砂漠の嵐
彼もバージニアでの白人たちの悪行は聞いていたが、心優しい彼は女子供たちを見殺しにはできなかったのだ。それから五十年の時が過ぎ、マサソイトの跡をついだ長男はプリマスで行方不明になり二度と集落に帰ってくることはなかった。このころの白人たちの人口はインデアンたちよりも圧倒的多数になっており、銃と騙しのテクニックでインデアン達の土地を次々と奪っていったのである。
兄の跡を継ぎワムパノアグ族の酋長になったメタコムは白人との戦争を決意して敗れたのだ。それがプリマスより南西約五十キロほど離れたマウントホープの森の中で俺達が見た悪魔の爪痕だった。メタコムの首はインデアンたちへの見せしめとしてプリマスの街角に二十五年間さらされた。
四 カナン
新たなカナンの地を目指そう。それが十七世紀のイギリス、ピューリタン達の合言葉であった。それはアメリカ大陸のことをさし、カナンとは旧約聖書、出エジプト記に記載された現パレスチナ、イスラエルの地名である。それにしてもピューリタンによるインデアンたちへの残虐非道ぶりは常軌を逸していた。人格障害でもない普通の人間がここまで残酷になれたのはミステリーでもある。
けれどもこの不可解な謎を解くカギは彼らの教科書とも言える旧約聖書の出エジプト記を読めばわかる。そこに記載されていた行為を彼らは行ったに過ぎなかったのだ。そもそも金も食料も持たない奴隷だった彼らがどうやってエジプトからカナンまでの四十年間、食いつないで行けたのだろうか? その答えを読んでみよう。
五 モーゼ五書民数記
ある日。サウジアラビアのミディアンから隊長たちが帰ってきた。イスラエルの子らはまた、ミディアンの女達と幼児を捕虜とし彼らのすべての財産を奪い取った。また彼らの居住地にあったすべての町と彼らの居住地にあった、すべての宿営地を彼らは火で焼いた。彼らは人間であろうと動物であろうと、すべての略奪品を奪った。
モーぜと祭司エルアザルと会衆のすべての指導者たちは、彼らを迎えるために宿営の外に出た。しかしモーゼは戦闘の軍務から帰ってきた部族の司令官たち、すなわち千人隊長たち、百人隊長たちに対して怒りを発した。そしてモーゼは彼らに言った。