぶ。これが魔法の呪文なのだろうか。しかし、何も起きない。

「カフッ」

「神官長っ!」


吐血。それでも彼は呪文を叫んだ。

また次の瞬間。


◆◆8度目◆◆


私は執務室に戻っていた。


すぐに神殿に向かう。

とにかく花火を止めないといけないし、吐血した神官長も気がかりだ。


「神官長は?」

「ああ、リオネルさんですか?さっき具合が悪そうにしながら女王に伝言を…」


時間が巻き戻ったと共に、神官長と鍵も元の場所に戻ったのだろう。


『地下室』

たった一言の伝言。


それを伝えてくれた神官に礼を言い、急いで地下室へ向かう。

ドアは開け放されていた。


1つ。


2つ…5つ。開いたドアをくぐる。


薄暗い部屋。そこには空の揺り椅子と、神官長が倒れていた。

「神官長っ!」

吐血したのに仰向けはまずいと体勢を変えようとするが、見た目によらず筋肉質な身体は重い。

なんとか横向きに転がすことに成功する。


「アリエル女王…良かった、無事で…」


どうしてこんな風になる程に私を好いてくれているのだろうか。

どうしてこんなに。


「…ありがとう。リオネル神官長」

「え、ッゴホっ、コフッ、」

「それに、苦しかったわよね。…頑張ったわね」


民を危険に晒した元凶ではあるが、同時に、民を救うために誰よりも尽力した人。

許せはしないが、許してはいけないけれど、どうしても感謝は伝えたい。


「本当に、ありがとうございます」


次の瞬間。驚きに見開かれた彼の右目が光った。希少な紫色の、美しい瞳が。


ゴーン ゴーン———


そして、午後6時。


爆発は、起きなかった。


同時に、神官長は右目から血を流しながら意識を手放した。


◆◆◆


「リオネル神官長。起きて下さい。神秘の宝石と呼ばれる瞳を持っておきながら…勿体ないわよ」


あの後すぐに医者を呼び、彼は応急処置を受けた。身体の至る所から謎の出血をしていたが、一命を取り留めた。それでも目を覚ますかどうかは分からないとか。


あれから3日。今日が山場だとも医者は言っていた。

私は一日の殆どを彼の病室で過ごしている。時々ブルーノが心配をして声を掛けに来てくれるが、もう少しだけ、とわがままを言って。


(責任感…そう、きっと、そのせいよ)


こんなにも、辛いのは。


その日の夜。


自分の部屋に帰ろうと立った瞬間。突然、背後から声がした。

「助けたいのか?その、愚か者を」

「っ!?…セレン、さん?」


しゃがれた、あの独特な声。


私は何となく振り返ることができずに、そのまま頷いた。

すると、彼女はクククッと喉で笑う。


「魔法、使ってあげようか?クククッ」


しかし、私は首を振る。


「どうしてだい?もう、死ぬぞ?そいつは」


「私は王として、あなたに魔法を使わせるわけにはいかない。もう繰り返すわけには行かないの」

確かに魔法の最盛期、夢のように便利な世界であったそうだ。しかし私は女王として、かの魔法大戦がどれだけ残虐だったか。繰り返し聞かされ、嫌と言うほど胸に刻まれている。


「魔法は、世界を豊かにする。何でも叶うんだ。全部壊して、そんな世界を再び、作る」

「それが、あなたの言うユートピア…なの?」

「そう、だ」


(だから、そんな世界を作るために、リオネル神官長をそそのかしたんですか?セレンさん)

あの部屋から出られない彼女が、国を滅ぼして、理想を叶えるために。


「させないわ。私は、今を守りたいの。そして国民の明日を守る」


数秒の沈黙が、夜闇に溶けた。


「王とは、難儀なもの、だね…いいさ、数百年、昼寝してこよう」


やっと、背後の圧倒的な威圧感から解放された。

ほっと息を付くと、いつの間にか窓の外は薄い光を帯びている。


「本当に、全部終わった」


◆◆◆


その日の昼頃。

神官長は奇跡的に目を覚ました。


そして、1ヶ月後。


神官長の右目には後遺症が残り眼帯をつけている。それでも日常生活には支障がないそうだ。


そんな彼に、私は命を下した。

国境沿いの神殿に勤務するようにと。


王都から一番離れたその場所へ行き、王都に立ち入らないようにと。


何も知らない役人たちは神官長を左遷することに難色を示したが、神官長本人が受け入れたことによって王命は受理された。


出立の日。


私はあれ以来行かなかった神殿に、再び足を運んだ。


「女王、陛下」

「久しぶりね」


祈りを終え、帰り際に私は彼の方へ歩を進める。

「え」


そして、彼の小指から抜き取った指輪を自分の薬指に嵌めた。

流石に少しぶかぶかだ。


「1度だけ、この指輪を返しに行くわ。それまでは会わない。それが、私からあなたへ下す罰」

「は、い」


それから、60年後。とある大国の女王が退位した。


彼女に付いた二つ名は『国と結婚した女王』。

伴侶は持たなかったものの、平和を愛し、民を愛した最高の君主として語り継がれることとなる。


◆◆◆


窓の外では、葉を落とし切った木々が冷たい風に揺れている。

2人の老人が会話していた。


「今日はいい天気ね」

「ええ…ですが、寒くなったので体調にはお気をつけて」

「ありがとう」


その日の午後6時。ある老人が息を引き取った。


老人の妹は不思議に思った。


結婚どころか恋人も作らず、ここ数週間はずっと病室で寝込んでいた兄の小指に、見慣れない指輪があったから。


老人の、美しい紫色の瞳はもう、開くことはない。

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