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日本國海軍  作者: maron
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8話 西郷隆盛の下野

明治六年十月十五日。秋の風が石畳を渡り、正庁の襖を震わせた。

広間には、征韓を主張する薩摩(鹿児島)の西郷隆盛、土佐(高知)の板垣退助、肥前(佐賀)の江藤新平が居並び、対する席には薩摩(鹿児島)の大久保利通、長州(山口)の木戸孝允と山県有朋、さらに公家の右大臣・岩倉具視が控えていた。内治か、外征か。国を割る大論争のただ中である。当時はなお公家の力が強く、また薩摩そのものも西郷と大久保で二つに裂かれていた。


岩倉具視が口を開く。

「西洋を巡った我らは見た。いま外に兵を出せば、この国の財も軍も立ちゆかぬ」


長州の木戸孝允が頷き、沈んだ声を加えた。

「民に求められているのは学と産業。戦ではない」


薩摩の西郷は太い腕を組み、重く応じた。

「木戸どん、国を辱められては学も産業も守れぬ。侮りを許せば、この国は滅ぶ」


土佐の板垣退助は机を叩き、声を響かせた。

「士族に道を与えねばならぬ。戦こそが国を奮い立たせる」


薩摩の大久保利通は静かに西郷を見据えた。

「西郷。義で国は立たぬ。国を養うは算である。殖産興業を進めぬまま戦を起こせば、いずれ国は尽きる」


薩摩の二人の視線が火花を散らす。背後で長州の山県有朋が低く告げた。

「軍を外に出す力はまだない。国を危うくするだけだ」


沈黙が広間を覆った。表の議題は朝鮮との国交。しかし、この場に渦巻いていたのは国の行方だけではなかった。各人の背後にある派と派の命運までもが、言葉の一つひとつに賭けられていた。


会議が終わった後の正庁は、石畳の冷気をそのまま閉じ込めたように静まり返っていた。

薩摩の西郷隆盛は、灯火の陰に立ち尽くしていた。議場に残るのは机上の紙と、誰も返さぬ自らの言葉の余韻だけだった。


――この声は、結局一度として受け入れられなんだ。


翌朝、薩摩邸の一室。土佐の板垣退助と肥前の江藤新平が訪れた。

「西郷どん、このまま都に残っても何の力も得られぬ。我らは退くほかない」

江藤の声は荒く、板垣も深く頷いた。


西郷はしばし黙したのち、ゆっくりと答えた。

「ならば、わしは薩摩に帰る。政を去り、民の側に立とう。己が道はそれしかなか」


その言葉に、二人は返す言葉を失った。それは敗北の宣言ではなく、己を削ってでも時代の流れに殉ずる決意の響きであった。


明治六年十一月、西郷隆盛は参議の職を辞し、鹿児島へ帰郷した。都を去る馬車の車輪が、冷たい石畳を軋ませる。その音を耳にしながら、薩摩の大久保利通はただ窓外に視線を投げ、沈黙を守った。


――このときすでに、二人の道は二度と交わらぬものとなっていた。


西郷は深く息を吐き、己の進むべき道を見据えた。無念はあった。己の言葉が黙殺された孤独も、旧友に背かれた痛みも胸を刺した。しかし同時に、潔い覚悟もあった。政を乱すつもりはない。己が去れば政は静まる。ならば、潔く退こう――そう考えた。


だがその心の底には、なお炎が燃えていた。朝鮮との関係はこのままでは国辱であり、己の命を捧げてでも道を開くべきだと信じていた。その信念は過激と映ったかもしれぬ。だが彼にとっては「義を守る最後の務め」であった。


「政は去る。されど民は捨てぬ」

その思いと共に、西郷は鹿児島へ帰る決断を下した。そこに残されたのは、刀を奪われ、禄を失い、行き場をなくした士族たちであった。


――西郷の下野は、ただの退場ではなかった。それは、武士の誇りと義を最後まで背負い、民のもとに身を投じる決意であった。


鹿児島の町に戻った西郷隆盛は、静けさを求めた。だが、その姿を見て集まらぬ者はいなかった。廃刀令に刀を奪われ、秩禄処分で糧を失った士族たちが次々と門を叩いた。

「西郷どん、教えてくれ。刀を失った我らに、どう生きろというのか」


その声に、西郷は深くうなずき、町はずれに学舎を開いた。後に「私学校」と呼ばれる場である。土間にはまだ新しい畳の匂いがあり、板戸は粗末で雨風も防ぎきれなかった。だが、そこに集う若者の眼は炎を宿し、かつての武家の矜持を取り戻そうとしていた。


西郷は刀を抜かせるのではなく、心を立て直そうとした。

「国は人でできておる。人を立てねば国は立たぬ」

そう諭す声は重く、若者らの胸に沈んだ。


しかし、その私学校こそが、のちに士族の不満を吸い寄せる磁石となる。


西郷隆盛が政治から身を引いた三年後、明治九年三月。春まだ浅い東京に、一つの布告が下った。廃刀令である。


これまで士族に許されてきた帯刀の権利は、ここに完全に奪われた。通りを歩けば、かつて刀を腰に差していた武士たちが、皆、素手のまま俯いていた。刀はただの鉄ではなかった。父祖伝来の誇り、己の身分の証、そのすべてであった。それが禁じられたとき、士族たちの心には深い穴が穿たれた。

「武士はもう要らぬということか」

誰ともなく吐き出した声が、街角の空気を重くした。


これは突然のことではなかった。新政府はすでに、俸禄を金禄公債に変える「秩禄処分」を進め、士族の糧を削っていた。生活の支えを失い、象徴の刀まで取り上げられたとき、士族の胸に残ったのは怒りと空虚だけだった。


鹿児島の私学校にも、この知らせはすぐに届いた。若者たちは声を荒げた。

「俺たちは何を守ればいいのか。刀も、禄も奪われて……」

西郷隆盛は黙して聞いていた。政を離れ、民の側に立つと決めていたが、その民の叫びは日に日に重くのしかかってきた。


この年の秋、熊本・福岡・山口の各地で士族の蜂起が相次いだ。熊本では白刃を掲げた神風連が夜の町を駆け、筑前秋月では士族が藩校の庭に集い、長州萩では敗れた志士が再び立ち上がった。いずれも瞬く間に鎮圧されたが、炎は消えなかった。むしろ各地の敗北は「最後の望みは西郷どんしかいない」という思いを強めていった。


廃刀令はただの法令ではなかった。

それは、武士の誇りを奪われた士族の叫びが、やがて国をも震わせる西南戦争への炎となる鐘の音であった。


その炎の果てに、日本國海軍が国家を支える力であることを、人々は知ることになる。

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