フェリクスの余裕
夕食の席で、フェリクスは常に穏やかな笑みを顔に貼り付けていた。
ただそれはフェリクスだけではない。ユーナ夫人やナディネ、そしてメアリも同じ。ただ一人、フランカだけが険しい表情を保っていた。
そのことに誰も意識を向けないノリス家の女性たちを、フェリクスは薄気味悪く思う。窘めるでも、妙な空気になるでもなく、それが当たり前のことのように受け入れているのが不気味なのだ。
(なるほど。恐らくフランカ嬢はこの結婚に乗り気ではないのだろうな。大方、僕に嫌われようとしている、といったところか。涙ぐましいね)
人の顔色を窺いながら常に最適解を導いてきた彼にとって、彼女たちの思惑など手に取るようにわかる。それが透けて見える者は、フェリクスの地雷であった。
だが今更フェリクスは気にしない。別に自分だって好かれようと思っているわけではないのだから。
それにどうせ、三人の中の誰かを選ばなくてはならないのだ。そこまでわかりやすく嫌だというのなら、次女のナディネを選んだって良かった。
(ただ、あまりにも態度が悪いのなら……素直に策に乗ってやるのも、な)
フランカとナディネ、二人の作戦はどうやらフェリクスの嗜虐心をくすぐってしまったようである。
その際、フェリクスが本当に僅かに口角を上げたのを、メアリだけが見ていたことには誰も気付かなかった。
夕食の時間は他愛もない談笑を挟みながら穏やかに過ぎていく。フェリクスはどこまでも好青年で、ノリスの持つ領地がいかに豊かであるかを語り、名産品であるワインのことを語る。さらに彼女たちの父親であるディルクの王都での活躍など、話題に暇がない。
油断すると、フェリクスに好印象を抱いてしまう。むしろ、本来であればそれが正解なのだが、結婚を回避したいフランカやそれを応援したいナディネは意地になって粗を探していた。
ナディネに関しては、自分が婚約者として選ばれようという計画なのだから好きになる努力をした方が良いはずなのだが。
どうにも姉を守るということに意識が向きすぎているようである。少々、残念なところのあるナディネであった。
「食事も残すところは食後のデザートだけですわ。そろそろわたくしは席を外します。ただし、あまり遅い時間まで話に花を咲かせないでくださいませね」
「ははは、もちろん心得ていますよ。お嬢様たちに夜更かしをさせるわけにはいきませんからね」
そうして夫人が食卓を後にし、テーブルにデザートが並べられたところでフェリクスは自分から話を切り出すことにした。
「急な話で驚かれたでしょうね。貴女方には本当に申し訳ないと思っているのです。面識もない男が滞在することになって……さぞや不安でしょう」
思ってもないことを口にしたフェリクスであったが、素直なナディネはあまりにも申し訳なさそうに眉尻を下げる彼を見て大いに慌てた。
「そ、そんなことはありませんよ! フェリクス様の方こそ、初めて来る屋敷に滞在しなければならないのはストレスになるでしょう? お互い、言いっこなしです!」
「そう言ってもらえると、いくらか心が軽くなりますね。ありがとうございます、ナディネ嬢」
だがそのおかげで、ナディネに自分は歩み寄らなければならないのだ、という自覚を思い出させた。
フランカが選ばれることを阻止しようと必死だったことで、失礼な態度をとっていたかもしれない。そう反省したナディネは、出来るだけ笑顔で接しようと心がけ始める。とてもわかりやすい。
しかし、今度はそんな健気な妹の姿を見たフランカが心を傷める。妹が頑張ってくれているのだから、自分も嫌われるために動かなければ、と。
フランカも、頭は良いがだいぶ単純であった。
「フェリクス様。ハッキリと申し上げておきますわ。きっと貴方様は、ご自分が選ぶ側だと思って余裕ぶっているのでしょうけれど、こちらにだって選ぶ権利はありますからね」
言ったこと自体は本音である。そのため、フランカは意識することなくやや喧嘩腰にそう告げた。
だが一方で、そう来ると予想していたフェリクスはどこまでも冷静だ。穏やかに、それでいて少し困ったように微笑みながら言葉を返す。
「ええ、それは当然のことでしょうね。もしも僕がフランカ嬢を選んだとしても、断られてしまっては仕方ありません」
その余裕な態度が何かしら気に食わなかったのだろう。フランカの怒りに火がついた。彼女の沸点は低いのだ。
「仕方ない、では済まないことくらいわかるでしょう? 陛下の命なのですからっ」
「そうですね、とても困ったことになります」
「~~~っ! もういいわ! 貴方、何も考えていないのねっ!!」
フランカはまだまだ未熟である。半分以上が完全に素であった。母のように俯瞰した目で物事を見極め、感情的にならないようにするにはもう少し時間がかかりそうである。
その点、フェリクスはすでに出来上がっていた。相変わらず涼やかな顔でフランカの言葉を受け止めている。
「そんなことはありません。だからこそ、一カ月という期間をいただいたのだと僕は考えています。それでも短いくらいですが、少しでも歩み寄る努力をしたいと」
胸に手を当てて真摯な態度を見せるフェリクスに、フランカも一瞬だけたじろぐ。
正直な話、嫁がなくていいのならフェリクスはとてもいい婚約者候補なのだ。彼が全くタイプではないナディネとは違って、フランカは見目麗しいフェリクスを素直に素敵だと思える心が残っているのだから。
「まだ出会って一日も経っていません。ですがもし僕が貴女を選んだなら、許しを得られるよう努力はいたしますよ」
そう言ってフェリクスが笑みを向けると、どうしてもフランカの乙女心が反応して赤面してしまう。これは好ましいと思っている、いないとは関係のないことなのだ。
(いくら素晴らしい頭脳を持っていても、勝手に決め付けて喚き散らす頭の悪さはいただけないがね)
しかし、好青年の内面はなかなかにどす黒い。どうやら彼の言う賢さは、必ずしも頭脳明晰でなくてはならないわけではないようだ。
「ふ、ふんっ、精々頑張るといいわ。誰を選ぶかは勝手だけれど、私のことはそう簡単に落とせないわよ」
「おや、お手柔らかに頼みます」
腕を組んでそっぽ向くフランカだったが、フェリクスは確信した。彼女のことを落とすのは、おそらく簡単だろうと。