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02 青空と二枚舌

■小学一年生の夏休み

 マリが生まれたのは、二人が小学一年生のころだ。

 祐樹たちが育った大分県加志町は、山と田んぼに支配された典型的な田舎町だ。灰白色のビルディングに出会いたいと思ったら、車で一時間は必要だ。

 通っている加志小学校も、小さな小学校だ。一学年の人数は十人いれば多いほう。そんな環境だったから、男女や学年に関係なく遊んでいたし、友達の兄弟たちともみんな顔見知りだった。

 その頃の祐樹にとって一番の友達は、相変わらず同級生の絵里だった。絵里は極度のインドア派で、暇さえあれば本を読んでいた。休み時間になるたびアガサ・クリスティだのカーター・ディクソンやらを取り出して読んでいる彼女に、祐樹はひそかに憧れていた。

 二人の仲が良かったのは、単純に家が近かったからだ。保育園のころから家族ぐるみの付き合いだ。学校で仲のよい友達は他にもいたが、田舎の学校の校区は広く、子供の足で気軽に遊びに行ける範囲は限られていた。

 特に夏休みともなると、普段から顔を合わせるのは絵里だけとなる。

 祐樹が子供時代に一番長い時間を共に過ごした人間は、家族を除くと間違いなく絵里だ。そして、次に長い時間を過ごしたのが、マリだった。


 7月中旬。初めての夏休みが始まって数日も経たぬうちに、祐樹は思い知る。テレビや漫画で見るようなわくわくする夏休みはどこにもなく、ただただ退屈なものなのだと。

 目指すような荒野はなく、あるのはいつもの緑の牢獄。朝の勉強を終わらせて、セミやカブトムシを探して山に入り、午後には川で泳いで過ごす。それはそれで楽しくないわけでもないのだが、一人だとどうやってもつまらない。

 絵里も暇を持て余しているだろうと考えた祐樹は、川遊びに誘おうとして、彼女の家を訪れる。


 いつものように裏口の植木の間をすり抜けて縁側に回ると、思った通り絵里が座っている。

 声をかけようとしたところで、ふと立ち止まる。絵里が誰かと話していたからだ。

 軽くきょろきょろと見回すが、どう見てもそこには絵里しかいない。

 不思議に思い、祐樹は尋ねた。


「誰と話てるん?」

「今? マリちゃんと話してたの」

「マリちゃん?」

「そう、マリちゃん」

 知らない名前だった。祐樹のクラスには、そんな名前の友達はいない。


「どこにいるのさ」

「ここに()()()()()()()()の」

「え?」

 あまり聞かない言い回しに、祐樹は混乱する。

 困っている祐樹を見て、絵里は笑う。


「夏休みって友達と会えないでしょ。だから私ね、作ったの。マリちゃん。白いワンピース着てて、麦藁帽子かぶってて、背も高いの」


 絵里はよいしょっと背伸びをして、手をヒトの形になぞる。そして祐樹に、マリのことを熱心に説明した。見た目だけでなく、趣味や性格、言葉遣いも。


 なんてことの無い子供の空想だった。長期休みで遊び相手のいない絵里も、暇を持て余し、どうしたものかと考えていた。そして思いついたのが、マリという友達がいるかのようにふるまうこと。

 年齢相応の頭脳しか持たない祐樹には、そのときの絵里の説明がよく理解できなかった。何かよくわからないが、絵里が言うならそうなんだろう。そんな程度の認識で、些細ないたずらに加担する。



■高校生活

 二人の環境に劇的な変化が訪れたのは、高校に進学してからだ。思えばこのころが、友情は尊いものだと無条件で信じていた最後の時代だったかもしれない。

 入学してすぐに、初めてのクラス分けがあった。もともと絵里は、休み時間まで席で本を読んでいるようなおとなしい性格の子だ。あげくに今までの十五年間は、ほとんど友人たちの入れ替わりの無い環境で育っている。見知らぬ同級生との付き合い方なんて、学ぶ機会はなかった。


 それでもまだ一年目はよかった。絵里が本格的に追い詰められてしまったのは、二年生になってからのことだ。絵里のおとなしい性格が、悪いほうに傾いてしまう。新しくできあがったクラスのグループにうまく溶け込めず、いじめに発展してしまったのだ。


 ある日の夕食後。祐樹はテレビで、親をハンターに殺された猿のドキュメンタリーを見ていた。人間に保護されて育てられたはいいけれど、山に放された後はいいとこなし。既存の群れに入れずに、最終的には逃げるように、一匹で別の地を求めて旅立っていった。人間に育てられると人間の臭いってやつが邪魔をして、うまく野生のグループに溶け込めなくなるらしい。

 なんてことはない。人間も猿も、同じ動物だということだ。


 絵里がクラスの友達とうまくいっていないことは、祐樹も当然わかっていた。孤立しかけている絵里にまめに話しかけたりして、世話を焼いていた。

 今にして思えば、それがかえって悪かったのかもしれない。女子たちのグループになじめない状態で男友達とばかり話していたらどうなるか、そのあたりにもう少し考えが及べば違ったかもしれない。

 善意からの行動が、必ずしも良い結果を生むとは限らない。たったそれだけのことを学ぶにしては、ずいぶん重たい授業料だった。


 せめてもの救いと言えば、卒業式には二人そろって出席できたことくらいだろうか。


 受験の空気がクラスでだんだん濃くなって、だれもが他人にかまっている余裕なんてなくなってきたころ。授業が少なくなって、学校にくるやつらも減ってきたころ。そのあたりから、絵里は少しずつ元通りになっていった。

 卒業式で絵里は、久しぶりに笑っていた。昔から見慣れた笑顔だった。その横では絵里のお母さんが泣いていた。まるで二人分の涙を引き受けているような勢いで。

 祐樹は、自分の親とどんな会話をしたかもあいまいなのに、その時の二人の様子だけは、はっきりと頭に染みついている。


 後ろめたい気持ちでいっぱいだった。進学を決めた夏のころからだろうか、もう一人の”僕”が「お前は絵里を見捨てたんだ」とずっと囁き続けている。ふとしたときに現れて、胸の奥をぐじぐじと小さな針で突いている。

 そんなチクチクがこれでやっと終わるのだ。

 祐樹は安心し、そして、マリのことは忘れかけていた。


 四月。祐樹は家を出て、福岡で暮らすことになる。大学進学のためだ。特に勉強したいことがあったわけではない。社会に飛び込んでいく勇気が出ずに、時間稼ぎからの選択だ。

 絵里と祐樹が離れ離れになるのは、これが初めてのことだった。一人暮らしの不安はもちろんあるけれど、祐樹にとって、絵里と離れ離れになることのほうがはるかに大きな意味を持っていた。


 ではマリにとってはどうだったのだろうか。それがわかる人なんてどこにもいない。

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