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08 歓迎会と焼き肉と

■8月3日-①

 水曜日。僕と絵里は、近所のスーパーで買い出しだ。

 アホの山田はどうしたかって? 「全部やっとくから」という言葉は案の定きれいさっぱり忘れ去られ、仕切りは僕の役目になった。

 別に三人ぽっち、誰に気を使うこともない。ホットプレートを持ち込んで、絵里のアパートで無難な焼き肉パーティーだ。


「絵里の歓迎会なんだから、別にゆっくりしてていいよ?」

「いいじゃん、私にも楽しませてよ。知らないスーパーに行くだけでも楽しいんだから」

 そう言って絵里は買い物についてきた。

 まあ、そうだよな。僕も最初に引っ越してきたときは、用もないのに近所を歩き回ってた。

 田舎育ちの僕には「街」ってやつがまず珍しく、面白いんだ。絵里も同じに違いない。


「山田くんって、たくさん食べるの?」

「まあ、それなりにね。どっちかっていうと酒が好きみたいだけど」

「へえ。未成年なのに飲むんだ?」

「偉そうに大人ぶってほろ酔いを飲んでるだけだよ。あいつ、アホだからさ」

「ふーん」


 絵里は足を止めて、お酒コーナーを眺めていた。

「何がいいのかな?」

「わかんない。自分で買ってくるだろうし、ほっといていいよ」

 いつもは自分で買ってくるし、きっと今日もそうだろう。だいたい飲まない僕らが気にすることじゃないからね。

 なんとなく、茜のことを思い出していた。

 そういえばあいつもたまに飲んでたなあ。

 一応茜も山田も未成年だけど。マジメにそこら辺を守っている人のほうが少ないのかもしれないけど。


 酒の恩恵は、当人だけが受けるわけじゃない。酔った茜は僕にべたべたくっついてきていた。手を出す勇気がなかったのは、単に僕がそういうことに慣れていなかったからだろうか。

 一度山田にそのことを話したとき、心の底からうらやましがられた。

 あろうことか山田は、俺にもくっつけと茜に文句を言っていた。

「バッカじゃないの?」

 茜は笑っていた。さらに飲みながら、なんだか早口言葉みたいな言葉で返していた。ええと――、そうだ、確か「くっついてもくっつかない奴だからくっついてもらえんのよ」だ。

 それでも彼女の冷たい肌の感触は、強く腕にこびりついている。


 これも未練なのかなあ、やっぱり。

 ぼんやりと上の空で絵里の横を歩いていく。


 ピーマン。キャベツ、かぼちゃ、玉ねぎは多めに。

「野菜って、けっこう高いんだね。スーパーで買うことってあんまりないから知らなかったよ」

 高いだけならまだいいけれど(よくないけど)、味気ないのはいただけない。家の畑で作っていたものとは味の濃さが違うのだ。鮮度の差だけとは思えない。

 福岡育ちの友達にうらやましがられたことがある。けれど皆わかってない。田舎で触れられる文化なんて、まさにこのスッカスカのキャベツみたいなものなんだ。

 僕が欲しかったのは瑞々しいトマトなんかじゃなかった。米津玄師だってメタリカだって大分までライヴをしに来るわけないし、マヤ・デレンの映画だってやってないんだから。


 午後七時。

 絵里が野菜を切っている。トントンという軽快な音が聞こえてくる。僕はホットプレートのセッティングだ。

 福岡に来たばかりのころ、包丁の練習のために、キャベツの千切りばかり食べていたことを思い出す。

 絵里はうまくできるだろうか? それとも、僕の方がうまいんだろうか。

 今日は腕前を披露できないけれど、いつか彼女の前で自慢してやるのだ。そのための練習だし、そのためには先に彼女の腕前を確認しておく必要があった。

 今度、ハンバーグでも作ってみようか。そして絵里に言うのだ。「キャベツ切ってもらっていいかい?」と。


「なんだか、祭りのことを思い出すね」

「お祭り? 秋の?」

「そうそう。内田のお兄ちゃんとか、こんな感じで焼きそば作ってたりしてたよね。懐かしいなあ」

 確かに懐かしいけれど、もてなす相手が山田というのがちょっと引っかかる。あいつめ、結局準備をすべて僕たちに押し付けたな。


 午後七時十分、きっかり十分遅れて山田がやってきた。彼にしてはマシなほうだろう。

 彼の名誉のために一応言っておくが、いくら山田でも毎回遅刻しているわけではない。たまに、だが肝心な時に遅刻をやらかすので、奴はアホなのだ。


「悪い、遅れた」

 悪びれた様子はない。

「大丈夫。どうせ遅れるだろうと思ってたから、のんびり準備してた」

「おい、間に合ってたらどうすんだよ」

「そしたら手伝わせるに決まってるだろ。だいたい絵里の歓迎会なんだから、しっかり歓迎しろよ」

「わかってるって。とりあえず焼けるまで時間かかるし、先に準備だけして乾杯しようぜ」


 山田は遅れてきたくせにちゃっちゃと場を仕切ると、絵里に軽く笑いあった後、ホットプレートにラードを落とす。

 白い油が蕩けていく。

 山田の箸が玉ねぎを掴み、すっかり透明になった油をいい加減に広げていく。


「はい、祐樹。オレンジジュースでいいんでしょ?」

「うん、ありがと」

「あ俺も」

「酒、飲まないの?」

「ああ、未成年だしな」

「ふーん。まあいいけどさ」

 何をいまさら。そう言いかけて、飲み込んだ。絵里に遠慮しているのだと気づいたからだ。たぶんだけど。


 山田はグラスを掲げると、乾杯の音頭を取る。

「じゃ、絵里ちゃんの新しい生活に、かんぱーい」

 おざなりなセリフだったけれど、三人きりの小さな歓迎会だけど、絵里にとっては大きな一歩だった。


「なあ、この肉、食っちまわねえ? カボチャ焼くスペース欲しいんだけど」

「ん、いいよ。絵里も食べる?」

「じゃあもらおうかな」

「じゃあどうぞ!」

 待ってましたとばかりに、山田は絵里の皿に肉を盛る。

 僕は呆れながら、それを半分取り返す。

「肉も食えよ、ロブ・ゾンビめ」

 山田は顔に似合わず野菜好きだ。肉はあまり食べようとしない。

 それをわかっているから、僕らも野菜を多めに買ってきた。

 こんなに野菜が好きなら、実家の野菜を食べさせてやりたかったな。こんなスーパーのしなびたやつよりも、ずっと美味しいのに。

 絵里を見ると、笑顔で食べていた。

 昔見た作り笑いではなく、自然な方の笑顔だった。


 一通り食べ終わって眠気が襲ってきたころ、山田が唐突に切り出した。

「なあ祐樹、大事な話があるんだが、今いいか?」

「え、今? 別にいいけど、何さ?」

 こいつがあらたまってこんなことを言うなんて、天変地異の前触れだ。まあ山田の天地ならどうなってもいいんだけど、それより絵里に聞かせてもいい話なのだろうか。

 絵里に目を向けると、きょとんとした顔で僕を見ていた。

 まあ、聞かせて不味い話なら、このタイミングで切り出そうとはしないだろ。


 山田は絵里に対して姿勢を正すと、一息に言った。

「絵里ちゃん、最初に見たときから好きでした。彼女になってください」


 僕はグラスを持ったまま固まっていた。山田が酒を飲んでいなかったかをもう一度確認した。

 当の絵里は、「え?」と口にしたっきり固まっている。

 こいつは女と見ればとりあえず声をかける節はあるけれど、こんなテンションで話を切り出すのを見たのは初めてだった。

 沈黙の中、外を通る車のエンジン音がやたら大きく響いていた。


 その時の絵里の言葉を、僕は生涯忘れることはないだろう。

「うん、私でよかったら、お願いします」


 僕は「ちょっと外に出てくる」と言ったまま、靴を履いた。

 とりあえず財布と電話だけは持っている。

 足元はよく見えていないが、とりあえずここにはいられないという強迫観念だけでふらふらと部屋を飛び出した。


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