1‐9 その一中で、私の右目を撃ち抜いて
朝、数コールのアラームとともに軽やかに起床する。時刻は六時半ちょうど。ゆっくりと上体を起こすと上から下にさっと血液が流れていく。朝が弱い多々良とは違い、朝が強いめじろは朝ご飯当番になる回数が多い。
[午後三時までに配達予定]
深夜に購入したテディベアはもう発送されて、この家に向かっている。裁縫セットはどこに置いたのだっけ。
敷布団を畳んで軽くベッドメイキングをすると、一人掛けソファーの上にくしゃくしゃになっている洗濯済みのワンピースに着替え、鏡の前で皺を伸ばして体を振り汚れていないかを確認する。
洗面台で髪の毛をさっと梳かし、真上に伸びている寝癖をヘアバンドでまとめ上げる。
多々良は七時過ぎに起きてくるだろう。今日は一限だけでその後は帰ってきて一日を溜まったレポートに費やす予定だと言っていたし、めじろも勧められた映画を観る日にしようと事前に二人の間で決めていた。もし、多々良のレポートが早く片付いたら午後はどこかにお茶をしにいくのもいいかもしれない。思いつく限りの最高の一日だ。
さっき聞いたような歌を口ずさみながらティファールに水を注いだ。
七時少しすぎに多々良が右半分の髪を爆発させてのそのそと起きてきて、テーブルにつく。テーブルに二人分の目玉焼きトーストと紅茶を並べ、自分も多々良の前の席について手を合わせた。目やにこすりながら欠伸をした勢いで半開きの口にトーストの耳だけを齧る。
「めじろは今日は家にいる?」
「いるわ。多々良ちゃんが帰ってきたら一緒にあのホラー映画を観るって約束したから。あと荷物が届くし」
「そうだったね。なんか夢だと思ってた。なに買ったんだっけ」
「テディベア」
とその時、多々良の親指の付け根から点々と黄身が垂れ落ちた。テーブルの上に置いてあるティッシュを一枚取って渡す前に多々良は親指を舐めてそれからめじろからティッシュを受け取った。皿の端から伝ってポタポタと机にも同じ点を作っていた。
親指を拭ったティッシュで机を拭く間にどんどん黄身がしぼんでいく。机は諦めて黄身をジュっと吸い、一口齧り、吸う。大きな固まりが細い喉仏を通過する。あと数口というところで顔をしかめ、ティーカップに指を掛けて一気に飲み干した。「ごめん、なんだって?」
「テディベアを買ったの」
「ふーん。また可哀想な生贄を買ったんだ。あ、ご馳走様。一限終わったらすぐ帰ってくるから楽しみに待ってて」
「そうね、楽しみ、に待っているわ。あ、食器はそのままでいいわ」
「助かるわ、ありがとうめじろ」
多々良が時間ギリギリにドタバタと慌ただしく出ていってから、めじろは食器を片付け、掃除機をかけて午前を一人で過ごした。それから一息しようとソファーにくたりと横になって、ニュースをぼんやりと見た。生活音の聞こえない部屋は寒い。自分以外は誰もいないのに、ソファーの後ろに誰か呼吸を殺して立っているのではという妄想が止まらない。
めじろは起き上がり、テレビを付けた。Netflixで適当なアニメを再生する。第五話で、開始早々誰か主人公の大切だった人が死ぬシーンから始まっていたけれどめじろは泣けなかった。
スピーカーから流れる主人公の絶叫がめじろの妄想を払い、体を芯から温めていく。
『先生は来月結婚するって言ったんだ。それでこんなクソみたいなところから逃げ出して遠くで幸せに暮すはずだった。なのに、お前のせいで、先生は死んだ。どうして? 俺がそうお前に望んだからか?』
『違う。そうではない。僕がそう望んだからだ』
主人公の深い絶望が狂気に変わり、敵に襲いかかる。めじろは、どこかで聞いたようなセリフの味を思い出そうとそのセリフを何度も反芻し、噛み締めていた。
人の欲望には際限がなくて、願いは簡単には叶わなくて、だからこそ、傲慢を貫き通したものだけが最後に幸せを掴み取れる。そういったのは誰だったか。