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フェリクスの警戒


 フェリクスがノリス家へやって来て、十日ほどが過ぎた。ここでの生活にもだいぶ慣れ、屋敷の者ともそれなりに仲良くなれただろう。


 もちろん、フェリクスが完全に気を許すことはない。少なくとも、屋敷で働く者たちやナディネからの信頼は得たという意味である。


 そんなフェリクスは現在、フランカとの時間を多めに取るようにしていた。ナディネを候補から外した以上、彼の中ではフランカを選ぶしかなくなったのだから。


 ただ、フランカはわかりやすくフェリクスを避けている。まず顔を合わせる機会が少なく、会ってもこちらを睨んでくるばかりで話にならないのだ。

 おかげでさっさと決めて帰りましょう、というわけにもいかなくなっている。


 彼女に対して苛立ちを感じるわけではなかったが、意趣返しとして「婚約者はほぼ貴女に決めていますよ」と遠回しに伝えるフェリクスも性格が悪い。


 おかげで二人の仲はかなりピリピリしたものとなっていた。フェリクスはそれさえも面白いとばかりに余裕を見せているのだが。


「フランカ姉様は今日もちょっとお忙しいみたいで……良ければまた馬で外に出かけましょうか?」

「ありがとう、ナディネ嬢。ですが、今日は結構です。フランカ嬢のお時間が空くまで少し待たせてもらいますから」

「そっ、そうですか……」


 一方、自分がやらかしてしまったことに気付いたナディネはどうにか失敗を取り戻そうと必死であった。しかし、時すでに遅し。フェリクスの考えが覆ることはない。


 ナディネもまた、フェリクス自身に興味があるわけでもないので、いまいち本気になれていないのかもしれない。落ち込んでいる理由も、ただ姉の力になれなかったという不甲斐なさから来ているらしかった。


(気持ちはわからなくもないが、ナディネ嬢の幸せのためでもある。諦めてくれ)


 半分以上は自分の個人的な感情が理由ではあるが、それも嘘ではない。ただ少し、ナディネの相手をするよりフランカの相手をする方が楽なだけである。


 フェリクスは穏やかな笑みを浮かべながらリビングルームの椅子に座って本を読み始めた。


 やがてナディネも立ち去り、リビングルームにはフェリクス一人が取り残される。窓からは僅かに陽の光が差し込み、とても心地好い。


 そんな時、どこからともなくいい香りが漂ってくる。甘くて優しい、焼き菓子の香りだ。


 実のところ、フェリクスは甘いものが好きである。嗜む程度ではあるが、頭を使うことが多いため休憩時には甘いものを好んで摂るようにしているのだ。

 この屋敷でもお茶の時間の時だけはコーヒーを甘めにして飲んでいる。


 とはいえ、本当は甘いものとブラックコーヒーの組み合わせが至高だ。ここに来てからはどうも見た目の印象からか焼き菓子などを出されることがなく、甘い食べ物を口にすることがなかったため、この香りはなかなかの誘惑であった。


(そうはいっても、ここから厨房は離れている。一体どこから……?)


 こうなってはもはや読書に集中など出来はしない。フェリクスはパタンと本を閉じると、甘い香りの発生源を探すべく立ち上がった。


 その香りの元はあっさりと見つかった。隣のダイニングルームへのドアを開けた時、焼きたてのパウンドケーキを持ったメアリと遭遇したからだ。


 白いエプロンを身に付け、ミトンを付けた手でまだ熱そうなパウンドケーキを型ごと運んでいる。

 一体なぜそんな状態で? という疑問はあったが、それはひとまず置いておくことにした。


「メアリ嬢でしたか。その香りの元は」


 メアリはフェリクスの姿に気が付くと、ええ、と一言告げながらテーブルに近付く。そしてそのまま置いてあった網の上で、パウンドケーキを型から綺麗に外した。

 その瞬間、甘い香りがさらに広がっていく。フェリクスの視線はついそちらに向いてしまった。


「お邪魔してしまいましたか?」

「いいえ。読書にも飽きていたところでしたので。お菓子作りですか?」

「ええ。時々こうして作るのです。ただの趣味なのですけれど」


 ミトンを外しながら答えるメアリは、どこかご機嫌だ。よほどお菓子作りが好きらしい。

 その間も、美味しそうな香りがダイニングルーム中に漂っている。正直、フェリクスにとってはなかなかの拷問であった。


「なぜ、ここに?」

「もうすぐ昼食の準備が始まるので、厨房に置いておけないと思って。香りが邪魔をしてしまうでしょう?」

「なるほど。確かにそうかもしれませんね」


 余熱が冷めたらまた厨房に持って行き、お茶の時間に出すお菓子として保管しておくという。それまでこの場所を使うのだとメアリはニコニコ語った。


 それにしても本当に美味しそうな仕上がりである。ドライフルーツやクルミがたっぷりと入ったシンプルなパウンドケーキは、ホカホカと湯気を上げていた。思わず生唾を飲み込んでしまうほどだ。


 その様子をメアリはニコニコしながら見つめ、嬉しそうに口を開いた。


「もしよかったら一切れいかがですか? 冷めたものの方がしっとりとしていますが、焼きたてもまた美味しいですよ」

「えっ、いいんですか?」

「はい。フェリクス様は、本当は甘いものがお好きなのでしょう?」


 思ってもみなかった嬉しい提案に、フェリクスは一瞬喜びかけた。が、続けられた言葉に思わず口籠る。


「……なぜ、そうお思いに?」


 甘いものが好きだなどと、言ったことはなかったはずだ。お茶の時間だって彼女の前で砂糖を入れたことはない。それなのになぜ、と。


 フェリクスの問いかけを聞いて、メアリはさらにクスクスと笑った。その笑みがとても大人びて見え、フェリクスの胸がドキリと鳴る。


「この部屋に来てからのフェリクス様を見ていればわかります。目が輝いていましたもの」


 そんなはずはない、とフェリクスは僅かに動揺した。


 自分のポーカーフェイスは父親のお墨付きだ。そう簡単に自分の気持ちを悟られることはないと自負している。

 実際、他の者にはフェリクスの変化など一切わからなかっただろう。内心ではあれこれ思ってはいても、顔には出ていなかったのだから。


 フェリクスはここへきて初めて、メアリに対して警戒心を抱いた。


 ニコニコしているだけの令嬢だと思っていたが、もしかするととんでもない曲者かもしれない。今この時、初めてそう思ったのだ。


「そうですか? 自分ではわかりませんが……」


 フェリクスは試すことにした。さも、それは見当違いだと言わんばかりの素振りで答えてみせたのだ。

 だがメアリの様子は変わらない。相変わらずの微笑みを浮かべて、確信しているかのように言葉を紡ぐ。


「そうですよ。確かにフェリクス様は他の方よりわかりにくいですが……よく見ていればわかります。お肉料理よりもお野菜が好きなことも、お茶よりもコーヒーを好んでいることも」


 お皿を並べ、パウンドケーキを切るために場所を空けながらメアリはさらに続けた。


「たぶんですが、時々コーヒーは甘くして飲んでいらっしゃいますよね。私は料理で砂糖をよく使うので、減り方でなんとなくそう思っただけですけれど」


 ついに、フェリクスは驚いて目を見開いた。彼女が言ったことは全て当たっていたからだ。


 フェリクスは、陛下や殿下、そして父親以外に初めて人を恐ろしいと思った。


「そして、本当は結婚などしたくないということも。出来れば、誰も選びたくはないのですよね?」


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