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日本國海軍  作者: maron
11/16

11話 日本は新しい国の道を歩み始めることになる。

 明治十年(1877年)二月。鹿児島の私学校から始まった反乱は、やがて三万の士族を糾合し、熊本へと進軍した。熊本城を包囲し、薩軍は一時優勢に立ったが、政府軍の数と補給に押され、戦局は次第に傾いた。西郷軍は敗走を重ね、延岡から四方を包囲され、ついに鹿児島の城山へ戻るほかなくなった。


 九月。兵はすでに数百に減じ、食糧も弾薬も尽き果てた。かつての熱気は消え、残るのは「義を貫く」という思いだけであった。


 夜の帳が下りた城山には、冷たい虫の声が響いていた。囲む政府軍の灯火が遠くに揺れ、空気には緊張と諦念が入り混じっていた。


 西郷隆盛は焚き火の前に座していた。巨体は疲れを隠せず、それでもその背はなお大きく見えた。周囲には腹心たちが集まっていた。桐野利秋、村田新八、篠原国幹、別府晋介――最後まで従い残った者たちである。


 桐野が口を開いた。

 「殿、ここまででござりまする。兵も尽き、弾も残りませぬ。されど、最後までお供仕ります」


 村田が頷き、低く言う。

 「今さら降伏を願う者もおります。されど、それでは士族の誇りは失われる。われらは殿と共に果てるのみ」


 若い兵が震える声で口を挟んだ。

 「殿、どうか……まだお命を長らえてはなりませぬか。薩摩の民は殿を失いたくないと」


 その言葉に桐野が一喝する。

 「黙れ! 義を捨てて生き延びて何になる。殿の旗を守り、薩摩の名を守ることこそ我らの務めぞ!」


 若者は唇を噛み、涙を堪えた。


 西郷は焚き火を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。

 「皆、ようここまで付き合うてくれた。わしは政を去り、ただ郷里に戻っただけの身。それを、これほどまでに支えてくれるとは思わなんだ」


 その声音には、深い感謝と寂しさが入り混じっていた。


 篠原国幹が声を張る。

 「殿の義に心打たれ、ここまで来たのです。我らに悔いはありませぬ」


 別府晋介が一歩進み出た。

 「殿、明日の戦はもはや最期の戦。どうかご覚悟を」


 西郷は頷き、膝に置いた手を固く握った。

 「命を惜しむなとは言わん。ただ己の義を最後まで貫け。利を求める戦ではない。義のために立ち、義のために散るのだ」


 その一言に、座にいた者たちは一斉に頭を垂れた。涙を拭う者もいたが、誰も声をあげなかった。


 夜は深まり、城山を包む闇は濃くなった。兵たちは火の周りで刀を磨き、銃を抱きしめ、最後の時に備えていた。だが、その表情は恐怖ではなく、覚悟に満ちていた。


 西郷は焚き火に照らされた顔を上げ、低く呟いた。

 「……これが薩摩の終わりかもしれぬ。されど、義は永く残ろう」


 その巨躯の影が揺れ、障子に映った時、城山の夜はすでに運命を決していた。


 夜が明けると、山を覆う霧が静かに晴れ、政府軍の陣列が姿を現した。銃剣の列が谷を埋め、砲台の口が城山を睨んでいた。鳥の声はなく、ただ風が草を揺らす音と、遠くで整列する兵の足音が重なっていた。


 桐野利秋は刀を抜き、声を張った。

 「皆の者、これが最期ぞ! 義を示し、薩摩の名を刻め!」


 村田新八が隣で頷き、兵に向かって言う。

 「臆するな。殿が見ておられる。死を恐れるな、恥を恐れよ!」


 篠原国幹は馬を引き寄せ、まだ若い兵の肩を叩いた。

 「恐れるな。わしらが先に立つ。お前たちは後に続け」


 別府晋介は静かに銃を構え、背後の西郷を振り返った。

 「殿、いよいよでございます」


 西郷は大きく頷き、短く言った。

 「行け。思うがままに」


 その声に押されるように、兵たちは山を駆け下りた。銃声が轟き、砲弾が土をえぐった。薩軍はわずか数百、対する政府軍は数万。勝敗は明らかであったが、士族たちは一歩も退かなかった。


 砲煙の中で、桐野が高らかに叫ぶ。

 「これぞ薩摩の戦ぞ!」

 その声は一瞬、銃声をも圧した。


 だが、弾丸は容赦なく降り注いだ。篠原国幹が胸を撃たれ、馬ごと倒れた。村田新八も傷を負い、なお立ち上がって刀を振るった。兵たちは次々と斃れ、それでも退かなかった。


 やがて西郷自身も腹に銃弾を受けた。巨体がよろめき、地に膝をついた。顔色は蒼白に変わり、それでも瞳は静かに燃えていた。


 「晋どん……もう、よかろう」

 西郷は別府晋介を呼んだ。


 別府は銃を捨て、震える手で刀を抜いた。

 「殿……なぜ、なぜここまで……」


 西郷は微笑み、かすかな声で答えた。

 「義のためじゃ。それ以上のことは、いらぬ」


 涙をこらえきれず、別府は深く頭を下げた。

 「殿……ご無念、我らが共に果たします」


 西郷は静かに目を閉じた。

 「晋どん、頼む」


 刀が振り下ろされ、血が大地を濡らした。巨躯は音もなく倒れ、炎に包まれた城山の土に沈んだ。


 別府は顔を覆い、嗚咽を殺した。その後、自らも銃弾に倒れ、殿の後を追った。桐野、村田も次々と斃れ、薩軍はついに潰えた。


 砲煙が晴れた時、城山には屍と煙だけが残った。


 政府軍の兵はその光景を見つめ、誰も声を上げなかった。勝者であるはずの彼らも、胸に重いものを抱えていた。


 こうして西南戦争は終結した。義のために立ち、義のために散った士族の戦は、薩摩の終わりを告げると同時に、武士の時代をも葬り去った。


 ――この事件を境に、日本は新しい国の道を歩み始めることになる。

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