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村の鎮守様

※ 日米戦争  一  ミーガケイン博士

ムサシの血が騒いだ。弱小のものが強大な敵をコテンパンにやっつけたという話をアサやんから聞いたからだ。それは真珠湾攻撃という名の戦だった。しかしアサやんも実のところそれ以上あまり詳しくはなくムサシの要望にそれ以上応えることができず自分でも、もどかしそうだった。そこで見つけたのがニューヨーク在住のミーガケイン氏という名の歴史学者だった。学者といえば無口な人が多いが、逆に彼ら自身の学説についてならば饒舌になるらしい。それがこれまでアサやんが経験したことで、脳に入って話すのが一番だと言う。ミーガケインという人物は高潔ながらもユーモアにあふれ、フレンドリーな人間性がテレビなどを通じて広く知られていて多くの人々の尊敬を集めているという。


ところが残念なことに俺たちがニューヨークにやってきたその前日の夜から氏は外科病棟に入院していた。そこでやむおえず帰ろうとした俺たちだったが、無念そうなムサシの顔を見たアサやんが、「せめてお顔だけでも見てから帰っても、ええんとちゃうの」と言って慎み深い遠慮がちなムサシの気持ちを抑え、俺達はともかく病室に入ることにした。


病室では包帯で頭をぐるぐる巻きにした白い入院着姿のミーガケイン氏とおぼしき男性がベッドに腰を掛けてトイレットペーパーで鼻をかみ、その紙をベッドの下に後ろ足でけり込んでいた。「痛々しそうでいけんがな。じゃけんどもちっと入院していなされば、回復なされるじゃろ。しゃあけんその時にまたお伺いさせてもらいますら」 ムサシの言葉を聞いた俺とアサやんもそれもそうだなと思い新ためて出直すことにしたのだが、それなのにそんな俺たちの足を止めさせたのが、当の博士による反社会的な挙動であった。博士はポケットから取り出した小さな袋を破り、そこから零れ落ちた白い粉をワゴンの上に落とした。


「博士はなんやっとるんだでアサやん」 「う~んまさかとは思うけどな」  続けて博士は 腰のポケットから紙幣を取り出し、それをストローのように丸めるとワゴンの上に落としていた白い粉をその即席ストローを使って一気に鼻から吸い込んで見せた。


「な~んや。薬中やないけ。見ると聞くとは大違いとは言うけどテレビ局が作り出した虚像やったんやな。心配するような玉やないで」

これはコカインとかいう麻薬だそうだ。ムサシはがっかりしていたがそれでもこの不良爺の知識だけは確かに凄いのだとアサやんは言う。そんな訳で俺たちはぐるぐる巻き包帯の頭に遠慮なく入って行った。


「オ~マイガ~フウア~ユ~?」「 「失礼しましたぞな先生。拙者どもは真珠湾攻撃の真実を知りたくてやってきた三匹の虫でござる」 「ホッホッホッどうやら薬が効きすぎたようじゃな。それにミーの頭がこうなったのもその真珠湾のせいだというのにな。ワッハッハ」 どんないきさつで怪我をしたのか俺たちのあずかり知らないところであったが、博士は生来の話好きなのか事の顛末を自ら語ってくれた。


昨晩は東京の超有名大学の日本人教授と二人でレストランでデイナーをしていたのだが、そのなかで他愛のない話からやがて話題が真珠湾へと移りそして事故に繋がったのだそうだ。 「呆れたことに奴はあのスクラップ攻撃を大成功だったなどとほざきおったのじゃよ」


博士は日本の大学のレベルの低さに驚いたがこれはこれで面白いと思い、この優等生タイプの日本人を徹底的にからかってやろうと思ったのだそうだ。そこで両手を上にあげて上半身を後ろにそらし思いっきりイナバウアーしながら「オーマイガー」と叫んでみたのだが勢い余って後ろに倒れてしまい気が付いたらこのベッドに寝ていたらしい。


二   ディープステート 〈闇の米国政府〉とハルノート  

それにしても奴に恥をかかせられなんだのはつくづく残念じゃったのう。それにユーたちが何者かもわからんが、そんなことを気にするミーではない、パールハーバーの話でやってきたのも只の偶然とも思えんし。いいじゃろ。それでは優しくは解説はできんかもしれんがまあなるべく解りやすく話してみるとしようか。まずはハルノートからじゃのう」


ハルノートは1941年11月27日6時45分[日本時間]に米国から日本に手交された文書のことで経済封鎖を解いてほしければこの条件を飲めと命令口調で書いてあり理不尽な最後通牒とも言われている。「日米戦争を起こした元凶とも言われておるが確かにその通りなのは原文がソ連で作られたことからも解るじゃろ。そしてこの原文を米国まで運んだ男の名はパブロフと言うソ連の情報員じゃった」


パブロフはソ連崩壊後の1990年代に日本のNHKのインタビューに次のように答えている。原文を見せた相手の米国人と会ったのはワシントンではなくニューヨークのレストランでその原文は持ち帰ったと。


尚この米国人はハリー・デクスター・ホワイトという米国財務次官補の男で、当時の米国政府とその関係者に300人もいたソ連スパイ〔1990年代から公開している米国機密文書ベノナファイルより〕のボスで戦後になって彼のスパイ疑惑がもちあがった一週間後の1948年8月16日自宅の物置にて心臓発発作により満55歳で死亡している。


「ハルノートが日米戦争の引き金になったのは確かだがそれが真珠湾攻撃に直接結びついたのではない。なぜならハルノートが手交される前日の1941年の11月26日〔日本時間早朝〕には真珠湾攻撃に向けて北方領土の択捉島から日本海軍が出撃していたのじゃ」 「それとこれらに関する重要な事実として、真珠湾攻撃開始三日まえのシカゴ・トリビューン紙ともう一紙の朝刊のスクープも忘れてはならんじゃろな」


それは大統領が準備していた大戦争計画の暴露であった。〔一千万人動員、五百万人派兵、軍艦の建造その他〕これによって共和党から大統領弾劾騒動が起きたのであるが、間もなく始まった真珠湾攻撃の混乱によってそれらの声はかき消されてしまった。ところでそれらをトリビューン紙に密告したのはイギリス情報機関であったがこれは何を意味しているのであろうか。


「それはのう。ルーズベルトの戦争準備に待てなくなったイギリスの焦りが原因なんじゃ。なんせ今にもドイツに負けそうじゃったからのう。新艦そろえてから日本と戦争を始めていたんじゃとても間に合わんからのう。そこで今直ぐ戦争を始めろ。でないと新聞社にチクるぞと脅してきたというわけじゃ。それで慌てたルーズベルトが早く真珠湾攻撃準備をするように山本に要請したんじゃな。そして山本五十六から出撃済み連絡が入りハルノートを日本に提出したというわけじゃ」


「ハルノートを見た日本政府は米国の強い戦争意志を知り腰を抜かした。首相の東條なんか頭がくらくらしたと言っておるのう。また海軍がハワイに出発したのを東條が聞いたのは四日もたってからじゃった」 「あの~そやけど日本で山本五十六は英雄みたいに言われてますけどちゃいまんのん」 「山本が英雄だって?事実はその真逆じゃ。それは不可解でばかばかしい真珠湾の攻撃から始まりミッドウェー、ガダルカナルにおける異様な敗戦必須行動を知れば誰でもわかるじゃろな」」


「なんで真珠湾だったのかって?それはやっぱりインパクトの大きさじゃな。宣戦布告も予定通りに遅れて効果的じゃった。これによって卑怯なジャップに怒りそれまで戦争絶対反対だった世論も一気にひっくりかえせた。また米国民がパニクっているあいだに日本をほったらかしにしてイギリスを助けに行くことも上手くいった。 一年半前に反対する司令官を首にしてまで太平洋艦隊の本部を事実上ハワイに移したのもこのためじゃった。真珠湾攻撃の知らせが入った時ルーズベルトは勿論チャーチルも大喜びしたもんじゃプ~~」 博士は鼻をかみまたその紙をベッドの下に隠すと煙草に火をつけた。


三  ナースダイアナ

煙草を吸い始めるとほどなくドアがノックされたが博士はすぐに返事はしなかった。スリッパで踏みつぶした煙草をベッドの下に隠すと、換気扇から煙が消えていくのを確かめてからプリ-ズと応えた。


20代後半ぐらいだろうか背が高く抜群なスタイルのうえ金髪碧眼の超美人で名をダイアナといい、この部屋の担当になったのでよろしくお願いしますと優しく微笑みながら博士に挨拶をした。


カメレオンの特技は顔を動かせずとも眼だけで獲物を追えることだ。食い入るように獲物に目を凝らす爬虫類にダイアナの身の安全を心配した俺達だったが、やがて何事もなく無事に彼女はドアの向こうに去っていった。ホットしている俺たちにへたくそな俳句を博士は披露して見せた。 「ダイアナに 漏れるため息 元気回春」  「どうだいい句だろう。イッヒヒ~」 


 四  真珠湾攻撃

「ほとんどの軍人たちが反対する出発前。山本と真珠湾攻撃の司令官になる南雲忠一の二人は臭い芝居をうって見せたのう。この攻撃に反対する南雲を山本が激しくしかりつけたんじゃ。これにより一同が沈黙しムードが一気に変わったんじゃ」


カメレオンから科学者に戻った?博士の講義を俺たちは黙って聴いていた。1941年12月8日、日曜日午前7時55分(米国時間)に攻撃が始まったのじゃが、いつもの日曜日なら全艦揃えて休んでおるはずが、あの時は違っておったのう」


真珠湾に停泊していた軍艦は戦艦八隻、重巡洋艦二隻、軽巡洋艦六隻、駆逐艦三十隻だったが、これらは駆逐艦を除いて第一次大戦当時に建造された旧型ばかりであった。第二次大戦に使える空母二隻とその他の戦艦や巡洋艦などの二十一隻はミッドウエート島とウエーク島に戦闘機やその他の軍事物資を運ばせていて、真珠湾での空襲を避けるのと戦争準備の一石二鳥作戦を行っていたのだ。


真珠湾攻撃中にドッグと燃料タンクへの破壊も行うようにと再三再四の意見具申をした山口多聞を無視してスクラップ攻撃のみで引き揚げた南雲であったが、これが行われていたならば日本への反撃は半年ほどは遅れたであろうと言われている。このような南雲の不可解な行動はミッドウェーでも行われた。


「先生。そのミッドウェー海戦もお聞かせくださいますか」 「勿論OKじゃが、ガダルカナルまで話さねばなるまい。しっかりついてくるのじゃ」 そう言って博士はまた鼻をかみ、煙草を吸いそしてまた両方ともベッドの下に隠して見せるのであった。


五 ミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦とは、真珠湾攻撃半年後に行われた米軍基地ミッドウェー島占領計画で。総艦艇三百五十隻、航空機一千機、総兵員十万にも及ぶ日本海軍史上空前絶後の大作戦であった。

「これだけの戦力で戦えばもちろん楽勝になるので大本営や陸軍の反対にあうこともなかった。しかしミステリアス山本を甘く見てはいけない。ど~れ詳しく見よかい」


山本はこの作戦部隊を三つに分けた。

南雲機動部隊《空母四、戦艦二、重巡洋艦二、軽巡洋艦一、駆逐艦九》

主力部隊  《大和を含む戦艦七、巡洋艦三、駆逐艦二十一》

警戒部隊  《残りの全艦近く》


「史上最大の作戦をうたい、大きな打ち上げ花火を上げた山本じゃったが、米軍と実際に戦闘をしたのは南雲機動部隊だけじゃったのう。山本の率いる主力部隊は、戦場から550キロも離れた後方を遊覧していただけで南雲機動部隊の戦闘が始まっても駆けつけようともしなかったし、間に合わない距離に敢えていたのだ」 「何?もう一つの部隊てか。その警戒部隊なんぞに至っては、930キロも離れてて、白川屋舟を楽しんでいただけというお粗末さであったのう。これが石油の一滴は血の一滴と言われていたご時世にやることかい」


「ところでここまでどうじゃった。難しいことなかったかいのう?」 「先生続けてくだされ。ますます興味がわいてきましたぞな」  「目から鱗が落ちる音が聞こえてきましたわ。そやからもっとおたのもうします」 (俺にはさっぱりだが、兄弟たちの好奇心の強さにはあきれれてホントお~じょ~こくでかんわ。) 「そうかそれじゃあ。時系列で戦闘を追ってみるとしようかいのう」


1942年6月5日午前1時半[日本時間・以降すべて日本時間で表記]ミッドウエー島北北西388キロの海上より南雲機動部隊百八機が発進。

[午前2時半]敵敵哨戒機らしき機影アリ。

[午前3時]敵機二十六来襲。

[午前4時7分]敵重爆撃機来襲。

[午前4時15分]旗艦赤城より爆走転換命令が来る。対艦用の爆弾を外し、陸上用に取り換えるようにと司令官南雲からの命令だ。ミッドウェー島の敵機が思ったより多く再度攻撃するという。


山口多門は驚愕した。戦闘中の爆装転換など論外なのだ。作業は甲板の下にある格納庫で行われるが、中では航空機が隙間なくびっしりと詰まっており爆走転換など簡単にできるものではない。艦爆の重量は250キロもあり長さは1・8メートルだ。これだけでも大変なことだが魚雷ともなると5メートルもありさらに厄介なのだ。


山口の心配は火災であった。敵機の攻撃による火災は当たり前のことでその都度消せばいい。しかし爆走転換中ともなればそんな訳にはいくまい格納庫に火が入れば誘爆を招き一瞬のうちに艦全体が大爆発を起こす。南雲の命令はありえないことだった。


[午前4時20分]山口は空母飛竜から爆走転換中止の意見具申を旗艦赤城に発信するが南雲からの返事はなかった。こうなれば司令官の命令に逆らうことはできない。それが軍隊なのだ。


[午前4時28分]敵艦隊十隻発見。

[午前4時55分]ミッドウェーから敵機来襲。

[午前5時9分・20分説アリ]敵巡洋艦五隻、駆逐艦隻発見。

[同時刻]山口は現装備のまま発信すべしと赤城に信号を送るが南雲からの返事は今回もなかった

[午前5時30分]敵空母ホーネット発見。

[同時刻]南雲より再度爆走転換命令が下る。驚いたことに敵空母の出現を知りながら今度は艦用爆弾に切り替えろと命令してきたのだ。山口多門は現装備の陸用爆弾のまま発艦するよう南雲に進言すると同時に命令を拒否することを決意した。確かに沈没させることは難しいがそれでも空母の機能はなくせるるのだ。そして現作業の陸用爆弾装着を急がせると同時に敵機からの集中攻撃を避けるために他の三艦から飛竜を離れさせた。

[午前6時20分]敵機十五南雲機動部隊に来襲。

[午前6時50分]敵機十四南雲機動部隊に来襲。

「午前7時10分]空母ヨークタウンからの敵機十二機が南雲機動部隊に来襲。

[午前7時24分]空母エンタープライズより三十機が南雲機動部隊に来襲。空母ヨークタウンからの期と合流して、猛攻撃が始まる。空母加賀の甲板後部に命中。さらに三発被弾。

[午前7時25分]空母蒼龍のエレベーター前に被弾。炎が格納庫に移り誘爆。大爆発を起こす。

[午前7時26分]空母赤城被弾す。格納庫内にて誘爆、大火災発生。

山口多門の危惧した誘爆により一瞬のうちに三艦が壊滅状態となった。

[午前8時]多少の攻撃は受けたものの集中攻撃からの難を逃れていた飛龍の陸用爆装が完了。空母ヨークタウンを狙い二十四機が発艦。この攻撃を受けボロボロ状態になったヨークタウンは海上をさまようが日本の潜水艦の魚雷を受け沈没する。孤軍奮闘し一矢報いた飛竜だったが多勢に無勢。翌日の午前6時過ぎに沈没した。


「山口多門は沈没する飛竜に残り艦と運命を共にしたと言われておるがこの話もどこまで真実かは分からんぞ。何しろ海軍の作り話があまりにも多いのでのう。もしかしたら同艦にいるスパイたちに殺されたのかもしれん」 「飛竜一隻だけで空母を壊滅させたのならば日本軍はものすごく強かったのじゃろか先生はどう思うぞな」 「当時はゼロ戦一機で米機二機に匹敵したからのう。まともな戦いなら米軍は全滅じゃたな。すなわち日本の爆装転換を予め知っていたということじゃ」


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