1‐6 その一中で、私の右目を撃ち抜いて
ぬいぐるみの願掛けを初めようと思いついたときのことはあまり覚えていない。ダルマが沢山並ぶ寺に行ったことが先だったのか、それともそういうことをどこかで見聞きしたりしたからなのかは分からない。手に入れようと思ったらどちらも手に入るのにダルマではなくぬいぐるみになったのかも今となってはよく覚えていない。おそらくダルマよりも可愛いからだろう。
多々良は二人分の飲み物を淹れている最中だ。コポコポとお湯が煮える音が心地良い。鼻歌で歌う調子外れのヒットソングも多々良が歌っていると壊れたオルゴールみたいだ。時間が経って、中断させたテレビはスリープして海外のどこかの風景を映し出している。フローリングにペタンと座る髪の長い女とその周りに散乱した紙とそして目のないぬいぐるみ。まるで呪術だ。多々良おすすめのB級ホラー映画にこんなものもあったような気がする。彼女はB級だろうとホラーよりもスプラッタ描写が目立つC級だろうとホラーとジャンル分けされているものなら何でも観る偏愛ぶりだ。さっきまで観ていたのは殺人気ぐるみを嬲り殺す主人公無双系ホラーで、これがどうにも怖くなくてシュールで面白いらしく一緒に観てほしいと頼まれたため、指の隙間からほとんど目を瞑ってなるべく彼女のタイピング音に意識を集中させながら鑑賞していた。初見のそれもホラー耐性のない人間の反応を楽しみながら書くレポートはかなり筆が乗るようで、まあ人の恐怖で文字数が稼げるのならいいかとどうにかしてホラーから意識を背ける。
白いテディベアが自分の片目を自身の欲望のためだけに奪っためじろに対して復讐に燃えていてもなにも疑問には思わない。今までだってこんなことをしておいて、いつかぬいぐるみに呪い殺されても文句は言えないと思いながら、その両目を切除してきた。だからきちんと用が済んだらお焚き上げをすると決めている。決して口には出さないと決めているけれど、次に生まれ変わるならこのぬいぐるみたちはもっといい子のところへ誕生日プレゼントとかクリスマスプレゼントして流れ着くことを密かに願っている。
そう、めじろはいつだって願っている。
高校生のときからの付き合いである多々良夕とシェアルームで生活を初めてもうすぐ二年が経とうとしていた。元はといえば友達と一つ屋根の下で暮らしてみたいという願いから始まった生活も早二年。その間に友情に大きな亀裂が走ることなく穏やかにここまでやってこれたのも多々良が善良で真面目だからというのが大きいだろう。そう言うと多々良はいつもそんなことはないと頬を掻くが、謙遜しなくても事実なのだからもっと胸を張って威張ればいいのにと思う。
彼女の生活が常に掛け持ちのバイトに追われていることは高校生の時から知っていた。というか裕福な私立高校の中では学年を問わず誰もが知る事実だった。彼女も特に隠してはいなかったし、むしろ文化祭で放課後に居残りして作業しなくてはならなかった時などは多々良の都合を優先していたくらいだ。一足先に社会に揉まれる多々良にみんな尊敬の眼差しを向けていた。
めじろはそういう多々良の金銭的に裕福ではないという所に結果として漬け込むような形で多々良をこの生活に誘ってしまったかもしれない。だが、めじろだって通学時間三十分の実家から出て大学の近くにある安アパートで一人暮らしを検討していた多々良の助けに少しでもなればと思って声を掛けた。めじろは友達と一緒に住めるなら誰でも良かったし、多々良も家賃と生活費が浮いて大学から近いところに住めるならどこでも良かった。そうした利害に一致でここまでなんとかやってきた。
ぬいぐるみの目を取る願掛け行為を同居人にさらけ出してそしてどうか否定しないで受け入れて欲しいと願うほどめじろの心臓は鋼でもないし、毛も生えていない。本当に偶然によって、深夜に密かに行われていた儀式は残業して帰ってきた多々良に割と早い段階で見つかった。めじろは今まで両親にさえこの願掛けを言ったことがない。もちろん友達の誰にも。巡っている血が全て一斉に引いていくのが分かった。今と全く同じようなどう言い訳しようにも苦しい状況でうっすらと涙を滲ませ、「えっと、その、あの。その」と吃るめじろに、見つかったのが彼女で本当に良かったと安堵で涙を滲ませるほど多々良の反応はいい意味で鈍かった。
疲れて帰宅しただろうに多々良は、めじろに対して眉一つ動かさず、「いい趣味あるね」とテディベアを一瞥するとそれ以上深く追求することなくバスルームに向かう彼女の背中はまるで死地に赴く戦士のようだった。思えば、疲れていたからそれ以上の会話をしたくなかったのかもしれないと後から湧いてきた恥ずかしさに気付いたときには多々良から「昨日はなにをしていたの」と質問されていた。
それに「願掛け」というと「へえ、いい趣味だね」と再生をしているように変わらないトーンで答える多々良に見えない好感度が上限を突き破って上昇していく。
あーあ、多々良ちゃんがもっと幸せになればいいのに。
そう願い初めてから二年が経ってしまったのだ。最初の願いは彼女と旅行にいけますようにだった。旅費全額を出すからとにかく二人で旅行に行きたいと人にお金を出させるのを渋る多々良を説得して熱海に行った。楽しかったけれど、多々良はこの旅行のために無理に予定を調節したらしく帰ってきて荷解きをする時間もなくバイトに行くことになり猛反省した。
これじゃ足りない。多々良ちゃんが幸せになるにはお金で解決しないといけないんだわ。
シェアルームをすると二人で決めた時から家事は当番制すると約束していた。お互いに思いやりを持って生活していたし、なにより二人共この生活を破綻させたくないからこそ真面目にこなした。めじろは働いていないが、多々良はバイトのあるなしに関わらず家事を淡々と文句一つも言わずにしかも些細なほころびもなく完璧にこなした。そんな家事とバイトと学業を両立させる多々良を幸せにしたいならまずは家事の負担から解消させなくてはならない。
だが、完全に当番制を無くしてしまうことに反対した多々良はめじろの善意の提案を拒否したことでその作戦は崩れ去った。それから何度もそれとなく主に大学が忙しいから私が家事を他の人に頼みたいという理由をつけて多々良からまず家事の負担を奪おうとしているが上手くいっていない。
多々良のためになりそうなことを考えて実行してみてもどれも反応はいまいちぱっとしない。この間は今やっているバイトよりも時給のいいところを紹介したら「時給がいい方が嬉しいけどバイトが楽しいからいいや」と断られてしまった。そこで堪らずどうした時に幸せを感じるのか聞いてしまった。本人の反応はどうして今そんなことを聞くのかと言いたげで、それから掠れた声で「このレポートが無事に完成したら?」と白紙の画面を指さした。完全に目が据わっていて怖くてそれ以上なにも聞けなかった。