10話 覚悟
「お前から人間の中に来るとは。どういう風の吹き回しだ?」
訝しげにエレウスを見上げるところを見ると、父さんが呼んだわけではないみたい。
「グフゥ!」
空気が揺れる重低音だけど、これはエレウスとしては鼻先で笑っただけ。
ギロン!と私を見下ろした目はいつになく上機嫌そうだった。
「嫌な気配に満ちている。イクシオンの負の遺産を呼び起こした者がいるな」
私のことを言っているのかと身構えたけど、そういうことじゃないらしい。
「まあ、お陰でこの娘も覚醒したようだし。めでたいな、ジェイド」
「どこがめでたいんだ。王都がネズミに占領されるかどうかの瀬戸際だぞ」
「下品な生き物だ」
エレウスが空に向けて息を吐く。ボウっと黒い煙が上がった。
「品性のカケラもなく、術者の言いなりになるだけの生き物など、目障りで仕方ない。ケシズミにするなら力を貸すぞ」
さっき、そんな話が出たな、とマシューさんを見ると、エレウスを見上げたまま固まっていた。ドラゴンを見たの初めてなのかな。確かに実際間近で見ると、デカいし威圧感はあるし。普通の猛獣なんかと比べても迫力はハンパない。
「王都を全部燃やしてもいいと王様が仰るならな。とりあえず、オレたちで出来ることをやる!ノノにネズミを集めさせて―」
「この入り組んだ街で、どうやって集めると?しかも、この広さだぞ?」
父さんはぐっとおし黙った。おばさんもいい案は思いつかないらしく、手をグーパーするだけで、何も言ってくれない。
もちろん私にも思いつく方法は何もなく……それにしてもエレウス、なんだか私たちの様子を楽しんでいるみたい。
「ジェイド、お前の考えはいつも浅い。知識も乏しい」
「やかましい!何百年も生きているヤツに比べりゃ、知識量だって乏しいわ!それでも、それなりに熟考してだな―」
「ここで言い争ってる場合か!」
割って入ったのはおじさんだった。
「とにかく街へ向かおう!目についたヤツ、片っ端から始末していくしかないだろ!」
エレウスがずいっとおじさんの前に顔を突き出した。その迫力に、おじさんは大きく後ずさる。
「その昔、イクシオンはアブシュラの森の魔物全てを己の元へ呼び集めた。そしてその魔物を引き連れ、隣国へ攻め入ったのだ」
エレウスが何を言おうとしているか、私ですら分かったんだから、当然大人たちもわかっている。
「どうやったの?イクシオンはどうやって、広大な森中の魔物を集めたの?」
私はエレウスの前に飛び出した。ドラゴンの吐息が熱い。
「ていうか、なんでエレウスがそんなこと知ってるの?」
言わなくてもいいことを言ってしまったかもしれない。でも、千年以上前に生きていた人のことをまるで見たかのように言うんだもの。
エレウスはちょっと目を細めて、ブホッと鼻を鳴らした。
「直接会ってはいないがな、年寄りのドラゴンから何度も聞かされたのさ。ドラゴンまでも自分の意のままにしようとした人間の話をな。イクシオンはグリフォンに乗り、森全体を見渡せる場所から見える範囲全ての動物に集まるよう命じた。強大な魔力にあがらえず、森中の生きとし生けるものが従ったという」
全員の目が、おじさんの後ろで身じろぎもせずに佇むグリフォンに向いた。
グルドはエレウスに視線を固定したまま、固まっている。ドラゴンの存在感に圧倒されているのだ。
「グルドに乗って、街の上からネズミたちをテイムするか……確かに街中に魔力を拡散することはできるが、ノノにイクシオンレベルの魔力は……」
「お、おいおい、もしもグルドまでノノにテイムされたら―」
おじさんはそこで口をつぐんだけど、グルドはビクッと首を伸ばして私の方を見た。心なしか涙目……?
グリフォンもある程度だけど、人の言葉を理解する。その目は助けを求めているように見えた。
いやいや私だって不用意にテイムなんてしない。おじさんのお気に入りのグリフォンを死なせたくないもの。
「仕方がない」
エレウスのドスの効いた声は私に向かって言った。
「乗れ」
ドラゴンマスターと世間では言われているけど……実は、父さんはエレウスをテイムしているわけじゃない。
エレウスは自分の意思で、父さんに力を貸してくれている。憎まれ口を叩いたり、ドラゴン独特の傲慢な言動もあるけど、父さんを認め、父さんもエレウスを信頼している。
「契約だ」と、父さんは言うけど、私から見れば普通に友達関係。
でも、エレウスは父さんを認めているだけで、その仲間や家族まで信頼に足るものとは思ってくれていない。だからこそ、父さんに頼まれて、エレウスも仕方ないと認めた時しか、他の人間を背中に乗せてくれることはない。
少なくとも私は、1人でエレウスの背中に乗ったことはこれまでなかった。
王都全体が見渡せる高さまで、あっという間に到達する。
緊張と、時折吹き抜ける突風の恐怖で、色々考える余裕はない。
当然の如く、同乗しようとした父さんを止めたのはエレウスだった。
「1人でも人手がいるのではないか?」
エレウスの指摘はもっともで、次々と街の方から騒ぎが大きくなっている報告が入ってきていた
とにかく、襲いかかってくるネズミたちを食い止めなきゃならない。
「い、いいの?」
覚悟を決めつつも声が上擦った私に、エレウスはニヤッと笑ったように見えた。
「こ、こんな遠くからっ?!」
改めて下を見下ろして、私は現実的な絶望感を味わっていた。
はるかに小さくなった街の灯り。お城でさえミニチュアのよう。
王都を囲む白い城壁は、月明かりでも十分はっきり見える。でも、
「私の魔力なんて届く気がしないよ!」
自分でも泣きそうな声なのが分かった。
無理だ。そもそも無茶な方法だったんだ。考えなくても分かるくらい、無謀な方法だったのに……
父さんたちと街に向かった方が、まだやりようがあったに違いない。
「気がしないか」
上空に留まったまま、エレウスが言った。
「なにもしないのによく分かるものだ」
ギロン、と金色の目が背中の私に向く。
「は?そ、そんなことっ……だって今までだってほとんどテイムなんか出来なくてっ……」
言いながら、無意識に胸元を探り、いつものペンダントの感触がないことを思い出す。
「じ、自分のことだからっ、そのくらい分かるのよっ!」
とにかく言い返したくて、怒鳴った。
ふと、母さんの夢を思い出す。
いつもの夢とは逆に、私のペンダントを外して微笑んだ母さん。
―大丈夫よ、って言ってくれたの?
…………いやいやいやいや!こんなところで夢の話を持ち出したって!そんな都合のいい解釈を―
「イクシオンは」
自分にツッコミを入れている私の耳にエレウスの声が響いてきた。
「この街よりはるかに広く拡がる森に向け、術を放った。顔を上気させ、自分の後に従えと声をかぎりに叫ぶ様は、まるで気が触れたかのようだったという」
「それも、お年寄りのドラゴンから聞いた話?」
「フン!同じ話を繰り返し聞かされたものだ。テイマーの始祖と崇められるイクシオンといえど、なりふり構わぬその様子は実に不様であったと」
いったいエレウスはなんの話がしたいんだろう?
「ほら!伝説のテイマー、イクシオンでさえ森中の魔物を操るにはそんな状態だったってことでしょ?私になんてムリ―」
「気がふれるほどの全力を、お前は出したことがあるのか」
「は?だから、私はそんな機会……」
言葉がうまく続かなかった。エレウスが何を言いたいのか、分かってきた気がする。
「不様なほどに、必死になったことがあるか?のんびりと、出来ることだけやって過ごしてきたお前が」
セリオンのみんなは優しかった。
父さんやおじさん、おばさんだけでなく、たまに行き交う他の商隊の人も、まともにテイムできるのがスライムだけだと知っても、責められたりバカにされたりなんかしなかった。
今になって思えば、みんな私の事情をある程度知っていたからなんだろうけど。
何も言われないのをいいことに、他の動物をテイムできなくても仕方ないやと……思っていたのは確かだ。
「エレウス、たまにしか会わなかったのに、私のことよく見てたのね」
ちょっと嫌味っぽく言ってやろうとしたんだけど、うまくいかなかった。
「グフゥ」
エレウスの鼻息が熱い。
「出来る……と思う?私に?」
その問いには答えてくれず、
「あれが見えるか?」
エレウスは東の方へぐいっと旋回した。
「あれって……」
私の目に入ってきたのは、市街地の一部が赤く輝いている光景。そこからは黒い煙も上がっている。
「火事じゃない!」
私の叫びをよそにエレウスは悠然と尻尾でバランスをとっているだけ。そこから動こうとはしない。
「あのネズミどもが悪さをすれば、そんなことも起こるだろう。オレが出るまでもなく、街中が炎に包まれるかもしれんな」
「早く……早くなんとかしないと」
無意識のうちに口から出ていた。
エレウスが私を焚き付けようとしているのは分かっている。
ジワリと手が汗ばんだ。
「私……私が……なんとかできる……?」
「オレが知るか」
エレウスはにべもない。でも、私の呟きもちゃんと聞いてくれている。
巻き上がる突風に、立髪を掴む手に力が入った。不思議と恐怖はなくなっていた。
エレウスにはそよ風程度なのか、微動だにしない。
私は深呼吸をして身を乗り出した。街はやっぱり遠い。でも、昼間見た美しい街並みは覚えている。あの街を燃やしてしまうわけにはいかない。
早く!
聞こえるはずのないその声は、誰の声だっただろう?
「エレウス、もう少し下がって。街の外れが見えるギリギリのところまで」
声は震えたけど、私の覚悟は決まった。
「今の私にできるだけのことをやってみる!失敗したら―また、街に戻って考える!父さんたちもいるんだし、お城の魔法使いの人だって―」
自分に言い聞かせながら、テイムの基本を思い出す。
隠れている動物を呼び出す時は、全身に魔力を均等に行き渡らせて―それを四方へ拡散する。
噴水のように魔力を吹き出して飛び散らせるイメージとか、投網を投げる感じとか、人によっていろんな説明をされる。
スライムを草藪の中から引っ張り出す時はどうしてたっけ……あの感覚を強くすればいいのかな……
私は自分の中の魔力の流れに集中した。




